【番外編:前編】月を知らぬ馬
一章完結と年始のお休みを兼ねた、少し寄り道のお話です。
来年が午年ということもあり、今回は高成の相棒である馬・漆駒に焦点を当ててみました。
本編よりも6年前と、本編開始直前の、二つの時間を切り取った小さな一幕になります。
──これは、まいと高成が村で出会うよりも、6年前の話。
三度目の春を迎えたばかりの黒馬は、力だけが先に育ち、落ち着きどころを知らなかった。
漆駒は、人間が嫌いだった。
近づくと、匂いがうるさい。
声も、動きも、信用ならない。
特にこの若い男は、妙だった。
近づいてきても、匂いが薄い。
普通の人間が持つ、焦りや恐れの匂いがしない。
代わりに、夜の空気と鉄の名残だけがある。
──この人間は、他と少し違う。
若い武士──高成は、こちらを見て静かに息を整えると、何も言わずに手を伸ばしてきた。
他の人間のように大声を出さず、力で押さえつけようともしない。
それが、気に入らない。
(何を考えているかわかんない)
最初に背に乗られた日は、わざと暴れた。
首を振り、脚を跳ね上げ、土を蹴る。
普通なら、怒鳴る。
叩く。
あるいは降りる。
だが、この男は降りなかった。
「……そうか」
それだけ言って、手綱を短くも引かない。
(落ちろ。
さっさと落ちろ!)
漆駒はさらに跳ねた。
だが、背の重さは消えない。
男の脚は、強くも弱くもない。
ただ、静かに漆駒にむけて注意しただけだった。
「走るのはいい。だが、好きに走るな」
──────何様だ。
漆駒は荒く息を吐いた。
それでも、男の機嫌は変わることはなかった。
そうして何日か過ぎた頃をある日、漆駒は意地悪をした。
合図を無視し、逆に動いた。
男は、ため息をついた。
「……頑固だな」
怒らない。
殴らない。
代わりに、降りた。
地面に立ち、漆駒の前に立つ。
「今日は、ここまでだ」
(……拍子抜けだ。)
男は、そのまま厩に戻った。
置いていかれた形だ。
漆駒は落ち着かなかった。
囲いの中を歩き回り、耳を動かす。
次の日も、男は来た。
「変わりはないか」
それだけ言って、近づく。
今日は乗らない。
撫でるでもなく、ただそこに立つ。
(──なんだ)
三日、五日、十日。
男は毎日来た。
(なんなんだ??)
乗らない日もある。
走らせる日もある。
暴れれば、無理はさせない。
落ち着けば、長く乗る。
(基準が、よく分からない。)
ある日、漆駒は疲れた。
走りすぎたわけではない。
考えるのに、疲れた。
男は降りて、静かに言った。
「今日は、よくやった」
初めて聞く言葉だった。
(――何を偉そうに)
だが、胸の奥が少しだけ静かになる。
その日から、漆駒は少しだけ話を聞くようになった。
完全ではない。
だが、比較的、前よりはだ。
男は急がない。
焦らない。
毎回、同じことをする。
合図は短く、態度は変わらない。
(──この人間は、逃げない。)
そう思ったとき、漆駒は初めて背を任せた。
男の手が、首に触れる。
「……ようやく、だな」
声が、ほんの少し柔らかい。
……そうかもしれない。
その日、漆駒は走らなかった。
ただ、歩いた。
それでも、男は満足そうだった。
それ以降──漆駒と高成は、幾つもの戦場を共に駆け抜けた。
漆駒が恐怖に身を固くし、荒れ狂うことがあっても、高成の鞭は必要な時にしか振るわれなかった。
時を重ねるごとに、一人と一匹のあいだには、言葉を要さぬ確かな絆が育っていったのだった。
出会ったばかりの頃の二人(?)でした。
次話では、少し時間が流れたあとの話になります。
来年も更新は続けていきますので、読んでいただけますと幸いです。
それでは、よいお年をお過ごしください。




