きつねさまとお願いごと
今回は少し不思議な感じ、というかいつもとは書き方を変えてみました。
小学生の少年が主人公になっております。
それは、ある初夏の日の晩の事。
「うう~」
一人の少年が、暗い中石段を必死に上っていた。
「やっぱりこわいよう……」
元々、辺りには木が生い茂り、昼間でも暗いその場所は、夜になるとさらに暗さを増すようだ。少年は懐中電灯を持つ手に力を入れる。カンカンカン、と自分の靴音だけが反響するそこは、まるで世界とは切り離されているようで、閉じ込められたような錯覚を覚えるのも少年が怖がる原因の一つなのだろう。
それでも、必死の思いで上まで辿り着く。そこには小さな祠があった。
「着いた……!」
汗をぬぐいながら、少年は達成感に満ち溢れていた。これでようやく、自分の願いが叶うのだ、と。
「そこで、何をしているんだ?」
「うわああああああああ」
しかし、そんな希望と安心感は、祠の影から突然出てきた人影によって塗りつぶされる。少年は驚きのあまり、尻もちをついてしまった。
「なんだ、子どもか……。こんな時間に、何の用だ?」
それは巫女服を着た、若く美しい女だった。赤みがかった吊り目に、綺麗な黄金の髪を上の方で二つのおだんごにしているのが印象的である。見た目に反し、低く落ち着いた声で極力驚かせないように話しかけながら、彼女は少年の手をとり、起き上がらせた。
「あのね、神さまにおねがいに来たの」
少年はまだ疑う事を知らなかった。それ故、わざわざこんな山奥まで来た理由を正直に話す。
「ほう、どんなお願いだ?」
一方、女の方も特に怒る事も無く、興味が湧いたように問いかける。
「あのね、ぼく、足が早くなりたいの」
「何故だ?」
それはお願いしてどうこうなる事でもないだろう、とは思ったが、無下にするのも忍びないと思い、最後まで聞く姿勢をとる。
「こんどね、学校でうんどう会があるの」
「ふむ」
「それでね、お父さんとお母さんが見にくるんだ!」
女は聞き上手な上に聡いようで、少年の言わんとする所がすぐに分かった。
「じゃあ、ご両親に格好良い姿を見せたいと?」
「うん!」
「でもまた、なんでこんな時間に……。しかもここに」
事情はまぁ分かった。だが、それはこんな夜遅くに家を抜け出して、しかもこんな山奥の寂れた神社に来る理由にはならないだろう。
少年も、そこの説明だけには戸惑ったようである。しかし、最終的には
「んーとね、ぼくの学校でうわさになってるの!」
ありのままを話す事にした。
「何がだ?」
「ここの神社のおきつねさまにおねがいしたら、なんでもかなうんだって!」
「ふむ、成程な……」
そういえば、この近くには小学校があった事を思い出す。それならば、この古びた外観の隠れた空間はまさに、怪談となるにふさわしい。
「でね、だれかに見つかるとかなわなくなっちゃうって言うから……」
「それでこんな時間に」
その手の噂話に“見られてはいけない”等の条件がつくのは、ある種当然ではあった。
「でも坊や、とりあえず今日は帰りな」
「え、でも……」
折角来たのだ。お参りもせずに帰るのは癪だろう。しかし、これ以上帰りを遅くするのは教育上、ひいては防犯上、よくなかった。本来ならば、女は明るい所まで送っていってやりたかったのだが、生憎とそれは出来なかったのである。
「次は、もっと早い時間に来なさい」
なおも心配そうな顔をする少年に、笑顔を見せながら、女はこう言った。
「大丈夫だ。私はここにずっといるが、お参りに来る人なんて滅多にいないんだ」
翌日。少年は言いつけどおりに、本当にまた祠を訪れた。
「おお、来たか」
「うん。えーっと……」
「どうした?」
「おねーちゃん、お名前は?」
おそらく、人と話をするのに名前を知らないのは失礼だと思ったのだろう。少々止まったのはその所為らしい。
「あー……私の本名は長いのでな、ココと呼んでくれ」
「ココおねーちゃんね、分かった」
女の表情の変化には気が付かなかったのか、少年は素直にその名で呼び始める。
「ああ。さて晃大、よく来たな」
「うん。だって約束した……って、あれ? ぼく、ココおねーちゃんに名前教えたっけ?」
「いいや?」
「じゃあなんで」
「ほれ」
女が指したのは、彼が背負っていた黒いランドセル。その側面にはしっかりと、学校名と彼の名前が綺麗な字で書かれていた。おそらく、母親が書いたのだろう。人柄が伝わってくるような、優しい字形をしていた。
「あ、そっかー」
少年は、そこに書かれていた事を忘れていたようだったが、指されてすぐに思い出したようだ。
「ココおねーちゃんは目が良いんだね」
無垢な心を持つ少年は、にこにこと笑っていた。
その後も、少年はしばしばそこに訪れるようになった。そしてとりとめもない話をして、適当な時間に帰っていくのである。ココと名乗る女の方は、自分で言い出した事だし、晃大との会話を楽しんではいたが、しかしこの年頃の少年は、同年代の子どもと遊ぶものではないのだろうか? それなのに、最近では毎日のように来ている。それだけが気がかりだった。
「晃大」
「なーに、ココねぇ」
「お前……」
女は思い切って、少年に聞いてみようとした事がある。
「いや、なんでもない」
しかし、結局は途中で止めた。
――少年には少年の事情があるのだ。こんな、“願い事”が叶ってしまえばもう会えなくなるような関係の部外者が、深入りしてはいけない。
「そうなのー? なら良いけど」
それでねー、と再び無邪気に、その日学校であった事などを一方的に喋りつづける。
その様子を温かく見守りながら、女は思った。
――だから今はただ、たわいもないお喋りに花を咲かす事にしよう。
どうせ、もうすぐ君は来なくなるのだから。少年が去った後にそう呟いた顔は、口元は微笑んでいるのに、なんだか寂しげだった。
少年と女が出会ってから、一月ほど経った日の事。
「いよいよ明日か……」
彼がここに来た当初の目的でもある運動会が、迫っていた。いつもはお喋りな少年も、この日ばかりは全身強張っていて、握りこぶしを膝に乗せたまま動かない。
「緊張しているのか?」
女は流石に心配になって、自分から話しかけた。
「うん。だって、本当にかなえてもらえるか分からないんだもん……」
話を聞く限りでは、少年はそれほど足の速い方ではないらしい。だからこそ、藁にもすがるような思いでここに来たのだろうが……。
「大丈夫」
女はやけに自信満々に、少年の肩をぽんと叩いた。
「信じる者は救われるんじゃぞ?」
少年を安心させる為に、女はあえて強気であんな事を口走ったけれども、内心は不安で不安で仕方がなかった。そもそも、一介の神にそんな力は無い。それでも、女は少年を信じていた。
――あの子なら絶対、一等賞を取れるはずだ。
自分にそう言い聞かせながら、彼女は祠で待ち続けた。今までずっと一人だったはずなのに、彼が来てからというもの、いない間は永遠にも感じられる。それほど少年との会話を楽しみにしていたのだ、と女が気付くのは、奇しくも彼が去ってからなる。
「ココねぇー!」
あれから二日後。たったった、と軽快に石段を上ってくる音と共に、元気な声が辺りに響く。はやる気持ちを抑え、少年が到着するのを待ってから、女は尋ねる。
「おう、どうじゃった?」
「じゃーん♪」
自慢げにランドセルの中から取り出したそれは、丸められた賞状だった。女はそれを受け取り、丁寧に開く。そこには堂々と大きく、彼の名前と共に“一等”の文字があった。
「おお、一番になれたのか!」
これにはたまらず嬉しくなり、女は少年の頭を撫でた。
「良かったな」
「うん、ココねぇのおかげだよ!」
撫でられている少年も、えへへ、と嬉しそうである。
――まぁ、私ではなく、晃大の努力が実っただけなんだがな……。
種明かしをしようかどうかに少し迷い、とりあえずは運動会の話でも聞かせてもらおうかな、と女が言おうとした時、
「こーだいー!」
下の方から別の声がした。
「今行くー!」
少年も、その声に応じるように、大きな声で返事をした。
「なんじゃ、友達か?」
ちくり、ととげが刺さるような感覚を覚えながら、それでも女は気丈にふるまう。
「うんっ、待っててもらってるんだ!」
何故なら、その時の少年の顔は、今まで見た事も無いぐらいに楽しそうで、輝いていたのだから。この顔を曇らす訳にはいかなかった。
「そうか、じゃあ早くお行き」
「はーい。じゃあね、ココねぇ! バイバーイ」
「じゃあ、の」
もうこれで彼に会う事は無いだろう。そう思った彼女は、ふっと自嘲的に笑って、髪をほどいた。美しい髪の中から、小さな三角の耳が、ひょこっと覗いている。
「全く……。本当、少しの間に頼もしくなったな」
最初のうちは息を切らしながら上っていたこの石段を、今では軽々と駆け上がっていた。それだけ体力が付いた、という事だ。学校での噂話の真相は、そういう事であったのである。
「私は結局、何もしてやれなかったな……」
そればかりか、逆に此方が大切な物をもらってしまった。神様とは名ばかりで、手伝ってやれる事はほんの少しなのである。
――それでも、あの子の役に立てたのなら……。
彼の残したほんわかと温かい想いを胸に抱いて、狐は深い眠りについた。
狐に化かされた、という言葉がありますよね。これはその辺りをモチーフにしつつ、元々の妖怪好きがこうじて書いてみたものです。
2、3時間しかかけてないので、拙いとは思いますが、楽しんでいただけたなら幸いです。