距離
最近の門番は騒がしかった。
毎晩のように訪れていた景綱の気配がないだけでまいの心はいくらかマシであったが、今度は見張りの度重なる宴に眠れなかった。
景綱も高成も来ないとなれば、ここの人目は皆無に等しい。咎めがなければ、怠けるものは本当に怠ける。連日、ひょうきんな声と下品な笑い声が響いていた。
しかし、今日はやたらと部屋が明るく、声が近い。
(なに?)
粗雑な足音と、壁にぶつかる音、話し声がどんどんと近づいてくる。……おそらく酒盛りをしていた見張りだ。
これまで、見張りは中まで入ってくることはなかったのに。
鼻を刺したのは、強い酒と汗の混じった重たい臭い。
「お、ほんとだ!女だ、女がいる!」
「なんだ、意外とみすぼらしいな」
顔を出したのは景綱でも高成でもない、赤ら顔に無精髭を生やした壮年の男2人だった。
まいはこれまでとは違う身の危険を感じ、布団から起き上がった。
2人は物珍しいものでもみるように、格子に手をかけ中を覗き込んでくる。その顔はいやらしい、下卑た笑みを浮かべていた。
「景綱様も高成様も、もったいぶってよ。
ちょっとくらい……構わねぇよな?」
「どうせそろそろ使い捨てだろ、最近じゃ誰も来やしねぇ」
まいの身体が、瞬間的に強張った。
男達の手には鍵が握られている。
この格子は、まいを捕えるためのものだが、同時に鍵さえ開けなければ、他の人間はまいに触れることはできない。それが壊されようとしている。
男が扉に手をかけようとする。まいは床を蹴って後ずさる。喉の奥で、息が悲鳴みたいに震えた。
「いや……いやっ……来ないで……!」
男がいやらしく笑う。
「怖がんなよ。どうせ殿たちとも楽しんでたんだろぉ??」
言い終わる前に。
空気そのものが切り裂かれた気がした。
「……何をしている。」
低い声。
空気の温度が一気に落ちる。
高成が、そこにいた。
まるで影から出てきたように無音で。
男達は振り向き、高成の顔を見た瞬間に青ざめた。
「い、生田様……ち、違うんです、俺らは……」
「景綱様の意に背くと、理解したうえでの行動か」
一歩近づく。
その一歩が、獣の気配のように濃密だった。
次の瞬間、
乾いた衝撃音が一つ。
「ぎゃっ!!」
男一人の身体が壁際に横倒しに崩れ落ち、
二度と起き上がらなくなった。
それをもう1人の男が震えながら見ている。酔いも冷めたのだろう、その顔は青ざめていた。
高成はまるで何もしていないかのように、袖一つ乱れていない。ただ一言、簡潔にもう1人の男へと命令を出す。
「連れて行け。沙汰はおって出す」
男の顔が強い怯えの色を見せ、もう1人を引きずりながら慌てた様子で去っていった。
高成はしばらく無言でまいを見つめる。
その黒い瞳には、感情らしいものはほんの一滴も浮かんでいない。ただ、“必要か不必要か”を測るような光だけがある。
やがて静かに口を開いた。
「……恐かったか。」
声は淡々としていたのに、
まいの胸の奥に、ひどく複雑な何かが刺さる。
まいは震えながら問い返した。
「……どうして、助けたんですか。
あなたは……私を……」
高成の表情は微動だにしない。
「勘違いするな。
"目的’’のためだ。それ以上でも、それ以下でもない」
目的。景綱と高成は、違う目的を持っている。
「目的って……何なんですか……?」
その問いには、高成は答えなかった。
ただじっと瞳見つめられ、まいはいたたまれなくなる。思わず視線を逸らし視線をさ迷わせると、高成の溜息が聞こえた。
そして、高成が手に持っているものに気づく。
「……食を持ってきた」
淡々とした声。
盆にはまだ湯気を漂わせる粥と少量の菜が乗っている。
まいの喉がかすかに鳴る。
高成は目を伏せたまま、牢の格子越しに盆を差し入れた。
まいの手が震えているのを見て、ほんの一瞬だけ、彼の眉がごくわずかに動いた。
「……食わねば、弱る」
言いながらも、強制はしない。
けれどその声音の奥に、わかるはずのない微かな焦りが潜んでいる気がした。
格子に近寄り、まいは盆を受け取る。
「…ありがとう、ございます。」
高成の目的が何だったとしても。
この牢屋の中で直接的にまいを害そうとしないのは、高成だけだ。
まいはゆっくりと粥を口に運ぶ。
味はせず、おいしくもない。
でも、空腹で胃が痛んでいたことに気づく。
高成は、まいが食べている間じっとその様子を監視していた。
まるで、その一口一口がどれほど重要か知っているように。
その沈黙は重く、冷たく、しかし不思議と安心を削らない沈黙だった。
そろそろ監禁生活も終わりに近いです。




