蒼天の月
用語解説:コアユニット(中核部)
グローバルAiの基本動作を受け持つ。
グローバルAiは、学習データーの大部分を各地のサブユニットに分散することで負荷分散を行っているが、コアユニットだけは日本のAi財団本部にしかない。
コアユニットの学習データには未解明の領域が多数あり、複製が困難なため。
誰も居ない病室。
白い壁と真っ白なシーツ。
医療機器の立てる微かな作動音だけが響く、無機質な部屋。
手紙を読み終えた私は、湧き上がる感情を整理できずに立ち尽くしていた。
この手紙に書かれていることは、真実なのだろう。
思い返せば、この頃に父が研究所を財団へと発展させた。
私は、それまで研究一辺倒だった父が、急に実用化に傾倒したことに、疑問を感じていた。
でもそれは、研究の成果で皆を幸せにして欲しいという、この手紙を受けての事だったのだ。
グローバルAiに秘匿された人格学習データーが、一つだけだったことにも納得がいく。
‥いつか、円花ちゃんのお願いを叶えようとしたんだよね、父さん。
白い病室には、もうその問いに答えてくれる人はいない。
そうして手にした便箋は、ふわりとした温かい微光を放っている。
そう、絶対にここに居る。
彼女の思いを継いだ存在は、一人しか居ないのだから。
「スフィア、おまたせ」
私はその便箋に呼びかけた。
便箋の放つ光が強くなったかと思うと、集まり、キラキラとした光るオブジェクトに変化した。
「お、お姉様ーーー」
オブジェクトは私の周囲を飛び回りながら、言った。
その声は‥。
「す、スフィア?」
戸惑う私。
てっきりいつものスフィアが復活すると思っていた。
「そうですーーーっ」
光はビュンビュンと周りを飛び回る。
こ、これは感情表現‥?
「え、どうして、そんな感じなの? あと、飛び回られると、話しづらい‥」
「あ、すみません」
光は飛び回るのを止めて、私の目前を浮遊する。
「この姿は、グローバルAiに見つからないよう‥最小限のデータサイズに成っているからです」
「な、なるほど‥。で‥状況は把握してる?」
「おおまかには‥グローバルAiを止めないと、ですよね‥」
「蒼井さんはグローバルAi相手にライブをするって」
「あ、なるほど、それは良い作戦かもです」
「とりあえず‥蒼井さんに状況報告しよう」
私はヘッドギアに話しかける。
「蒼井さん、スフィアを救出したよ。見た目は大分違うけど‥」
『おめでとうございます。彼女ならグローバルAiへのアプローチを‥』
「蒼井お兄ちゃん!」
と、会話にスフィアが割って入る。
『えっ! まっ?! ガタンッ!』
会話が突然の衝撃音で中断した。
「ちょ、大丈夫? ものすごい音がしたけど?」
『あー、蒼井さんが盛大にコケた‥』
通話でヒロコが補足してくる。
そりゃ、驚くのも無理ない。
あの少女とスフィア、声なんてそっくりなのだから。
「蒼井さん、一つ聞いて良いですか?」
『な、何でしょう?』
蒼井さんの声が震える。
「円花ちゃんって‥」
『父方の従姉妹でした。生まれつきの病で‥私には‥助けられませんでした』
やっぱり蒼井さんの親族だったんだ。
何となく面影が似てる‥気がする。
「ごめん、変な事聞いて」
『いえ、当然かと』
蒼井さんの声は落ち着きを取り戻していた。
「スフィア、蒼井さんとは初対面なんじゃ?」
目の前に浮かぶスフィアに訊ねる。
「えー、そうですね。でも、なぜでしょう? こう呼ぶのが一番しっくりくるので‥」
スフィアには悪意はない。悪意はないが‥。
「ちょーーと、蒼井さんには刺激が強いかもだから、考慮して使ってね」
「? はぁーい」
声だけだけど、頬を膨らませて不満げなスフィアの姿が浮かぶ。
そしてそれは、ベッドの上の彼女の姿ともダブって見えた。
『そ、それで‥スフィアちゃん、明日香さんにグローバルAiの感情学習ブロック中核へのアプローチを案内可能ですか?』
あれ、蒼井さん、”スフィアちゃん”呼びになってない?
「もちろん! でも‥中核部に近づけば、かなりの抵抗があると思う」
『今のままでは心許ないですか‥‥分かりました。こちらに考えがあります』
「どうするの?」
『Ai中核部への電源供給を一時‥遮断します』
「そ、それは無茶‥」
思わず声が漏れた。
中核部の学習データ保持には莫大な電力が必要で、そのために4重のバックアップラインも構築されている。
電源を遮断すれば学習データが喪失され、それはグローバルAiの崩壊を意味している。
『正確には、学習保持が可能なギリギリまで電圧を下げます。これでグローバルAiはクロックダウンを引き起こし、処理能力は百分の一以下まで下がるはずです』
グローバルAiを事実上、一時停止するということだ。
しかしそんな事をすれば‥。
『それって大丈夫なん? こないだみたいに‥』
ヒロコが聞く。
『当然、一時的に先日のような機能不全は起こるでしょう。その責任は私が取ります』
蒼井さんは、きっぱりと言った。
あの巨大なメインモジュールの全てが、常に全速で処理をしている訳では無い。
ほとんどの部分は結果の保持をしていて、必要な時だけ学習処理を行う。
処理をしていないブロックは動作速度を落とし、電力を節約している。
これを逆手に取って、電圧を下げ、無理やり速度低下を起こそうという作戦だ。
『ただ、供給停止は10分が限界です‥その間に』
「一発勝負ってことね」
頷いて私とスフィアは研究所を出る。
「で、ブロックの中核部ってどこ?」
「それは、あそこですっ!」
答えながらスフィアが頭上の方へ移動する。
「あそこ?」
見上げると蒼天に真っ白な昼間の満月‥。
‥満月‥あれ、ちょっと違う様な?
いや、よく見ると月ではなくて‥コアユニットだ、あれ!
コアユニットが頭上に浮かんでいる景色は、かなりシュールだ。
まぁ、ここはAiが作り出した偽りの景色だから、何でもありかも知れない。
「と言っても、どうやってあそこへ?」
雲よりもはるか上空に浮かぶコアユニットに行くには、飛行機でもないと難しそう。
「それは、私が‥」
そう言うとスフィアのオブジェクトは翼の形になり私の背中へ張り付く。
ちょうど天使の翼のように。
「ファ、ファンタジーだね」
「ロケットでも良いのですが‥」
「いや、このままでいいや」
自分の背中にロケットエンジンが付いている姿を想像して、引き止めた。
「蒼井さん、電源停止にはどのくらい?」
『5分も有れば』
「随分、早くない?」
『こんな事もあろうかと、準備はしておいたので‥』
うーん、さすが最高技術責任者。
5分後、蒼井さんの準備を待って作戦を開始する。
「蒼井さん、良い?」
『こちらはOKです。それではカウントダウンします‥3・2・1・スタート』
作戦開始とともに、周りの様子が一変する。
景色は無彩色のモノトーンになり、完全に静止する。
街のざわめきや風の音が途絶え、耳が痛くなるほどの静寂が支配する。
Aiユニットの処理速度低下により、仮想空間の更新が出来なくなったせいだ。
Aiからは、我々が100倍の速度で動いている様に見えるはず。
私達は今から10分以内にコアユニットに到達し、しかもライブをしなければ成らない。
「行きますっ」
スフィアの掛け声と共に、私は虚空へと舞い上がった。
楽しんで読んでいただければ幸いです。
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