表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/7

07:マザコン娘は覗き見する

「ほら、どうぞ」

「あ、ありがとうございます」


 ママが奏の前にオレンジジュースを置いた。


「あの……琉海ちゃんは?」

「あ、ああ。琉海は今、ちょっと具合が悪くて寝ているのよ」


 私は廊下に立ちながら、かすかに開いたドアを覗き見しつつ聞き耳を立てていた。

 直に対面する勇気は出なかった。

 ドアは奏の背後にあるので、彼女には悟られないはずだ。

 奏は、前回のかわいらしいウエイトレススタイルからは一変し、シックなジャンパースカートが印象的だった。

 あのときは意識が向かなかったが、耳にはシルバーカラーのイヤリングもついていた。


「そうですか……」


 奏は露骨に残念がる。


「あ。これ、よかったらどうぞ」


 奏はコットンバッグからケーキ箱を取り出し、テーブルに乗せて中身を空けた。


「うちのカフェで、クレープほどじゃないけど人気のあるタルトです。お口に合うかどうかはわからないですけど……」

「あ、ら。そんな気を遣うことはなかったのに。むしろ、こっちが――」

「あ、いえ。これは、店長から持っていくようにと渡されたものですから」


 奏は遮るように言った。


「申し訳ないわね……。これ、シャインマスカット?」


 ママが箱を覗き込みながら言う。


「ええ、絶品なんですよ。大ぶりの果実に、サクサクのタルトと甘いミルククリームがマッチして――」


 奏が頷くと同時に腹の虫が鳴り、彼女はかすかに頬を染めた。


「あはは。じゃあ、せっかくだから今、いただいちゃいましょうか」


 ママは戸棚から皿を出し、フォークとともにマスカットのタルトを並べた。

 黄色がかった粒が宝玉のように煌めいている。

 ふたりが食べはじめて少し経ち、ママが用件を切り出した。


「それで、いったい。どういう意味だったのかしら。〝嘘〟というのは……」

「あの。あたし……。フェアじゃないな、と思って」

「と、いうと?」


 私は、周囲の酸素が尽きたように喉が詰まる。

 逃げ出したいが、それは恐怖に追跡されることを意味する。

 奏の意図が読めるまで、私は廊下の暗がりにうずくまるしかない。

 ドブに潜むネズミのように。


「あたしは……」


 不気味な間。


「許せないんです。嘘をついたことが」


 その低い声に、私の心臓が高度から叩きつけられたようになる。


「それは、どうして?」


 ママは表には出さず、素朴を装った。

 あるいは、困惑に感情が追いつかなかったか。


「それは……」


 ここから飛び出して、奏の口をふさぎたい衝動に駆られる。

 私はひざを抱えてうずくまりながら、必死に目を閉じた。

 いっそ糸で縫い付けてしまいたかった。


「琉海ちゃんがなにもかもを告白してくれたのに、私は嘘をついたままだったから」

「……ん?」


 ママが目を点にする。

 点々々の沈黙が流れる。

 私も一瞬、脳が言葉の主語を整理できなかった。

 再び、隙間から目をこらす。


「ええと……」


 ママが額に指先を当てる。


「嘘をついた、というのはひょっとして……」

「あたしです。あの場では、勇気が出なかったといいますか、タイミングを失ったといいますか。いや、それは言い訳ですね。あたしもホントのことを打ち明けることができれば、きっと琉海ちゃんを励ますことができたのに。だけど――」


 奏は不意に言葉を区切った。


「……すみません」

「いったい、なにが嘘だったのかしら?」


 私には、その告白を聞く資格がないと思い、そろそろと離れようとするが、間に合わなかった。


「不登校なんです、あたし」


 私は静止し、その場にはりつけになった。


「それは……その。いつから?」


 ママはたどたどしく尋ねた。


「もう三ヶ月は経ちます。やることがないから、あのカフェでバイトしていて。創立記念日というのは、嘘なんです。毎日が祝日といいますか、いっそ呪われてるといいますか。一日一日が段々と辛くなってきて。なにもしないよりはマシかと思って、働いてます」


 奏は表情も手もバタバタと動かし、種を忘れたマジシャンのようなせわしなさだった。


「そう。偉いのね」

「え」

「できることをやるのは、とてもいいことだと思うわ」

「できることと言いますか、なにもできないと言いますか……」

「ううん。奏ちゃんはきっとマジメなのね」

「はあ……」


 奏はテンポを崩されたように気圧される。

 私は、階段から突き落とされたような心境だった。


「あたし……言ったじゃないですか。あたしが琉海ちゃんの立場だったら、一ヶ月ともたないと思う、って」


 確かにそう口にした。


「あれ。そのまんまの意味なんです」

「どういうこと?」

「あたし。ある時を境にクラスメイトからいきなり無視されるようになって。まるでスイッチが切り替わったみたいに、あたしの存在がオフになりました」

「奏ちゃんみたいに明るい子が、どうして?」


 昔も今も、彼女は猪突猛進のイメージだ。

 テストの点は悪かったが、へこたれたことがなかった。


「笑顔でいれば人からきらわれることはない。その思考が、あさはかでした」


 奏が語りはじめたのはネガティブな情報ばかりだった。

 常にグループで行動し、孤独とは無縁だったこと。

 あるとき、文化祭の準備で口論になったこと。

 ギクシャクした感じがしこりのように残りつづけ、それがいきなりシカトに転じたこと。


「クラス内では人気もののつもりでしたから、ショックでした。そんな気配まるでなかったのに、裏では色々と陰口を言われていたみたいで。会話に加わるのは不可能になりました。最初は平気なつもりでしたけど、日ごとに辛さが増すばかりで」


 どこかデジャブを感じた。

 栄光からの急転。

 出遭った不幸は、私と同種なのだ。


「でもね、それだけなんですよ。危害を加えられるわけじゃないですし。琉海ちゃんに比べたら、苦難の内にも入らないです。しかも、一ヶ月もしないうちに学校がイヤになっちゃって」

「よほどショックだったのね」


 ママは同情するように声音をやわらげた。


「正直、世界の終わりだと思いました。笑っちゃいますよね。死ぬような目に遭ったわけでもないのに。たった一ヶ月……あたし、馬鹿みたいだ」

「そんなこと……」

「でも、ダメなんです。私の苦痛は大したことないから、じゃあ学校に行こうという気にはなれない。弱いんです、あたし。琉海ちゃんに比べたら、アリンコかミジンコみたいに」


 そんなことはない。

 無視されるのがいかに酷痛か、いやというほど知っている。

 それは生き埋めのようなものだ。

 生きているのに、死んだ状態となる。

 どれほど叫ぼうとも、その声が外部に漏れることはない。

 なのに、周囲からの嘲笑は内部に反響しつづける。そういう残酷さは、あまりに耐えがたい。


 だから、励ましたかった。

 姿を現し、彼女が今ここにいることを賞賛したい。

 なのに、ダメだ。

 今、私の内に渦巻くこの感情は――

 私は自身を掻き抱き、懸命に自制した。


「よく、話してくれたわね」


 ママは奏の手に、自らの手をかぶせる。


「あたしは、琉海ちゃんの境遇をほんのわずかですけど理解できるから……味方になろうと思って」

「そうしてくれれば、心強いわ」


 ママはほほ笑む。


「もし、琉海ちゃんが望むのなら、いっしょに遊びに行きたいんです。昔みたいに」


 私はこみあげるものを隠すために口を両手で覆った。


「そうね。あなたたちは仲良しだったものね」


 その記憶は、すでに色褪せていた。

 この現実で色を帯びているのは、ママしかいない。

 だから、助けて。

 ママ。

 この感情をどうにかして。


「急にこんなこと言って、失礼しました。どうしても、言わずにはいられなくて」


 奏が立ち上がりざま、一瞬、こちらに流し目を送った――ような気がした。


「琉海ちゃんにはひとことだけ、伝えてください。〝気力が戻ったら、どこかへ行こう〟って。同情じゃなくて、今のあたしは友だちに飢えてるんです」

「ええ。きっと、琉海も喜ぶわ。すぐには難しいかもしれないけど、いつか」

「お願いします。これ、あたしのラインのアドレスです」


 奏はそう言い、バッグから紙を取り出してママに渡した。察するにラインのQRコードを印刷したものだろう。

 その後、小さく礼をし、ママは奏を玄関まで見送った。


「じゃあ、ありがとうございました」

「またね、奏ちゃん。時が経てば、きっと状況は良くなるから」

「……ええ。あたしも、そう祈っています」


 ドアが閉じる音がした。

 私は身体中から水分が抜けたみたいにぐったりとして、ふらふらとリビングに戻った。

 テーブルに置かれた紙のQRコードを眺めるが、目の焦点が合わない。

 倒れる直前のようにテーブルの縁につかまり、額が天板に触れるぎりぎりの位置まで顔を伏せた。


「はぁ、はぁ……」

「だ、だいじょうぶ?」


 ママが近づくや否や、私はその胴に思いっきりしがみついた。


「る、琉海?」

「う。うう……」


 私は漂流中に、板につかまったような状態になる。


「うああ……うあああああっ」


 ママの腹に顔を埋めながら、絶叫した。


「いったい、どうしたの?」


 ママは必死な声を出す。


「私……最低だ」

「え?」

「あああ。私、何てことを……」

「どうしたの? あなたはなにもしてないわ」

「……ちゃったんだよ」

「なに?」


 私は顔を上げた。


「思っちゃったんだよお! 私、奏に対して――不登校であることが、嬉しいって」

「嬉しい?」

「カフェで会ったときから、劣等感に押しつぶされそうだったのに。今はすごい、すがすがしいの。ほっ、としたの。彼女の不幸を、じつは心の底で望んでた。それが叶った!」


 私はのたうち回るように叫ぶ。


「ううん、奏だけじゃない。他のすべての人間がドン底にいて、沈んでいればいいって。それをずっと祈ってたんだ。私、今まで気が付かなかった!」

「お、落ち着いて」


 ママはどうすることもできず、両腕を宙に浮かせたままになる。


「まっとうな人間なら、さっきのママみたいに励ましたり同情したりするのに。私、狂ってんだ。狂ってんだよお。そんな人間に、誰かの友だちになるような資格があるもんか!」


 私はまた顔をママの腹に押し当て、すすり泣いた。


「ううぁ……」


 ママはそっと私の背中をさする。

 狂乱が、鎮痛剤を服用したように和らいでいく。


「ママ……こんな娘、失望したよね?」


 私はすがるように聞いた。

 いたずらがばれた幼児のようにこわごわとママの顔色を伺う。


「琉海」


 私はそのとき、脊ずいが麻痺したようになった。

 一瞬、ママの表情から色がすべて失せていた。


「ママ……?」

「あなたがどう思おうとも、関係ないわ」


 それは錯覚であったかのように、笑顔と慈愛の相が戻った。


「少なくともここにひとり、あなたの絶対の味方がいるから。だから、心配することはないのよ。琉海が琉海である限り、私もここにいるから」


 私たちはそのまましばらく、ひとつになっていた。

 お互いに、止め時がわからなかった。


 いつ夕食を食べたのか、いつベッドに入ったのかもわからず、気がつけば朝だった。

 ぼうっと部屋を見回す。

 自室の机の上にあったQRコードの紙を、捨てようかとも思ったが、引き出しの奥深くにしまうことにした。

 二度と開けることはないだろう、と思いながら。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ