芋が原因で太るとは限らない
5月になった。
桜は散ってしまい、色の濃い緑が目立ち始めている今日この頃。
今日は1班の全員で畑に出てきている。理由は、実験的に植えていたさつまいもの初収穫の日だからだ。
全員がジャージ姿で学校外の畑まで行進する様は、まあ、学生らしいといえないこともなかった。
「……時期的に早いとも思ったんだが悪くない出来だな」
荒瀬先輩はさつまいもを掘り起こして言った。強面のくせにホクホク顔をしている。ぶっちゃけかなりの犯罪者面だ。
「自分で育てた作物を収穫するのってけっこう感動しますね」
荒瀬先輩は大きく頷いた。この人、そういえば土いじりが趣味だったな。
俺は地面に手を突っ込み、さつまいもを掴んだ。多少歪な形であるものの大振りな、いい芋だった。
「どう?」
腰を屈めた梨子が俺の顔を覗き込んでくる。俺は、力を込めて芋の蔓を引っ張った。
「わ、すっご~い♪」
蔓に連なったさつまいもは一気に地面から顔を出した。梨子はその一個を両手で持った。
「ふむ。この調子なら期待できそうだな」
そう言った聖はビニールシートの上で煙草を燻らせている。こいつはヘビースモーカーなだけあって体力がなく、少しの肉体労働でもう休憩に入っているのだ。
ちなみに聖の後ろではさっちゃんが全速力で走っている。正確には逃げている。ミミズを持った須藤先輩に追い回されているのだ。須藤先輩、活き活きとしてんなあ。
「さて、と。直以お兄ちゃん! 気合入れていっぱい収穫しよう!」
梨子はぶかぶかのジャージの袖を捲ると、小型シャベルを地面に突き立てた。荒瀬先輩はすでに黙々と作業を進めていた。
「おい、聖。収穫用の籠を持って来いよ」
「……やれやれ。人使いの荒い」
聖は重い腰を上げて畑に足を踏み入れた。後ろを見ると本泣き寸前のさっちゃんを雄太が須藤先輩から庇っていた。
「直以先輩。肩の調子はいかがですか?」
と、突然耳元に吐息をかけられる。俺は、なるべく平静を装い紅に答えた。
「あ、ああ。あと数日で抜糸できるらしいから大丈夫だよ」
「そうですか。あまり無理はなさらないでください」
いつもどおりの鉄面皮。
屋上からの告白以来、紅の態度は以前とほとんど変わっていなかった。
ほとんど、だ。
今のように急に近づいてきたりする。如実に、距離が近くなっていた。茶目っ気で通るレベルだが、正直心臓に悪かった。
「だけど、けっこうな量が取れそうだな。本格的にやるなら本当に自給自足できそうだぞ」
この畑は、俺と荒瀬先輩だけで作った教室1個分程度の広さだ。それでも100人が数日は食い繋げるだけの量が収穫できそうだった。
「日本って食糧自給率が低いんだよね」
「ええ。確か、40パーセントくらいだと思いました」
聖は、1年2人の会話にすばやく反応し、煙草を噛んだ。
「食料自給率といっても計算方法はいくつかあってね。40パーセントというのはカロリーをベースとしたものだな。これが、価格ベースだと70パーセントまで上がるし重量ベースだと30パーセントを切るな」
「おまえは相変わらず回りくどいな。結局、日本は食料自給率が低いってことじゃねえか」
聖はわざとらしく咳払いして後輩2人に言った。
「紅くんと梨子くんは『種をまく人』を見たことはあるかな?」
「『種をまく人』? えっと、絵画だよね。ミレーだっけ?」
「確かゴッホの作品にもあります。それがなにか?」
俺は絵画を思い浮かべる。確か、肩から袋を担いだ男が種をばらまいている絵だ。
聖は今度は急に俺を見た。
「直以。きみは農作業をするとき、どうやって種をまく?」
「はあ? えっと、種芋を埋めて……」
「……ああ、そうだった。きみがやっていたのは種じゃなかったな」
なんなんだ、一体。
「……播種率か」
「「はしゅりつ?」」
俺たちは荒瀬先輩がぼそりと言った言葉に反応してしまった。聖は、満足そうに頷いた。
「直以。日本ではヨーロッパみたいに種をばらまくということはないんだ。日本では、種は埋めるものなんだ」
「ああ、そういえば小学校の課外授業でやったぞ。人差し指で土に穴を開けてそこに種を一粒ずつ入れるんだろ?」
「そうだ。理由は、日本が播種率の高い土地だからなんだ」
「その、播種率ってなんだよ」
それに答えたのは荒瀬先輩だった。
「一粒の種からどれだけ収穫できるかという率だ」
「えっと、米の場合、一本の稲穂から何粒の米ができるか、ってことですよね」
「中世を例に取ると、日本の太閤検地の場合、上田で150、下田でも100だ。これがヨーロッパになると5、多くても20になる。有り得ないことではあるんだが、資料には1を切るものまである始末。ヨーロッパでは、日本のように種を埋める法式は使えない。ほとんどが芽を出さないし、絵画のように種を大量にばらまかなければ量を確保できなかったんだ」
「そんなに違うの!?」
「もちろん地域や時代によって異なるし、麦と米という違いもあるが、日本が播種率に優れた地力を持っていることはわかるデータだ。連作障害というものはあるのだが、九州では1000年間、毎年米を作っている水田があるそうだよ」
1000年か……。なんか、想像がつかないな。
「日本という国は事実として耕地面積が狭いんだろう。だが、播種率を無視して農業生産力を語ることはできない、ということだ」
「でもデータとして食料自給率は低いんですよね」
「えっと、それじゃあわざと低く抑えているってこと?」
「そういえば、形が変なのとか、価格崩れが起こるからって作りすぎた作物を廃棄してるニュースを見たことあるな」
「あるいはアメリカ辺りから食料を輸入するため。なに、私としても今さらそんなことを批判する気はない。今となってはなんの意味もないことだからね。ただ、私たちはそんなことを気にする必要がない。作りたいだけ作物を作れるということだ」
「自給自足が夢物語ではないということだな」
荒瀬先輩がそう言うと、全員が感慨深く頷いた。
それは、自分たちが生きるため、生活するためになにかができるという明確な道筋だった。
俺は、あることに気付いて苦笑してしまった。
生きるために働く。
そんな当たり前で最低レベルのことを人は1000年、いや、それよりずっと前から繰り返してきたはずだ。
にも関わらず、初めて意識したそれは俺の中で長い長い道であるように思えた。
「り~こちゃん!」
今まで話に参加していなかった須藤先輩は手を後ろに回して、梨子に声をかけた。そのさらに後ろでは雄太が泣きじゃくっているさっちゃんを慰めていた。
「はい! あげる♪」
須藤先輩は満面の笑みで手を前に差し出した。梨子は、差し出されたものを見て目を輝かせた。
「わあ、もぐらだあ♪」
「……っち!」
須藤先輩は顔を歪めて舌打ちした。梨子がもぐらを怖がらなかったのが気に入らないんだろう。ったく、悪そうな顔してやがんなあ。
梨子はもぐらを須藤先輩から受け取ると、今度は俺に見せてきた。
「ほらほら、直以お兄ちゃん。見てみて♪」
もぐらは意外に鋭い手でおもいきりもがいている。まあ、愛嬌がないと言えないこともなかった。
「……荒瀬先輩。もぐらって害獣でしたよね?」
それを聞いた途端、梨子はもぐらを俺から隠した。荒瀬先輩は苦笑して答えた。
「なるべく遠くで逃がしてやれよ」
梨子は後退さるように俺から離れると、もぐらを持ったまま走っていった。なんか、あいつ自体が小動物みたいだ。
「いいんですか? もぐらって穴を掘るとき、植物の根を傷つけるって聞きましたよ」
「まあ、問題になるまではいいだろう」
相変わらず優しい人だな。紅に容易くあしらわれてふて腐れた顔をしている須藤先輩とは大違いだ。
と、そのとき校舎から走ってくる人影が見えた。遠目からでもわかる金髪、林田隆介だ。
「うい~っす」
「なんだ、隆介。あんまサボってんじゃねえぞ」
「そんなんじゃねえっすよ。俺、須藤先輩を呼びに来たんす」
「あら、私?」
須藤先輩は1班の人間にしか見せない地を隠し、外出用の笑顔を浮かべて隆介を見た。
「団体のお客さんっす」
須藤先輩は腰に手を当てて天を仰いだ。
「今日の午前中いっぱいは休暇のつもりだったんだけどなあ。仕方ない。宏、戻るわよ」
荒瀬先輩もいつもの仏頂面をして立ち上がった。俺も土の付いた手を払って立ち上がる。
「雄太! 悪いけどここは頼む。俺たち、校舎に戻るから」
「ああ、わかった!」
雄太はさっちゃんの頭を撫でながら答えた。
「最近、多いですね」
紅は俺に寄り沿うようにして言った。だから近いんだって。
率直に言うのなら、お客さんとは生存者だ。
ゾンビ発生からすでに半月近くが経過している。
各自で立て篭もっていた生存者たちもただ救助を待つことに耐えられなくなってきた頃だった。
生活物資を調達のため、あるいは他の生存者と合流するために生存者たちは行動を開始していた。
幸いにもゾンビたちは建物に篭るという習性があるようで、目立たぬように道を移動することにそれほどの困難はなかった。
そういった連中が、ちらほらと鈴宮高校を訪ねてくることが最近では増えて来ているのだった。
鈴宮高校の人口は、少しずつながらも上昇傾向にあった。
「隆介、ちゃんと校門前に待たせてるんだろうな」
「いや、校長室に通したみたいっすよ」
「なんでだよ! 安易に校内に入れるなって言ってあっただろう?」
「そんなこと、うちのおっぱい班長に言ってくださいよ」
内藤晴美、か。以前の一件以来、俺はあいつに相当目の仇にされているようだった。嫌われるのには慣れているが、気分のいいものでもなかった。
俺たちは重厚な扉を開けて校長室に入った。そこには5人の男女がいた。
ひとりは俺たちの仲間で8班の班長、内藤晴美だ。お客さんの対応をしていたのだろう、苦笑いを浮かべながら爆乳を揺らしていた。
お客さんの内約は、男3人に女がひとりだった。立ち居地でこいつらの力関係がわかる。女が、ボスだ。
この女をひと言で現すなら、おばさんだ。40絡みの厚化粧。以前は美人だったのだろう。だが、年齢と共に増えた体重を否定するように窮屈な服を身に着けている様は、見ていて痛々しかった。
女は、俺たちのジャージ姿を見て鼻で笑い、ソファから立ち上がりもせずに須藤先輩だけを見て言った。
「……あなたが、ここのリーダー?」
「ええ、そうです。ようこそ鈴宮こうこ……」
「そう。今日からは私がここを統括します。早くここの食糧備蓄状況を説明しなさい。それとも、データで整理することすらしていないのかしら」
須藤先輩の頬が引きつった。なんだ、このおばさん。傲慢すぎるだろう。
「失礼ですが、あなたは……」
「きみぃ! この方を誰だと思っているんだね!」
「……知らねえよ。名乗ってもいないのに知るわけねえだろ」
俺は、思わず素で突っ込んでしまった。発言した中年男は顔を赤くして言葉を詰まらせていた。
「部下の教育がなっていないようね」
お互いさまだろ、それ。
「まあ、いいわ。高校生ごときでは、この! ワタクシを知らないのも仕方ないものね。私は倉木澄子。県会議員よ。東大在学中に弁護士免許を取得して活躍。来年には国政選挙に出馬予定なの。専門は女性の権利向上と……」
「すげえっすね。聞いてもいないことをべらべらと」
「よっぽど肩書きに自信があるのでしょうね。それで私たちがこの人を尊敬すると思っているところが凄まじく浅はかですけど」
俺は、隆介と紅の一年2人を黙らせた。こいつらの言っていることは完全に同意できる。だが、それとは別に、須藤先輩の頬が引きつっていくのがわかったからだ。
「ごほん! とにかく、この方のことはわかっただろう」
そう言ったのは空気を読んだ初老の男だ。議員秘書が大変な仕事であることをその頭髪が如実に物語っていた。
「本来だったらきみたちが口を聞けるような方じゃないんだよ」
一番若い男が言う。こいつは20台の前半くらいの年齢に見えた。こいつは、おそらくボディーガード的な立場なのだろう。
「それではこれからはワタクシの命令に従ってもらいます。拒否は認めませんからね」
全員の視線が須藤先輩に向く。さて、うちのリーダーはこの傲慢おばさんにどう対応するのか。
「そうですか。とりあえず私たちも名乗るのが先ですね。私は……」
「あなたたちの名前なんてどうでもいいわ。それよりその薄汚いジャージを着替えてきなさい。まったく、それがワタクシと話す格好ですか。まさか、下品な野良仕事でもしていたんじゃないでしょうね!」
須藤先輩は、にこやかな、中身を知っている俺ですら見惚れてしまう笑顔で言った。
「黙れ糞ババア」
……全員がドン引いた。
「私たちには、糞あなたのような糞ばばあは糞あなたの糞脂肪と同じくらい糞必要ありません。さっさと糞のべっとり付いた糞弛み尻を糞巻くって糞出て行きやがってください」
おばさんは、なにを言われたかすら理解できていないようだった。ていうか、下品すぎるだろう。
「あ、あなた、あなたは……」
「喋らないでいただけますか? あなたの糞臭い息がかかるじゃないですか」
須藤先輩はわずかに首を横に傾げて言った。性格の濃さで忘れがちだが、この人、外見だけならトップアイドル級なのだ。
おばさんはぴちぴちの服を揺らしてようやくソファから立ち上がった。
「あ、あなたは! 本来だったら学校を不法占拠して法律的に……」
「それでは糞警察でも糞自衛隊でも糞連れてきたらいかがですか? そうすれば私もずいぶん助かるのだけれど」
おばさんは顔の色を変えた。この程度の暴言で激昂するんだから、自分の世界だけで生きてきたんだろうなあ。
おばさんは背後にいる若い男を見た。若い男(といっても、俺たちよりも年上)は須藤先輩に掴みかかる。その腕を、荒瀬先輩は掴んだ。
勝負は一瞬で着いた。荒瀬先輩が若い男を捻り上げたのだ。
若い男も鍛えているだろうに、荒瀬先輩は、それこそ赤子の手を捻るように片手で男をひれ伏させていた。
いや、この人いると楽ができるわ。
「あらあら、糞法律も糞暴力もだめ。糞みたいなあなたは、次はどうするのかしら?」
おばさんは顔を赤から青に変えて口角から泡を吐いている。その背中を、初老の男は軽く撫でた。
「今日のところは引き上げましょう。しかし、今日のことは忘れないでもらいましょうかな」
捨て台詞を残して、今日のお客さんはそそくさと校長室から出て行った。
「晴美ちゃん、誰でも彼でも校長室に通しちゃ駄目でしょ」
「……すいません」
先ほどの須藤先輩に圧倒されたままなのか、内藤は頭と胸を下げた。
「ああ~~~! むかつきが収まらない! 宏、今日は私が料理するわよ!」
「ま、待て! それだけはやめろ! 死人が出る!」
うろたえる荒瀬先輩は、肩を怒らせて歩いていく須藤先輩の後を追った。後には、俺と隆介、それと紅が残された。
「……なあ進藤。須藤先輩、なんで切れてたんだ?」
「知りません。あの程度の暴言が我慢できなかったとも思えないのですが。直以先輩はわかりますか?」
「さあ、なあ。あの人園芸部だし、農作業を馬鹿にされたからか?」
ちなみに、その日の夕飯は地獄だった。
周りは初収穫の芋をおいしそうに食べている中、1班の夕飯だけは山盛りのなにか(須藤清良作)だったからだ。
俺たちは、初めて荒瀬先輩の焦りを理解した。
須藤先輩を除く1班の全員と無理やり付き合わせた隆介の間では、須藤先輩を怒らせない(=料理をさせない)ことは鉄板の不文律になった出来事だった……。
今話は音声多重放送になっております。
『糞』は『fuckin'』に置き換えられますので、読みやすいほうをお使いください。
ていうか、今回はセイラさんが暴走しすぎました。
反省・・・。