【番外編:後編】月の憩う背
明けましておめでとうございます。
午年に因んで、再び馬視点での小話となります。
時は過ぎ、漆駒は9歳になった。
漆駒は、走り終えたあとがいちばん好きだ。
春の草原の端、日当たりのいい場所。
高成はゆっくりと降り、何も言わずにそのまま腰を下ろした。
背を預けられる。
──重いな。
──だが、悪くない。
高成は漆駒の首元に額をつけ、深く息を吐いた。
陽を浴びたたてがみの匂いが、風に乗って広がる。
「……温かい」
それは独り言だった。
漆駒は耳を動かす。
──知ってる。
──今日は、よく乾いてる。
高成の手が、たてがみをすく。
指の動きはゆっくりで、何かを確かめるようだ。
「………………。」
今日は、静かでいい日だった。
しばらく、一人と一匹は動かない。
風と、草の擦れる音だけがある。
高成は漆駒に背を預けたまま、更に全身の力を抜いた。背にかかる重みは増したが、その重さがあるほうが、漆駒は安心した。
張り詰めたような雰囲気はなく、その背には疲労だけが滲む。
溜息混じりに高成が言った。
「おまえは、何も考えてないだろ」
漆駒は少しムッとする。
──考えてる。
漆駒は、草を噛みながら思う。
この男は、人の中にいるときより、ここにいるときの方がずっと雰囲気が柔らかい。
まるで、人の中に居場所がないように。
遠くに、小さな集落が見える。
ここは、高成がよく休憩に立ち寄る場所。
高成は、その集落の人の動きをじっと眺めていた。
「……変わらんな」
誰に向けた言葉か、漆駒は知らない。
だが、声は穏やかだった。
男は村へは行かない。
いつも遠目に見るだけ。それだけだった。
高成は立ち上がり、漆駒の額に手を置く。
そして、無言のままワシワシと撫でてきた。
意味は分からない。
だが、その手は感謝を伝えている気がした。
──こちらこそ。
漆駒もその手に額を擦り付けるようにして、高成に頭を傾けた。
陽が傾き始める。
「帰ろう」
漆駒は静かに立ち上がる。
背に伝わる重さが、いつもより柔らかい。
──この男は、ありのままには生きられない。
──それでも、また人の中へ戻っていく。
ここにはまた来る。
それを、漆駒は知っていた。
高成と漆駒の前後編、これで一区切りです。
本編ではあまり描けない「何も起きない時間」を、今回は馬の視点から切り取ってみました。
しばらくお正月休みを挟み、また本編に戻ります。
今年もよろしくお願いします。




