てるてるぼうずとわんこ
今年はなんかじめっとしているだけで、あんまり梅雨っぽくないですが、このお話はそんな季節を題材にしております。
童心に返りつつ、純粋な心って大切だったよな、と思いながら書いてみました。
学校からの帰り道。俺の家のすぐそば、細い路地の先の空き地に、少女が一人、ぽつんと立っていた。亜麻色の長い髪を高めの位置で二つに結んだ、人形のように可愛らしい女の子。初めて見た時は、彼女が何をしているのかよく分からなかったし、時間も俺が学校から帰宅する頃で、そこまで遅くなかったので、特に声もかけずに素通りしてしまった。
その後も、何度か同じ場所で見かけたが、やはり気にも留めなかった。
声をかけようと思ったのは、それからしばらく経ってからの事である。その日は、私用で家に帰るのが遅くなってしまい、どう母親をなだめようかと、あれこれ考えながらとぼとぼと歩いていた。ついでに雨が降っていたので、それも俺を憂鬱な気分にさせていた。
例の路地を通りかかった時、少女は傘をさして、地べたに座り込んでいた。時刻は21:57。どう考えても、彼女が出歩いていて良い時間ではない。気が付いたら、俺は少女に声をかけていた。
「君、風邪ひいちゃうよ?」
「……あなた、だぁれ?」
まぁ、このご時世では、当然と言えば当然である。中学生の俺でも不審者扱いされてしまったのは虚しいが、とりあえず話を聞かない事にはどうにもならないので、出来るだけ怪しく見えないよう目一杯笑顔を作ってから、言った。
「俺? 俺はこの近くに住んでいるの。君は?」
「ミア。望むに明るいで、望明」
この近くに住んでいる、と言っただけで警戒を解いてしまったのはどうかとも思ったが、俺にとっては都合の良い事だったのでよしとする。
「望明ちゃんか。ところで、ここで何をしているの?」
「……このワンちゃん、この中に入っているの」
望明は足元の段ボール箱を指差して、言った。
「それで、雨がふってきてかわいそうだから……」
確かに、よく見ると彼女は、その段ボール箱に傘を差しかけている。子犬が、雨で濡れないように。
「一緒にいてあげたんだね。でも、この前もここにいたよね? どうして?」
「あれ……」
すると今度は、奥の家の窓を指差した。どういう事だろう。
「あのてるてるぼうず、首切られちゃうのかな?」
俺は屋根の辺りに目を凝らす。半信半疑だったが、確かにベランダの隅に、白い布がぶら下がっているのが見えた。望明には、てるてるぼうずが雨に打たれて悲しげに揺れているように思えたようである。とまぁそこまでは理解したのだが、続いて別の疑問が頭をよぎる。
「首……?」
「この前、音楽の時間にてるてるぼうずのお歌を習ったの」
「ああー……」
その一言で、俺は全てを悟ったが、それでも彼女に圧倒されてしまい、そこで押し止める事が出来なかった。ここでフォロー出来ていたなら、あんなに悲しい顔をさせずに済んだかもしれないのに。
俺が黙りこくったのを、説明不足で分からないからと捉えたのだろうか。彼女は続けてこう言った。
「あのね、てるてるぼうずは、晴れたら金のスズがもらえるけど、雨になっちゃったら首を切られちゃうんだって。だから、あの子も切られちゃうのかな、って」
そんな事無い。そう言ってやりたかったが、言葉が出てこなかった。
「このワンちゃんもそう。だれかがいっしょにいられなくなったから、こんなところにおいてけぼりにされて……。ねぇ、人はどうして、こんなひどいことができるの?」
望明の目は真剣だった。最初はてるてる坊主を心配していただけだったのであろう。しかし、そこに子犬という命の姿を重ねてしまった。まだ10歳にも満たないくらいの、小さな女の子。でも、その少女にさえ、この理不尽さが分かるのだ。これはきちんと答えなければならない。
俺は出来るだけ言葉を選んで、語りかける。
「確かに、そういうひどい事をする人も、中にはいる。でもね、望明ちゃん。世の中捨てたもんじゃないんだよ。優しい人も、望明ちゃんみたいな人も、中にはいるんだ。そのワンちゃんを飼ってくれる人も、俺がきっと見つける。あのてるてる坊主も、首を切られないように、お願いしてみるから、な? だから、そんな悲しい顔をするなって」
こんな事言ってみても、きっと根本的な解決にはならない。分かってはいた。でも、俺に言える事はそれまでだった。下手に嘘をつけば、かえって彼女を傷付ける事になる。
不器用な俺なりの精一杯の優しさに、望明は安心したのだろう。ほんの少しだけ頬を緩ませ、
「ありがとう」
とはにかんで言った。
こんな俺でも、少女の笑顔に貢献できるんだな。そう考えると、ちょっと嬉しくなった。
話しこんでいるうちに、いつの間にか雨も上がっていた。
「ほら、雨止んだよ。これでてるてる坊主も、鈴がもらえるかもしれない」
「ほんと?!」
キラキラと輝くような少女の瞳を騙すのは忍びなかったので、とりあえずスル―。ここでさりげなく時計に目をやると、そこにはもはや言い訳がきかない数字が並んでいた。一刻も早く帰らねば、俺の明日が危うい。
「さ、もう夜も遅いよ。お家どこ? 途中までなら送るよ」
「ううん。大丈夫。もうすぐ来るから」
「来るって、誰が?」
タッタッタッタ
「みーあー」
「来た」
声がした方、すなわち、望明が振り返った方を見ると、俺よりちょっと上ぐらいの男の人が、こちらに近づいてくるのが見えた。
「誰?」
見知らぬ大人の登場に思わず、彼女に尋ねた。
「おにいちゃん」
嗚呼、成程。“来る”というのはお迎えの事だったらしい。
「じゃあね」
望明は立ち去ろうとした。多分、知らない中学生と一緒にいるのはまずい、と考えたのだろう。案外、しっかりした娘かもしれない。
「バイバイ」
俺も手を振り返す。
タッタッタッタ
望明はお兄さんらしき人物の元へと走っていく。ある程度、その小さな後ろ姿を見送ってから、さて、俺も帰るかと思い、立ち上がろうとしたその時、ぴたっ、と彼女の足が止まった。そして、くるりと振り返り
「またね、おねえちゃん」
と言い、再び回って前を向き、足取りも軽く、望明は夜の街に消えていった。後には呆然とする俺と、
「きゃううん」
と甘えた声で泣く、子犬だけが取り残された。
「あれ……? 俺が女だって、いつ言ったっけ?」
申し遅れた。俺は兵藤舞夜。中学2年生。黒の短髪に、割と鋭い眼、ついでに体はガリガリだけど、バスケ部に所属。私服が許されている為、常に学ランのような服を着ているが、歴とした女である。もっとも、今まで初対面の人に看破された事はないが。元々見た目が男っぽいし、俺以外男ばっかりの4人兄弟の末っ子だから、半分面白がってこんな服装をしているというのに。
……訂正しよう。望明は“案外しっかりしている”んじゃない。“がっつりちゃっかりしている”んだ。
そんな彼女に若干、唖然としながら、嗚呼、もうこりゃどう足掻いても無駄だな、と諦めながら、俺は家へと帰った。何となく、そのままにしておくのもどうかと思ったので、「お前も一緒に来るか?」
と一声かけて、わんこと共に家路へと着く。
案の定、父と兄達には死ぬほど心配されて、母には散々怒られた。だが、
「きゃうん!」
という新しい家族の可愛さにより、危機は脱した。
その後、あの路地で望明の姿を見かけた事は無い。
後に残ったのは、少し髪を伸ばした“私”と、“ミア”という名の一匹の犬だけ――