─宵月─
季節は初冬を迎えようとしていた。
本来であれば冬の備えに騒がしくしている時期だが、昼下がりの城は、異様なほど静かだった。
中庭を抜け、回廊を歩く高成の足音だけが淡々と響く。
ここ数日、景綱に呼び出される回数が明らかに増えていた。
——疑われている。
理由は、わかっている。
わかっているからこそ、顔には出さない。
「おーい、高成」
背後から、軽い声が飛んできた。
振り返るまでもない。
小瀬景久だった。歳や背格好は高成と同じくらいで、癖毛の髪を無造作に結い、軟派な雰囲気のある男。小瀬は17歳で初陣を共にしてからというもの、妙に絡んでくるようになった。
「またお呼び出し? 重臣殿も大変だねえ」
いつもの調子で、横に並んでくる。
気安く、距離が近い。
高成の父は家老であり、小瀬はその配下にあたる。三男という立場もあるのか、家に縛られず飄々とした自由人だ。
「用があるなら手短に言え」
「冷たいなあ。十年の仲だろ?」
高成は歩調を緩めない。
「最近さ」
小瀬は、少しだけ声を落とした。
「やたら景綱様に呼ばれてるだろ。……大丈夫か?」
足が、止まる。
ほんの一瞬。
それだけで、小瀬は気づいた。
「……やっぱり、何かあるんだな」
「ない」
即答だった。
「はいはい。そう言うと思った」
小瀬は肩をすくめる。
「別にさ、無理に話せって言ってるわけじゃない。ただ……」
一拍、置いてから続ける。
「もし何かに巻き込まれてるんなら、理由くらい聞かせてもらえたら、嬉しいかなって」
冗談めかした言い方。
けれど、目は真剣だった。
高成は、前を向いたまま答えない。
「なあ、高成」
小瀬はそれでも続ける。
「俺さ、お前のこと嫌いじゃないんだよ。勝手にだけど」
高成は小瀬の言葉に、理解できず僅かに片眉を上げた。
「お前が人付き合い苦手なのも、妙に人と距離取るのも知ってる」
だから、と続ける。
「……一人で全部背負うなよ」
沈黙。
高成は、しばらく歩いたあと、ようやく立ち止まった。
「……余計な心配だ」
それだけ言って、振り返らずに去る。
小瀬はその背中を見送りながら、ため息をついた。
「ほんっと、可愛げないなあ」
けれど、笑いながらも、目はどこか曇っていた。
戦場での鬼神のような働きと、あまりに整った顔貌から「人外」と恐れられてはいるが、小瀬から見た高成は、ただの不器用な男だった。
腕はたつがおよそ人間の範囲を越えない。
初陣では共に傷をおい、死線をくぐってきた。
あの日々を、小瀬は信じている。
——嫌な予感がする。
理由はわからない。
ただ、長く同じ戦場に立った勘が、静かに警鐘を鳴らしていた。
再び1人となった高成は、城の高い場所から、贄を閉じ込めた塔を見下ろしていた。
その先にいる女の顔を思い浮かべることはしない。
情は判断を鈍らせる。
自分には、許されない。
先程の会話が、頭をよぎる。
——理由を聞かせてくれたら、嬉しい。
小瀬の声を、振り払うように目を伏せる。
小瀬という人間が嫌いなわけではないが、自分にとっては必要のない感情だった。
これ以上、失うものを増やすつもりもない。
「……」
障子越しに、低い声が聞こえる。
南雲景綱と、南雲に組みする僧侶の一人だ。
今の高成の任は景綱の護衛だった。
景綱は疑り深い。もちろん高成のことは信用してはいないだろうが、今話している僧も、まだ疑いの範疇にいるのだろう。
贄に関することは城の中でも、景綱と古参の重鎮達、そして、古から南雲の地を法力で守ってきた流派の僧侶達…"影供"など、極わずかな者しか知らない。
座敷牢の見張り達は、ただの罪人の女が捕らえられていると思っている。
──これだけの重要機密でありながら、今現在、祟りや呪いなど、今では信心深い者だけが恐れるものだ。
今よりも闇が深かった平安の世とは違い、僧侶や神職の台頭で、徐々に異形たちの力は弱まりつつあった。
景綱もどちらかといえば、信じない部類の人間だったと、高成は記憶している。
それがどうしたわけか、最近では何かに取り憑かれたように、僧侶たちとの会合を重ねていた。
「贄の血筋の者は見つからぬ、か」
景綱の声は乾いている。
「残念ながら。早く策を打たねば、取り返しがつかぬことになる可能性も……北の方では、すでに森が騒ついております。」
「そもそも、生き残りがいるという保証がない。」
「やはり半端とはいえ、数を増やし時を稼ぐしかありませぬか……」
自分に聞かせられる範囲の情報しか話さないのだろう。
高成は、その会話を最後まで聞かなかった。
聞く必要がないからだ。
話を終えた僧侶が障子を開いた。側に控えていた高成と目が合う。
壮年の僧侶の瞳には、何か含みがあった。
わずかな殺気すら感じる。
僧侶は事を起こす気はないのか、一礼してその場を後にした。高成はそれを一瞥し見送る。
見るものが見れば、高成は異様に映るのかもしれない。
自分が周囲からどのように見られているかを、高成は知っていた。
(まことに人でないなら、このような思いもなかっただろうに。)
高成の目が陰る。痛みなど、とうの昔に忘れたというのに。
「高成」
「……なんでしょうか。」
部屋の中から景綱が呼ぶ。
高成は廊下に座したまま、主君に向き直った。
「今の話、聞いていたな」
「聞かぬほうが宜しかったでしょうか」
「いや……」
景綱の表情はわからない。
ただ、障子の中から、試すような視線を感じた。静かに、高成は次の言葉を待つ。
景綱は鼻で笑ったあと、ゆっくりと続けた。
「この先、お前が何をするのか、楽しみにしている」
「………………。」
高成は刺さる視線に、瞼を閉じる。
「……なんの事で御座いましょう」
景綱は、白々しいと、おかしげに笑った。
「もうよい、下がれ。」
任を解かれ、踵を返し、来た道を辿る。
——先延ばしは、もう限界だ。
南雲の城は、堅牢だ。
同時に、逃げ場がない。
だからこそ、準備は整えてきた。
遠くに見張りの気配がある。
監視のため、景綱が付けたのだろう。
高成は立ち止まらず、歩調も変えない。
柱の影、襖の隙間、庭木の向こう。
視線がある――そう確信できるほど露骨ではない。
だが、偶然にしては重なりすぎている。
廊下を曲がる。
先ほどまで人の気配はなかったはずの場所に、下働きがいる。
視線を伏せ、何も言わず、だが私の動きを正確に把握している。
……なるほど。
高成は小さく息を吐く。
苛立ちはない。
むしろ、予想通りだ。
(私が動くことを、あの男は疑っている。
いや、疑っているのではない。
いつ裏切るかを測っている。)
庭に出る。
冷えた強い風が吹き抜け、高成は足を止める。
庭を彩っていた紅葉は色を失くし、乾いた音を立てながら攫われていく。
それを見送ったあと、高成は瞼を閉じ、そっと腰に帯びた佩刀を確かめた。
戻れない。
だが、戻る必要もない。
——贄を消す。
それが正しいかどうかは、問題ではない。
自分が選んだ以上、責は負う。
「……これでいい」
誰に言うでもなく、そう呟く。
高成は歩みを止めない。
南雲を敵に回す覚悟は、すでに済んでいた。
次にこの城を出た瞬間から、
自分は「重臣」でも「武士」でもなくなる。
それでいい。
最初から、そのつもりだったのだから。
季節感の描写を忘れているのに気づきました。
前の投稿内容も修正しています。
攫われの夜は初秋、季節は徐々に冬へと移り変わります。




