お兄ちゃん♪
夜が来た。
月明かりのみが辺りを照らす空間、学生たちは思い思いの場所で時間を潰していた。
職員室は部活棟にあった夏合宿用の薄い布団が並べられた。小峰卓也ら怪我人は保健室のベッド。その他、部活に所属している連中は部室に篭っていった。
俺と雄太、聖と遠野の4人は職員室の向かいにある図書室で寝ることにした。
窓から外を見ると大きな月と中庭が見えた。
「直以、なにか見えるかい?」
室内に振り返ると、一点の赤が浮かんでいた。聖の煙草の火だ。聖は、うつ伏せに寝転んで頬杖をついていた。
聖は床に直に寝ているわけではない。聖の下には購買から持ってきたダンボールが敷かれていた。布団代わりだ。
俺は読書用の机を端に寄せて作った空間に自分用のダンボールを敷いて寝転んだ。
俺たちは、足を四方に伸ばし、頭を突き合わせるようにダンボールを敷いた。
「寝煙草は気をつけろよ」
聖はうるさげに煙草を口から離すと、灰皿代わりの空き缶に灰を落とした。
「しかし、これだけだと少し寒いかな。まだ4月だもんな」
「そういうときは、おなかにノートを入れるといいんですよ♪ 紙ってだんだん温かくなるんです」
遠野は寝間着用に着替えた大き目のジャージをめくり、白い腹を覗かせてノートを入れて見せた。少し考えて、雄太は真似をした。
雄太は遠野に聞いた。
「そういえばダンボールの敷布団も梨子の発案だったよな。なんでそんなこと知ってるんだよ」
「私、野宿って慣れているんです。ほら、5年前にあった大地震を覚えていませんか? 私、あれに遭っちゃったんですよねえ~」
「……大丈夫だったのか?」
「はい♪ 私って運がいいんですよね~」
「運のいいやつは大地震なんて生涯で一度も遭わないだろ」
遠野は当時のことを思い出したのか、くふふと変な笑い声を上げた。
「気がついたらいろんな建物が倒壊してて、もうすっごいびっくりしましたよ。それで、日が暮れちゃって、寒くておなかが減って心細くて。膝を抱えて泣いているときにホームレスのおいちゃんに助けていただいて。救助隊の方が来てくれるまでの2日くらい一緒にいていろいろ教えてもらったんですよ」
「梨子くんは、そのときにご両親を亡くしたのかな?」
「いえ、両親は飛行機事故で。あのときの生存者は私を含めて4人だけだったそうです」
「……ふむ。なにげにサバイバーだな」
「飛行機事故にも遭って生き残ってるのか。運がいいな」
「だから運がいいやつはそんな目には一度だって遭わないってえの」
俺は寝返りをして、毛布代わりのブレザーを肩にかけ直した。
「そういえば直以も火事に遭っている……、いった!」
聖の言を雄太が蹴りを入れて阻止する。雄太のやつ、助かってはいるが気にしすぎだ。
「直以先輩、火事に遭ったことあるんですか?」
「ああ。小学校のときにな」
「私もありますよ。あれって、火より煙がきついんですよね~」
「おまえはどんだけ災害に遭ってるんだ!」
俺は膝立ちになって突っ込んでしまった。遠野はきょとんとした顔で俺を見ていた。
俺と遠野は同時に噴き出してしまった。つられて聖と雄太も笑い出す。
「あ~おもしろい♪ 私、不謹慎かもしれないけど、今がとっても好きですよ」
何度も災害に遭い生き延びた遠野。こいつは、現実が、日常が簡単に変わることを知っているのだろう。
何度も環境の変化を経験したこいつなら、安っぽい慰めは必要ないと思った。
「……なあ聖。この生活はいつまで続くと思う?」
「さて、ここには梨子くんがいるが。プレスリリース向けの生易しい言葉を聴きたいわけじゃないんだろう?」
「ああ。遠野と雄太のいるここでおまえの意見を聞きたい」
俺たち4人はうつ伏せになって顔を付き合わせた。聖は、ゆっくりと口から煙を吐き出した。
「そうだなあ。雄太はどう思う?」
聖は雄太に話を振る。雄太は、少し考えて答えた。
「1ヶ月ってところかな。元の生活に戻れるとは思わないけど、それくらいあれば国がなんとかしてくれるだろう」
雄太は聖から半分の長さになった煙草を奪い、口に咥えた。ちなみに雄太は煙草をやらないから完全なポーズだ。
「1ヶ月かあ。長いなあ。1ヶ月ダンボールの敷布団じゃつらいですよねえ」
遠野は雄太から煙草を奪い、口に咥えた。が、思いっきりむせて涙目で俺に差し出してきた。
俺は受け取った煙草を咥えて、久しぶりに肺まで吸い込んだ。
「まっじいなあ……」
俺は、ぽつんと点った赤を見ながら煙を吐いた。
「それで、正解は?」
俺は聖に煙草を渡した。聖は、1周して戻ってきた煙草の短さを見て、一口だけ吸うと空き缶の中に放り込んだ。
「救援は来ないよ、永久にね」
聖は自信満々に言ったが、誰も反応しない。俺は頬杖をついて聖の顔を見ていたし、遠野はまだむせていて、雄太は遠野の背中を撫でていた。
「私は今それなりに重要なことを言ったんだがね」
「はいはい。とりあえず、根拠を言ってみろよ」
「このゾンビ騒動が人為的に引き起こされたものだからだ」
今度こそ、俺の動きは止まった。遠野もむせりを収め、雄太の遠野をさする手も止まる。
聖は俺たちの反応に満足したらしく、ゆっくりと新しい煙草を取り出した。俺はその煙草を取り上げる。
「どういう意味だよ」
「そのままの意味だよ。なに、それほど奇をてらった話でもない。自然界において、環境のまるで違う世界中の都市で同時多発的にゾンビウィルス、仮にそう名付けるが、それが発生し得るのかということだ。もし起点、グラウンドゼロから感染が広がったとして、時を計ったように同時に世界中で発症することがあるのか。交通網の発達した現代でも不可能だろう」
「どこかの誰かが示し合わせて世界中にゾンビウィルスをばら撒いたってことか?」
「どこの誰だよ、そんなことするやつは」
聖は、きいんと、ジッポの蓋を開けた。
「……シャロウ」
「シャロウ? 名前か?」
「……いや。直以、メンサがなにをしている組織か知っているか?」
「そういえば知らないなあ」
「実を言うと大したことはしていないんだ。難しい問題を出題し合い、解き合う、それだけだ」
聖はジッポに火をつけ、俺たちの中心に置いた。火の赤が図書室を照らした。
「その問題の中に、こういうものがあるんだ。『全人類を死滅させるにはどうすればいいか?』」
「そんなの……答えられるんですか?」
「模範解答を上げるなら、今、梨子くんが言ったとおり『解無し』だ。実証するわけにはいかないからね。だが、それではつまらない。私たちは、何年も、何百年も、それこそメンサという組織が出来る前から、難解な方程式を解く数学者のように、答えを求め続けてきたんだ」
聖は、表情を隠すように顔を伏した。
「そんな中で解は大きく2種類の系統に分かれた。ひとつは、地球そのものを破壊するといったような、確実で絶対ではあるが、実行性に乏しいもの。現代の科学力でも、地球の核を破壊する技術などはないからね。この解を支持する連中を『ディープ』という。そして、核戦争やウィルスのパンデミックといった、可能性はあるが、確実性に乏しいもの」
「核戦争では無理ですか?」
「核戦争が起これば人口を激減させることも文明を破壊することもできるだろう。だが、最後のひとりまで死滅させることができるかというと、難しいだろうな。もし地球上の全ての地表を焼き尽くしたとしても、地下にいる人間までは殺せないからね」
「それでも核戦争なら人類を死滅させられるって考えているのが『シャロウ』か?」
聖は顔を上げて頷いた。
「SHALLOW。浅いとか淡いって意味ですよね」
「だが、今の話だとディープだろうがシャロウだろうがどっちでも無理なんじゃないか?」
「だから模範解答は『解無し』だよ」
俺は取り上げた煙草を伸ばし、ジッポで火をつけた。
「それで、おまえのお友達のシャロウくんたちが、こんなふざけた事態を引き起こしたって言うのか?」
「……その可能性は高い」
俺は煙草を咥えた。
「でも、世界中でこんなことができるなんて、メンサってすっごい組織なんですね」
「いやいや、梨子くん。メンサが組織立ってこの事象を引き起こしたわけではないよ」
「それじゃあどこかの誰かが個人でやっているってのかよ」
「まあ、個人とは限らないが……。破滅思想はいつでもどこでも存在するものだ。終末を望む極右的キリスト教徒などは自爆テロをするイスラム教徒などとは比較にならないほど狂信的だしね。そういった使い捨ての連中は腐るほどいるよ。ていのいい捨て駒が」
「迷惑な話だな。だけど、正義のアメリカさまや我らが日の丸どのが黙っていないだろう」
聖は俺の咥えている煙草を奪った。
「重要なのはこの事象が現実に引き起こされたということ。考え計画することは誰にでもできる。それこそ服役中の受刑者だろうとお絵かき中の幼稚園児だろうとね。だが、肝心なのはそれが実行されたということだ」
聖は煙草を咥えたまま仰向けに寝転んだ。
「そして、実行されたからにはシャロウはあらゆる手段を使って自説を証明するだろう。核兵器ウィルス兵器エトセトラエトセトラ。その仮定で邪魔になる軍隊や警察機構は真っ先にターゲットにされているはずだ。ああ、電話やネットが通じないというのは基地局やサーバーがすでに破壊されたからなんだろうね」
「……それは全部おまえの妄想だろう?」
「その通りだ。だからこそわかる。もし私がこの事態を引き起こしたのなら、抜かりなどはなく、絶対に人類を死滅させる」
雄太は、中心にあるジッポを取り、小気味のいい音と共に蓋を閉めた。図書室に闇が戻る。中心には、火の残像がしばらく残っていた。
「おまえなら絶対に救助活動なんかはさせない、か」
「そういうことだ。正確には救助する母体の存在など認めない」
「それじゃあ、私たち、助からないんですか?」
煙草の火が揺れた。
「安心したまえ。この4人だけは私がなんとしても守る。約束するよ」
「アテになるのか?」
「こいつ、今月だけで3回禁煙失敗してるよな」
「3回って、今月はまだ半分近くありますよ?」
聖はブレザーを頭からかぶった。……拗ねやがった。
「さて、俺たちもそろそろ寝るぞ。明日も色々ありそうだしな」
それを合図に全員が目を瞑った。
秒針が時を刻む音だけが図書室に響く。寝返りを打つ雄太。煙草の煙を吐き出す聖。遠野は膝を抱えて丸くなっている。
身体は疲れているのに眠れない。心が、落ち着かない。
「ねえ、直以先輩。起きてますか?」
遠野は、俺の指を撫でた。
「ん、ああ。まだ起きてるよ」
「職員室では、ありがとうございました」
「職員室? なんかあったっけ?」
「忘れちゃったんですか? 私を、かばってくれたじゃないですか?」
「そんなことしたっけか?」
「もう! 私はすごく嬉しかったのにい」
俺は遠野に背中を向けた。ぶっちゃけ昼間のことは失態だった。感情に任せて後先考えずに行動したのだから。
今、思い出してみると、俺は今日知り合ったばかりの荒瀬先輩にずいぶんと助けられたもんだ。
遠野は、ずずいとダンボールごと俺に寄ってきた。
「ねえ、直以先輩。聞いてもいいですか?」
「……なんだよ」
「なんで私のこと名前で呼んでくれないんですか? 聖先輩も雄太先輩も私のことを名前で呼んでくれてるのに。なんか、壁を作られているみたいで嫌です」
雄太の寝返りが止まり、呼吸に合わせて明滅を繰り返していた聖の煙草の火が消えた。
俺は、なにも答えなかった。
「……やっぱり、私嫌われてるんだ」
「(う熱っちい)!」
聖のやつ、煙草の火を俺の腕に押し付けてきやがった。幸い、遠野は気づかなかった。
「なんでそう思うんだ?」
俺は火傷のあとに息を吹きつけながら聞いた。遠野は、半身を起こして言った。
「だって! だって私、なんの役にも立ってないもの。助けてもらって、それでずうずうしくも仲間に入れてもらって……。でも、やっぱりみんなの足引っ張って」
「(痛ってえ!)」
今度は雄太の靴が飛んできやがった。睨みつけると雄太は遠野を指差している。さっさと慰めろってことだろう。この、過保護どもめ。
確かに俺は、俺たちは遠野に助けられている。俺のリップサービスひとつで遠野の誤解を解けるなら、俺は躊躇うことなくやるべきだろう。
だが、それをやらないのもまた俺だった。
俺は寝返りを打ち、遠野の顔を下から見上げた。遠野の大きな瞳が月光に照らされている。
俺は、言った。
「今度から俺のこと『おにいちゃん☆』って呼んだら俺もおまえのこと名前で呼んでやるよ」
たまらず雄太と聖は噴き出していた。
遠野はというと、雄太と聖に気づきもせず、手と手を胸の前で編み、天井を数秒眺めた後、額を付き合わせる距離まで寄ってきた。慌てて逃げようとするが、がっちりと後頭部を押さえられて阻止される。ぶっちゃけ、犯されるかと思った。
「直以お兄ちゃん!」
「……いや、俺が悪かった。勘弁してくれ」
「なおいお兄ちゃん♪」
「……」
「ナ・オ・イ! おに~ちゃん♪」
助けを求めるため、聖と雄太を見た。2人はうつ伏せで震えていた。笑いを堪えているのは明らかだった。
視線を遠野に戻す。睫毛の数えられる距離、瞳はキラキラと輝いていた。
誰かが言っていた、諦めが肝心と……。
俺は、尻尾があったらものすごい勢いで振っているだろう小娘に言った。
「あ~~、梨子」
「はい♪」
抑えきれずに爆笑する聖と雄太。梨子も花開くような笑顔で俺を見ている。
俺も……、頭を掻き毟った後、自然と笑い出してしまった。