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03:マザコン娘は茶を喫する

「はああ……ホントにこんな名前なのね」


 ママがカフェの軒先にある木の看板を見上げて口をぽかんとさせる。


 <頭から食べちゃいたいほどキュートなクレープ工房>


「ね、おもしろいでしょ。前にネットで発見してから、ずっと興味があったの。先っちょが動物を象ったクレープが売りみたい」


 クマやウサギなど、動物のラインナップは豊富らしい。


「まあ……クレープはだいたい頭から食べるものだしね」

「というより、尻尾から食べるお菓子が珍しいよね。たい焼きくらい?」

「たい焼きなら、割って真ん中から食べるわね。私は」

「〝頭から食べちゃいたい〟ならかわいいけど、〝真っ二つにしたい〟だとホラーだね」


 言った直後に後悔する。本来は、どっちにしてもホラーじゃないか。


「その真っ二つになった半分を、昔のあなたはやたら欲しがってたけどね」

「それ。私が四、五歳くらいのときでしょ」


 幼稚園のころは、私とママのたい焼きを食べる表情がソックリだったらしい。

 叔母からは〝瓜ふたつ〟だとよくからかわれていた。

 もっとも、今はさまざまな面が正反対なのだが。

 不意に強烈な風が吹き、ママは身は縮めた。


「早く入りましょ。このままだと干物になるわよ」


 〝頭から食べちゃいたい干物〟ならもっとインパクトがあっただろうな、と思いながらドアを開ける。

 ベルが鳴り、店内に入ると、客はさいわいまばらだった。

 高めの天井からぶら下がった丸っこい照明と、窓から差しこむ自然光のおかげで雰囲気はすがすがしい。

 その開放感は、さきほどまでの診察室が牢獄だったように錯覚するほどだ。


「いらっしゃいませ~」


 同年代と思しき、低めのツインテールのウエイトレスが奥から駆けつけてくる。

 その急襲に、私は固まってしまった。


「あ、う……」

「何名さまですか~」

「……?」


 目が合うなり、じろじろと観察するような素ぶりをされる。

 何だろう、いきなり。

 なにかおかしかったのだろうか。

 私はとっさに伏せた顔をさらに伏せるが、奇異の視線は突き刺さったままだ。


「あ、ふたりです」


 ママが片手でピースサインをかかげる。


「あ。か、かしこまりました。こちらの席へどうぞ~」


 間延びした高い声で案内されたのは、観葉植物と柱を隔てて奥側のテーブルだった。

 入口から遠いのは幸いだ。

 ママはソファ側に、私はイス側に座った。


「ね、ママ。……もしかして私、寝ぐせでもあった?」

「いいえ。いつもの、かわいらしいミディアムヘアだけど」


 ママは、ほほ笑みながら言う。


「あ、ありがとう。いや、さっきのウエイトレスにおかしな反応されたからさ」

「まあ……仕方がないと思うけど」

「え」

「あなたには悪いけど……さっきから目はキョロキョロ、まぶたはパチパチとだいぶ半生半死だもの」

「そ、そんなにひどい状態だった?」

「過去形じゃないわ。現在進行形よ」

「やば」


 自覚がまるでなかった。

 緊張はしていたが、いつもどおりだと思っていたのに。


「ね、やっぱりちょっと早かったのよ。外でも以前のようなリラックス状態に戻るには、もっと時間をかけるべきだと思うの」

「あー。ちなみに、昔の私ってどんなだったっけ?」

「そうね……瞳はギラギラ、眉はバチバチとだいぶ強気だったわね」

「やば」


 自覚がまるでなかった。


「どうする? やっぱり、帰る?」

「いや……私には万全の対策があるから」


 私は席から立ちあがり、ソファ側へ――ママのとなりに陣取った。


「よし……ちょっとマシになった、かも」

「い、いや。さすがにこの並びは不自然でしょ」


 ママは慌てて少し距離を取るが、私はすかさず間を埋めて肩を寄せ合った。


「別に、仲のいい親子ならおかしいことないでしょ」

「ダメよ。ひと目を気にしないカップルじゃあるまいし」


 ママは小声で反論する。


「でも、元の座席に戻ったらまた半殺し状態に戻るかも。そんなの、生殺しだよ」

「あなた……さっきまでの態度がじつはウソじゃないでしょうね」

「まさか」


 冗談で試したのだが、その効果は思いもよらなかった。

 クリニック内でもママが常にそばにいたので平気だったのだな、と今さら思う。


「あのね、琉海。さすがにこれは恥ずかしいわ」

「私としては、腕を組まないだけ譲歩したほうだけど」

「だ、だから……」

「ご注文はお決まりですか?」


 さきほどのウエイトレスがふらりと煙のように現れた。

 よし。緊張はだいぶ解けた。

 私はテーブル上のメニューをさっと眺めた後、きっぱりと顔をあげた。


「私はチーズガレットとコーヒーで。ママは?」

「あ、えっと。チョコレートグマのクレープと、ココアを……」


 チョコクレープとホットチョコレートでチョコレートがダブっていた。

 どうでもいいことだが。


「かしこまりました~」


 ウエイトレスがオーダーを取り終わり、再び私と目が合ったとき、おかしな間があった。

 一瞬だが、客と店員というシナリオには発生し得ないノイズが。


「……あの?」

「あ。し、失礼しました~」


 彼女が去った後、ママが「ほらあ」と小さめに苦情を発した。その頬はちょっぴり赤い。


「そりゃあ、見られるわよね。どうあっても不自然だもの」

「母娘がとなり合って座るのが、そんなに変かな?」

「……小学生とその親だったら、不思議じゃないかもね」


 すると、私の精神年齢はランドセルを脱ぎきらないわけだ。

 このまま退行が進行すると、おしゃぶりを咥えるのだろうか。


「わかった……じゃあ、戻るよ。ママを困らせるのもイヤだしね」


 私が立ちあがろうとすると、ママにセーターの裾を引っ張られた。


「え?」

「いいわよ、もう。さっきと位置がちがったら、また変に思われるでしょ」

「えへへ……」


 私は喜んで席に戻る。

 だからママは好きだ。

 あれこれ言いながら、最後には私の理想どおりになってくれる。


「はあ……」


 ママは重たいため息をついた。

 それでも、私の心は軽い。


「……それにしても、あの店員さん。見た目が気になるわね」

「え!」


 私は慌ててママに顔を寄せる。


「娘の私より美人ってこと?」

「そうじゃなくて。どこかで見覚えが……」


 ママは顎に指を当ててうなるが、見当もつかないようだった。


「お待たせしました~」


 そのウエイトレスがテーブルに料理をほいほいと乗せていく。

 慣れた手さばきだ。


「ごゆっくりどうぞ~」


 言葉は定型句だが、所作はやはり不規則――私を無駄に一瞥して戻っていった。

 どうにも居心地が悪いが、それよりも食事だ。

 私の元に配られたのは、四角い生地にソーセージやチーズフォンデュ、各種野菜が豪勢に乗ったガレット。

 ママの元には、チョコレートのホイップによって綺麗に象られた、ポップなクマが主張の強いクレープ。


「さあ、ママ。クレープが来たけど、どう食す?」


 ママをじっと観察する。


「どうもこうも。そのままかぶりつけばいいわけでしょう?」


 私はクレープの乗った皿を横から取り、すこし斜めに持ち上げた。


「え~? ひどいよ~。こんなにかわいいボクを食べちゃうの~」


 思いっきり甲高い声を作りながら、クレープをわずかにゆすぶる。

 ママはわずかに困惑したが、すぐに私から皿を取り上げてパクリとクマの片耳をかじり取った。


「あ~。ヒトゴロシ~」


 裏声――ビブラートを添えて。


「あ。おいしいわね。これ」


 ママは口もとを手で隠して目を輝かせた。

 こちらを見もしなかった。


「私の渾身の演技はスルーですか。そうですか」


 私は、すねたふりをする。


「ええ。でも、頭から食べちゃいたいくらいの、かわいい演技だったわよ。クマさん」


 花が咲いたような笑みを浴び、私はクラクラした。

 ママは私に向けて皿を差し出す。


「はあ……」


 私はフォークを突き出し、クマのもう片方の耳をいただいた。

 格別の甘さだった。




「おいしかったわね、琉海」

「そうだねえ」


 私はコーヒーの最後のひと口を飲み干す。


「あ。モチロン、最高なのはママの手料理だからね!」


 すかざす反論する。


「あのね。素人の作ったのが店のより旨いわけないでしょう」


 ママはそう言いながらも、きっとまんざらでもない。


「そうかなあ。でも私は、ママがどれだけ手間暇をかけてくれているかを見ているからね。だから感じ方もちがうのかな」

「私がいつも読む料理書のタイトル、知らないわけじゃないでしょ。『チンタラダラダラ手抜き飯百選』よ」


 その言葉とは裏腹に、ママはチンタラもダラダラもしたことがない。常に忙しない気がする。

 もっとも、その原因の大半は私なのだが。

 私はふと、ママの顔の変化に気づいた。


「ん?」


 ママが首をかしげる。

 私は、彼女の口もとについたひと筋のチョコレートを指で拭い、それをそのまま舐めとった。


「ちょ」


 ママは仰天する。


「は、はしたない!」

「チョコがついたままのほうが、はしたないでしょ」

「紙ナプキンがあるでしょ、そこに!」


 ママはナプキンスタンドを指さす。


「ま。さっきの仕返し、ってことで」


 私は舌をぺろりと出した。


「ホントにもう……でも、よかったわ」

「え。なにが?」

「あなたが、ここでも家の中と同じように元気で。……いや、ちょっとはりきりすぎだけど。でもこれで、何気ない外出もできることがわかったじゃない」


 私は、店内を見回す。

 最初に入ったときより人口密度が高かったが、私の心は凪いでいた。

 穏やかなジャズのBGMに耳をすませると、ここには敵意がないことを確信できる。

 どこにも陰口は存在しない。

 客たちの笑顔は、にたつきなど含まず、すがすがしいものだ。


「琉海?」


 私の内に、ある感覚が兆す。

 自転車を練習する子どもが、補助輪を失っても軌道に乗り出せたときのような。

 私は立ちあがる。

 そして、今度は自らの意思で反対側の席に戻り――


「あの」


 遮られた。


「ひょっとして、ですけど……。誤解だったら、ゴメンなさいですけど」


 真正面にいたのは、例のウエイトレスだった。

 おずおずと、こちらを伺いながら。


「琉海、ちゃん?」

「え……」


 私は、心臓に重りをつけられたようになる。


「どうして……私の名前を……?」

「やっぱり! ほら、あたしだよ。小学生のときいっしょだった、〝弓倉(ゆみくら) (かなで)〟」

「あ……。琉海の同級生だった、奏ちゃん!」


 傍らのママが声を上げて手を軽く打ち合わせる。

 小学生のときのほんの二、三年間だったが、確かに彼女とはクラスメイトだった。


「やっぱり、お母さま。すっごいお久しぶりです~」


 奏がママに向けて頭を下げる。


「そっか。どおりで見覚えがあると思ったら。かわいくなったわねえ。気づけなかったわよ」

「そうですか? うれしいです~」


 私を置き去りにして、トークが進行していく。

 そして、私の鼓動も。


「琉海ちゃん! まさか、こんなところで再会できるとは思わなかったよ~」


 まぶしい笑顔が私にも向けられる。


「あ。あたしはね、今ここでバイトしているの。親戚の店でさ。や~、ずっと会いたいなとは思ってたんだよ。すごい偶然。あたしは学校が創立記念日だから、休みだったの」


 私は反応できずにいた。

 リアクションしたいのだが、対話の感覚をすっかり失っていて、言葉の奔流に割りこむことができない。


「だってさ。あたし、前に新聞記事を読んだんだよ」

「……新聞?」


 かすれた声が出る。


「そ。すっごいよね~。中学生の県大会。50m平泳ぎの2位でしょ。インタビューの写真もかっこよくてさあ!」


 奏は、テンションの極み――私が静止することのできない高度にいた。


「県外に進学する予定ってあったでしょ? 何だかずいぶんと差が開いちゃったなあって」


 そのとおり、差が開いている。

 ただし、彼女とは正反対の方向に。

 私は、墜落の予感がした。

 ママの顔からも笑みが消えている。


「だけどさ、琉海ちゃん」


 悪意のない瞳。


「どうして、ここに?」


 だから、きつい。

 頭から警告信号が鳴り響く。

 ただちに、ここから去らなければ。

 でなければ、私は――


「おえええっ」

「きゃああ、琉海ちゃん!」

「琉海!」


 私は、吐いた。

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