06:マザコン娘は映画を観る
あれから、一週間が経った。
一度も外出はしていない。
寒さは和らぐどころか雪まで降る始末だが、室内は暖房のおかけで快適だった。
日常も、判を押したようなありさまになる。
自室にこもって読書&勉強をするか、リビングでテレビ番組を観るかの毎日だ。
家は日差しが差し込んで明るいのに、真っ暗闇の部屋に閉じ込められたような閉塞感がある。
「だから、変化をつけるために。今日は一日中、ぶっ続けで映画を観ようと思うの。サブスクの」
室内で刺激をもとめるなら、やはりエンタメに限る。
「はあ……変化にはならないような気がするけど。まあ、いいんじゃないかしら」
ママはダイニングチェアに座りながらお茶を啜る。
どこか心ここにあらずだが、表情は和やかだった。
彼女の仕事は在宅の建築デザイナーであり、ちょうど大型の案件が完了したばかりで心がうわの空なのだ。
こうなると、翌日までは復帰しない。
だから、なおさら退屈だった。
ここ数日、構ってもらえなかった私はビタミン欠乏のようにママが不足しており、一日たりとも我慢ならなかった。
私はソファに寝っ転がり、50インチのテレビのリモコンをいじりながら、さまざまな映画のサムネイルを順繰りにスクロールする。
人気映画から古い名作まで、色とりどりだ。
「どうせなら、色々なジャンルの作品をチョイスするのがいいと思うけど。どう思う?」
「いいわね~」
「……サスペンスとか、ホラーとかも含むけど。ママ、苦手じゃなかった?」
私が幼い頃、ママは映画のヒロインがプレス機につぶされるシーンで、目をつむって耳をふさいでいたことがある。
横から頬っぺたをツンツンしても、なにも言わざるだった。
「たまにはいいと思うわよ」
しかし、今はセンサーがすりぬけるようだ。
B級ホラーの冒頭のような呑気さである。
「ベッドシーンがあるようなやつでもいいの?」
かつて、ママは頬を真っ赤にしたことがある。
「まあ……はげしいヤツじゃなければね」
さきほどから表情がとろけたままだ。
カテキンが疲れを溶かしているらしい。
「どうせなら、有名どころよりもマイナー作品のほうにしようかな、って」
「メジャーどころにはない、監督の目のつけどころを楽しむのがミソよね」
「いっそアニメ映画とか」
「ファンシーな作風だとうれしいわね」
「お菓子食べながらでもいい?」
「ポテトチップスしかないわよ」
私はキッチンの戸棚からポテトチップスの袋を取り出し、ローテーブルにコーラと並べて置いた。
「ママ、飲み物は?」
「お茶があるからいいわよ」
ママがソファのとなりに座る。私はその肩に頭をもたせかけた。
私はカーテンを閉め、暗闇にテレビの光がにじむようにする。
さて。
ママにどうリアクションを取らせるかが肝だ。
私はひとまず<地獄のグルメ>の再生ボタンを押した。
「いきなり怖いタイトルね」
「そりゃあ。ジャンルはホラーだもの」
「どういうストーリーなの?」
「元横綱の男が、ひたすら飯を食って食って食いまくるみたい」
「え。ホラーよね?」
「うん」
「……それ。見どころあるのかしら?」
「でも、人気だよ。評価高め」
画面では、タクシーからスーツの男がひとり、のっそりと降りてきた。
「うわ。この人、背高いわね」
ママは冒頭の、主人公の登場シーンに目を丸くする。
ゆうに百八十センチはあった。
食事シーンは、暴走機関車さながらだ。
「はあ……食いっぷりはさすがね」
山盛りの料理が、空の皿の山に変わっていくさまは圧巻だった。
「でも、そろそろなんだよなあ……」
「なにが?」
ママは首をちょこっと傾げる。
展開は佳境に入り、いよいよ問題のシーンとなる。
「……店主と揉め出したわね」
アルバイトに横柄な態度を取る店主に、主人公・猪頭が業を煮やす展開だ。
「うわっ。店のカギを腕っぷしで壊しちゃったわよ、この人」
真夜中、猪頭は仕込み中の店内に侵入し、店主を背後から羽交い締めにする。
そのまま控室のロッカーに連れ込み、店主を中に閉じ込めた。
「え。それからどうすのかしら……うわっ!」
猪頭がロッカーにショルダーアタックをかまし、ロッカーがみるみるうちに鉄塊と化していく――中身ごと。
「ひいい……」
ママがクッションを腹に抱きかかえ、口元を手で抑えた。
想定よりはリアクションが薄い。
私としては、あのクッションの立ち位置に収まるのが理想だったのだが。
「食欲を誘っておいて、吐き戻させるようなシーンを映すとか、どういう神経なのかしら」
「ほら。ホラーだからね、って言ったじゃん」
「ああ。背筋が寒いわ」
……今のはもしや、私のダジャレに対しての感想だろうか。
正午になったので、一休止。
キッチンに移動し、ママの用意したきつねうどんをズルズルと啜る。
「よく食欲が減らないわね。さっきので私はもうグロッキーよ」
「でも、昔よりはリアクションがおとなしいね」
「……私は芸人じゃないんだけど」
どうやら、衝撃によってリラックス効果は失せたらしい。
「いや。昔のガクガクぶりが懐かしいなあ、って」
「十年も経てばさすがに変わるわよ」
そうだろうか。
私にとってママはずっと昔のままだ。
そして、私も。
未来など、あのロッカーの中身のように想像したくもない。
お昼を食べ終わり、再びテレビの前へと戻る。
「じゃあ、次」
<真冬のデイドリーム>を再生する。
ラブロマンスだ。
「また背が高いのが出てきたわね。今度はイケメンだけど」
「異国の皇太子らしいよ。ヒロインは、しがないジャーナリスト。ま、庶民だね」
特ダネを追うさなか、ヒロインがお忍び中の皇太子と衝突し、水たまりにつっこんで彼の服をダメにしてしまう。
その後、価値観の食いちがいから言い争いのシーンばかり続いた。
正直なところ、面白みがない。
とはいえ、ひったくりの撃退やらが功を奏し、好感度は順建てだった。
「特ダメはまさに目の前なのに、気づかないものなのね」
「ま。真に価値のあるものは、なまじ目の前にあるとなかなか気づけないものだよね」
私にとってのママがそれだ。
「しかし……猛吹雪のせいでほぼ画面が真っ白ね」
「撮影スタッフが凍死しかけたらしいよ。デマかもしれないけど」
そして、屋外でのキスシーンから、屋内でのラブシーンへと画面は移行する。
「さっきまで極寒だったから、毛布にふたりして包まってるわね」
前半の険悪さを健忘したようなイチャイチャぶりだった。
私はすかさず自室に戻り、フリースのブランケットを持参してママの前に立つ。
「ほら、どうせなら私たちも」
「え」
私は、呆けるママといっしょに包まり、そのぬくもりを堪能した。
「へへ……あったかい」
「映画、観ないの……いや、見ないほうがいいわね」
ベッドのスプリングが軋む音から、なかなかの盛り場だとわかるが、すでにどうでもよかった。
それより、ママの頬のかすかな赤らみに対して私は昂奮する。
スタッフロールの流れる間、ずっと寄り添っていた。
幸せだった。
「じゃあ。次はこいつかな」
<たいやきマン――劇場版>だ。
「お、懐かしいのが来たわね」
昔、私はこのアニメに釘づけだったらしい。あまり記憶にないが。
冒頭、にぎやかな主題歌が流れる。
「あなた。昔はこのテーマが鳴ると飛び起きたわよね。いつもは寝坊助なのに」
「え~。そうだった?」
「そうよ」
本編が始まり、主人公のたいやきマンが出たところで、私は思い出す。
「あ。この声」
「声?」
「そう。声が、ママにそっくりだったから夢中になったんだよ」
「そんな理由だったの?」
たいやきマンが縦にふたつに割れて、悪役の攻撃をよけている。
「あはは。このカートゥーン的な動きもよかったけどね」
「中身がこぼれないのは大人の都合といったところかしら」
視聴してもいっさいのストレスがないのは、いい箸休めだった。
「けっこう、おもしろかったわね」
ママは幼児のように顔がホクホクだった。
「ほら。次はどうするの?」
「ええと……」
私は印象的なサムネイルをチョイスすることにした。
<天使の植物人間>。
評価は2.3点だった。
「タイトルから内容がこれっぽっちも想像できないわね」
「人体実験で植物の遺伝子を混ぜられた植物人間が、人間に戻るために奮闘するストーリー……みたい」
作中では、主人公が博士から〝元に戻りたければ実験材料となる人間を誘拐しろ〟と脅されていた。
主人公は、良心などいっさい持たずに命令を実行しつづける。
「……これ。もしかして、ホラー?」
「イエス」
「やっぱり!」
ママは額に手を当てた。
毛布にくるまっているので、今度こそママのクッションになれると期待する。
「……なんか、あんまり怖くないわね」
期待はずれだった。
画質が粗いこともあり、そもそも展開のいきさつがわかりづらい。
「これなら、ママが泣き叫ぶ心配はなさそうだね」
「するわけないでしょ」
「うう……ひっく。ぐすっ……」
〝FIN〟が表示された後も、ママはクッションに顔を埋め、いっこうに泣き止まなかった。
「そ、そんなだった?」
「だ。だって……」
ママは顔を上げ、泣き腫らした目をこちらに向ける。
「まさか! 主人公が……。保身のことしか頭になかった主人公が……」
ママはしゃくりあげながら拳をにぎりしめる。
「ヒロインのために、燃え盛る館に突入して救出するなんて……。植物だから、一度火がついたら絶対に助からないのに……」
「ま、まあ。意外ではあったね」
結局、ラストシーンはヒロインが博士によって連れ去られ、解剖台に乗せられる――バッドエンドなのだが、そこのところは目に入らないようだ。
「うう……魂が昇天するシーンはよかったわ。あの、それまでの仏頂面が嘘みたいに満ち足りた表情!」
「理解できないなあ……私には」
私はぼそりとつぶやいた。
「死んだら、その人からの愛は絶対に手に入らないのに」
貧乏くじを引いた主人公に、私はどこか同情していた。
「琉海」
ママは、どこか憐れむように、
「〝愛される〟よりも、〝愛する〟ほうが大切なこともあるのよ」
「え……」
「だって、私は琉海を愛しているもの。だから幸福なのよ」
「あう」
真正面から、堂々と宣言される。
今度は、私が泣きそうになった。
「だ。だからってあの映画みたいに、火事になったら命がけで助け出すみたいな真似はしないでね」
「するに決まっているでしょう」
さきほどのべそが嘘のように威の備わった発言だった。
しかし、その発言は嘘ではない。
〝琉海……やっと見つけ出したわ〟
〝マ、ママ。ママが、死んじゃうよぉ……〟
ママが私のためなら死力を尽くすことを、幼少期ですでに思い知っているのだから。
「もう夕方になっちゃったね。夕食、どうしよっか」
「そうね。今から作るのも億劫だし、たまにはピザでも頼みましょうか」
「やった」
ピザのチラシからトッピングを厳選し、私はスマートフォンから注文のボタンを押した。
その十分後。インターホンが鳴った。
「え。早すぎない?」
私はソファから身体をずらし、玄関のほうに目をやる。
「まあ……早いに越したことはないか」
ママがインターホンの通話ボタンを押した。
「はい」
「あの……こんな時間にすみません」
私の心臓が跳ねる。
弓倉 奏の声だった。
「あら。奏ちゃん? どうしたの?」
「ええと……じつは」
奏の声がリビングに響きわたる。
「どうしても。話したいことがあって、きました」
「と、いうと?」
「あの日の、カフェで言ったことの……〝嘘〟について」




