カルテット結成!
「よお聖。まだ生きていたとは相変わらずしぶといな!」
「こいつは……、またうるさいのを連れてきたものだな、直以」
ジト目で俺を睨む聖。非常階段の4階、俺と聖、雄太の3人は、同時に笑い出した。
「……あのう?」
非常階段の屋根から俺たちを窺う顔がひとつ。遠野梨子だ。
「ああ、なんとか屋根には飛び移れたみたいだな。こっちには来れる?」
遠野さんは飛んで行きそうな勢いで首を横に降った。
「それじゃあ仕方ない。屋上に戻っていな。なんとか校舎の階段を使えるようにするから」
「んむむむ、むりです! ここまで来るのだってやっとだったのに、また戻れなんて!」
聖は困り顔で俺を見た。ずっとこの調子だったのだろう。
「聖、雄太、周辺の警戒を頼む」
俺は柵に脚をかけ、雨どいを伝って非常階段の屋根に上った。
「直以先輩、おかえりなさい♪」
「おかえりなさいじゃないだろ」
遠野さんは、しゅんと落ち込んで下を向いた。俺は苦笑を漏らしてしまった。もし俺に妹がいたらこんな感じかもしれない。
俺は、遠野さんに背を向けてしゃがんだ。
「ほら」
「? なんですか?」
「おんぶ」
「お、おおお?」
「だからおんぶだって」
遠野さんは、しばらくしぶっていたが、おそるおそる、俺の背中に体重をかけてよりかかった。
俺は、ブレザーで遠野さんの腰と自分の腰を縛ると、彼女の太ももを持って立ち上がった。
「うにゃん!」
「目を閉じて。いいって言うまで開けるなよ」
背中の遠野さんは、俺の首に手を回し、ぎゅっと抱きついてきた。小さい膨らみが背中に接触する。
だが、俺に浮かれてる余裕はなかった。
4階建ての校舎のさらに上、春の生暖かい風が俺の頬を撫でる。
一歩間違えればまっ逆さまだ。
遠野さんが怖気つくのもしょうがない。俺だって、やらずにすむなら一生に一度だって嫌だ。
ゆっくりと、ひとりで降りた倍以上の時間をかけて降りていく。
雨どいの強度は大丈夫か? 俺の指、腕は2人ぶんの体重を支えられるのか?
疑いだしたら一歩も動けなくなる。検証できない以上、俺はあえて考えないようにして降りた。
非常階段に足を付けたとき、俺は水面から顔を出したように思い切り息を吐き出した。
「遠野さん、もういいよ」
「……」
「おい遠野。早く降りろ」
「……」
反応はない。俺は、太ももを掴んでいた手を離して、腰を縛ったブレザーを取った。
結果、彼女を落ちた。
「きゃん! 直以先輩、ひどいじゃないですか!」
「うるさい! 降りろといったらさっさと降りろ! 重いんだから」
「おも……、私、重くありません!」
「おまえら、仲いいな」
そう言ってジト目で俺と遠野(こいつはもう呼び捨てでいいだろう)を見る聖と雄太。
「聖、雄太から音のことは聞いたか?」
「うむ。妄信は禁物だが、なかなか有意義な情報だった」
「それで、これからどうするんだ?」
「とりあえず、職員室を目指そうと思うんだ」
「職員室? 今さら教師連中を頼るのか?」
「いや、理由はいくつかあるんだが……、それは着いてからにしよう」
こうして俺たちは職員室を目指すことになった。
職員室は特別棟の2階になる。コの字型の校舎の中心部分だ。ちなみに特別棟の一階は下駄箱と保健室だ。
音を立てないように慎重に進む。
数人のゾンビは見つけたが、なんとかやり過ごすことができた。
やはり、ゾンビどもが音に反応するとわかったのは大きかった。
なんとか職員室の前にたどり着いたとき、俺たち4人は大きく息を吐いた。
「ほんの数十メートルなのにすごく疲れましたねえ」
「ああ、これは神経使うな」
俺たちは小声で話し合った。数メートル先にはゾンビさまがのそのそと歩いている。大声を出せる状況ではないのだ。
「しかし、これでゾンビどもに視覚がないのはわかったな。こんな近くにいても気づかないのだから」
「聖、考察は後にしてくれ。とにかく今は職員室に入るぞ。雄太、外のゾンビの警戒を頼むぞ」
「わかった」
「直以先輩、私は?」
俺は、まっすぐに俺を見詰めてくる後輩を見た。
「よし、それじゃあ遠野は扉を開けてくれ。ゆっくり、音を立てないようにな」
「はい!」
遠野は扉に手をかけると、一度俺を見た。俺は頷いてやる。
俺は、鉄パイプを握り直した。
からからと、小さな音を立てて扉は開かれた。幸い、外のゾンビには気づかれなかった。
俺を先頭に、聖、遠野、雄太の順に職員室に入る。そのまま、開けるときの数倍の音を立てて扉を閉めた。
「まあ、そうだよな」
扉を閉めた音に反応してこちらに向かってくる数人のゾンビ。元教師だったゾンビたちだ。
その中には、見知った顔があった。バスケ部のコーチ、渋沢だ。
「まさか、こんな形で引導を渡すことになるとはなあ」
俺はわずかに腰を落とすと軽く息を吸い、一気に駆けた。
一撃で膝頭を叩き潰し、そのままの勢いで半回転、二撃で即頭部を強打して床に這わす。そして、三撃目で俺は鉄パイプを振り下ろし、渋沢の後頭部を破壊した。
「……気に食わないやつだったけど、ゾンビになるほどではなかったな」
俺は、渋沢だったものを一瞥すると、向かってくる古典教師を鉄パイプで横殴りした。
「はい。お疲れ様。これで少し休めるな」
職員室内にいるゾンビを倒し終わった後、偉そうにそうのたまったのは聖だ。
俺は鉄パイプを、雄太はエレキギターを同時に床に投げ出して、イスに座った。
「はあはあ、頭蓋骨がこんなに硬いとは知らなかったぜ。聖、爆弾でも作ってくれよ。ゾンビゲームのテンプレだろ?」
「別にかまわないがその時は作成段階から雄太がやるんだぞ。私は爆発物を理論だけで調合する度胸はないからな」
雄太は大きな舌打ちをすると机に突っ伏した。
「先輩、お疲れさまです」
遠野は、俺に1リットルのペットボトルを差し出した。
よく冷えている。どうやら職員室内にある冷蔵庫から持ってきたようだ。
「サンキュー」
俺はキャップを取ると、一気に半分ほど飲んで雄太に渡した。残りの半分を雄太は一気に飲み込む。
一息吐いたところで、俺は聖に聞いた。
「さて、そろそろ職員室にきた目的を話してくれよ」
「ああ、まずは現状を確認しようと思ってな」
そういって聖はテレビをつけた。
テレビ局は、全てが特番だった。いや、正確を期すなら、やっているテレビ局の全てが。
半分の放送局は、『しばらくお待ちください』のテロップ。倒れたテレビがゾンビの徘徊するスタジオを写している局もあった。
「おいおい、まじかよ」
聖は、1秒間隔でチャンネルを変えていたが、国営放送で止めた。その内容は、世界中でゾンビが発生しているということだった。
「世界中で、かよ。まいったな」
「これで救援の可能性はぐっと下がったな」
「下がりましたか?」
「ああ。なんの取り得もない地方都市なんて二の次だろ。まずは東京とか大阪の治安守って、大都市の治安守って、それからやっと順番待ちに並べるってところかな。いったい何ヶ月先になることやら」
「雄太、後輩を不安がらせるな。全部は憶測だろ」
「あら、直以先輩。私は大丈夫ですよ♪ 不安がっている余裕なんてないって知ってますもん」
「そういう生意気は高所恐怖症が治ってから言え」
遠野は思い切り頬を膨らませて、俺の隣に座った。
俺は、顔を背けながらも身体を寄せてくる遠野の肩越しに、立ったまんまの聖を見た。
「聖、おまえも座って休んでおけよ」
「……ああ、そうだな」
言われて初めて聖は近くのイスに座った。俺は、立ち上がって聖の傍に寄った。
「さすがのメンサも、精神的に疲れたか?」
聖は、弱弱しく微笑んで俺を見上げた。俺が初めて見る、聖の表情だった。
「私も1日でこれだけの生死を体験したことはなかったからね。少し疲れてしまった」
「正確には、まだ1時間ほどだけどな」
俺は時計を指した。時間は、まだ13時前だ。初めてゾンビを見かけてから1時間ちょっと。体育の授業でシュートを外してからも1時間半ほどだ。
「もうこんな時間か。おなかすきましたね」
遠野はそう言うとイスから立ち上がり、お茶請けを物色し始めた。
「遠野、おまえけっこうタフだな」
「ええ。こういう時はカラ元気でもいいから盛り上がらないといけないんですよ♪ じゃないと感情に押し潰されるから」
雄太も立ち上がり、遠野と一緒にせんべいなどを摘まんでいる。
俺は、小声で言った。
「話せることは話してくれよ。こんな状況だ。多少のことでは驚かないから」
聖は俺を見上げている。俺は、聖と目を合わせずに言った。
「それに、こういうときだ。俺でも役に立てるかもしれないだろ? 少しは頼ってくれ」
しばらくの無言、聖はいきなり噴き出した。俺は口角を下げて文句を言う。
「なんだよ、いきなり」
「いや、普段からそれだけ言ってくれれば、あるいは私たちも男女の関係になれるかもと思ってね」
「……リップサービスは苦手なんだよ」
「ああ、わかってるよ。長い付き合いでもないが、それぐらいは君を理解してるつもりだからね」
聖は勢いよくイスから立ち上がった。そのまま俺に背を見せて話し出す。
「直以、今は駄目だ。私にも安いながらにプライドというものがあるからね。今この話をしたらきっと君は私を軽蔑する。私はきっとそれに耐えられない。だから、今はまだ駄目だ。いつか、私の覚悟ができたら、そのときに聞いてもらいたいことがある……」
俺は、聖の背中に答えた。
「ああ。わかった。おまえに話せるときが来たら話してくれ」
聖の肩が下がった。そのまま胸を反らして大きく息を吸うと、聖は振り返って言った。
「さて、みんな。聞いてくれ。今まで馴れ合いでここまでやってきたけど、そろそろ目的と行動を明確にしよう」
「どういう意味ですか?」
「つまり、ここからは別行動をしようということだ」
聖を除く3人は押し黙った。聖は、微笑を浮かべると説明した。
「これからは個々人で動こうということだ。梨子くん、君にも家族がいるだろう?」
「いませんよ」
あっけらかんという遠野。今度は遠野を除く3人が押し黙った。
「私、小さいときに両親を亡くしているんです。今は親戚の家でお世話になっているんですけど、あの人たちは私のことなんて心配しないでしょうね」
「……さりげなく重い話を聞いてしまったが、まあいい。雄太、君は家族と再会したいだろう?」
「俺? 俺はいいや。ここから家まで遠いしな。無理に行かなくてもいい。安全が確保されてからでな」
「……そうか。それならみんなここを離れ家に帰る必要はないんだな?」
「聖、なんで俺を無視してるんだよ」
聖は俺を見てにやりと笑った。聖の、いつもの表情だ。
「直以のことなんて聞かなくてもわかる。それとも、君は無理して実家に帰るのか?」
俺はひとり押し黙った。俺は別に家族と疎遠というわけでもないが、危険を冒してまで会いに行くべきかというと、そこまでの必要性は感じていなかった。その手の家族愛はハリウッド映画に任せておけという話だ。
「よし、それなら改めて確認するぞ。私たちはこれからしばらく一緒に行動して助け合う。これは強制ではない。個々人がそれぞれの意思で協力するんだ、いいな?」
「回りくどい」
俺が聖の口上を一刀両断すると、遠野はぴょこんと一歩前に飛び出し、右手を差し出した。
「えっと、遠野梨子です。中国には、生涯の面倒を見る気がないなら最初から助けるな、ということわざがあるそうです。しょーじきここで解散されたらどうしようと思いました。役に立たないかもしれないですけど、いっしょーけんめーがんばりますのでおねがいしまっす!」
遠野の右手に手を置いたのは雄太だ。
「青井雄太。ぶっちゃけるとくだらない毎日が終わって清々している。さっきまではこのまま死ぬのもありかとも思ったが、まだ楽しめるんなら楽しんでから死にたい」
雄太の上に聖が手を置く。
「牧原聖。確認の必要はないだろうが、この中で、いや、この国で私は一番頭がいい。その頭脳をこの4人が生き抜くために使うことをここに約束するよ」
全員の視線が俺に集まる。こういうのって、苦手なんだけどな。
俺は、聖の手の上に自分の右手を乗せた。
重なる4人の手。
「菅田直以。とりあえず、俺は死にたくない。俺たちがつるむ理由は、それだけで十分だと思う……」
俺は、大きく息を吸うと、外のゾンビも気にせずに大声で怒鳴った。
「よ ろ し く !!」
「はい!」「おう!」「うむ!」
4人の心がひとつになった瞬間だった。