フォークギターは木製だからね!
「なにが、あったんだ?」
屋上から見渡す街はそこかしこで黒煙が上がっている。それも現在進行形で、だ。
俺は隣にいる牧原聖を見た。
聖は、咥えていたたばこを吐き出すと、携帯を取り出した。しばらく操作した後、舌打ちしてどこかに電話をかける。
「……駄目だ。ネットも電話も通じない。これは、案外まずい状況かもしれないな」
下の階からは悲鳴や怒号が響いている。校庭は生者、死者、そして生きた死者、入り乱れての地獄絵図だ。
「まるでB級のパニックホラーだな」
「同感だ。あの黒煙を見る限り、街の様子も学校と同じか、それ以上のようだな」
と、そのとき、屋上への出入り口から悲鳴が聞こえた。
俺と聖は駆け出した。
「開けて! 開けてください!」
中から聞こえるのは女子の声だった。
俺は、急いで扉の横にあるガラス戸を開けた。
「扉は鍵がかかっている。早くこっちに来い!」
そこにいたのは2人の1年女子だった。俺は、近くにいた栗色のおかっぱ頭の少女の手を引いて屋上側に引き入れた。
「はやく私も!」
扉を叩いていた少女は急いでガラス戸に飛び込もうとした、だが、遅かった。
ガラス戸に手をかけたところで、ゾンビに足を掴まれたのだ。
俺は急いで少女の腕を掴んだ。おかっぱの少女も立ち上がって少女を引き入れようとするが、引き寄せられない。
見る間に少女にゾンビが群がっていく。
足、膝、腰、そして肩。
「いや、お願い、はなさないで……」
涙目で訴える少女。その少女の首に、顎間接を外して大口を開けたゾンビの歯が、喰い込んだ。
途端、少女の腕から力が抜けた。
耳を劈くような悲鳴、それを遮るように聖はガラス戸を閉め、支え棒をした。
「……由紀ちゃん」
おかっぱ頭の少女はその場にへたり込んだ。
俺は、コンクリートを両手で叩いた。
「感傷はまた今度にしてもらおうか。わかるだろ? 私たちにそんな余裕はないんだよ」
「……ああ、わかってるよ」
俺は大きく息を吸い込むと、気持ちをニュートラルに戻した。
聖の言うことは全面的に正しい。ただ、それがしゃくに障るってのも間違えようのない事実だが。
聖は腰を屈め、泣いているおかっぱの少女に声をかけた。
「あなたは大丈夫? どこか怪我はない?」
「ひック、はい……。私は、だいじょう、ぶ……です」
それを聞いた聖は少女の肩を強く掴んだ。
「それじゃあしっかりしなさい! 泣いている暇はないんだよ」
少女は目に涙を溜め、しゃくりあげながらも聖に頷いた。
「そう、いい子ね。名前は?」
「ひっく、1年の、遠野梨子です」
「梨子ちゃん、いったいなにがあったの?」
「……わかりません」
「わかる範囲で答えて。なんであなたたちは屋上に逃げてきたの?」
「……えっぐ。最初は、普通に授業を受けていたんです。でも、だんだん教室の外が騒がしくなってきて、誰かが人殺しって叫んで……」
聖は、そっと遠野さんの頭を抱いた。
「そう、怖かったわね。それで、どうしたの?」
「……すんスん。それで、教室のみんなは逃げ出したんです。私と由紀ちゃんは窓際の席だったから、逃げ遅れて……」
「1年の教室って、確かこの下、4階だったわね」
「……はい。階段はあの、ゾンビみたいなのでいっぱいだったんです。だから、私たちはここに逃げてきて……」
遠野さんはようやく泣き止んだらしく、ゆっくり聖から離れた。
目元は赤くはれ上がっているが、よく見るとけっこうな美少女だ。
「直以、君はどう思う?」
「俺と話すときは男言葉なことか?」
「そんなことはどうでもいい。あのゾンビ連中のことだ。ここから見る限り、あいつらは経口で感染するようだ」
「……噛まれたらゾンビになるってことか?」
「おそらくは唾液、血液も危ないだろうな。しかしあいつらはなんで仲間同士で喰い合わない? なんで感染者と非感染者を見分けているんだ?」
後半は独り言、聖はいつものように自分の世界に入っていった。こいつは、なにかを考えるときは周りが見えなくなるのだ。
ふと見ると、遠野さんは俺を見ていた。彼女は、背の低い俺よりさらに拳ひとつ分低かった。
「あ、あの……。さっきはありがとうございました」
そう言って遠野さんは90度腰を折って俺に頭を下げた。
俺は、彼女の細い肩を軽く叩くと、柵に向かって歩いた。遠野さんも俺についてくる。
「これから、どうしましょうか?」
「さて、なあ。どうするかなあ」
「警察、助けてくれますかね?」
「助けてくれるだろ、きっと」
ただ、それがいつになるのかはわからないが……。俺は言葉を飲み込んだ。
いつかは警察なり自衛隊なり、あるいは外国のなにかなりが助けてくれるだろう。だが、それがいつかはわからない。
数時間後か、数日後か、それとも数週間後か。
屋上には水も食料もない。救助が来るまで屋上で過ごすわけには行かない俺たちは、動けるうちに行動を動かさないといけないのだ。
「あ、あの!」
「ん? なに?」
俺は遠野さんに振り向いた。遠野さんは慌てて俺から視線を逸らして口を噤んだ。
遠野さんは、大人しそうな外見からしてもそれほど多弁なほうではないのだろう。だが、彼女は必死になって俺に話しかけていた。なにかやっていないと押しつぶされそうで、不安なのだ。
俺は、なるべくキモく見られないように注意しながら、彼女に言った。
「そういえばまだ名乗ってなかったな。俺は菅田直以。2年だから先輩だ。よろしく」
「あ、はい。直以先輩ですね。よろしくお願いします」
「おおう!」
背筋に電気が走った。
かわいい後輩から下の名前で先輩と呼ばれることがこれほど官能的だとは……。
「悪い、もう一度呼んでくれ」
「? 直以先輩」
「おうおう!」
「あの……、直以先輩?」
「なんだい、梨子後輩♪」
「……直以、一応友人として忠告しておこう。君は今ものすごい犯罪者面をしている」
「おお、聖。戻ってきたか」
ふと見ると側には聖が立っていた。なんの嫌味か俺からかばうように遠野さんの前に立っている。
「それで、なにかわかったか?」
「さっぱりだね。残念ながら情報が足りない」
そう言って聖はたばこを取り出し、咥えて火をつけた。
「ああ、そうそう。梨子くん。君はどうして屋上に逃げたんだい?」
遠野さんは男言葉で聖に話しかけられて少々困惑していたが、しっかりとした声調で答えた。
「それは、さっきも言った通り逃げ遅れたから……」
「逃げ遅れたのは君たち2人だけ?」
「いえ、もっと大勢いたと思います」
「おかしいな。逃げ遅れた多くの生徒はなぜ屋上には来ない?」
「ここの鍵が閉まってるって知っていたんじゃないか?」
俺の言葉を即座に遠野さんは否定する。
「いえ、少なくとも私は知りませんでした」
「もし知っていても、逃げ場がなければここまで追い込まれるものじゃないのか?」
「それじゃあ、他に逃げ道があったんだよ……」
俺は、そこまで言って聖と同時に叫んだ。
「「非常階段!」」
「非常階段?」
まだ1年の遠野さんは学校の構造に詳しくないからぴんと来なかったんだろう。
ここ、鈴宮高校の校舎は大別するなら3つだ。
右にある教室のある教室棟、左にある部室のある部活棟、そして、中央にある職員室や特別教室、それに下駄箱のある特別棟だ。
学校を俯瞰するならコの字型をしており、棟はそれぞれ辺の一辺になっているのだ。
校舎内の階段は辺と辺の結節点に2箇所だが、非常階段は辺の先の行き止まり部分にある。
普段は締めきりの状態だが、鍵は内側の捻り錠だけだ。その気になれば誰でも開けられる。
俺たちはソーラーパネルの間を縫って歩き出した。目標は非常階段、教室棟のではなく部活棟のだ。
「ゾンビどもは生者を喰うために群がってくると考えられる。それなら授業中で比較的人の少なかった部活棟は数が少ないに違いない」
とのことだ。
その考えはあながち間違ってはいなかった。あくまで相対的に、だ。
俺は屋上から非常階段の屋根に飛び移り、そのまま雨どいを伝って非常階段に飛び降りた。そこにゾンビがひとりいた。
眼前の距離、俺は息を詰まらせた。
ゾンビはゆっくりと泳ぐように俺の前で口を開けてよだれを垂らしている。俺は、汗ばんだ手を握った。
と、そのとき、エレキギターが大音量で鳴らされた。ゾンビは俺を無視して非常階段から部活棟に向かっていった。
「直以、大丈夫か?」
「ああ、なんとか。あの音は軽音部だな。ここで待ってろ、行って来る」
「直以、これを持っていけ」
そう言って聖は屋根から鉄パイプを伸ばしてきた。
受け取るとずしりと重い。長さ1メートル、重さ2キロといったところか。
「どうしたんだ、これ」
「梨子くんが見つけてくれた。有効に使いたまえ」
「遠野さんは?」
聖は、少し苦笑して答えた。
「屋上から屋根に飛び移れなくてね。こっちは時間がかかりそうだ」
「了解、それじゃあ行ってくる」
「待て、直以」
俺は駆け出そうとしたところを止められた。よくよく水を差すやつだ。
「なんだよ!」
「戦術の基本は?」
俺は、少し考えて答えた。
「敵の攻撃力を無力化する、か?」
満足のいく答えが得られたのか、聖は大きく頷いた。
「おそらく、ゾンビに痛覚はない。もし骨を砕けても、筋肉だけであいつらは動くだろう。狙うのは頭部、中枢神経を破壊するんだ」
俺は、軽く鉄パイプを持ち上げた。
「了解!」
俺は、今度こそ走り出した。
軽音部の部室は部活棟の4階だ。俺は非常階段から校舎に飛び込んだ。
ゾンビどもは、全員が軽音部の部室に群がっていた。教室棟に比べれば数は少ないがそれでも10や20はいる。
「やる気のないやつはどいてろ!」
俺はのそのそと歩くゾンビに蹴りを入れて軽音部の部室に入った。
そこには、ひとりの生者がいた。
「よお、直以。おまえも俺の単独ラストコンサートを聞きにきてくれたのか?」
そう言ってわざとらしくエレキギターをかき鳴らしたのは、青井雄太、去年一緒のクラスだったやつだ。
色白の肌にさらさらの髪、整った顔立ちに軽音なんてこともやっている。一見してモテ男だが、こいつはモテない。周りから嫌われているのだ。
なにも知らないやつはこいつの容姿から近寄ってきて、こいつの性格の悪さから離れていく。口も軽いし言うことも悪い、だが、実は周りのことを常に考えていて、自分が悪者になってことをうまく納めていることに気づいてからは、俺はこいつと友人になった。
ぶっちゃけるなら聖と同様、嫌われ者同士、馬が合ったのかもしれない。
「コンサートは中止だ。悪いけど聞くに堪えないよ」
「相変わらずストレートな物言いだな。だが、いい加減俺も辟易してたところだ。観客がこんなゾンビどもばかりじゃ、な!」
雄太はエレキギターを振り回して、迫りくるゾンビを薙ぎ倒した。俺もそばにいるゾンビの即頭部を鉄パイプで叩き潰した。頭蓋骨を割る嫌な感触が手元に伝わる。
「雄太、頭を狙え。ゾンビの弱点としてはテンプレだろ?」
「それで大丈夫なのか?」
「さあな。もし駄目なら死んでから聖に文句を言ってくれ」
「あいつも生きてるのか。それじゃあ俺も死ねないな。昭雄、去年のカレーパンの恨み、忘れてないぞお!」
雄太は同じ軽音部の仲間だった男の頭部を、上段から叩き潰した。
ぐちょりと、脳漿のこびりついたエレキギターを持ち上げる。
「ROCKだな」
「だろ? フォークギターじゃこうはいかないぜ!」
雄太は足元のスピーカーを蹴りつけた。異様な高音を発しながらスピーカーは転がった。
と、そのときだった。
ゾンビどもは、スピーカーに一斉に向きを替えた。
「まさか、音に反応しているのか?」
「これもゾンビもののテンプレだな」
「音だけか、っていう疑問も残るけど」
「それは、聖に答えを出してもらえばいいさ」
「だな!」
俺と雄太は目の前のゾンビを潰し、軽音部の部室から出た。