沈黙
「……貴様、我が意を妨げるつもりか?」
景綱の、押し殺したような声が響く。隠す気もない、明らかな苛立ち。それをまっすぐ受け止めながらも、高成はただ静かに主君を諌める。
「この女は“贄”。
穢せば、神への祈りは果たせませぬ。」
淡々とした口調だが、絶対に譲らないという意思を感じる。先ほどの瞳の揺らぎは、本当に僅かなものだった。むしろ、まいの景綱へ高まった恐怖心がそう思わせたのかもしれない。
しばし双方の睨み合いが続く。
結局、沈黙ののち景綱はまいの首から手を離した。
まいはやっと息を吐く。まだ逃れられたわけではないが、とりあえずの危機は去った。
景綱は立ち上がり高成と向き合う。
腕を組み、至極つまらなさそうに扇子を取り出すと、顎を上げ、苦言を呈してきた家臣を見下す。
「高成。……贄を穢すのがそんなに怖いか?」
その声音には挑発や嘲りが混じっている。
「恐れではありません。
贄を守り、祀り上げ、
再興させることが我らの目的です。
景綱様はその頂に立つお方。
穢れを受ける必要はない。」
景綱の眉がひくりと動く。
「……口が回るな。人外のくせに」
まいはその言葉にぞくりとした。
人外――?
だが高成はまったく動じなかった。ただ淡々と、己の意見を述べる。
「景綱様。相応の時が来れば全てが整います。」
「……その時とはいつだ?」
「まもなくです。……どうか、お待ちを。」
高成が浅くこうべを垂れる。
景綱も目的は理解しているのだろう。だが、納得はできないと言った様子だ。
まいの事など忘れられているかのように、再び長い沈黙が流れる。その間、高成の姿勢は崩れず、景綱もまた、忌々しそうな顔をしたままだ。
(生田様は、景綱様の忠臣というわけではなかったの?)
噂とは違う2人の様子に戸惑う。
だが、この場ではまいを「救った」高成も、まいの「敵」であることは変わらない。
自分の意思などないところで、勝手に顛末が決まってしまう。この2人のどちかの、いや双方のいう通りになったとしても、この先、自分には助かる未来などない。遅いか早いかの違いだけ。
2人の影で、胸が締め付けられるほどの虚しさにまいは押し潰されそうだった。
そして、沈黙の果てに先に折れたのは景綱だった。
「やはりその目、気に入らぬ」
吐き捨てるように言うと、景綱はまいの事など見ることもなく、牢を後にした。
⸻ ⸻
景綱が去ると、牢内は静寂に包まれた。
高成が視線を落とす。
「……怪我は?」
まいは言葉を失った。まさか気遣う言葉を掛けられるとは思わなかった。
けれど――。一歩こちらへと踏み出してきた高成を受け入れることなどできなかった。
「……こないで」
まいの声は震え、涙に濡れていた。
高成の手は伸びかけて、すぐに止まる。
(私のことを人とも思っていないのは、この人も景綱と一緒だ。)
表面上とはいえ、そのような言葉を掛けないでほしい。この世界で、疎まれ、気味悪がられ、人として扱われなくても。自分に優しい言葉をかけてくれるのは、大切な父と幼なじみだけでいい。
「……そうか」
感情のない返答。
ただの監査役としての振る舞いのように見えるのに、その瞳はどこか痛むように揺れた。
「安心しろ。しばらくは景綱様は来ぬ。」
それだけ言って、高成は何事もなかったように暗闇へ消えていく。
──その後ろ姿は、なぜか孤独を感じさせた。
⸻ ⸻
南雲家の奥御殿。
障子越しの光が薄く差し込む中、景綱はゆったりと上座に腰かけていた。
正面に跪く高成は、
どの角度から見ても礼儀に隙のない姿勢だった。
一分の乱れもなく、ただ静かに主君を見つめている。
「――また、お前か。」
景綱はうんざりしたように口元を歪める。
言葉だけ聞けば軽い呟きだが、
その奥にある“嫌悪の湿った色”は隠そうともしない。
「若侍の中では一番よく働く。
頭も切れ、腕も立つ。
……だが、どうにも気に食わん。」
言われても高成は表情一つ変えなかった。
「恐れながら、景綱様。
お気に召さぬ部分がございましたか。」
「全部だ。」
景綱の声音は平静のままなのに、
まるで毒を一滴ずつ垂らすような重さがあった。
「お前の物腰も、態度も、目も……
まるで人を見ておらん。
私を主君として敬っているようで、
その実、何一つ心を預けていない。」
高成は静かに頭を下げた。
「それが私の不徳であるなら、今後改めます。」
「そこだ。その“正しさ”が鼻につくんだ。」
景綱は酒盃を手に取り、軽く揺らす。
「お前からは情が見えん。
怒りも、喜びも、忠義の炎もない。
ただ“正しく従うだけ”。
それが、薄気味悪い。」
本心をそのままぶつけてくる主君。
それを受けながらも、高成の声音は寸分も揺れない。
「……私は南雲家の一員として、
果たすべき務めを果たしているだけです。」
「違うな。」
景綱は盃を置くと、低く笑った。
「お前は南雲家に忠義を誓ってなどいない。
――ただ、『己の目的のために従っている』。
そういう目だ。」
その言葉に、初めて高成の睫がわずかに揺れた。
ほんの一瞬。
だが景綱はそれを見逃さない。
「やはりな。」
景綱は立ち上がり、高成を見下ろす形になる。
「お前は重鎮の息子で、若侍からも一目置かれている。
父親の背中を追い、家名を背負うべき立場だ。
だが……どういうわけか南雲家に根を張らず、
人の情に触れようともしない。」
近づいてきた景綱の気配は、獣のそれに近い。
「そんなお前を、私は重宝せざるを得ない。
腕は立つし、判断も的確だ。
だが――」
景綱は高成の横顔を見つめながら、嗤うでも怒るでもない、奇妙な冷たい眼差しを落とした。
「“主の私より、深い闇を抱えている家来”など……
本当なら傍に置きたくない。」
高成は押し黙る。
感情らしいものは見えない。
だが景綱の言葉は、確実に核心を突いていた。
やがて景綱は背を向けて歩き去りながら言い捨てた。
「利用価値があるうちは使うさ。
だが忘れるな。
いざという時、お前の首を斬るのは私だ。」
その背中を見送りながら、
高成はひとつ呼吸を落とした。
決して表に出さないが――
景綱の言葉は図星だった。
高成が従っているのは南雲家ではない。
景綱でもない。
忠義でもない。
彼が南雲家に仕えている理由はただ一つ。
それを景綱に悟られたくない。
だからこそ、高成はひたすらに“冷静’’であろうとしていた。
だが――
景綱という男は、そう簡単に騙される相手ではなかったようだ。
小説書くのって難しいですね。自分の言語力との闘いです。




