せんきょ☆
朝は心地いい疲労感と共に訪れた。身体を伸ばすと全身から小気味いい音がする。
なつかしい感じだ。バスケをやっていた頃は毎朝こんな感じだった気がする。
「直以おに~ちゃん。おはようございます♪」
「ああ、おはよう。それ、生きなんだな」
梨子はすでに寝巻きのジャージを着替えて制服姿になっている。雄太はすでに起きているのか図書室にはいなかった。聖は、いつ脱いだのか下着姿で丸くなっていた。
窓の外を見てみる。昨日に続いていい天気だった。陽光に照らされ、ゾンビがひとり歩いていた。
「直以お兄ちゃん、顔を洗ってきて。その間に聖お姉ちゃんを起こしておくから。そのあと、一緒に食堂に行こ♪」
聖お姉ちゃん、か。
俺は、いつの間にか敬語を使わなくなっている妹(?)に聞いた。
「朝食ってどうなってるんだ?」
「これでも私、さっきまで食堂にいたんだよ。昨日は途中で電気切れちゃったから、まずは食器洗いからして、ご飯炊いて、おかず作って。大変だったんだから」
電池式の掛け時計を見る。時間は7時半を少し回ったところだった。
梨子は俺の退いたばかりのダンボールを折りたたみ端に寄せた。
「8時には昨日の続きを食堂で話すって須藤先輩が言ってたよ」
「そうか。それじゃあちょっと顔を洗ってくる。ああ、聖のやつは低血圧だから、どうしても起きなかったら引っ叩いていいから」
遠野はそれを聞くと、気合を入れて腕まくりをした。
その声は、俺が図書室を出たときに聞こえた。
「ひぃやああぁああぁあ!」
その悲鳴は聖のものだった。俺が振り返ると、聖は下着姿のまま廊下に飛び出し、俺に抱きついてきた。
……こいつ、けっこう着痩せするな。
「おい、聖。どうしたんだ? ていうかその格好で廊下はまずいだろう」
廊下には数人の学生がおり、その全員が俺たちを見ている。そんな中で下着姿は注目を集めていた。
「なおい、なおい~~」
今までに聞いたことのない聖の声。
ふと見ると、梨子が聖の制服を持ってこっちに駆けてくるところだった。
聖は半泣きで梨子を指差した。梨子がなにかしたのか?
「なおい、梨子くんが! 梨子くんが私を萌え殺そうとしている~~」
……は?
「聖お姉ちゃん。もう、そんな格好で廊下出てぇ!」
意識してかしないでか、梨子は少し怒り口調(擬音にするなら『ぷんぷん』か?)で聖に制服を差し出した。
「ぴやああぁあ♪」
聖は腰砕けになり、俺に抱きついたまま床にへたり込んでしまった。
……なんだかなあ。
俺たちが食堂に着いたときにはすでに8時を過ぎていた。萌え殺された聖がなかなかおとぎの国から帰ってこなかったために、やたら時間を食ってしまったためだ。
聖はようやく『お姉ちゃん』と呼ばれることに耐性ができたのか、一々悲鳴を上げることはなくなったが、とろけそうな顔をしていた。
もっとも、聖に言わせればおれも同じような顔をしているらしいが。
ふらふらになっている聖は一足先に雄太の座るテーブルに腰かけ、俺と梨子が聖のぶんの朝食を持っていってやることになった。
「聖お姉ちゃん、どうしたんだろう?」
「……自覚がない分、たちが悪いな」
俺は食堂内を見渡した。立ち上がって騒ぎまくっているやつがひとりいる。大地の取り巻きだ。
そいつのことを俺はよく知っていた。門倉健司。バスケ部の、ポイントガードだ。
健司は、応援演説のつもりか、やたら声を張り上げているが、周りには無視されていた。
「私、直以お兄ちゃんに入れるね」
「それはやめたほうがいいぜ。そいつ、信用ならない嫌われものだから」
「残念でした~。私はその人のことよく知ってるもん。その人は私やみんなを命がけで助けてくれたんだよ」
過剰な評価だなあ。正直重い。
「直以先輩、おはようございます」
声をかけてきたのは、進藤紅だった。昨日とまるで変わっていない様子。にこりともしない鉄面皮も、ブラウスの第一ボタンまで締めてわずかの崩しもなくリボンをしている制服も。
「ああ、進藤さんか。おはよう」
「進藤さん、おはよう」
「3組の遠野梨子さんですね。おはようございます」
進藤は梨子に軽く頭を下げた。梨子は恐縮して深く頭を下げ返した。
「今から投票による選挙が行われます。私は、誰がリーダーになってもその人に従おうと思います」
進藤はそう言って射るような視線を俺に向けてきた。
こいつは、美人だが無駄に固いな。少しでも笑えばすごいもてると思うんだが。
「それで、俺もおまえと同じように従えって? 口約束でいいならいくらでもするけど?」
進藤は身じろぎもせず俺を見ている。俺も進藤を見返した。
「……直以お兄ちゃん」
不穏な空気を感じ取ったのか、梨子は俺の袖を引っ張った。俺は梨子に笑いかけた。
「大丈夫だって、梨子。別に喧嘩しているわけじゃないんだから」
と、突然進藤は顔に困惑を浮かべた。
「あの……、少し伺ってもいいでしょうか?」
「ん? なんだ急に」
「御二人はどういった関係なのでしょうか? 昨日とは呼称が変わっていますが」
昨日は苗字に先輩だったからなあ。
俺は、アイコンタクトで梨子に合図を送ると、梨子の左肩に左手を置いた。梨子は俺の右腰に右手を当てる。
「実は俺たち、兄妹なんだ。ちょっと面倒な家庭事情があってね。今までは隠していたんだ」
「でも、こんなことになっちゃったから、もう隠すのは止めようって昨日決めたの」
梨子は俺のアドリブについてきている。なかなか頭の回転の速いやつだ。
「そうだったんですか。すいませんでした。安易な好奇心で踏み込んでしまって」
そう言って進藤は素直に頭を下げた。梨子は、くふふと変な笑い声を上げると、神妙な顔つきをして言った。
「でも、血の繋がりはないんだよ。ここ重要!」
人差し指を立てる梨子。その人差し指を、進藤はやんわりと手をかぶせて折った。
「ひょっとして、私、からかわれていますか?」
「いや、おまえなかなかいじり甲斐があるね!」
俺と梨子は笑った。進藤はいつも以上に口角を下げた。
「……直以先輩。ひとつお願いがあります」
「からかうのはやめろって?」
「私のことは紅と呼び捨ててください。私も直以先輩のことを名前で呼ばせて頂いていますから。さもないと……」
「さもないと?」
「私も『お兄さん』と呼びますよ」
俺は絶句した。梨子は、もう人目もはばからずに爆笑している。
昨日の梨子とのやり取りが作用したのかもしれない。俺は早々に折れた。
「わかった。悪かった、紅」
「それじゃあ私のことも梨子って呼んでね、紅ちゃん♪」
進藤紅は、急に割って入ってきた梨子に少し驚いた顔をして鉄面皮を崩した。
「わかりました。梨子さん」
紅は俺たちに頭を下げると、その場を去った。
「紅ちゃんって、けっこう面白い娘だったんだね」
「ちょっとお堅いところがあるけどな」
「紅ちゃんって、すごい美人さんでしょ? 今まで話したことはなかったけど、廊下ですれ違うときとかみんな見てたりしてたんだ。だけど……、いつもひとりでいたんだよ」
「友達がいないのか?」
「私たち1年はまだ入学して1ヶ月も経っていないから。これから仲のいいお友達とか作っていくんだと思っていたんけどね」
「それじゃあおまえが友達になってやれよ」
梨子は、少し困った顔をした。
「私も、その、お友達は多いほうじゃないから。どうやったらお友達になれるの?」
俺は、周りを気にせず大声を上げている健司を見た。
集団が出来ればその中で1人や2人あぶれる奴がでるってのは必然らしい。去年のバスケ部でいうなら、門倉健司は、そういう割りに合わない役を演じている奴だった。
俺はというと、幸い、というべきか、大地と同郷で、社交的な大地のおかげで集団からあぶれることはなかった。
俺は、健司に話しかけた。理由は、まあ、仲間意識ってところだ。同じポジションだったし、これから一緒にやっていく中で、仲良くなりたいと思ったのだ。
俺は、そのときのことを思い出し、梨子に言った。
「まずは相手にうざがられるくらい付き纏うんだよ」
「……うざがられたら嫌われちゃうよう」
「いいんだよ。そのうち、相手のことがわかるから。どこまで踏み込んだら怒るか。なにが好きでなにが嫌いなのか。それがわかったら相手に合わせて付き合うようにするんだ。そのうち、向こうもこっちのことを知ってくれるようになって、そうなったらもう友達だよ」
梨子は眉間に皴を寄せて考え込んでしまった。
そこでふと思う。嫌われ者の俺が友達論を上から語る。とんだお笑い種だった。
俺は、眉間に皺を寄せている梨子の肩を押して朝食をもらいに行った。
投票が始まった。正確には始まっていた。朝食を食べ終わり、トイレに行っている間に大学ノートを4等分して作った投票用紙が配られていたのだ。
須藤先輩の講話やら大地の取り巻きの応援演説があったらしいが、聞かないで済んだのはラッキーだった。
「さて、誰に入れるか」
横を見ると、梨子は俺の名前を書いていた。ボールペンを伸ばしてぐしゃぐしゃと文字を消す。梨子は頬を膨らませて俺を睨むと、再び俺の名前を書いていた。
俺は大地の名前を書きかけ、途中でペンを止めた。
俺は、須藤先輩を見た。須藤先輩は俺と目が合うと手を振ってくる。それを無視して隣にいる荒瀬先輩を見た。荒瀬先輩は、長テーブルに足を投げ出し、寝ていた。
俺は、大地の名前を消し、荒瀬先輩の名前を書いた。
投票は、生存した全学生98人で行われた。食堂に来れない怪我人は事前に投票し、食堂ではひとりひとりが投票箱に票を入れる。開票は長テーブルに並べて目視できるように開示された。
投票の結果はこうだ。
無効票やお友達の名前を書いているのが20票。この票は多くて4票止まりの端数票だった。俺の荒瀬先輩票もここに含まれた。
1位は須藤先輩で36票。順当ではあるがもうちょっと獲得すると思ったんだが。
2位は大地だった。獲得票は24票。昨日の夜も色々動き回っていたようだが、それにしては少ないな。
そして、なんの間違いか、3位は俺で18票だった。どうでもいいことながら、俺に投票した奴らの全員が直以と書き、菅田とは書かなかった。
「結果は出ましたね。それでは救助隊が来てくれるまでのしばらくの間、私、須藤清良が仕切らせていただきます。今後、私のやることに賛成できないことも出てくるでしょう。そういう時は、遠慮なくおっしゃってください。今を生き抜くために、一緒に頑張って行きましょう」
スタンディングオベーション、とはいかなかったが、須藤先輩の演説にはそれなりの拍手が起こった。
「それではさっそくこれからのことを話し合おうと思います。大地くん、直以くん、今から校長室に集まってください。興味のある方もどうぞ、来てください」
「俺も?」
俺は素っ頓狂な声を上げてしまった。雄太が少し呆れ顔で言う。
「当たり前だろ。おまえはけっこうな票を集めたんだから」
「ったく、どこの誰だ! 面白半分に人に投票しやがって!」
そう言うと、聖、雄太、梨子の3人は俺から目を逸らした。……おまえら全員か。
「さて、それじゃあ私たちも校長室に行こうか」
「なんだ、聖も行くのか?」
「当然だ。私は直以派のブレーンだからね」
「それじゃあ私たち、直以一派ですね♪」
「ネーミングが気に食わないが、そういうことだ」
こいつら、人を勝手に祭り上げやがって。
「梨子もついてくるか?」
「う~ん、そうしたいんですけど、朝食の後片付けがあるから」
なんかこいつ、敬語がたまに混じるな。
「そうか。それが終わったらさっさとこっちに来いよ」
「はい♪」
梨子をひとりにしていたら、こいつのお人好しも手伝って使いっぱしりをさせられるだろう。そう思って言ったのだが、梨子はなにを勘違いしたのかやたらに嬉しそうにしていた。
「雄太はどうする?」
「俺は、パスだ。ソケットの形状がなかなか聖からオーケー出なくて」
こいつ、なんか影でこそこそしてやがるな。
「そうか。それじゃあしばらく別行動だな」
俺は立ち上がった。と、そこで声をかけられた。大地だ。
大地は大名行列のごとく取り巻きを引き連れていた。
「直以、18票も獲得するなんてすごいじゃないか」
「大地、やめてくれよ。俺は迷惑してるんだ。昨日この馬鹿が騒いだせいで下手に目立っちまったからな」
俺は聖の頭を小突いた。
「まあ、俺は助かったよ。俺とおまえの票を合わせれば須藤先輩の票を上回るからね」
「……どういう意味だ?」
「? そのままの意味だけど」
そう言うと大地は取り巻きを引き連れてぞろぞろと食堂から出て行った。
「聖、今の大地の言ったこと、どう思う?」
「深い意味はないよ。彼には即物的な戦術はあっても戦略性はないからね。なんのために群れるのか。なんのために派閥を作るのか。彼に答えはないだろう」
「……だといいがな」
俺は、牧原聖ひとりを引き連れて、食堂から出た。