前編『ソラ』
これは聖女の座を追われ悪の道へ堕ちた悪役令嬢が処刑されるまでの物語である。
1
今日、ミレイナという一人の女性が処刑されようとしていた。
「あれが……」
「まさか本当に……?」
手枷をつけられて薄汚れた服を着て、後ろにまとめられた金色の髪は汚れ、ほつれ、武装した騎士に連れられている罪人が彼女だ。
「あれが元聖女……?」
「嫉妬に狂って現聖女のソラ様を暗殺しようとした……」
「大罪人の魔女ミレイナ・アストバイン……」
様々な異名を与えられ、恐れられたミレイナ。
ついに絞首台に立ち、縄を首をかけられた。
「最後に言い残すことはあるか?」
付き添っていた騎士が尋ねる。
「あら?最後の言葉を残させて頂けるなんて、なんてお優しい事でしょう。
では、聖女ソラ様に、一つだけ伝えて頂けないかしら」
「内容次第だが……善処しよう」
首に縄をかけられ、これから死ぬというのに。ミレイナは少しも恐れない、泣き叫ばない、呪詛も吐かない、その姿を聴衆は見守る。
最後に彼女がニヤリと微笑んだように見えたという。
「私は 」
2
「ソラ。貴方に聖女としての適性が認められました。聖女として世界のために戦って頂きたい」
ソラ・ソシエール15歳。その灰色の髪が光に照らされ輝きを持つ。運命の歯車がが回り始める音がした。
あれよあれよという間に上京し、立派なお屋敷に住まわされ、自分の身の回りのお世話をする人ができた。
「お貴族様になっちゃったみたい」
間の抜けた感想が口から漏れ出すくらいに彼女の生活は一変した。
片田舎でひっそりを暮らしていたソラにとって、ここはあまりにも都会で、何度も頬をつねってみては、痛いなぁって現実だと思い知る。そんな朝を数回繰り返し、無駄だと悟った。
聖女。
この世界における聖女の役割は、世界の危機が予言された時、その脅威を武力を以って排除すること。
本来ならば聖女など伝説に記されたおとぎ話の人物であり、実際に先代の聖女を知る者は一人もいない。それほどの平和の時が過ぎていた。
だがそれは10年前、邪竜帝復活の予言で一変する。
世界三大脅威の一角。『赫き地平の邪竜帝』の復活の予言。
その恐ろしい赤い毒の力で大地を染め上げ、生命を死滅させたと伝えられている人類の敵。
その予言を期に、聖女適正の高い少女が選ばれ、その少女が聖女として成長し、脅威に立ち向かうという筋書きであった。
しかしそれは、新たにさらに聖女適正の高い少女が発見されることにより状況は一変。新たに選ばれた次の聖女を、今の聖女に教育させ、共に邪竜帝を封印させよう。という方向に舵を切るのであった。
その次の聖女がこのソラ・ソシエールであり、今の聖女がミレイナ・アストバインという貴族令嬢であった。
そのミレイナと同じ学園に通い、授業の後は、王宮に作られた秘密の訓練場にて、共に研鑽を積むという。聖女はあまりにも重要な役職であるため、その姿は国の中枢に近しい者のみに明かされ、国民は聖女という存在を知るのみとなっている。
ソラが教えを乞うミレイナという令嬢は、とても立派で美しく素晴らしい方だと、自分のお付きのメイドに熱く語られ、ソラは胸を撫で下ろす。ただでさえ争いごとには向かない性格であると自負しているのに、余計なものは御免被りたい。
緊張でわけのわからないまま学園に付き、自己紹介をし、授業を受け、気づいたら終わる。
我に返ったソラは、これからお世話になるミレイナに、挨拶をしなければ失礼になるのではと思い至り、慌てて駆け寄った。
間近でみるミレイナはとても美しく、未熟なソラには正しく感じ取れないが、聖女としての強い力が溢れていた。
キレイな人だな……彼女の手入れされた光り輝く金髪は、自分の灰被った汚い髪の色とは比べるまでもなく、少しの間見惚れていた。
その間もミレイナはこちらに目を合わせる事もなく視線を下げていた。
「あの……! ミレイナ様……」
緊張で上ずった声になってしまった。
「ソラ・ソシエールです。よろしくお願いします……!」
恥ずかしさなど出てこないほど、緊張しているソラは深々と頭を直角に下げ、
「これから御指導、よろしくお願いします……!」
右手を差し出す。あれ、右手で良かったんだっけ?わからないけど、大丈夫だと思いたい。
「なるほど、汚い手をお出しになる、という事ですわね」
「え……」
バチン。
と弾ける音がして、ソラはよろけ尻餅を付く。
状況が掴めなくて目を白黒させる、突き倒されたのだと、脳が理解するまで時間がかかった。
ミレイナは立ち上がり、ソラを見下ろす。その瞳には暗い物が灯っているかのように見えた。
「おっとごめん遊ばせ。まさかこの程度で倒れるとは思いませんでしたわ。もっと鍛えたほうがよろしくてよ?」
一瞥し教室を出る。ソラは慌てて追いかけその後ろに付く。ミレイナは振り返りもしない。わからない、なにか失礼をしてしまったのだろうか。混乱する頭で思考がグルグルと回るが、今はその他人を寄せ付けない背中を追うことしか出来ない。ソラはこれからの生活に、どんよりと影が落とされるのを感じたのだった。
3
聖女として必要な能力は、聖なる力を制御し身体能力を向上させ、それを聖剣で叩きつける。至極単純なモノだが、それ故に肉体の基礎能力の向上が必要不可欠と言える。
今日も訓練場で木剣の音が響く。
「貴方ね。いい加減しっかりなさってくださいまし?その落とした剣には何人の命が載っているのか自覚しているのかしら。何度も何度も言わせないでほしいわね」
「あ……ごめんなさい……申し訳ありません……」
手を押さえ苦痛に顔を歪ませて俯くソラ。ただの村人として過ごしてきたソラにとって剣を振るう事など初めての事だ。ただの木でできた剣なのに、ずっしりと、重く、命のやり取りをするものだという恐怖が心を縛る。
「早く剣をお取りになって。無駄な時間はありませんのよ」
「はい……! はい!!」
息を切らせ、泣き出しそうな目を堪え、聞いていた評判と、自分が一瞬で憧れを抱いた人が、恐ろしい相手となってしまった。それでもミレイナに立ち向かうソラ。
「きゃっ!」
唐突に聖なる力をぶつけててソラを弾き飛ばされる。
「剣だけに集中するなと……これも何度も申し上げておりますわ。自分に纏う力の重さを自覚なさい。そうやって無様に転げながら、横たわる守れなかった命にどう謝罪するつもりかしら?」
「はい……ミレイナ様……申し訳ありません……」
ソラは何とか立ちあがろうとするが、気力も体力もごっそり削られ、力が入らない。
なんでこんな事をしてるのだろう……わたしが何か悪いことをしたのだろうか……答えの出ない自問自答が、自分を深い沼に沈み込ませて行くのをソラは感じ。今にも投げ出して温かい皆のいる故郷へ帰ってしまいたかった。
「今日はここまでですわね」
こんな訓練をほぼ毎日、ソラが倒れるまで続ける。それでもソラが折れないのは、初めてミレイナに出会った時、心に灯る何かを信じていたのかもしれない。さらに厳しさを増す訓練をソラはなんとか耐えていた。
そんなある日。
「やぁミレイナ。久しぶりだね。訓練に励んでいるかい?」
普段二人しか使用しない訓練場なので、突然現れた見目麗しい男性の高貴なオーラに、背筋がピンとなり固まってしまう。
確か第四王子であるフェイネス殿下。聖女になると王都に連れら王様に挨拶した時に紹介された方だ。美しい金色の髪の目見麗しい外見と、理知的な態度、人当たりの良さにより国民に人気の王子だそうだ。緊張しいのソラには目の毒である。
「殿下!お久しぶりでございます!お会いしたかったですわ。お忙しいのに今日はどういったご用向きで?」
「ミレイナに会いにきた。それではいけないかい?」
ミレイナが普段見せない顔をフェイネス殿下には見せている。二人は婚約していると後から知った。高貴な家柄、美男美女、おそろいの美しい金色の髪。私とは住む世界の違うお似合いのカップルだな、とソラはドキドキしながら二人を見つめていた。
「ソラ。久しぶりだね。君が新たな聖女として王宮に来た時以来だね。どうだいここでの生活は?困っている事があったら何でも言いなさい」
手を差し出されたソラは、疲労感に襲われながらもなんとか殿下の手を取り立ち上がる。
「すすすすいません!汗ばんだ手で殿下のお手を汚してしまって」
真っ赤になりながら、弁明をするソラの手を、殿下は優しく握り。
「構わないさ。これは君が国のために頑張っている証拠さ。何を汚く思う事がある」
形容できない輝きがソラを襲い、その眩しさに目を焼かれたソラは、緊張と疲労も相まってその場で気を失ってしまい、殿下とお付きの従者に抱えられて部屋まで運ばれていたのだった。
4
少しの月日が巡り、冬が明けた頃。
厳しい訓練を幾度となく繰り返し。ミレイナによって痛めつけられ、体中のアザに体が慣れてしまい、それがもう出来なくなってしまった頃。
カランと剣が落ちる音が静かな訓練場に響く。
「やった!やりました!ついにミレイナ様から一本取れました!」
二人しか使うことのない室内は、傷や破損が目立ち、二人が過酷な訓練を行っていた事を物語っていた。
嬉しい!嬉しい!ぴょんぴょんと飛び跳ね感情を露わにするソラ。自分にきつく当たるミレイナに対する暗い感情は一切無く、ただ単純に、積み上げた成果が出たことが嬉しくてたまらなかった。
座り込んで俯いたまま動かないミレイナが目に入り、はしゃぎすぎた事を後悔する。
「ミ……ミレイナ様……?大丈夫ですか?」
手を恐る恐る伸ばす。もしかすると成長した自分を褒めてくるかもしれない。などと淡い期待を抱いてしまう自分が恥ずかしくもあったが、それでもこの自分の成長を喜んでいたのは隠しようもない事実だった。
パシン!
とソラの手ははねのけられる。
そうだよね……何を期待したのだろう……もうこの程度では痛みを感じなくなった手を見つめソラは自嘲する。
「調子に乗らないでくださるかしら。この程度の力で一人前にわたくしを心配するなど……世界を背負っている自覚をもっと持たれてはいかが?」
立ち上がり落とした剣を拾いに行くミレイナ。
「申し訳ありませんミレイナ様……」
ソラは頭を下げ、諦観にも似た何かがストンと胸に落ちた音を聞いた。
時々このように何か暗い力が自分の心を蝕んでいくのを感じる、きっと自分が弱いせいなのだと、頭を振り弱い考えを逃がす。それでも重い感情はヘドロのように、心にこびりついて、離れない。
パンパン!と手を叩く音が張り詰めた空気に響き。神々しいオーラが周囲を照らす。
「フェイネス殿下!?」
何度見ても慣れない輝きにアワアワと目を回してしまう。この訓練場は常にソラとミレイナの、二人の少女しかいない状態で慣れてしまっているため、美しい男性の光はソラには劇薬すぎるのだ。
フェイネスはそんな空気もお構いなしに朗らかに話を進める。
「二人とも訓練に励んでいるようだね。邪魔して悪いとは思うが上質な茶葉を手に入れてね。日頃の労いも兼ねて、二人にも是非味わってもらいたいと外に場を設けさせてもらったんだ。せっかく準備してくれた従者達のためにも、私の顔を立ててくれはしないだろうか」
外は春を迎えた陽気も相まって穏やかな空気が流れていた。
広い庭先に丸いテーブルを椅子を置き派手さは無いが高価なお菓子が並び、それを三人で囲む。
ソラはメイドに淹れられたお茶も飲まずにカチコチに固まっていた。
「わっわたし、こんな席初めてで。こんな、なんかすごくて、緊張しちゃって。失礼な事してしまったら。今してますってははは」
カップを持ったままお茶に口も付けれなかったが、どの道お高いお菓子も、今は味もわからないだろうからいいか。そんなソラにフェイネスは自然体に微笑みかける。
「いいさ。気にしなくて構わない。これから徐々に慣れていけばいい。今後いくらで
もこんな機会は設けられるからね。二人が築く平和の後にいくらでも」
フェイネスはミレイナに向き直る。ミレイナは俯いたまま手元のお茶を入ったカップから視線を逸らさない。フェイネスが来てからずっと黙ったまま、口を開くことはなかった。
「だから二人には仲良くしてほしいんだ。またこのお茶会を開くために」
二人の視線は合わない。二人の間に何かあったのだろうか?あのお似合いのカップルが陰る様子など見たくもない、ソラは自分がお邪魔虫になっているのだと考え、失礼のないように、出されたお茶だけは飲んで速やかに退散しようとしたその時、
「仲良く?そんな事。お断りしますわ」
お茶に口を付けたソラのカップを、ミレイナの手が弾き飛ばす。
「え……?」
「なっ!」
まるで時間が止まったかのように、ミレイナの突然の暴挙に二人の思考が停止した。芝に転がるカップがソラの目に入った時、ビシャビシャと、近くに立ったミレイナが傾けたカップの水が、頭に注がれるのを、ソラは体が動かず受け入れてしまっていた。口は痺れ、もはや決定的に、何かが壊れていくのをソラは感じた。
思考を取り戻したフェイネスは即座に駆け寄りミレイナの腕を掴む。
「ミレイナ!君は!君はどうして!どうしてしまったんだ!?」
「お優しい殿下!殿下は人を信じすぎるきらいがありますわね。だからこんな事態になるのですわ」
「ミレイナ。君を……信じた私が愚かだったのか?」
「そこで水を浴びている女に、風邪をひかせても構わないと、おっしゃって頂けるなら、かつてのミレイナに戻れるかもしれませんわね」
「ミレイナ!」
フェイネスの手が振り上がりミレイナが頬を叩かれるその瞬間。
「殿下!!」
ソラの叫びが二人の空気を裂く。
「いいんです殿下。そんな事はやめてください。私は大丈夫です。大丈夫ですので」
ソラの放つ圧に、二人は圧倒されて後ずさる。
あぁ……ようやく……ようやくわかった気がする。
ミレイナによって頭から被せられたものは、悪意だったのかもしれない。だがまるで聖なる水であったかの様に、巡礼の儀式を模したそれは、ソラの力を覚醒させた。
ミレイナはソラの輝きに耐えきれず、崩れ落ち気を失った。
5
自室のベッドに運び込まれたミレイナを、ソラは無理を言って看病させてもらった。
事情を知る従者からは心配されたが。頑ななソラによって押し切られた。
数刻の後、ミレイナは目を覚ました。
「ミレイナ様。お加減はいかがですか?」
優しい声色で問いかける。
「あなた……なんでここに……?」
「お背中、お拭きしますね」
「え……えぇ、お願いするわ」
今の状況を全く飲み込めないミレイナは、ソラに押し切られるように服を脱ぎされるがままになる。
一通り背中を拭き、服を整え、髪をすいて、再びベッドに横にさせ布団をかける。
「もう帰ってよろしくてよ。また起きた時あなたの顔を見るのはごめんですわ」
ミレイナは寝返りを打つようにソラに背中を向け、これ以上言葉を発することは無かった。人を寄せ付けないその背中を、ソラはしばらく見つめていた。
背中を拭いて理解した。彼女の鍛えられた肉体の美しさに。この肉体と剣技、力のコントロールを得るために、どれだけの時間を真摯に費やしただろうと。ミレイナの深い根源に触れた気がした。
少しの時間そうしただろうか。ソラはぽつりと語りかける。
「ミレイナ様。起きてますか?」
ミレイナは答えない。彼女は寝ている。ゆえに今からソラ語る言葉はただの「独り言」だ。
「わたし。聖女の役割なんて本当はどうでもよかったんです」
「国のなんか偉い人がゾロゾロやってきてわたしに言うんですよ。あなたに聖女の適性が見つかりましたって。可笑しいですよね。わたしなんかただの孤児で、親の顔も覚えてないですけど、孤児院の皆には良くしてもらって、友達もいて、あの人かっこいいねーとか恋バナもして、人並みに幸せで普通に生きてたんです。別に世界を守ってやるーとか、悲しい過去がわたしを強くするーとか、物語の主人公みたいな事は全然無くて、ほんとどうでもよくて」
「だから王都に招かれた時も都会ってすごいなーって別世界のように思えたし、ミレイナ様っていう聖女様に教えを乞えって言われても私じゃなくてミレイナ様がやればいいんじゃないの?って思ってました。あっ、学校に行かせてもらえたのは嬉しかったです、本当に」
少しだけ過去を懐かしむかのように窓の外を見る。
「わたしが聖女になって邪竜帝を倒さねば世界が滅びる」
夢の中でそう言われちゃってと、ソラは力なく笑う。
「そんな運命の教えなんて聞かなくてもなんとでもなるでしょって。真剣に考えずに日々を過ごしてました。元々争いごとは好きじゃないので、戦闘のための訓練は辛かったですけど。それもいつか適当になんとかなって。結局ミレイナ様が戦ってくれるんじゃないかなって。わたしは後ろでサポートするくらいで許してもらえないかなって」
一呼吸入れ、ミレイナの背中を見つめる。
「でも、それは今日で、もう終わりにします」
「わたしは、わたしの運命を受け入れます。わたしが強くなって邪竜帝を倒し、世界を救います」
独り言の告白を終え、深く頭を下げて部屋を出るソラ。
覚悟は決まった。決められた。これからは何も恨まない。悲観しない。めげない。立ち止まらない。
全ての心に溜まったものを、自らの聖女の力で洗い落とし。そこに残ったものは純粋な世界に殉じるという想い。屋敷を出て、眩しい朝日に目を細める。
あぁなんて世界は美しいのか。
これからソラは聖女としてみるみる力を付け、ミレイナを遥かに超え、立派な聖女として国民に迎えられた。
ミレイナは数々のソラに対する蛮行を咎められ、フェイネスとの婚約を破棄され、怒り狂った父から家を追放され国外に逃亡。邪竜教に入信した後、遠征に出た聖女ソラを邪竜教と共に襲撃し、返り討ちにあい、邪竜教は壊滅、その身を捕縛されたと伝えられている。
それまでの間にミレイナに何かあったのか、何を思っていたのかは誰も知らない。
堕ちた聖女の考えなど、誰にも理解できるはずもない。
ただ聖女という立場の環境に狂わされただけの被害者であったのかもしれない。
そんなちっぽけで、くだらない感情ではないとでも言わんばかりに、絞首台に立つミレイナは不敵に笑う。
これは聖女の座を追われ悪の道へ堕ちた悪役令嬢が処刑されるまでの物語である。




