殺す力、守る力
街は酷い有様だった。崩れかけたビル、割れたガラス、山積みの瓦礫。
まるで、テレビの中だけにある砲撃を受けた直後の都市だ。
鈴宮高校から駅までの通学路、鈴宮市の商業地帯にあたるこの地域は、昼夜を問わず人が溢れているはずだった。なのに、今、目の前にある街には、人はおろかゾンビすら見当たらない閑散としたものだった。
道路はところどころに亀裂が走り、瓦礫の残骸が落ちている。
車の揺れが大きくなった。
「……これからどうしますか?」
「とりあえず煙草だな、コンビニに行こう」
「コンビニ、ですか? わかりました」
車はそのまま100メートルほど先にあるコンビニの前で止まった。その間、生きている人間にもゾンビにも、出会わなかった。
ドアを開けて、まず気が付いたのは異臭だった。異臭の元は、死体だった。腐敗した死体が、そこかしこに転がっているのだ。
頬、ノド、胸部、上腕、大腿、内臓、それに性器。死体の損傷には違いがあるものの、それらの部分はほぼなくなっている。ゾンビはどうやらグルメらしかった。
「これは……、酷いですね」
「そういえば麻里は大地たちと一度街に逃げたんだよな。そのときはどうだったんだ?」
「……辿り着けなかったのよ。荒地の辺りでゾンビどもに囲まれちゃって」
「残念無念、泣きながら学校に戻ってきたというわけだ、いった!」
俺は聖の頭を引っ叩いた。わざわざ対立を煽ってんじゃねえよ。ただでさえアクの強い連中でまとめるの大変なんだから。
「とにかく、コンビニの中を調べてみる。麻里、援護してくれ。聖は周辺の警戒、紅はいつでも車を動かせるようにしておいてくれ」
俺は学校から持ち出した金属バットを握って、コンビニに向かった。
ゆっくりとドアを開け、薄暗い店内を見渡す。
店内は、それほど荒れてはいなかった。そのまま店内に足を踏み入れる。幸いにも、ゾンビの姿はなかった。
俺は聖たちを店内に呼んだ。
「ふむ。略奪の後はないな。煙草が残っているのは非常に助かる」
聖はカウンターを乗り越えて煙草の物色を始める。麻里はカゴを持ち出し、化粧品やら石鹸やらを片っ端から放り込んでいた。
結局、略奪は俺たちがやることになったわけだ。
紅は、俺の隣に並んだ。
「これ、れっきとした窃盗ですよね」
「ああ、そうだな」
「直以先輩、私はなにを盗みましょうか?」
「それじゃあ紅は懐中電灯を見つけてくれ。こう店内が暗いんじゃ、危ないしな」
「わかりました」
紅は迷うこともなくコンビニの暗がりの中に消えていった。
俺は、店の奥に向かった。そこで、散乱した弁当を見つけた。棚にあるパンも袋を破かれ、食い散らかされている。
「これは、ネズミにやられたな」
「ふむ、どうやらそのようだ」
聖は、さっそく煙草に火をつけて思い切り吸い込んでいた。
「直以。ネズミが弁当を食べる、その意味がわかるかね?」
俺は少し考えて答えた。
「人間が食べなかったってことだろ?」
「そういうことだ。コンビニに来た目的は煙草の他にこれを確認したかったんだ。食料品が食べられていない。それは、この辺りに弁当を食べる人がいないということだ。すでにどこかに避難してこの地区を離れたのか、それとも……」
「全員死んだか、ってこと?」
いつ来たのか、麻里がチョコスティックを咥えて立っていた。俺は麻里の差し出す箱からチョコスティックを一本抜いて口に咥えた。
「この辺りで一番近い避難場所は鈴宮高校だ。そこに誰も来てないってことは、わざわざ遠い他の避難場所に逃げたのか?」
俺たちみたいにどこかに立て籠もっているってのは有り得る話だ。だが、聖は別の見解を持っているようだった。
「……だといいんだがな」
そう言ってひとりコンビニを出て行く。俺は慌てて聖の後を追った。
「おまえ、なに考えてるんだよ」
「……なぜゾンビまでいない? 死体はこうして残っている。情報が少なすぎる!」
駄目だ。こいつ、黙考モードに入っちまった。こうなると外からいくら話しかけても聖は答えてくれないのだ。
後ろを見ると、紅と麻里がコンビニから出てくるところだった。
「懐中電灯、必要ありませんでしたか?」
「いや、別のところに入るときに有効活用するよ」
そのとき、いきなり耳を劈く音が響いた。クラクションだ。聖が、車のクラクションを鳴らしたのだ。
俺と麻里は同時にチョコスティックを口から落とした。
「ちょっと、牧原! あんたなんてことやってんのよ!」
「馬鹿聖、おまえなにやってんだ!」
俺と麻里が聖を羽交い絞めにして車から離す。が、手遅れだった。
ビルというビルからゾンビが溢れるように出てくる。どこに隠れていたのか、という数だ。中には、上階から真っ逆さまに落下してくるゾンビもいた。
聖は、急に笑い出した。
「そうだ、そうでなくてはいけない! これでいいんだ!」
「あんた、気でも狂ったんじゃない?」
「いや、すまない。少々予定外のことが多かったものでね。よし、すぐにここを離れることにしよう!」
「……直以、こいつ、思いっきりぶっていい?」
「……今は駄目だ。学校に帰ったらいくらでも殴っていいから」
俺たちは車に乗り込もうとした。
その瞬間だった。
いきなり眼前にイスが降ってきた。
「あっぶねえ、なんだ?」
頭上を見上げる。そこは、高級マンションだった。そこのベランダから女の子が旗を振っている。
……見つけちまった以上は見過ごすわけにもいかない。
「紅、聖を連れて先に行ってくれ。1時間後、ここに集合。もし俺たちがいなければ学校に戻れ」
「……わかりました」
「麻里、手伝ってくれ」
「あんたってけっこう人使い荒いわよね。あれって何階よ」
「最上階マイナス3階だ。聖!」
「う、うむ。なにかね?」
「てめえは言い訳を考えておけ!」
「直以先輩、これを持って行ってください」
紅は、俺に先ほど盗んできた懐中電灯を差し出した。俺はそれを受け取る。
「さ、私たちも行くわよ」
麻里を見ると、髪を後ろで結い、モデルガンを肩からかけていた。
「……こんなことなら火薬棒を持ってくればよかったかな」
「それで一発撃ったら終わり?」
「そう考えたらこれのほうがまだ使えるか!」
俺は金属バットを握り直して走り出した。
ゾンビを誘導するためだろう、紅はクラクションを鳴らした。
背後で長いクラクションの音が壊れた街に響く。
俺と麻里は、前に立ち塞がるゾンビを蹴散らし、高級マンションに突入した。
高級マンション内は、完全な闇だった。俺と聖は懐中電灯の光だけを頼りに階段を上った。
俺たちは、小声で話し合った。無言でいると、暗闇に取り込まれそうだったのだ。
「……なんでこんなに暗いのよ」
「……仕方ないだろ。電気が通ってないんだから」
と、3階の踊り場にゾンビを発見。
懐中電灯を伊草に渡し、忍び足で近づく。
ゆっくりと背後に回り込み、肩に手を置いた。それでもゾンビは俺に気づかなかった。痛覚がないってことは皮膚感覚がないってことなんだろうか。
ゾンビの足と足の間にバットを差し込む。ゾンビは、顔から倒れた。
俺は、バットを振りかぶった。その俺の腕に触れるものがあった。闇に紛れて、もうひとりゾンビがいたのだ。
俺は反射的にゾンビの襟首を掴み、階段から落とした。バランスの悪いゾンビは抵抗もなく階段から転がり落ちる。俺は階段から飛び、勢いをつけてゾンビの頭を上から割った。
「ゾンビ退治もうまくなってきたみたいね」
「人殺しがうまいって? 褒め言葉にもなってないよ、それ」
俺は階段を上り直し、最初に転ばせたゾンビにとどめを刺す。
「人殺しじゃないわよ。誰かを守る能力ってこと」
「詭弁だな。誰かを殺すことで誰かを守るのか?」
俺は、麻里から懐中電灯を奪い、上階に向かった。
麻里は、しばらくは無言だったが、やがて話し始めた。
「私が帰国子女なのは知ってるでしょ?」
「そうなのか? 初耳だけど」
「……あんた、ほんっっとうに私のこと覚えてないのね!」
「やっぱり、俺、昔おまえに会ったことあるんだな」
麻里は、暗がりの中、俺の顔を覗き込んだ。
「覚えてるの?」
「いや。でもおまえの、俺への嫌い方は半端なかったからな。ひょっとしたら嫌われるなにかを昔したのかもしれないって思っていたんだ」
「昔、じゃなくて今してるの! なんで覚えてないのよ!」
「いや、悪い……。そんでもって声がでかい」
麻里は、なおもなにか言おうとしていたが、状況を思い出して口を噤んだ。
「……とにかく、私は高校入学までアメリカにいたのよ」
「それじゃあ英語喋れるのか。今度の中間テストは万全だな」
「あんた、馬鹿にしてるの?」
「……いや、悪い。それじゃあ例の凶暴な格闘術もアメリカで習ったのか?」
「凶暴って何よ! ……まあ、そういうこと。私はアメリカでミリシアに所属していたの」
「ミリシア?」
「民兵組織よ。自警団みたいなものね。アメリカには伝統的にそういうのが残ってるの」
「日本で言うと消防団とか、そういうやつか?」
「ぜんっぜん違う! いや、違わないんだけど……。とにかく! そこで私は軍事教練を受けたの。アメリカにいる間だから、だいたい6年間くらいね」
「じゃあ、本物の銃とか撃ったことあるのか」
「ええ。私、けっこう優秀だったのよ。なんか、才能あったみたい。あんたに言わせれば、人殺しの才能が」
「いや、そんなつもりで言ったんじゃ……」
麻里は、俺の口に人差し指を当て、俺の言葉を遮った。
「黙って聞いて。確かに銃器の扱いは人を殺すことができる技術だと思う。でも、私は、それは誰かを守る力でもあると思う。私はそう教えられてきたし、私の才能を誇りにも思っている。だから、直以も、自分の行動を否定しないで、肯定してもらいたいの」
俺は、麻里を見た。暗がりの中、麻里はじっと俺を見ていた。
こいつの言うことは、賛成もできるし反対もできる。俺の本音はそこまで割り切れないってところだ。
バスケ部を辞めたとき、俺は後悔したし、辞めなくても後悔していただろう。
程度の差こそあれ、自分の決断に後悔しなかったことなんてないし、これからもしていくと思う。
我ながら、面倒な性格だ。
割り切って自分を全肯定したって、多分、駄目なのだ。
だけど、俺にはわかったことがある。だから俺は言った。
「ああ、わかったよ。麻里」
麻里はそれを聞くと、穏やかに微笑んだ。
俺がわかったこと、それは、こいつがけっこういいやつだってことだ。
俺たちは、8階に到達した。最上階マイナス3階だ。ここに女の子が取り残されているはずだ。
「どの部屋かはわかっているんでしょうね」
「右から4番目の部屋。聖と一緒にいると無駄に記憶力を鍛えられるんだよな」
俺たちは部屋の前まで移動すると、ドアをノックした。
返事はない。俺は、ゆっくりとドアを開けた。
途端、ゾンビが飛び出してきた。俺は跳ね飛ばされ、麻里はドアを蹴りつけてゾンビの手を挟んだ。
ドアからはみ出たゾンビの手は骨が折れ、しばらくは垂れ下がっていたが、やがて蛇が首をもたげるように、持ち上がった。筋肉だけで動いているのだ。
こうなってくるともう間接も関係ない。むしろ骨は行動を制限するだけの拘束具のようなものだった。
「直以、大丈夫!」
「あ、ああ。ゾンビは?」
麻里はゆっくり足をドアから除けた。ゾンビはドアの間から顔だけだしていたが、廊下には出てこなかった。ドアに、チェーンがかかっていたのだ。
と、そのとき、隣の部屋のドアが開いた。
「おーい、私はこっちだよ~。はやく助けて~」
麻里は、蔑む視線で俺を見下ろした。
「……なにが記憶力が鍛えられるって?」
「うるさい! 誰にでも間違いはあるだろうが!」
「うっわ! 逆切れ? だっさ!」
俺は、立ち上がって早足で隣の部屋に入った。麻里も俺の後に続いた。