脅し文句と朝倉市の状況
5月の最終週のことだった。
この日は朝からささいな事件が起きていた。
今まで隙なく制服を着こなしていた紅がブレザーを脱いだのだ。
朝食時の定例報告でその姿を晒した紅は、ざわめきを持って迎えられた。
周りの反応に紅自身も途惑っているようで、レアな表情を覗かせていた。
「ふむ、そろそろ衣替えの季節か。これは梅雨も近いな」
「紅も不遇なやつだよな。あれだけの美少女なのにあれだけ無視されるやつも珍しいだろう」
「紅ちゃんって、固すぎるんだよねえ。今だってボタンを一番上まで留めてるし。なんでリボンしてるんだろ?」
俺と聖、梨子の3人はお揃いのジャージ姿で同時に味噌汁を啜った。
「そういえば雄太のやつはどうしたんだ?」
「校長室だ。今来客中でね。その対応をしているよ」
「あ、そういえば私、ロータリーに高そうな車が止まっているの見たよ」
言われて気が付いたが、今朝は食堂に須藤先輩と荒瀬先輩の姿は見えなかった。
と、そのとき、タイミングを計ったように校内放送が流れた。雄太の声だ。
『報告、各班長及び1班員は朝食後校長室に集合。ドーゾ』
「……やれやれ、どう考えても厄介ごとだな」
「うう~~、ドーゾって取られた」
俺たちは早々に飯を済ませて校長室に向かった。
現在、鈴宮高校は17班172人ほどの避難民が生活している。その班長17人と1班員7人が集合した校長室は、不穏な空気に包まれていた。
「……ねえ直以、なにが始まるの?」
4班班長の伊草麻里が聞いてくるが答えられない。俺も知らないからだ。
「須藤先輩。全員が集合しました。そろそろ召集理由を教えていただけますか?」
口火を切ってくれたのは紅だ。
不穏な空気をかもし出している張本人の須藤先輩は、机に突っ伏したまま、軽く手を振った。それに答えるように話し出したのは、雄太だ。
「実はさっき朝倉市から人が来てさ。よくわからない要求をしていったんだ」
要約すると、こうだった。
鈴宮高校では須藤清良を中心に学生たちが悪辣な政策を実施し、避難民を奴隷の如く酷使している。
朝倉市としては朋友がこのような目に遭っていることを看過はできない。
如いては須藤清良の追放と鈴宮高校の指揮命令権を要求する。
要求が聞き入れられない場合は、朝倉市1500人の住民が鈴宮市の住民のために超法規的手段に訴える。
云々。
「……朝倉市って1500人もいるのか」
「なに、脅し文句のために多少は水増ししているのだろう」
「俺たちは、脅されているのか」
校長室内はざわめきに包まれる。それを掻き分けるように大地は発言した。
「須藤先輩はどうするつもりですか?」
須藤先輩は、顔を上げて頬杖をついた。
「さて、どうしようかしら。突っぱねることも受け入れることも簡単。だけど、名指しで批判されている私が独断で決めてあなたたちは納得できるかしら? だからみんなを集めて話を聞いてもらったの」
俺は、聖の背中を押した。聖は一瞬だけ俺を睨んで話し始めた。
「さて、朝倉市の要求に各々思うところはあると思う。だが、ここで、あいつらがなにを言っているのかを整理してみよう」
聖の言葉に全員が黙った。
「まず、須藤清良の悪逆性、これについては賛否両論あるだろう。私としてもあえてこの場で言及しようとは思わない。ものの好き嫌いに関わってくる話だしね」
聖は皮肉気に須藤先輩を見た。須藤先輩は苦笑を浮かべて聖を見返していた。
「回りくどいことはいい。早い話、こいつらはなにがいいたいんだ?」
「黙って言うことを聞け、そういうことだ」
再び校長室内はざわめき始める。聖はしばらくその様子を楽しげに眺め、やがて話を再開した。
「従えないときは、超法規的手段に訴えるとのこと。なかなか露骨な脅迫だな」
「……超法規的手段とは?」
そう発言したのは6班長の門倉健司だ。
「国交断絶? もともと交流などはない。経済封鎖? 万全ではないものの我々は自給自足を行う体制を整えつつあってなんの問題もないな。と、するならば、我々にとってもっとも効果がある手段は……」
「武力行使、か」
ざわめきが大きくなる。
「どうするんだよ! 朝倉市って、俺たちの10倍近くいるんだろう? 勝てないだろ!」
「い、いや。いくらなんでもそこまで強行な手段は取らないだろ。考えすぎだよ」
俺は、格子窓から外を見ている荒瀬先輩を見た。荒瀬先輩は、喧々囂々としている周りとは一線を画して、ひとり静を維持していた。
「我々としては、朝倉市が武力行使以外の行為をしてくる分には問題ない。無視していればいいのだからね。だから、我々はもし彼らが武力行使をしてきた場合のことのみを考えればいい。抗戦か降伏か。自分たちの場所を守るのか明け渡すのか」
聖の言葉に、今度は全員が黙った。それぞれ、思うところがあるのだろう。
その沈黙を胸を揺らしながら破ったのは、8班班長の内藤晴美だった。
「……別に、そんな2択にはならないと思います。だって、もし朝倉市の要求に応じても私たちがここを追い出されることにはならないから。それに、生存者同士で争うなんておかしいわ。被害は、最小限にするべきよ」
須藤清良を追い出して丸く収めろ、内藤の言葉を聞いた当人である須藤先輩は、机に伏して顔を隠した。
周りには傷ついているように見えるかもしれない。だが、俺には笑いを噛み殺しているのがわかってしまった。
「いや、もし無条件で要求を受け入れたのなら、きっと俺たちはここから出て行くことになると思う」
内藤の発言に反論したのは、意外にも大地だった。内藤も、爆乳を揺らしながら驚いた顔をして大地を凝視した。
「俺たちは、一応の民主的プロセスを得て須藤先輩をリーダーに選んだんだ。それを外圧で変えるってことは、自分たちの意見を通せないってことなんだと思う。もし次に全員出て行けと言われても、反論ができなくなる」
聖は、意地悪く俺にだけ聞こえるように耳元で呟いた。
「やれやれ、木村大地も必死だな。ここでなら有力者のひとりだが、もし朝倉市と併合でもされようものなら、彼はただの一学生にすぎなくなるからね」
「だから……、おまえはどうして大地にそんなに厳しいんだ?」
と、そこで俺は袖を引かれた。さっちゃんだ。
「ねえ、この話、まだ続くの? わたし、眠くなっちゃったよ」
「俺たち、けっこう重要な話してるぞ?」
「きみたちにとってはね。わたしみたいな手に職があるお姉さんはどこでも重用されるから別にどう転んでも関係ないっしょ?」
……まあ、事実なんだろうけど、さ。
「みんなも、すぐには決められないことだと思うの。今日は必要最低限の仕事だけでいいから、班のみんなで話し合ってもらいたいの。朝倉市には明後日正式に回答することになっているわ。だから、明日の昼に、食堂でどうするか決をとるのでそのつもりでいて」
須藤先輩がそう言うと、遅い動きながら班長たちは校長室を出て行った。
後には、1班の8人だけが残された。
「面白くなってきたわね♪」
「須藤先輩! どうするんですか? 先輩、当事者ですよ?」
「う~~ん、梨子ちゃんだけねえ、私の心配してくれるのは♪」
須藤先輩は梨子に抱きつき、頬擦りした。
「……梨子、この人には心配なんていらないぞ。本気でこのことを楽しんでいるんだから」
「あら、そんなことないわよ。いや~ん、セイラ、追い出されちゃう~♪」
「この人は、追い出されたって関係ないんだよ。さっちゃんと同じく、どこででもそれなりにやっていくんだろうからな。むしろ俺たち重荷から逃れられて喜ぶんじゃないか?」
それを聞いて今まで黙っていた荒瀬先輩が反応した。
「直以、清良のことをよくわかってんじゃねえか」
「この人が性格破綻者だってことは理解しているつもりですよ」
俺と荒瀬先輩は声を殺して笑いあった。
「まあ、正直な話、名指しで批判されていい気分はしないわね」
「抗戦、ですか?」
「現段階では決められないわよ。私の目測では抗戦派のほうが多いみたいだけど」
俺もそう思う。大地が抗戦派であることは大きいだろう。大地を支持する連中がこぞってそれに従うだろうから。
「とにかく、抗うにしても私たちは朝倉市のことをなにも知らないわ。直以くん、頼むわね」
「……ああ、わかりましたよ。雄太、付き合え」
俺と雄太の今日の予定は、それで決まった。
朝倉市の避難所は鈴宮高校から10キロほど離れたところにあった。
朝倉市役所を中心に、その周りの緑地公園に無数のバラックが乱立している。
そこに、俺と雄太が潜入するのに苦労はなかった。
最初に気づいたのは、臭いだった。隅に寄せられた死体やゴミ箱から溢れて山積みにされているごみ袋から漂ってくるのだ。
「……なんで処理しないんだ?」
「できないんだろ。見ろよ」
雄太の指差す先には、数人の避難民が暗い顔で焚き火を囲んでいた。その風貌は、どこか浮浪者を思わせた。
雄太はその連中に声をかけた。
「こんにちは」
連中は答えない。雄太は、調達してきたウィスキーの瓶を差し出した。
「やりませんか?」
連中は、おそるおそる瓶を受け取り、口を付けた。
「俺たち、今日ここに着いたんだけど、ここの生活はどうですか?」
「……最悪だ。食事は日に2度、握り飯がひとつだけだよ。それさえ支給されないことがあるんだから」
「食料が、足りていないんですか?」
「さあね。上のことを知らないよ」
「上?」
「市役所に篭っている連中さ。一応朝倉市の避難事務局を名乗っているけどね」
雄太は礼を言って俺のところに戻ってきた。
「食事が行き渡ってないみたいだ。それが原因の無気力症なのかもな」
俺は、焚き火を囲む避難民を見た。
季節は初夏、もうすぐ6月になろうという気温だ。正直、焚き火を囲むほど寒くはない。ひょっとしたら栄養が足りてなくて寒いのかもしれない。
俺は、この間会った、赤木の痩せこけた頬を思い出した。
俺たちは周りを観察しながら市役所に向かった。
粗末なバラックに焚き火を囲む避難民、代わり映えのしない景色を眺めていると、喧騒が聞こえた。
俺たちは、足を速めて喧騒の元に向かった。
そこは、市役所前だった。
かなりの数の避難民と入り口を塞ぐように並ぶ機動隊員が対峙している。
「……これ、どうしたんですか?」
「なんだ、知らないのか? 食事を一日一食にしようとする事務局に抗議している連中を機動隊員が排除してるのさ」
その声に吊られるように機動隊員は前進した。
避難民たちは奇声を上げて角材を振り回す。だが、機動隊員の持つ盾に阻まれて、思うように効果が得られなかった。
機動隊員は角材を盾で防ぎながら前進する。そして、そのまま盾で2倍近い数の避難民の前衛を押し倒した。
その後は一方的だった。警棒で避難民たちを動かなくなるまで打ちのめす。
「……ひでえな」
避難民たちは背を見せて逃げ出す。機動隊員たちは、後ろから警棒を振るった。
「もういい、止めろ!」
機動隊員のひとりが怒鳴った。どうやら隊長らしいその男は、ヘルメットを取って素顔を晒した。
俺は、その男に見覚えがあった。先日鈴宮高校を訪れた、赤木武志だ。
赤木は、機動隊委員たちを撤収させると、俺たちのところに歩いてきた。
「やあ、久しぶりだね。確か、菅田くんだったかな」
「……俺たちのこと、気づいていたんだ」
「ここにいる人たちはみんな栄養不足気味だから。きみたちみたいに顔色のいい少年は目立つんだよ」
赤木は俺たちを人気のない市役所の裏側に案内した。
「とりあえず、きみには謝らないといけないな。すまなかった」
「ああ。あなたは見たままを話すと約束してくれたよね。それが、なんで鈴宮高校で悪辣な政策で避難民を酷使していることになったんだよ」
「言い訳をさせてもらうなら、私は見たままを報告したよ。ただし、それが重視されなかったんだ」
赤木は壁に寄りかかり、苦い顔をした。
「単純に、あなたの意見より須藤先輩に恨みを持つ人間の意見が勝ったってことか」
「なにしろ、名指しで批判だったからなあ」
明るく言った俺と雄太の言に、赤木は少しだけ顔をほころばせた。
「それにしても、ここ、食料が足りてないんですか?」
「……ああ。そうだとも、そうでないともいえる」
「どういうことだ?」
「食料が不足しているのは間違いのないことだ。なにしろ避難民が多すぎるし、保存のきかないものは腐ってしまったからね。だけど、まったくないというわけではないんだ。ただ、事務局が今後を考えて少しでも貯蓄しようと計画していてね」
「今が足りないのに将来のため、か。その状況で俺たちに喧嘩をふっかけるということは、俺たちの備蓄を奪おうって魂胆なわけだ。これは、ますます受け入れられないな」
「アプローチを間違えたな。低身して援助を申し込めば、須藤先輩も断らなかっただろうに」
「……きみたちは、私たちの要求を受け入れないつもりか?」
「結果は明日決まりますよ。でも、あなたたちの思い通りにはならないと思うけど」
「そう、か」
赤木は手を上げた。それに応じて隠れていた機動隊員たちが姿を現す。
俺たちは、囲まれていた。
ったく、やることがせこいんだよなあ。
「それならばきみたちは敵だ。人質になってもらうよ」
雄太は俺の顔を見た。俺は、頷いた。
機動隊員が一歩前に出る。
その足元に、雄太は、発砲した。近くにいた機動隊員は驚いて尻餅をついた。
それで、俺にはわかった。
おそらく、ここにいる連中は機動隊員ではない。その格好をしているだけのやつらだ。
仮にも機動隊員だ、本物ならこの程度では驚かないだろう。
中には赤木のように本物もいるのだろうが、それは少数であるように思えた。
「拳銃!」
「俺たちが手ぶらでくるわけないだろ。悪いけど、帰らせてもらうよ。ここで見たことをみんなに伝えなくちゃならないから」
雄太が拳銃を指し示した先が割れる。俺たちは滑り込むようにその道を進んだ。
内心、俺は冷や冷やだった。拳銃一丁でここの連中を全員相手にできるわけがない。
仮にも機動隊員だ。金をもらって鍛えている連中に、一高校生である俺たちが勝てるわけもなかった。
だが、幸いにしてその多くが偽者だった。拳銃に怯んだ連中のおかげで、俺たちはうまく包囲を抜けられた。
人目につく市役所前に出たところで、雄太は拳銃をしまった。
「……赤木さん、俺たちから言うのもなんだけど、なんとかならないかな?」
「こちらからは無理だ。うちの事務局長がきみたちのリーダーに深い恨みを抱いているらしくてね。倉木澄子県会議員を知っているかな?」
……あ~~、あのおばさんね。なんか、全てが繋がった気がする。
「直以、知ってるのか?」
「……知らない」
赤木は続けて言った。
「それに、きみたちの保有している食料を奪わなければ、ここにいる避難民は餓死してしまうよ」
「赤木さん、ひょっとして気づいていないのかもしれないけど、鈴宮高校にいる連中も、俺も、それにあんただって避難民なんだぜ」
俺はそれだけを言うと、その場を後にした。
早足で過ぎ去る俺たちを、バラックの隙間から目の窪んだ子供が見ていた。
もうすぐ新学期♪
春休みラストパート企画ということで今日はあと1話投稿します。
・・・できなかったらエイプリルフールってことで。