1-3 魔力切れ
広大な伽藍の常世には多くの本棚が点在していた。
その内の一つ――これは元常世居住者の、元民俗学者であった日本人がまとめた書棚だった――にある書物によると、「権能」は全部で四つあるらしいことが分かった。
〈水〉〈地〉〈火〉、私の持つ〈風〉。
その四つは取り分けて世界をどうこうするといった大それたものではなく、世界の人々が微小ながらに持つもので、いずれかに分類されるという。
判断基準は簡単で、どの魔法に素養があるかといった話だ。
とは言え、魔法自体が失われた今の世界では〈風読み〉のような魔力によって判断するより他はない。
重要なのは、稀にその四つの力を持つ者の中でも突出した力を持ち、尚且つそれぞれの「権能」を兼ね備えて現出するという内容だ。
各々の権能について深く言及はされていないが、共通点として「半永久の命」を持つこと、〈透視〉〈予知〉〈千里眼〉といった超能力を大抵一つは持つことが挙げられている。
生命の持続方法はそれぞれ異なっている。
ちなみに私や「常世を経験してきた先代」は、〈風〉の力に長けた「権能持ち」の存在ということになっている。
他の三つの力を持つ者についても私がこの常世を脱出した後に判明し、深い関わり合いを持つことになる。
ではどのようにして私は常世を脱したのか。
無論、風の権能を使ったのである。
始めの数週間は無限に広がるかと思われる伽藍の、点在する蔵書をかい摘んで読んだ。
元々小難しい本を読むことも読書の習慣も持たない私にとって、数週間だけでもイラストも写真も載っていない黒文字のみの書物に当たったことは快挙だ。
もっと読んでおくべきだったと今なら思えるが、頑張ったことには違いないので自分を褒めてやりたい。
ただそれ以外にやることがなかったと言えばそれまでだけど。
闇雲に読み漁っていた訳でもない。
この世界、自身の能力、常世のこと。三つの観点に当てはまる書物を中心に集めてみた。
勿論、元の世界や蘇り方などが書かれた本には一切触れなかった。
書物によると、この世界は元いた世界とは全く異なるということらしい。
異なる生態系、遥かに広大な地表や未知の構成物、未知の恒星群、謎の深いエネルギーやその扱い方など。
どれも非常に興味深いテーマではあったけれど、遠目でしか観測できない風読みの力では限界があったらしく、書物の大半が憶測の域を出ない。
また、それらを課題として取り組む酔狂な学者も世界にはいるにはいたが、そのどれもが少数の「転生者」で構成され、ほぼ全域が未開の状態にあった世界において、およそ学問というものは発達する気配がなかった。
未開人はそのせいで以て大きな打撃を受けようとは微塵も思わなかっただろう。
転生者は共通して元の世界での「人間」そのものの姿で現出した。
元々この世界に新人種は存在しなかった。
初めに現れたとされるヒュームは今でいう北方大陸のルドラチャの村でドワル族の子として突然変異的に生まれたらしい。
やがて各地で生まれた奇形たちは成長と共に過去の記憶を取り戻していき、遠く離れた者同士で交流を持つようになった。
徒党を組んだ人間は強かで、この世界の住人にとっては未知の狡猾さで以て圧倒的な繁栄を見せていた。
怒りを覚えた。
これは転生者全般に言える話だが、権力に圧迫されてきた元世界の同志たちが、この世界でも同様の権力者となり未開人を醜い歯車に仕立てていたのだ。
学のない人間にも分かるよう、手始めに「身分」という衣を流布することによって、これまで培ってきた無情の教育を施すことによって、この世界に虚飾の城の再興を試みようとしているのだ。
――絶対に赦せない。止めなければならない。滅ぼさなければならない――
しかし後に、自身が世界に降り立ってから今まで、根底としては権力者に対する憎悪と排斥の意志を持つものの、いざ世界に身を置いてみるとその煮え滾る思いは深く胸の内へと隠れてしまった。
私はどこまでも人間なのだ。
慣れ切ってしまった世界の、歪んだ理を前にしたとき、どうしても感覚が麻痺してしまうらしい。
圧制者とは言え人は人。
憎いからといって殺していたのではただの気の狂った殺人者と同じだ。
それに転生者の中にも人や世界を大切に思う同志は――少なくとも私の知る限り私を含めた三人の権能持ちは――世界のどこかに存在する。
だからしっかりと外堀を埋めてから、極めて知性的に解決に当たりたい。
〈風〉の持つ能力については、手記と経験によって、常世の性質と深い関係があることが分かった。
元権能者の手記には、「物に自身の感覚を付与する力」、「風魔法による破壊力」を有することが書かれていた。
手記の筆者は伽藍に存在する書棚、本、椅子、魔石が施された常世を囲う壁や床に対して力を使った。
何故そんな物に対して使ったのかというと、先ず、常世に存在する物がそれで全部だから。
物に力を使うに至ったのは、偶然その人が眠気に抗いながら船を漕いでいた時、持っていた本を床に落とすことで激痛を感じたことから端を発している。
本を足の小指に落としたからではない。
外傷無くしては語れないほどの痛みであったにも関わらず、傷はおろか赤みもなく、物が当たった形跡もなかったのだ。
寝惚けていた可能性も考えられるが、その人はそのようには考えなかった。
本の背表紙の縁が落とした衝撃で潰れている様を見て「この本の痛みが私のものとなって反映された」と判断したのだ。
大方この人も相当な変人であったのかもしれない。
それからというもの、手記の「私」は物に念じることに没頭し、ついに対象物の存在と「対象物が持っているであろう性質」をイメージすることによって力が行使されることを発見した。
つまり、自分が対象に近い心理的状態になることによって意志とは関係なく感覚共有されることが判明した。
イメージが強いほど共有される感覚は強化される。
私はこれを初回で成功させ、その後数回やった切り飽きてやめた。
もう一方の「破壊力」は何故か手記の人物は好まなかったらしく、全く触れられていない。
手記の半分近くが破かれていることから察するに、何か不都合が生じたのかもしれない。
形跡までも抹消したくなるような出来事が。
「破壊力」とは、単純に当たった物を破壊する力のことだ。
イメージによって作り出される真空(?)のようなものを、対象に向かうよう念じることで操作することができる。
これもイメージの大きさによって威力に変化が付けられる。
これは手記に記されていない以上、自身でやってみるより他はなかった。
故に、初の魔法体験に浮かれた私は自身の保有する魔素量のことなど知る由もなく、ガンガン風魔法の練習に明け暮れた。
その甲斐あって、破壊することにかけては誰よりも上を行っていると自負するまでになった。
周期的に眠気は訪れるものの、空腹や疲れというものがまるで感じられないことをいいことに、私はどこまでも続く伽藍の壁を壊して回った。
壊して壊して壊しまくった。
そしてとうとうその時が来てしまった――魔力が切れたのだ。
通常、魔力切れを起こすと動けなくなる。
軽度であれば、しばらくすると体内の残留魔素が集まり動けるようになるが、重度だと外部から大量の魔素を摂取する必要が出てくる。
摂取に使う素材は魔石、魔鉱石、魔結晶などが主流だ。
効率は頗る悪いが食物の経口摂取によっても若干吸収される。
その時の私は間違いなく重度だった。
おまけに倒れ伏した辺りには魔素を吸収できる物がまるで無かった――魔素の摂取は、大量に魔素が含まれる物ほど体に近付けるだけで自動的に行われる。
ただし自身の限界値もあるらしく、満たされると自然と吸収は止まる。
床や壁に施された魔石からはどういう訳か魔素が吸収されなかった。
全く自身に起こったことが理解できずに只々身動きできずにいた。
うつ伏せに倒れたことで、目には青みがかった床と少し先に壁が映るのみ。
仕方なく権能を使おうとしたが、感覚共有さえ儘ならなかった。




