私のことを好きになってください
「直以、もう大丈夫だ、早く戻れ!」
「わかった!」
俺は大地の声を背中で受け、目の前のゾンビを前蹴りで押し倒した。
振り返ると、すでに門は8割方閉まっていた。俺は、折れかけた木刀を投げ捨て、全力で走った。
速度を落とさず一気に飛び上がり、門を越える。
俺が地面に転がるのと、門が重厚な音を立てて閉まるのはほぼ同時だった。
しばらく、自分の乱れた呼吸だけを聞く。
「っしゃ」
誰かが呟いた。それが合図だった。
大歓声が沸きあがった。
飛び上がるもの、奇声を上げるもの。
校門前にいる30人以上の男子学生は、それぞれの方法で喜びを体現した。
まるで原初の祭り。俺も、みんなと同じ気持ちだった。
3日目の午前中、俺たちは学校内から全てのゾンビを駆逐した。
幸い、といえるのかどうかはわからないが、犠牲は昨日死んだ大地の取り巻きひとりだった。
「直以お兄ちゃん、お疲れさま」
日差しが陰る。梨子が寝転んでいる俺を笑顔で覗き込んでいた。こいつの笑顔は癒されるなあ。
梨子は冷たいコンクリートに寝そべっている俺の額に、冷えた缶ジュースを置いた。
「これ、どうしたんだ?」
「清良先輩がみんなに配れって」
ふと見ると、いつ来たのか須藤清良先輩はひとりひとりに労いの言葉をかけていた。抜け目のないことで。
「ここでエンドロールが流れれば、それなりにいい映画ってことで終われるんだけどな」
俺は、そんなことを口にしながらプルタブを開いて缶ジュースを一口飲んだ。
「それで、そっちは?」
梨子は俺の傍でしゃがみ、少し困った顔をした。
「正直、あんまり進んでないんだ。みんな、死体には触りたがらなくて」
学生たちの行動は、大きく2種類に分けられていた。
ひとつは、男子を中心にしたゾンビの一掃。
そして、もうひとつは、死体の処分だ。
ゾンビ発生からすでに3日が経っている。初日からの死体は、すでに腐敗が始まっていた。衛生面でも無視できることではなかった。
「直以くん、お疲れ様」
俺は、梨子の細い肩に手を置いて、立ち上がって須藤先輩に答えた。
「須藤先輩。今こいつに聞いたんですけど、死体処理はあんまり進んでないみたいですね」
須藤先輩はでかい胸を揺らして、わずかに首を傾げた。
「う~ん、そうなのよ。もともと死体運びなんて重労働だし、男子はこっちで仕事してたし」
俺は、缶ジュースを一気に飲み干した。
「わかりました、やりますよ。大地たちは少し休ませてやってください。あいつなら、しばらくしたら自分から動いてくれるから」
「わかったわ。今、死体運びは宏ひとりがやっている状態だから。手伝ってあげて」
「了解しました」
俺は須藤先輩に背中を向けて歩き出そうとした。それを梨子が袖を引っ張って止めた。
「直以お兄ちゃん、少しは休んでください!」
「おまえが休めよ。どうせ周りにこき使われているんだろ?」
「私は……、これからお昼作らなくちゃいけないから」
「じゃあ、うまい昼飯、楽しみにしてるよ」
梨子はなおも袖を離さない。俺は梨子に笑いかけた。
「大丈夫だって。俺は適度にさぼってるんだから。劣等生をなめんなって」
「……嘘ばっかり」
梨子は小声でそう言って、ようやく袖を離した。
俺は、梨子の柔っこい髪を撫でて、その場を去った。
荒瀬先輩はすぐに見つかった。中庭で、死体を運んでいたのだ。
荒瀬先輩は、上はタンクトップ、額にタオルを巻いた格好で、山積みの死体を戸板に乗せて引きずっていた。……なんちゅう馬鹿力だよ。
荒瀬先輩は俺を見つけると、死体の運搬を中断した。
「おう、おめえか」
「大変そうですね。手伝いますよ」
「そうか。倉庫に運搬用の一輪車があるから使え」
俺はこの人みたいな怪物じゃない。2人も3人も同時になんて無理だから、ひとりずつ運ぶことにしよう。
「そういえば死体って校庭に運ぶんでしたっけ?」
「ああ。そこで今晩火葬するらしい」
「400人分の死体を燃やすって、そんな火力用意できるんですかね」
「大丈夫だろ。おまえんところの煙草臭い女が動きまわっていたから」
聖が計画しているのなら、まあ大丈夫か。
「学校の外で安全が確保できているんなら埋めちまったほうが早いんだがな」
荒瀬先輩はそう言うと、大きなあくびをした。
「寝不足ですか?」
「……ああ、少しな」
俺はこの人の寝不足の理由を知っていた。
この人は、夜中になにか起こらないように、見張りをしてくれているのだ。
誰かがやらなくちゃいけないことを黙ってやって、昼もこうして働いている。
その上で自分のことは周りには話さない。
この人は、完璧に黒子に徹していた。
「今晩からは俺が代わりますよ。学校内のゾンビは全部片付けたから、俺でも務まるでしょう?」
「いらねえ気を使ってんじゃねえよ。おめえにはおめえの仕事があるだろうが。代わるってんなら、他のやつも混ぜて交代制にしろ」
ぶっきらぼうにそう言って、荒瀬先輩は死体運びを再開した。
「言い方さえ気を使ってくれれば、それなりに感謝できんだけどな」
俺の言葉に、荒瀬先輩は振り返らずに軽く肩を竦めて見せた。
俺は運搬用一輪車に死体を乗せた。確認の必要もないことながら、元は生きた人だ。軽くても40キロはあるし、重ければ100キロを超える。
確かに死体運びは重労働だった。
死体は、すでに傷口から腐り始めていた。肌の色も変色し、ゾンビとの見分けもつかない。
ひょっとしたら動くんじゃないか、そんなことを考えながら死体の集積場所である校庭に移動した。
そこには、進藤紅がいた。
紅は、なにやらノートに書き込んでいたが、俺を見つけると中断して無表情のまま寄ってきた。
「直以先輩、お疲れ様です。そちらはもう片付きましたか?」
「ああ、なんとかな。もう学校内にゾンビはいないよ。それで、おまえはなにやってたんだ?」
紅は、無表情を崩して口を歪めた。
「……死体漁りです」
「死体漁り?」
「はい。ベルトのバックルや財布の硬貨などの燃えないものを取り外して、身元がわかるものがあればチェックしています」
「そうか。それも必要だよな。どうもうかっりしてたな」
「心が麻痺するには少し早いですよ。まだ、日常が終わってから3日ですから」
「終わった日常ね。そうだよな。本来だったら勝手に死体処理したら死体遺棄だもんな。他にも器物破損に窃盗、それに、殺人罪、か」
「もし直以先輩が罪に問われることがあったら、私も共犯で一緒に刑務所に入って差し上げます」
「う~ん、嬉しいけど、刑務所は男女別だろ? あんまり意味ないなあ」
「なるほど。そうかもしれませんね」
そう言って紅は眉間に皴を寄せた。こいつ、ひょっとしたら今の冗談を本気で受け取っているのかもしれない。
俺は、校庭を見た。すでに運び込まれた死体がずらりと並んでいた。
異様な光景であるはずなのに、俺の中で感慨にふけるものはなにも沸きあがらなかった。
俺は一輪車から死体を降ろすと、並んでいる死体の横にそっと置いた。
紅は死体に手を合わせると死体漁りを再開した。ベルトを外し、財布を取る。それから取り出したものを、クーポン券にいたるまで全て紙に記録していく。手間のかかる作業だった。
「紅、俺もそれやろうか?」
紅は作業の手を休ませずに言った。
「いえ、直以先輩は死体運びをなさってください。そちらのほうが人手は足りてないですから。それに、午後からは梨子さんがお手伝いしてくれると約束してくれましたから」
梨子のやつ、付き纏い作戦を実行しているようだな。そうとわかれば援護射撃だ。
「よかったらあいつと仲良くしてやってよ。あいつ、友達少ないらしいから」
紅は、作業の手を止めて無表情で俺を見た。
「私のほうが仲良くしてもらっているんですよ。それに、梨子さんに友達が少ないなんてきっと嘘です。梨子さんは、私にはない不思議な魅力がありますから」
「そうか?」
「ええ。その証拠に、入学式で1年代表を務めた私より梨子さんのほうが知名度は高いですし……」
まあ、あいつはちょこまかと色んなところでこき使われてるからなあ。
「それに直以先輩も、まるで本当のお兄さんのように梨子さんのことを心配なさっているでしょう?」
「……」
そんなつもりはないんだけどな。だが、聖も雄太も梨子には甘々だしなあ。
ふと見ると、紅は無表情を崩して俺の顔を覗き込んでいた。こいつ、からかいやがったのか?
進藤紅、まるっきり読めないやつだ。
夜、俺は屋上でひとり、黄昏ていた。
部活棟の先にある校庭では煌々と炎が上がっている。あそこでは、告別式が行われているはずだ。
須藤先輩が身元のわかった死体の名前をひとつひとつ読み上げるってだけのものだが、それなりに峻厳な空気が流れている。
目に痛いほどの赤が夜桜を照らしていた。
ようやく、一息ついた。
学校内からゾンビを駆逐し、死体も火葬した。
ぶっちゃけるなら、このまま学校内に篭っているなら、これ以上やることはないってことだ。
もちろん食料は無限にはないし、学校内で一生を過ごすわけにもいかない。明日からはまた新しいことをやるんだろうが、それでも、俺はひとつの区切りを感じていた。
たった3日。だが、この3日でいろんなものが変わり、そして変わらなかった。
俺は、柵に寄りかかって真上を見た。
黒い空、点在する星、威圧的な月。
深い夜。
俺は夜気を胸一杯に吸い込み、思い切り吐き出した。
「わああああああああ!!!」
意味なんて持ち得ない獣の咆哮。俺の心の底にある瘧は、治癒の兆しすら見えなかった。
と、そのとき背後で音がした。振り返ると梨子が蹲っていた。
鑑みるに、どうやら窓から屋上に出ようとして、落っこちたらしい。
俺は苦笑して梨子のところに歩いていった。
「こんなところでどうしたんだ、梨子」
「直以お兄ちゃんこそ。みんなは校庭にいるのにどうしたの?」
俺は手を差し出して、梨子を立たせてやった。
「別に。俺はひとりになりたいときは屋上に来るんだよ」
梨子は俺に背を向け、跳ねるような歩調で柵の前まで進んだ。
「……今ね、由紀ちゃんにお別れしに来たんだ」
「由紀ちゃん。確か一緒にいた子だっけ?」
「うん。私は直以お兄ちゃんに助けてもらえたけど……」
「……すまない」
梨子は、凄い勢いで振り返った。
「なんで謝るの!?」
俺は、梨子の横を通り過ぎ、柵にもたれた。
「俺がもう少しうまいことやっていれば、由紀って子も助けられたかもしれない」
梨子は、そっと俺の背中に抱きついた。
「直以お兄ちゃんは頑張ってるよ。運命なんて言葉は使いたくないけど、あのとき、本当だったら私も死んでたはずなんだもん。それを、直以お兄ちゃんは助けてくれたんだよ」
俺は身体を動かし梨子を振りほどくと、身体の向きを変えて梨子を見た。
「俺がもっとうまいことやってたら、もっと大勢救えたかもしれないんだよなあ」
「直以お兄ちゃん」
「自分でも駄目さ加減に辟易するよ。昔もそうだった。今もそう。俺は聖みたいに頭もよくないし、雄太ほど気もきかない。それでも身体は動かない。俺には行動しかないのに、それすらも出し惜しみするんだもんなあ」
「直以お兄ちゃん!」
梨子は、俺の袖を引っ張り、強い眼差しで俺を見上げていた。
「……悪かった。つまらない愚痴を聞かせたな」
「ううん。愚痴ならいくらでも聞くよ。でも、直以お兄ちゃんが今言ったことはおかしいよ。だって、私も含めて多くの人が直以お兄ちゃんに助けてもらったんだもん。直以お兄ちゃんは頑張ってるよ」
梨子は俺から視線を外さずに、そう言った。
俺は、背中から柵に寄りかかった。
「梨子、ありがとうな。聖も雄太も、俺も、正直おまえにはすごく助けられてるよ」
「そんな、私はなにも……」
そこで梨子は気づいた。いつの間にか立場が逆になっている。
梨子は、俺の袖を離すと俺と同じように柵に寄りかかった。
「直以お兄ちゃんは、私のこと、冷たい女だと思ってるよね」
「冷たい女って。おまえはそんなイメージじゃないだろ」
「嘘。だって、私、親友が死んで間もないのに、普通に笑えるんだよ」
梨子は、少し悲しげに俺を見ていた。栗色のおかっぱ頭が夜風に揺れた。
「俺は殴り殺したゾンビの顔をひとりも覚えていないぞ。同じ学校に通う連中だ。顔を合わせたやつも、言葉を交わしたやつもいただろうに」
梨子は、くすりと笑った。
「私には直以お兄ちゃんの気持ちがわかるよ。私とは少し違うけど、わかる」
梨子は、視線を暗い空に向けた。
「私の両親が飛行機事故で死んだのは知ってるよね。私、そのとき、すごく泣いたんだ。でも、なんの解決にもならなかった。お父さんもお母さんも生き返らなかったし、無理やり転校させられた学校での生活も始まって、どんどん流されていって……」
梨子は、大きく空気を吸い込むと、言った。
「だから、悲しい気持ちは後回しにすることにしたんだ。由紀ちゃんのときもそう。抑えられる感情は、全部後回し」
「それなら、もういいんじゃないか?」
「え?」
「おまえがそうやって来たんなら、それを否定する気はないけど。今は俺とふたりきりだ。我慢なんてしなくていいだろ?」
梨子は、俺の顔を見た。
「俺も、雄太も聖も、おまえに我慢なんてしてもらいたくないしな」
「でも……」
「俺たちは、おまえに甘えられたいんだよ」
梨子は、柵から身を離した。
「直以お兄ちゃん、優しすぎるよ。優しすぎる」
梨子は、わずかに屈み、晴れやかな顔で俺を見上げた。
「直以お兄ちゃん、ひとつお願いがあります」
俺たちの間を、どこからか飛んできた桜の花びらが舞った。
梨子は、告白した。
「私のことを好きになってください」
予想外の言葉に反応できない俺。
梨子は、にっこりと破顔した。
「私はこれから多分、ううん、絶対、直以お兄ちゃんのことをどんどん好きになっていく。だから、直以お兄ちゃんも私のことを好きになってください。私も、嫌われないように、好きになってもらえるように頑張るから」
俺は、梨子から視線を逸らして言った。
「……善処しましょ」
「ん♪」
梨子は一歩前に出て俺に近づいた。
「それで……、さっそく、甘えさせてもらっていいかな」
俺が答えるより前に、梨子は俺の胸に飛び込んできた。そのまま俺の胸に顔を埋める。
「私、これから泣くね」
「……わかった」
俺は、梨子の背中を軽く撫でた。
それが合図になった。
慟哭。
梨子は哭いた。
両親が死んで、親友が死んで悲しくないわけがない。
少女はその感情をずっと胸の奥に閉まっていた。
それを今、思いっきり放出していた。
俺には、いや、多分他の誰にも、梨子のずっと溜めてきた悲しみを受け止めることなんてできないだろう。
だから俺は、ただ、梨子を抱きしめてやった。
強すぎず弱すぎず、少しでも梨子の助けになれるように、俺は梨子を優しく抱きしめ続けた。
やがて梨子は泣き疲れて眠った。
俺は梨子をおんぶすると、少し寒くなってきた屋上を後にした。
扉を開け、校舎に入る。
「もう窓からじゃなくても屋上に入れるって教えてやらないとな」
俺は、安らかな寝息をたてる妹姫を背負って、聖と雄太の待っている図書室に向かった。
どうも、どぶねずみです。
2日目以降は早足になりました。丁寧に書いているわけでもないのに進みが遅いこの小説。
最近、シチュエーション次第ではキャラクターを走らせていくらでも引き伸ばせることに気づきました。一応キャラクター小説を書いているつもりではないので、いろいろ自重させていただきました。
例えば、大地の取り巻きが死体をぞんざいに扱っているのに、告別式では号泣するシーンなどは全カットです。
さて、とりあえず、ここまでが学校開放編ってことで一区切りにします。
次回はお友達ファイルをまとめて、その後は武器取得編が始まります。
懲りずにお付き合いくださいませ。