労働の汗は美しい
5月も中旬になるとすっかり春は消え、夏の日差しが鈴宮高校を包んでいた。
俺は、額の汗を拭いながら青い空にぽっかり浮かぶ白い雲を眺めた。
快晴だ。太陽は中天に差し掛かりもうすぐ昼になることを示している。
「お~い、にいちゃん。こっちはどうするんだい?」
俺は視線を空から地上に戻し、中年のおじさんに答えた。
「えっと、もうちょっと離してください。そこは別の野菜を植える予定なんで」
俺たちは農作業に従事していた。耕作も水撒きも全て手作業だ。作業はなかなか進まないが、それでも鈴宮高校周辺の荒地は畑として機能し始めていた。
「しかし、こうも広いと耕すのも大変だなあ。にいちゃん、トラクターを調達できないものかね?」
「そうですね。須藤先輩に伝えておきます」
俺がそう言うと、中年のおじさんは爽やかな笑顔で頷いた。
この人は、最近鈴宮高校に来た人だ。
ぽつり、ぽつりと増えてきた鈴宮高校の人口は、今では150人を超えていた。
須藤先輩も無条件に受け入れたわけではない。班に組み込まれて、作業に従事することができる人間、ぶっちゃけるのなら自分に従えられる人間だけを受け入れたのだ。
当然、たかだか高校生に頭を下げられるか、と言って出て行った連中も少なからずいた。そういった連中はまだいい。問題なのは、暴力で自分の意思を押し付けようという連中だった。
図らずも以前聖が言ったことが実現してきたわけだ。幸いにも今は荒瀬先輩ひとりであしらえて、銃を使う必要はなかったが。
ちなみになんで俺がにいちゃんと呼ばれているかは、梨子のせい。
「おーい、直以!」
遠くで声がした。長身の男を中心に数人の男が立っている。俺の幼馴染の大地だ。俺はおじさんに断って大地のところに向かった。
「おい、足元に気をつけろよ」
俺が指摘すると、大地の取り巻きは慌てて畑から足を退けた。大地は苦笑して言った。
「ずいぶんと本格的になってきたじゃないか。まさか、農業をやることになるとは思わなかったなあ」
「金を稼ぐのも作物を育てるのも、生きるための糧を得るって意味じゃあ変わらないことだよ。それで、なんのようだ? 暇な身の上じゃあないだろう?」
大地は2班の班長だし、俺も須藤先輩のボディーガードをやっている荒瀬先輩の代わりに農作業の全体指揮を執らなくちゃならない。お互いやることが山積みなのにわざわざ持ち場を離れてまでここに来たのには理由があるのだろう。
「う……ん、直以は須藤先輩のやり方をどう思っているのか気になって」
「やり方?」
「自分に都合のいい人間だけを受け入れるのは間違ってるんじゃないか?」
「日本が難民受け入れを拒否してるのと一緒だろ?」
俺には大地の言いたいことはよく理解できる。俺としても助けられる人は助けたいというのが本音だった。
だが、それができないのも理解できる。
際限なく受け入れていたら、あっという間に学校は定員オーバーになってしまうだろう。
意外にも、須藤先輩のやり方はそれほどの反感を買っていなかった。
その理由は、鈴宮高校の主体である学生たちがここを開放したのは自分たちの血と汗であるという思いが強いからだ。
後から来た人間にしたり顔で指図されるのは我慢できないというのは、須藤先輩も学生の連中も、そして俺も同じ思いだった。
だが、その代表格であるはずの大地がそれに異を唱えることが俺には意外だった。
「別に避難民受け入れのことだけじゃない。銃に関してだってあの人は黙っていたじゃないか」
銃のことは、まあ、8班の連中から漏れた。
多少は騒がれたが、須藤先輩の「だからなに?」で、一応の終息は見ている。どうやら銃はあるらしい、というのが校内での認識だった。
「大地は、須藤先輩のやり方が気に食わないってことか?」
「……そこまでは言ってない」
「どうしたんだよ、大地。おまえ、なんか煮え切らないな」
「俺は須藤先輩を支持しようと思っている。あと2ヶ月もすれば再選挙だしね。だけど、そういう不満がちらほらと出てきているんだ」
「8班の内藤辺り、からか?」
大地はなにも答えなかった。答えないことで肯定していた。
「それ、俺の責任でもあるんだよなあ。あいつと街に行ったときに少しトラブってさ」
「話は聞いてるよ。肩の怪我はそのときのだって? もう大丈夫なのか?」
「ああ。抜糸も終わったしな」
俺は肩を回した。傷痕は残ったが動かすのに問題はなかった。
「ちょっといいかな?」
その声は、俺の背後からした。俺が振り返ると、そこには30前後の初めて見る男が立っていた。
長身だ。大地と比べても遜色なく、肩幅が広い。それなのに、頬は痩せこけている男だった。
男は俺と大地を見比べて、大地に言った。
「そこで作業している人に聞いたら具体的なことはきみたちに訊ねてくれと言われてね。きみたちが鈴宮高校に避難している学生たち?」
……鈴宮高校に避難している学生?
「ええ、そうです。ここに避難してきた人ですか?」
男は答えず、別のことを聞いてきた。
「今ここには何人くらいが避難しているんだい?」
「えっと、150人はこの間、超えたよな。直以」
同意を求める大地に、俺は答えなかった。男は、大地から俺に視線を移した。
「なんだい?」
「あんた、誰だ?」
男は、楽しそうに笑いをかみ殺して、名乗った。
「私は、赤木武志巡査部長。県の機動隊に所属しているものだ」
大地とその取り巻きは驚いていた。だが、俺には驚く余裕はなかった。
「その機動隊員が、なんの用ですか?」
「きみたちがこの学校を不法に占拠しているとの話を聞いてね。その実情調査に来たんだ」
「機動隊員が実情調査?」
男、赤木は口を噤んだ。威圧的な視線で俺を見下ろしている。
「ま、まってください。警察は機能しているんですか?」
大地の取り巻きに、赤木は答えた。
「残念ながら、今は機能していない。だけど、鈴宮市の隣の朝倉市には800人ほどの避難民が共同で生活しているんだ」
「800人、か。多いな」
「その中にここを悪く言う連中がいたわけだ。まあ、須藤先輩に追い出された連中が良く言うわけないけどな」
「追い出したことは認めるのか?」
赤木は目を細めて俺を睨んだが、俺は受け流しておじさんに声をかけた。
「おじさ~~ん!」
「おう、なんだい、にいちゃん」
「おじさんはここに避難してきたんですよね」
「? なに言ってんだい、当たり前だろ」
「追い出されなかったの?」
「?? 誰に?」
俺は赤木を見返した。赤木は困惑しながらもおじさんに訊ねた。
「なにか入団試験のようなものはなかったんですか?」
「あん? 誰だいあんた。そんなものはねえよ。別嬪の姉ちゃんにここでの生活に従ってくれって言われたくらいかな」
「ここでの生活とは?」
「食事の時間とかシャワーの時間とか……、あとは今みたいに農作業とかをやることかな。でも共同で生活してるんだ。そんなの当たり前だろ?」
そう言っておじさんはガハハと笑った。
「私はここで強制労働をさせられそうになった人を知っていますが?」
「強制労働? こんなときにそんなことを言っているのは誰だい? 生活のために働くのなんて当たり前だろ? 嫌いな上司や客に頭を下げていた以前のほうがよっぽど過酷だしな」
そう言っておじさんはまた笑った。いつの間にか集まった他の作業員たちも笑う。
「それに、今まで電気も通っていない場所でゾンビどもから隠れていたんだ。身体を動かさなけりゃ気が滅入っちまうよ」
「ここにいる全員が避難民だしな」
と、そのとき4時間目終了のチャイムが鳴った。律儀に時を刻むこのチャイムが昼飯の合図だった。
今まで俺たちの周りに集まって騒いでいたおじさんたちは校舎に戻っていった。
俺は赤木に言った。
「これから俺たち、昼飯だよ。そこで俺たちのリーダーに紹介するから、あとはその人と話してください」
俺は話を切り上げて赤木に背を向けた。背後では、律儀な大地が赤木の対応をしていた。
「あー、腰痛え」
俺はビニールシートに座り、こった腰を叩いた。
「直以お兄ちゃん、お疲れさま♪」
「おお、いいところに来た。梨子、ちょっと背中踏んで」
俺はビニールシートにうつ伏せに寝転がった。
梨子は靴を脱ぎ、そっと俺の腰に乗っかった。小気味いい音がして背中が伸びる。
「お~い梨子ちゃん、次はおいちゃんを頼むよ」
「だ~め! この特別マッサージは直以お兄ちゃんだけで~っす!」
そう言って梨子はおじさん連中に舌を出した。周りからは笑い声が上がった。
ちょうど、3時休みに入ったところだった。
作業に没頭していたらしい。今日耕した区画の畑は種まきまで終わった。別の区画を見ると野菜の葉が勢いよく生い茂っており、半月前までここがただの荒地だったとは信じられない光景になっていた。
梨子は俺の背中の上で膝立ちになり、背中を揉んでくれた。
「おきゃくさーん、かゆいところありますかぁ?」
「それ、床屋だろ?」
「マッサージのお店ってなんてゆーの?」
「梨子ちゃん、お客さんのおっきくてすご~いっていうと、にいちゃん喜ぶよ!」
「?? そうなの?」
「おいおっさん! 梨子に変なこと仕込むな!」
おじさん連中は下品な笑い声を上げた。ったく、こいつら、梨子の教育によくないな。
「??? ねえ、直以お兄ちゃん。なにがおっきいの?」
俺は顔を伏せて梨子を無視した。八つ当たりのつもりなのか梨子のマッサージが強くなるが、元が弱いのでちょうどいい感じになった。
急におじさん連中の話し声が小さくなった。
気になって俺は顔を上げると、先ほど会った赤木が俺たちの横を歩き去るところだった。
俺は身体を起こした。背中に乗っていた梨子は滑り落ちた。
「お帰りですか?」
「えっと、きみは……」
「そういえば名乗ってなかったな。俺は菅田直以っていいます。先ほどは失礼しました。あなたが敵か味方かの区別もつかなかったからね」
「今は味方だと思うのかい?」
「今まで鈴宮高校を見学してたんでしょ? それならここがそれなりに機能していることはわかってくれたはずだ」
赤木は苦笑した。
「馬が合わないっていうやつはそりゃいるよ。たかだか高校生の指図を受けるのに抵抗があるのもわかるしね。そういった連中がここのことをよく言うはずないもんなあ」
「どうやらそのようだ。街にあるものを勝手に持ち運びしているのは頂けないけどね」
「ま、それは非常事態ってことで。実際、物資は不足しているのに法律守って死ぬわけにはいかないから」
「それは、警察を前に言うセリフではないな」
俺は、立ち上がって赤木に聞いた。
「実際のところ、警察はどうなっているんです? 街を見た限りでは救援隊なんてまるっきり当てにできそうもないけど」
「正直に言うなら、まったく機能していない状態だよ。本部とは連絡も取れないし、おそらくはすでに存在していないだろう。朝倉市には私も含めて数十人の現役警察官もいるが、私たち自身が避難民で救助が必要な状態だ。とても警察としての組織立った行動はできないな」
「……機動隊はゾンビ発生したとき、どうしていたんです?」
赤木は、苦虫を噛み潰したような顔をして天を仰いだ。
「ゾンビ発生の第一報が入るより前に、機動隊員の中からゾンビが出たんだ。内と外、パニックが起こるより早く機動隊は瓦解していたよ」
なるほど、以前聖が言ったとおりだった。警察や自衛隊は、まっさきにターゲットにされたわけだ。
「今から朝倉市に帰るんですか?」
それを聞いたのは梨子だ。
「ああ、そのつもりだよ」
「今からだと、日が暮れちゃいますよ。今夜は学校に止まって明日の朝帰ったらどうですか? いいよね、直以お兄ちゃん」
「ああ。電気のない夜は危ないですよ。ゾンビだってどこに潜んでいるのかわからないんだし」
「いや、それだと貴重な食料をもらうことになるからね。それに、車をこの先に止めてあるから」
俺は、赤木の痩せこけた頬を見た。
「ひょっとして、朝倉市では食料が欠乏しているんですか?」
赤木は俺の質問には答えず、別のことを言った。
「私は、ここで見たことをそのまま報告することにするよ。それはきみたちにとっても不利にはならないはずだ。約束する」
不利、ね。
「もし、ここで見たことがあんたたちの想像通りだった場合、どうするつもりだったんです?」
赤木は、それにも答えず、俺たちに背を向けて歩き去っていった。
結論から言うなら、赤木の約束は最悪な形で反故にされたことになるわけだ。
エクストラストーリー2は、時間軸ではこの後の話です。
まずは謝罪をば・・・。
どぶねずみ、前話で大嘘をこきました。芋の収穫はひと月やそこらではできないそうです。
作中では半月でやっちまってるし・・・。
現実以上に現実的なもの、それがフィクション(虚構)である、とは、霜栄氏の言葉です。
おそらく、その枠を外すと構成が破綻することになるので、これからは今以上に気を付けて執筆していきます。
これからもビシバシ間違いを指摘してください。
どうもすんませんでした!
・・・ちなみに、前回投稿から2日でぼろぼろと評価点が下がりました。
みんなが嘘に気づいたのか、セイラさんを暴走させすぎたからなのか・・・。
マジ怖い、マジ反省。