命長いが恋せよ吞ンデレラ ~今日から始める綺麗なお姉さん計画!……てか無理じゃね?~
身体が熱い……。
苦しい……。
喉もカラカラに渇く……。
七月下旬、夏の深夜。
望月加恋は恋に焦がされていた。
窓を開けただけでは寝苦しい季節だ。
だが、彼女を苦しめているのは暑さだけではない。
「カスミ君」
熱を帯びた潤んだ瞳で、スマホに映る想い人へ呼びかける。
加恋は恋をしていた。
二十歳になって初めての恋だった。
「……でも、いつから?」
この想いをはっきり自覚したのは昨日の夕方。
まだ半日も経っていない。
それでも、彼がずっと前から自分の中にいたことだけはわかる。
昨日の出来事は、ただそれに気づくきっかけに過ぎなかった。
「アタシ、もう大学生だよ……」
左手の小指を見つめながら、加恋はぽつりと呟く。
緒方霞がくれたのは、中高生に人気のプチプラブランドの指輪だった。
高校時代なら珍しくもない品だ。
だが今の加恋が自分で選ぶことはない。
それなのに――
「……外せない」
昨晩、帰宅してお風呂に入る前、一度はアクセサリーボックスへしまった。
だが脱衣所まで行ったところで急に不安になり、一旦部屋へ戻り、無くなってないか確かめた。
夕食の時間も上の空だった。
せっかく妹の楓が作ってくれたのに、味はほとんど覚えていない。
楓が何度も話しかけてくれたことは覚えている。
だが、自分が何を返したのかは思い出せなかった。
結局、
『ちょっと頭痛いから早めに寝るね』
そう告げて、逃げるように自室へ戻った。
「絶対変だって思ったよね……ごめん」
隣の部屋で眠る妹へ、届くはずのない声を掛ける。
「……カスミ君は楓の大切な人なのに」
楓は両親の再婚で二年前にできた妹。
霞はその同級生で、加恋より四歳年下の高校生だ。
少しかわいらしい年下の男の子。
再婚に反発していた楓を説得するため、彼は加恋に協力してくれた。
「あの頃は放課後、二人で作戦会議ばっかりしてたね……」
「楓はカスミ君の言うことだけは聞くから……」
「ちょっと妬いてたんだよ」
「あの子、君にはすごく嬉しそうな顔をしてて」
紅葉の季節だった。
中学生の楓と霞が並んで下校していく。
どこにでもある、ごくありふれた光景。
思い出すだけで、胸が締めつけられた。
「ああ……そっか」
「あの頃から君を見てたんだね」
「でもさ……気づくわけないじゃん」
「アタシ、四つも年上だし」
「進路とか楓のこととかで頭いっぱいで」
「余裕なんて全然なかった」
「ねえ、もしあの頃に気づいてたら変わってたの?」
空を掴むように左手を伸ばしても、小指で輝く銀色の指輪は何も答えない。
加恋は腕を下ろし、左手を右手で包み、ぎゅっと目を閉じた。
すると、ようやく眠気が訪れたらしい。
意識はゆっくりと沈んでいった。
◇
「……加恋さん、起きてください」
遠くで誰かが呼んでいる。
聞き覚えのある声だが、眠くて相手をしたくない。
「加恋さん」
思った以上にしつこい。
「……うるせぇ、黙ってろ」
「そんな理不尽な」
普段なら絶対に使わない言葉なのに、今話す相手には許される気がした。
「君をそんな風に育てた覚えはない」
「俺も育てられた記憶はありません」
「で、なに? カスミ君」
「まず顔を上げてください」
「やだよ」
「どうしてです?」
「女子は寝起きの顔を見られちゃいけないの」
「見られたら?」
「シンデレラみたいに結婚しなきゃならない」
「……シンデレラはそんな話じゃないです」
「そう? だいたい合ってるでしょ?」
「全然違います。でも彼氏なら見てもいいですよね?」
「え……?」
「付き合ってるなら、いずれ結婚するかもしれませんし」
「ちょっ、カスミ君、何言ってるの?」
加恋は勢いよく顔を上げた。
そこは見慣れた白花学園高等部の生徒会室だった。
彼女が突っ伏していたのは、歴代生徒会長が愛用してきた黒塗りのデスク。
「てか、なんでここに?」
「加恋さんが生徒会長だからでしょ」
「違う、何でカスミ君がいるの?」
「加恋さんが生徒会雑用係に任命したからです。忘れたんですか?」
「いや、知らんよ」
「ひどい……」
霞がくせ毛をかきながら苦笑する。
(……あっ、これ夢だ)
加恋はすぐに理解した。
あまりにも都合が良すぎる。
(まあ、いいか)
(どうせすぐ覚めるし)
頭は妙にはっきりしている。
眠りが浅いのだろう。
(だったら少しくらい楽しんじゃおっと)
「それよりさ……」
「はい」
「さっき、自分のこと彼氏って言ったよね?」
「そうですよ。この前OKしてくれたじゃないですか」
「う、うん。そうだったね」
「引き取り手がなさそうだから仕方なく付き合う、って返事には泣きましたけど」
(……夢の中のアタシ、言い方あるだろ。てかツンデレかよ)
「じゃあ彼氏君、彼女さんに優しくして」
「急に言われても……例えば?」
「頭撫でるとかぁ……ハグとか」
言ってはみたものの、甘え方がわからない。
「ダメです。もうすぐ雪村さんと時任先輩が帰ってきます」
「そうなんだ。二人はどこへ?」
「三校祭の打ち合わせで三条院に」
(夢って本当に都合いいな……)
「じゃあ帰ってくるまで、少しだけ話を聞いてくれる?」
「いいですよ」
「昨日ね、大学生になったアタシにカスミ君が指輪をくれる夢を見たの」
「……俺、大胆ですね」
「薬指じゃなくて小指用だった。どうして?」
「そんなこと聞かれても……でも、すみません」
霞は困ったように笑う。
滅茶苦茶な話をしているのは自分の方なのに。
夢の中でも彼は優しい。
出会った頃から変らない。
「君はずっとそうだったね……」
その優しさが痛かった。
気づけば涙がこぼれていた。
「加恋さん、どうかしました?」
「本当はわかってるの。届かないって」
「あの子を応援しなきゃいけないって」
「でも」
「あの子より少しだけ早く出会えてたらって」
「楓のことが大好き」
「君には、あの子の隣にいてほしい」
「でも、たまにでいいからアタシのことを見て」
「……わかりました」
「加恋さん――いつも見てます……忘れないで」
「……うん」
加恋は、ようやく笑顔を浮かべた。
霞は慣れない手つきで加恋の頭を撫でてくれた。
「カスミ君、君のことが――」
言葉を最後まで告げる前に、生徒会室のドアが開いた。
「ただ今戻りました、おや?」
「ちょっと、加恋先輩……いえ生徒会長、緒方君と見つめ合って何をやっているんですか!? 公私混同禁止って言ったでしょ!」
生徒会メンバーで女子に人気のある広報の時任はいつものように涼しい顔をしている。
加恋に厳しい書記の雪村だけが声を荒げていた。
ふたりが入室した瞬間、夢は泡のように崩れ去った。
◇
目を覚ました加恋は、指輪を握りしめたままベッドの上で泣いていた。
「悪夢……じゃないな」
「もっと恥ずかしいやつだ」
「時任君と雪村がいて、カスミ君がいるあり得ない生徒会。欲張りすぎでしょ……それにしても」
「いい歳して恋する乙女かよ! あっ?!」
慌てて口を押さえる。
この時間に叫べば近所迷惑だ。
(……いいじゃん、恋してるんだから)
そう思うと、再び鼓動が早くなり、涙の後が残る頬が熱くなる。
これまでもカッコいいと思う異性はいた。
だが、その先を想像したことはなかった。
今は違う。
初めて未来を思い描いている。
「カッコいいじゃなくて、可愛いんだよ……カスミ君は」
「優しいし……でも」
「この指輪に特別な意味はない……」
「あ~考えるのやめ、やめ」
「今日もバイトあるし、もう一度寝よ」
「でも目が腫れてるだろうし……顔洗うか」
「……今日も会うのに変な顔見せられない」
「指輪のお礼どうしよう」
「ご飯でも奢ればいいか」
「デートじゃないからって前置きして」
「……いや、前置きいる?」
「むしろデートって言った方が意識してくれたり――」
「いやあああああっ!」
「はずい! はずい! はずいぃぃ!」
Tシャツに短パン姿のまま、ベッドの上で足をばたつかせる。
この騒ぎでは、隣の部屋の楓も起きてきそうだ。
だが、楓が起きてくることはなかった。
「……まぁ、カスミ君に宣言したし禁酒は絶対だよね」
「肌がかさついてる」
「腹筋、最後にやったのいつだっけ?」
「明日からしばらくスムージーとプロテインで」
「それから……えーと」
「だから顔洗いに行けよ、アタシ」
加恋はようやくベッドから立ち上がり、洗面所へ向かった。
「ひっどい顔。あと髪の色、戻すか……さらばブルーな私」
鏡に映る加恋は青髪ウルフカットにカラコン。
ギャルのように見えるが、望月加恋は才女だ。
高校時代は私立白花学園高等部の生徒会長を務め、現在は都内の医大二年生。
だが今夜だけは違った。
恋に振り回される、ごく普通の女の子だった。
たぶん明日も、
明後日も……
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