街に行こう!
「……煙草が切れた」
今日、というのはゾンビ発生から4日目の朝のこと。連日続いた快晴はなりを潜め、ようやく黒い雲が天を覆っていた。
「直以お兄ちゃん、お茶は?」
「ああ。欲しい」
「梨子、俺にも」
「ん、ちょっと待ってね。雄太お兄ちゃんは直以お兄ちゃんの次」
「……おい、直以。なんか最近梨子が俺に冷たいんだが」
「知らねえよ、そんなこと」
俺と雄太、梨子の3人は穏やかな朝食時を過ごしていた。
前を見ると、いつの間にか須藤先輩の副官的な位置に収まった紅が昨日の活動報告をしている。まあ、誰も聞いていないのはご愛嬌だ。
須藤先輩は頬杖をついてぽーっとしているし、その横では荒瀬先輩がテーブルに足を投げ出して寝ている。
周りを見渡しても同じような状況だ。どこか気が抜けたような、悪く言えば弛んだ空気が流れている。
その中でひとりどんよりした空気をまとっているのが約1名。俺の隣にいる聖だ。
「なおい~、煙草が切れた~!」
聖は俺の身体を揺すり、お茶を飲むのを妨害する。
俺は聖を押し退けた。
「切れたっておまえ、あれだけスパスパ吸ってればなくなるのは当然だろ? いい機会だ。禁煙してみろよ」
「そうだよ、聖お姉ちゃん。それにここは学校なんだから。購買にだって煙草は置いてないよ」
聖は助けを求めるように雄太を見た。雄太は、聖の顔を見ずにぼそりと言った。
「……そろそろ一度街を見ておくのも必要かもな」
「そう! そうなのだよ直以! 私はそれが言いたかったんだ! 街には煙草がある!」
俺は聖を無視して雄太に聞いた。
「なんで必要なんだよ」
「学校だけじゃ生活必需品は賄えないだろ?」
俺は押し黙った。
部活棟には洗濯機やシャワーがあり、昼の間ならそれを使えてもいるのだが、それでも着替えは体育用のジャージしかないし、それすらもないやつらはずっと制服を着たきりだ。俺たち男はいいが、女子にはきついものがあるのかもしれない。
「そうなのよ~、直以くん、どうしよう~」
いつ現れたのか、須藤先輩が後ろから抱き付いてきた。
紅は俺を見て一瞬だけ言葉を詰まらせたが、無表情のまま活動報告を続ける。周りは今まで通りそんなものは聞いていないし、嫉視を俺に向けてくる。ていうか、梨子、なんでおまえまで睨んでるの?
「あの、須藤先輩。離れてくれませんか?」
「ん~、なんで~?」
「……あんた、わかってやってんだろ?」
「セイラ、わかんなーい♪」
須藤先輩は俺の首に抱きつき、豊満な胸を押し付けてきた。その感触を楽しむ余裕なんて俺にはない。視線が痛いんだって。
「でもね、今は購買にあったものでなんとかなってるけど、もうすぐそれもなくなっちゃうの」
「……なにがですか?」
「せ・い・り♪ よーひん☆」
「あ~~~、それは深刻ですね」
俺は梨子を見た。梨子は、頬を膨らませて思い切り視線を逸らした。
「だから直以くん、今日は調査目的で街に行っきてくれないかな?」
俺は、イスから立ち上がって須藤先輩から離れた。
「そういうことならかまいませんよ。雄太、付き合ってくれ」
「俺はパス。ちょっとやることがあるんだ」
「私が行こう。街の様子を直接見ておきたいしな」
「聖か。そうだな、2人で行くか」
「いや……、紅くん!」
紅は急に名前を呼ばれて活動報告を中断させた。
「なんでしょうか?」
「これから街の調査に行く。きみも一緒に来たまえ」
「わかりました。ご一緒させていただきます」
紅は無表情のままそう答えると、活動報告を再開した。
「なんで紅?」
「少し理由があるんだ。ま、それは行きすがらにでも説明しよう」
しかし、女2人が一緒だと俺ひとりでは手に余るな。
俺は、目を輝かせて俺を見ている小動物の頭上を通り越し、荒瀬先輩を見た。
「……須藤先輩、荒瀬先輩を借りてもいいですか」
「ん~~、駄目。宏には、荒地の地質調査をさせるから」
荒瀬先輩がいれば楽ができると思ったんだけどなあ。
俺は食堂内を見渡した。100人近い人間がいるのに連れて行けるやつがいない。俺って本当に友達がいないんだなあ。
大地は連れて行けない。こいつを連れて行くとこいつの取り巻き全員が来ることになるからだ。
大地の取り巻きは大地以外の命令は聞かないだろうし、学校の主力でもある。
これをごっそり抜けさせるわけにはいかなかった。ゾンビは一掃したとはいえ、学校内外で、やることは山ほどあるのだ。
ふと、ある視線に気付いた。もの凄い勢いで俺を睨んでいる。
伊草麻里だ。
伊草は俺と目が合うと、演技掛かった動作で立ち上がり、歩いて来た。
「なかなか面白そうな話をしているわね。私も一緒に行こうかな」
そうだな、こいつなら俺より強いし、頼りにもなる。それに、最近少し仲良くなってきたし。
「伊草、それじゃあ付き合ってくれるか?」
「ハア? なんであんたと付き合わなくちゃいけないのよ!」
伊草は顔を赤くして怒り出した。……仲良くなってきたってのは勘違いだったらしい。
「……いや、悪かった。強制はできないよな」
「そういうのは場所と手順を踏んでちゃんとやってよ。そうすれば考えないこともないから。それで、街にはいつ行くの?」
伊草は顔を赤らめたままそう言った。なんか、話が噛み合ってないな。
「雨が降りそうだし、すぐにでも出発するつもりだけど、おまえ、来ないんじゃなかったのか?」
「なんでよ! 嫌味ったらしいわね、私は行くって言ってるでしょ!」
「?? そうか、来てくれるんならすごく助かるが」
なんなんだ、一体。よくわからないやつだなあ。
「直以お兄ちゃん!」
「おう、びっくりした。なんだよ急に」
梨子は、伊草と俺の話に割り込み、顔面がぶつかる寸前の距離にいきなり飛び出してきた。思い切り口をへの字に曲げている。
「なんで私を誘ってくれないの!?」
なにがあるかわからないのに連れて行けるわけがないだろ、俺がそう言う前に援護してくれる人がいた。須藤先輩だ。
「梨子ちゃん、今日は私とお留守番してようね♪ 街にはゾンビもいっぱいいるだろうしとっても危ないから。直以くんたちが安全だって確認してくれたら明日にでも行けるからね♪」
「は、はい……」
自分でわがままを言っていると思ったのだろう、梨子は恐縮して下を向いた。
それを影から聞いていた学生たちも押し黙った。あわよくば自分が街に行って可能ならば帰宅したいと考えたやつらも多くいただろう。
須藤清良は、梨子を利用することでそいつらを黙らせたのだ。
だが、聖の煙草は論外にしても、生活必需品が不足しているのは間違いのないことだ。
昨日まではゾンビが徘徊している危険な状態だったが、今は一応の安全が確保された状態だ。これまで我慢してきた不満もそろそろ溜まってくる頃かもしれない。
「なんとかしないといけないのかもなあ」
俺は、その面倒臭い考えをお茶と一緒にのどの奥に流し込んだ。
集合は食休み後の9時。
俺と聖が待ち合わせ場所の正門前のロータリーに到着したときには、伊草と紅はすでに顔を揃えていた。他にも荒瀬先輩の姿があった。
荒瀬先輩は俺を見つけると、鍵を放ってきた。俺はそれを片手で受け取る。
「なんの鍵です?」
「あれだ」
荒瀬先輩は顎でロータリーの端を指した。そこには、一台の車があった。SUVというやつだろうか、車に疎い俺にはよくわからなかった。
「あれで行くんですか?」
「行くのはお前たちだ。好きにしろ」
「でも、俺、車の運転なんてできませんよ」
「……」
俺は聖を見た。聖は俺から視線を逸らす。こいつは無駄にプライドが高いから運転できないとは言いたくないんだろう。
「なあ伊草、運転できるか?」
「まあ、できないこともないけど……」
少々頼りない返事だ。まあ、俺よりはマシだろう。そう思い、俺は伊草に車のキーを渡そうとした。それを紅は遮った。
「直以先輩、私が運転します」
「運転できるのか?」
「はい。問題ありません。車の運転は祖父に習いましたので」
俺は伊草を見た。伊草は、少し困ったように頷いた。
「わかった。頼む、紅」
俺は紅にキーを渡した。紅は無表情で受け取ると、運転席に乗り込んだ。俺は助手席に、伊草は後部座席の左、聖は右に乗り込む。
と、校舎から走ってくる影が見えた。梨子だ。
俺は出発しようとする紅を止めて、窓を開けて梨子を迎えた。
「はあはあ、なんとか間に合った。はい、直以お兄ちゃん、お弁当♪ って言っても梅干と塩のおにぎりが一個ずつだけど」
「いや、助かるよ。サンキュー」
梨子は呼吸を整えると、車内にいる俺を見て、紅を見て、聖を見て、伊草を見た。
梨子は、俺の真後ろにいる伊草に言った。
「あの……、伊草先輩」
「麻里でいいわよ、梨子ちゃん」
「あ、はい。麻里先輩。あの、できたらでいいんですけど……、着替えを、調達してもらえますか? 特に下着を……」
「……そうね。女の子にはけっこう切実な問題だもんね」
俺は笑ってしまった。下着のことだから異性の俺には言えない内容ってのはわかるが、なんで伊草? 俺は小声で聞いた。
「その、紅ちゃんにも言ったんだけど、今回は物資調達が目的じゃないって断られたんだ。それで、聖お姉ちゃんは聖お姉ちゃんでしょ?」
「そうだなあ。聖は聖だもんなあ」
煙草と香水の混じった悪臭を放っても大丈夫なやつだもんな。これでも去年よりは身だしなみに気を使うようになったんだけど。出会った当初は、髪の毛にご飯粒付いていたし。
「直以先輩、名残惜しいのはわかりますが、そろそろ出発しないと……」
「ああ、わかった。それじゃあ行ってくるな」
「うん、気をつけてね」
「なにかあったら雄太に、雄太が無理なときは荒瀬先輩を頼るんだぞ」
「荒瀬先輩? うん、わかった」
その荒瀬先輩を見ると、俺たちのために正門を開けてくれていた。
車はゆっくりと走り出す。俺は窓を閉めた。サイドミラー越しに、梨子は手を振っているのが見えた。
車は正門を通過した。
「伊草、おまえ、梨子と面識あったのか?」
「よく話すってほどの間柄ではないけど。ほら、食事の用意をあの子は手伝ってくれるしね。それに、あの子はなにげに有名人だし」
「麻里先輩、ね、ッ痛え!」
「気安く名前で呼ぶんじゃないわよ!」
伊草は思いっきり座椅子越しに俺を蹴りつけた。
「どうしてもって言うなら麻里って呼んでもいいわよん♪」
「いや、悪かった。伊草、痛え!」
「なんで苗字で呼んでんのよ!」
「だって伊草のほうが呼び慣れてるし、ってイスを蹴るな!」
「いいから麻里って呼びなさい!」
「おまえ、メチャクチャだな!」
「やれやれ、ずいぶんと仲のいいことだな。反直以の急先鋒であるはずの伊草麻里がどういう風の吹き回しかな?」
そう言ったのは聖だ。バックミラー越しに見ると、聖は窓に視線を向けたままひとりごとのように喋っていた。
「べ、べつにそんなんじゃないわよ。私はこんなやつ、大ッ嫌いだし」
伊草、いや、蹴られるくらいなら名前で呼ぼう、麻里も聖と同じように窓に視線を向けた。
俺は横にいる紅を見た。自分から言い出すだけあり、安定した運転をしているが、車内の会話には我関せずで無表情を貫いている。
と、紅は俺に視線を向けないまま言った。
「直以先輩、いえ、みなさん。シートベルトをしてください……」
紅は、言い終わるか終わらないかのタイミングで、思い切りアクセルを踏んだ。俺たちは慌ててシートベルトを締めた。
そのまま前を見る。眼前に、ゾンビが彷徨っていた。紅は、躊躇うこともなくそのゾンビを跳ね飛ばした。
「……ぉぃぉぃ」
俺は表情を変えずに次々とゾンビどもを轢き殺していく紅を見た。
「……なかなかやるじゃない」
「……同感だ。紅くんはこんなことをする人物には見えなかったが。見誤っていたらしいな」
それを最後に、車内は沈黙に包まれた。
この段階に来て、俺は初めて気が付いた。
俺、人選間違えたな。
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