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後編『ミレイナ』


 自分が絞首台に立つ姿を見せられるミレイナが、そこにいた。


「これが君の未来の姿だ」

「わたくしの」

「君の」

「未来の」

「姿だ」


 言葉は理解できたが話が頭に入ってこない。

 ミレイナはオウムのように繰り返す。完全に思考が停止していた。


「あの、ミレイナ?大丈夫かな?」

「ぜんっぜん大丈夫じゃありませんわ!」


 ドン!と目の前の机を叩く、叩いたところで机に映る、淑女にあるまじき姿の自分を見て、途端に冷静になった。

 居住まいを正し、発言の続きを即す。


「これが神の啓示である。ミレイナ。君はその聖女の座を失い処刑される運命なのだ」


 嘘や冗談や夢だと思いたかった。

 だがミレイナの聖女としての恵まれた高い能力が、目の前の少年とも少女とも思える人間離れした姿をした人物が、本物の神の使いである事を本能で理解した。

それを前提で話を進めるしかない。


「この予言を覆す事はできまして?」


 淡い希望だ。


「その場合、世界が滅びることになる」


 淡すぎた希望だった。


「貴方の次の聖女であるソラ・ソシエールが、復活する邪龍帝から世界を救う。これが神の示した正しい未来だ」

 

 神の能力を引き出せる器としての適正値が高い少女が、聖女として選ばれる。それがミレイナだ。だがそれもいずれ過去になる話のようだ。


「そうですか……」


 天を仰ぐ、そこには何もない白い空間があるだけ、ここはミレイナの意識下に作られた空間だと説明された。真っ白な世界。


「わたくしは、世界を救えるというなら、聖女という地位に固執しても仕方ないと思っていますわ」


 ミレイナは幼い頃に聖女に選ばれてから、血の滲む努力をしてきた。聖女としての戦闘力、相応しい立ち振る舞い、人生の全てを、その能力を伸ばすために費やしてきたと言っても過言ではない。その自負はミレイナを支える根源でもある。それでも。


 私では無くとも、誰かが確実に世界を救うのであるなら、それで良いのではないか。


「君がソラと協力して事を成す事は出来ない」


 私が聖女で無くても……そう考えた自分の甘さを、見透かすように、御使様の透き通る瞳に咎められたかに思えた。


「君にはソラと敵対しながら悪役として、彼女をミレイナ以上の聖女に育てて貰いたい」

「悪役……?それはどういう事ですの……?」


 どう飲み込んで良いのかわからない発言に、思考がついていけなくなる。




「すまない、もう時間が無いみたいだ。これ以上は邪龍に勘づかれる。君なら理解できるね?あれの手は着実に伸びている。悟られてはいけない。あくまで我々の側は反目しあって ると わせ け」

 

 空間が崩れ落ちていく。

 落ちながらミレイナは自分の命と、世界の行く末を思う。15を迎えた一人の少女には重すぎる問題だった。



「嫌な夢を見ましたわ…… いえこれは現実でしたわね」

 憂鬱な気持ちで目を覚ましたミレイナは、重たい頭を振り、雑念を振り払うよいに日課である剣を振る。

 汗を流し、跳ね上がったブロンドの髪を櫛で寝かしつけ、お気に入りのブローチでハーフアップに纏める。

 ピシッと制服を着付け、リボンが曲がっていない事を確認し、鏡に向かって微笑む。嫌らしくない薄い化粧をした完璧な「聖女」であり「令嬢」の姿を確認し学園に向かう。

 常日頃から「聖女であるお前は常に人に見られていると思え」公爵である父に叩き込まれてきた。

 その教えを、聖女として、アストバイン家の令嬢として恥じぬ人間であろうとしてきたつもりだ。

 それを貫けると信じていた。 今日この日までは。


「これから共に勉学に励んでいただくソラさんです。是非仲良くしてあげてください」

 

ついにこの日が訪れた。聖女ソラ、その姿を、未熟ながらも溢れ出す力、その潜在能力は、自分を遥かに上回るであろう力を実際に目にして、ミレイナは理解する。あれは本当に現実なのだと。


「あの……! ミレイナ様……」


「ソラ・ソシエールです。よろしくお願いします……!」


 授業を上の空で聞いていたミレイナは、ソラが目の前に立っているのにも気付けないほど動揺していたようだ。


「これから御指導、よろしくお願いします……!」


 ソラに深々と頭を下げられ右手を差し出される。

 ミレイナには、これからソラを聖女として成長させる指導役を任されている。これほどの力を宿していても、正しく扱えなければ意味がない。ミレイナからすれば、ソラは聖女としてはまだ赤子にも等しく、だからこそ今、邪気に取り憑かれている自分に気付かず、祓うだけの防衛手段を持たないのだ。

 御使い様の言うとおり、邪竜帝の策略の手は静かに、着実に伸びてきている。


「なるほど、汚い手をお出しになる、という事ですわね」

「え...」


 バチン。

と弾ける音がして、ソラがよろけ尻餅を付く。ミレイナからすれば、人睨みで霧散する程度の邪気ではあったが、その衝撃にすらソラは耐えられなかったようだ。

 ミレイナは立ち上がり、状況が掴めなくて目を白黒させるソラを見下ろす。この少女を鍛えなくてはならないのだ。自分を超え、邪龍帝を倒し、世界を救う聖女にするために。自分の死と引き換えに。誰にも気付かれる事なく。


「おっとごめん遊ばせ。まさかこの程度で倒れるとは思いませんでしたわ。もっと鍛えたほうがよろしくてよ?」


 一瞥し教室を出る。後からミレイナが追いかけてくる気配があるが振り返りはしない。どこまで邪竜帝の目が届いているのかミレイナには判断できない。もう後には引けないのだと、ミレイナは唇を噛み締めた。

 

 聖女として必要な能力は、聖なる力を制御し身体能力を向上させ、それを聖剣で叩きつける。至極単純なモノだが、それ故に肉体の基礎能力の向上が必要不可欠と言える。

 今日も訓練場で木剣の音が響く。


「貴方ね。いい加減しっかりなさってくださいまし?その落とした剣には何人の命が載っているのか自覚しているのかしら。何度も何度も言わせないでほしいわね」

「あ……ごめんなさい……申し訳ありません……」


 手を押さえ苦痛に顔を歪ませて俯くソラ。幼い頃から鍛え続けたミレイナとは、当然に、大きすぎる実力差がある。


「早く剣をお取りになって。無駄な時間はありませんのよ」

「はい……! はい!!」


 息を切らせ、泣き出しそうな目を堪え、恐ろしい相手であろう自分に折れずに向かってくるソラ。


「きゃっ!」


 唐突に聖なる力をぶつけてソラを弾き飛ばす。


「剣だけに集中するなと、これも何度も申し上げておりますわ。自分に纏う力の重さを自覚なさい。そうやって無様に転げながら、横たわる守れなかった命にどう謝罪するつもりかしら?」

「はい……ミレイナ様……申し訳ありません……」


 ソラは何とか立ちあがろうとするが、気力も体力もごっそり削られ、目に力が無い。


「今日はここまでですわね」


 こんな訓練をほぼ毎日、ソラが倒れるまで続ける。我ながら厳しい訓練を課しているのだが、それでも折れずに付いてくるソラには、素直に感心していた。すぐに根を上げるだろうと、そう高を括っていた自分を恥じた。



 そんなある日。


「やぁミレイナ。久しぶりだね。訓練に励んでいるかい?」


第四王子であるフェイネス殿下。美しい金色の髪の目見麗しい外見と、理知的な態度、人当たりの良さにより国民に人気の王子。そしてミレイナの婚約者でもある。


「殿下!お久しぶりでございます!お会いしたかったですわ。お忙しいのに今日はどういったご用向きで?」

「ミレイナに会いにきた。それではいけないかい?」


 ミレイナは優しい笑顔に心が暖まるのを感じるが、あの殿下がそんな理由で来た訳では無い事は理解していた。


「ソラ。久しぶりだね。君が新たな聖女として王宮に来た以来だね。どうだいここでの生活は?困っている事があったら何でも言いなさい」


 手を差し出されたソラは、疲労感に襲われながらもなんとか殿下の手を取り立ち上がる。


「すすすすいません!汗ばんだ手で殿下のお手を汚してしまって」


 真っ赤になりながら、弁明をするソラの手を、殿下は優しく握り。


「構わないさ。これは君が国のために頑張っている証拠さ。何を汚く思う事がある」

 

 疲労と緊張で焦点が定まらないソラは、その場で気を失ってしまい、殿下とお付きの従者に抱えられて部屋まで運ばれていく。


 「ふふ……あんなになるまで頑張っているなんて、私も国を支える者として、より励まねばと身が引きしまる思いだよ」

「ところでミレイナ」


 少し低くなった殿下の声に息を呑む。ここからが本題だと、ミレイナの本能が告げる。


「少し厳しすぎやしないかい?」

「殿下……それは」


 そうフェイネスは釘を刺しに来たのだ。近頃聖女の訓練を知る者の間で、こんな噂が流れている。「ミレイナ様は、新しい聖女であるソラ様に立場を奪われた事に腹を立て、必要以上に厳しい訓練を私利私欲のために行なっているのではないか」と。


「いや私も、この件関しては二人を信じて任せるしか無い事を、心苦しく思っている。重い使命を背負わせている事も」


 ミレイナは黙ることしか出来ない。何を言っても言い訳にしかならず、聡い殿下なら事の真意に気づいてしまうかもしれない。これは世界を救うためなのです、などと言えるはずもない。


 俯くミレイナを見て少し顔を曇らせるが、


「話は以上だ。会えて嬉しかったよミレイナ。今度はソラと3人でお茶でもしよう」

「はい。わたくしもです。殿下。その日を楽しみにしていますわ」


 それでも殿下なら、自分の事を信じて理解してくれるのではないか。この運命の中で、私の救いになってくれるのではないかと、ミレイナは淡い希望を胸に抱いてしまったのだ。



 少しの月日が巡り、冬が明けた頃。

 カランと剣が落ちる音が静かな訓練場に響く。


「やった!やりました!ついにミレイナ様から一本取れました!」

 

 二人しか使うことのない室内は、傷や破損が目立ち、二人が過酷な訓練を行っていた事を物語っていた。

 

 ぴょんぴょんと、喜びで小さく飛び跳ねるソラを横目に、痺れる手を抑え床に座り込み、静かに床を見つめていた。


「ミ……ミレイナ様……?大丈夫ですか?」


 恐る恐る伸ばしてくるソラの手を握り返して、「よくやりましたね」微笑めばどれだけ楽になるだろう。しかしそれは許されない。ミレイナ自身が許さない。世界を見捨てる事など許されるはずがない。


 パシン! 

とソラの手をはねのける。


「調子に乗らないでくださるかしら。この程度の力で一人前にわたくしを心配するなど……世界を背負っている自覚をもっと持たれてはいかが?」

立ち上がり落とした剣を拾いに行く。

「申し訳ありませんミレイナ様……」


 そうだ。それでいい。もっと強くなって貰わなければ、世界のために。守るべき人々のために。


 パンパンと手を叩く音が張り詰めた空気に響き。神々しいオーラが周囲を照らす


「殿下!?」


 ソラがアワアワと目を回している横でミレイナは顔を背けた。

 フェイネスがこの訓練場に来る時は大抵、ミレイナの素行に釘を刺すために決まっていた。どれだけ愛しい人でも今は顔を合わせたくはない。


「二人とも訓練に励んでいるようだね。邪魔して悪いとは思うが上質な茶葉を手に入れてね。日頃の労いも兼ねて、二人にも是非味わってもらいたいと外に場を設けさせてもらったんだ。せっかく準備してくれた従者達のためにも、私の顔を立ててくれはしないだろうか」


 外は春を迎えた陽気も相まって穏やかな空気が流れていた。

 広い庭先に丸いテーブルを椅子を置き派手さは無いが高価なお菓子が並び、それを三人で囲む。

 ソラはメイドに淹れられたお茶も飲まずにカチコチに固まっていた。


「わっわたし、こんな席初めてで。こんな、なんかすごくて、緊張しちゃって。失礼な事してしまったら。今してますってははは」


 カップを持ったまま口も付けれず、緊張で口も回らなくなってるソラに、自然体に微笑みかける。


「いいさ。気にしなくて構わない。これから徐々に慣れていけばいい。今後いくらでもこんな機会は設けられるからね。二人が築く平和の後にいくらでも」

 

 おそらくあえて一度も視線を向けなかったミレイナに向き直る。ミレイナは俯いたまま手元のお茶を入ったカップから視線を逸らさない。


「だから二人には仲良くしてほしいんだ。またこのお茶会を開くために」


 視線は合わせないが、ミレイナには殿下がニッコリと微笑んだという確信があった。ソラの事を思って。きっと私の事も想ってくださっているという、確かな温かさが胸にはあった。



本当にありがとうございます。殿下。


これで、


お別れです。

 

 ミレイナとソラのカップには毒が盛られていた。

 聖女だけを狙った死に至る毒。

 フェイネスにすら気づかれない周到な罠。


 ミレイナは毒に気づいてからずっと力を集中させ、自分の手元のカップに入った毒を浄化しきった事を確信した。テーブルの上にカップを静かに置き、一つ息を大きく吐く。


 


「仲良く?そんな事。お断りしますわ」


 いよいよお茶に口を付けたソラのカップを、ミレイナの手が弾き飛ばす。


「え……?」

「なっ!」


 まるで時間が止まったかのように、ミレイナの突然の暴挙に二人の思考が停止した。芝に転がるカップとミレイナだけがその中を動く。ソラが毒にどれだけの耐性を持っているかわからない。よって毒を浄化し聖水に変えたお茶をソラの頭に被せる。

 ビシャビシャと注がれるのを固まったまま受け入れているソラに対して、思考を取り戻したフェイネスは即座に駆け寄りミレイナの腕を掴む。


「ミレイナ!君は!君はどうして!どうしてしまったんだ!?」

「お優しい殿下!殿下は人を信じすぎるきらいがありますわね。だからこんな事態になるのですわ」


 ここに毒が持ち込まれた時点で、もう殿下の近辺にも、邪竜帝の手の者が入り込んでいるのだ。この発言の意図を察して、身辺調査を徹底してほしいと願う。


「ミレイナ。君を……信じた私が愚かだったのか?」

「そこで水を浴びている女に、風邪をひかせても構わないと、おっしゃって頂けるなら、かつてのミレイナに戻れるかもしれませんわね」


 これからは、私なんかより彼女の事を大切にしてあげてほしい。早く体を拭いて温めてあげてほしい。二人の仲睦まじい姿が頭をよぎるたび、ジワジワと、染み込むような胸の痛みで呼吸が苦しくなるが、今は耐えるほかない。


 「ミレイナ!」


 フェイネスの手が振り上がりミレイナが頬を叩かれる覚悟をした瞬間。


 「殿下!!」


 ソラの叫びが二人の空気を裂く。


「いいんです殿下。そんな事はやめてください。私は大丈夫です。大丈夫ですので」

 

 ソラの放つ圧に、二人は圧倒されて後ずさる。

 ここでの心労と、浄化による疲労によって、耐えきれずミレイナはその場で崩れ落ち気を失った。



 ミレイナが目を覚ますとそこは自室のベッドの上だった。


「ミレイナ様。お加減はいかがですか?」

「あなた……なんでここに……?」

「お背中、お拭きしますね」

「え……えぇ、お願いするわ」


 今の状況を全く飲み込めない事と、溜まった疲労によって頭が働かず、押し切られるように服を脱ぎされるがままになる。

 一通り清拭を受けた後、服を着直し髪をすいてもらい再びベッドに横になる。


「もう帰ってよろしくてよ。また起きた時あなたの顔を見るのはごめんですわ」


 ソラに背中を向けるように横になり目をつぶる。

 少しの時間そうしただろうか。ソラがぽつりと語りかける。

「ミレイナ様。起きてますか?」


 ミレイナは答えない。彼女は寝ている。ゆえに今からソラ語る言葉はただの「独り言」に過ぎない。


「わたし。聖女の役割なんて本当はどうでもよかったんです」

「国のなんか偉い人がゾロゾロやってきてわたしに言うんですよ。あなたに聖女の適性が見つかりましたって。可笑しいですよね。わたしなんかただの孤児で、親の顔も覚えてないですけど、孤児院の皆には良くしてもらって、友達もいて、あの人かっこいいねーとか恋バナもして、人並みに幸せで普通に生きてたんです。別に世界を守ってやるーとか、悲しい過去がわたしを強くするーとか、物語の主人公みたいな事は全然無くて、ほんとどうでもよくて」

「だから王都に招かれた時も都会ってすごいなーって別世界のように思えたし、ミレイナ様っていう聖女様に教えを乞えって言われても私じゃなくてミレイナ様がやればいいんじゃないの?って思ってました。あっ、学校に行かせてもらえたのは嬉しかったです、本当に」


「わたしが聖女になって邪竜帝を倒さねば世界が滅びる」


 夢の中でそう言われちゃってと、ソラは力なく笑ったかに思えた。


「そんな運命の教えなんて聞かなくてもなんとでもなるでしょって。真剣に考えずに日々を過ごしてました。元々争いごとは好きじゃないので、戦闘のための訓練は辛かったですけど。それもいつか適当になんとかなって。結局ミレイナ様が戦ってくれるんじゃないかなって。わたしは後ろでサポートするくらいで許してもらえないかなって」


 ふぅ……と、僅かな静寂があった。


「でも、それは今日で、もう終わりにします」

「わたしは、わたしの運命を受け入れます。わたしが強くなって邪竜帝を倒し、世界を救います」


 独り言の告白を終え部屋を出るソラ。

 ミレイナは一人、流れ出る涙を止められずにいた。

 あぁ良かった。自分の想いや行動は無駄ではなかった。自分のように運命を受け入れ、戦おうとしてくれる人がいることに、心から感謝をした。折れそうな心を励まされた。ずっとずっと不安だった。悪役を演じることが本当に世界のためになるのか。世界のためを免罪符に、ソラを傷つけ続ける事が本当に正しいのかと。


 それでも彼女は立ち向かうと言ってくれた。ミレイナの事は理解してくれなくてもいい。それでも確かに希望は成ったのだと。


「わたくしも、もう迷いませんわ」


 迷いも悩みも涙とともに流れ出し。そこに残ったものは純粋な世界に殉じるという想い。窓を開け眩しい朝日に目を細める。


あぁなんて世界は美しいのか。



 数日後、国境の城門の前に、人目をはばかるように頭から外套を被ったミレイナがそこにいた。


「いくのかい?ミレイナ」

「あら御使様。見送りにに来てくださったのですか?」


 実際に存在しているわけではないが。ミレイナの眼の前に立っているかのように錯覚させられる


「うん。ここから先は我々の加護が届かないからね。これから大丈夫かい?ミレイナ・アストバイン」

「えぇまったく。殿下との婚約も無事破棄されましたし、父様にはちゃんと勘当していただきました。だからわたくしは、いえ私はただのミレイナです。ふふ。家を失くしたら少し身軽になって驚きました」


 ちょっとだけくすぐったそうに、はにかむミレイナ。それは聖女と令嬢という身分を背負って立っていた時には見せない顔だった。


「だからこれから何をしようと、誰にも迷惑をかけずに済みます。御使様。ソラの事。よろしくお願いしますね」


 勘当してほしいという自分のワガママを、何も説明を聞かずに受け入れてくれた父。

 ミレイナからの婚約破棄を受け入れて、願い通り殿下の方から破棄したように取り計らってくれた殿下。

 そして私の希望であるソラ。


「さてこれから忙しくなりますわ!」


 ここからはそう。あの絞首台にたどり着くために泥をすすりながら生きていくことになるのだ。


 そんな過酷な未来を想像しても、いまさらミレイナは揺るがない。


 この胸には、ソラに灯された光が、煌々と熱を持っている。


「ミレイナ。君を心より尊敬するよ。私より最大の賛辞を。これからの道行きに祝福を」


 深々と頭を下げる。そして心よりミレイナを想い、祈る。


「えぇ、ありがとうございます。御使様。もし再会しましたらお名前を教えて下さいね!」


「うん。約束するよ。いってらっしゃい。強きミレイナ」


 手を振りながら未知の世界に駆けていくミレイナ。彼女の進んだ轍は光り輝いて見えた。


 ここからは加護の届かない世界なので、話に聞く限りではあるが。

 婚約破棄をされた元聖女の令嬢は実家から追放され国外に逃亡。邪竜教に入信、遠征に出た聖女ソラを邪竜教と共に襲撃し、返り討ちにあい、邪竜教は壊滅、その身を捕縛されたと伝えられている。



 それは抜けるような青空だった。

 街の中央に設置された、円形の広間に続く大通りを、女性は歩いていた。

 それはまるで舞踏会に赴く気高い貴婦人のような佇まいで、美しく、自信に満ち溢れた表情で石畳を進んでいく。

 その女性を一目見ようと詰めかけた民衆は、その姿に息を呑み、投げかける言葉を見失った。


「あれが……」

「まさか本当に……?」


 困惑するのも当然だった。

 その女性は聞かされ想像していた人物像とは、あまりにもかけ離れていたからだ。

手枷をつけられて薄汚れた服を着て、後ろにまとめられた金色の髪は汚れてほつれ、武装した騎士に連れられている女性。

 裸足なのに、まるで高いヒールを履いているかの如く、聞こえもしない音が耳に響いていた。

 ありもしない現状が理解を拒んだ。


「あれが元聖女……?」

「嫉妬に狂って現聖女のソラ様を暗殺しようとした……」

「大罪人の魔女ミレイナ・アストバイン……」


 その声をミレイナは意に返さず歩き続けた。

 近づく自分の処刑台を目にしながらも、その歩みに一変の迷いも恐れも抱かなかった。

 ただ前だけを向き、微笑も崩さず、自分の舞台へと歩んでいく。

 絞首台に立ち、縄を首をかけられたミレイナ


「最後に言い残すことはあるか?」


 ずっと付き添っていた騎士が尋ねる。


「あら?最後の言葉を残させて頂けるなんて、なんてお優しい事でしょう。

では、聖女ソラ様に、一つだけ伝えて頂けないかしら」

「内容次第だが……善処しよう」


 別にそれをどうしようが、これから死ぬ私には判らないのだから、適当に頷いておけばいいのに。

 ミレイナは真面目な騎士の行動におかしくなり微笑み、最後の言葉を放つ。


「私は悪役令嬢でいい」


これは聖女の座を追われ悪の道へ堕ちた悪役令嬢が処刑されるまでの物語である。


運命はここで終わる。

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