2. 希望と幸せなニュース
うだるような暑さで熱中症にならないようにか、アブラゼミがけたたまし警告音を上げている。なぜこんな暑いのだろうか。
世界中にはたくさんのエアコンがあり、冷気を出しているのに、暑いなんて理解できない。
ビルなんて巨大な冷蔵庫だ。部屋から漏れ出した冷気はどこに行っているのか。理解はできているけど、理解できない。不条理みがある。
そんな暑さの中でも、私は走っていた。
なぜここまで急がなきゃいけないのか、私自身よくわかっていない。でも、あの子に会いに行かなきゃいけない。それだけが私を動かす原動力になっていた。
待ち合わせの駅には、たくさんの人がいる。秩序と無秩序が乱立する人混みの中を駅の改札口に向かって進む。
改札口で待ち合わせと言っていたが、どこにいるのだろうか。
待ち合わせ時間のギリギリになってしまったので相手がもう来ていてもおかしくない。
キョロキョロと辺りを見渡す。が、しばらく見渡すが見つからない。
誰かを探している人ほど見つけやすいものはない。相手は私を見つけてはくれていないのだろか。
奥の方を見ると、お目当ての少女がニヤけながらこっちを見ている。
「愛」
私がその少女を気がついたことを確認した後、私の名前を呼んでくる。
その顔には無邪気な人懐っこさを纏った完璧な笑顔が浮かんでいる。
私も意識して口角を上げる。
私はつり目できつい印象の顔をしていて、世界を恨んでいそうな顔と称される。世界を恨んだことなんて一度もないのに。
「ずっと見ていたよ」
「見てないでよ」
「見惚れていたよ」
「違うでしょ。ニヤニヤしてたもん」
「そんなことないよ。会えるのが嬉しくて笑みが溢れていたんだよ」
さて、彼女は誰なんだろう。
こんなに仲良さそうに話しておいてなんだが、わからないのだ。今日は彼女に会いにくるためにここまで来たことはわかっている。
しかし、彼女が誰なのかわからないのだ。
「不思議そうな顔をしている」
ドキッ。
「い、いや、不思議じゃないよ。全ては科学で証明できるのだから」
「私のこと誰だかわかってないんでしょ。科学関係ないよ」
「しょうがないなぁ、もう」と恩着せがましく前置きをつけて、彼女は言葉を続ける。
「自己紹介をしておくね」
でも、それはとても知りたかった情報。この後一緒に過ごすにしても、名前すら呼べなければ会話も盛り上がらない。
「彼方希望。希望と書いてマレモだよ」
「あっ、鉢嶺愛です」
「私は知っているって。まぁ、この名前を愛に紹介したのは初めてなんだけどね」
「そうなの?」
「そうだよ。他に聞きたいことないの?」
「ご趣味は?」
「なに、その他人行儀は。会ったのは一度や二度じゃないんだよ。まぁいいか。趣味はね。人の役に立つことかな。例えば、愛の役に立ちたいと思っているよ」
「私ね。モヤモヤしていることがあるの。助けてほしいな」
「何? 何?」
わかっているだろにおどけてくる。今知りたいことなど一つしかない。
「あなたは誰なの? それを知りたい」
電車に乗るためホームを目指す。同じ動作をくる日も繰り返す無機質な改札を抜けると、現実味がない風景が広がっている。
目に映るもの全てが色鮮やかな光があたりで煌めいているのだ。上に目をやるとアーチ状の天井に一面のステンドグラスが嵌め込まれていて、光に色を付けている。
「綺麗だね」と誤魔化すように言う希望の顔もステンドグラスを透過した光でカラフルに染まっている。
「まぁ、姿形は変わっているからなぁ。わからないか」
ここはVRの中の世界。姿形が変わっていても、驚かない。好きなアバターを日替わりで使っている人だっている。私は自分のリアルの姿をトレースしたものになってしているが。その方が現実と地続きだと感じられるのがいい。
私たちより上の世代はアバターを着飾っている人が多いが、別にリアルと同じでいーじゃんと思ってしまう。目の前の彼女に対するように、中の人が誰かと悩む必要もない。
「それじゃあ、難問すぎない」
「でも、愛ならわかってくれるはず。私はそれまでいくらでも待つよ」
待つと言われても私としては知れるものなら早く教えてほしい。
「ほら、時間はたっぷりあるからね」
希望は壁に掲示されている時刻表を指差した。
その時刻表によると電車はあと一時間は来ない。時刻表にはぽっかりと穴が開いていた。
「答えを探す長い旅になりそうだ」
「旅じゃないよ。デートだよ」
「とりあえず、座ろ」
待合室にある煤けた色をしたベンチ。汚れている気がして、素手で拭うも何も手につかない。希望は汚れなんてあるはずもないとわかっていたかのように、すでに座っている。
希望の隣に並んでに座ると、希望が尋ねてきた。
「私が誰なのかは今はいいとして」
「ふん」
別にいいかとはならない。モヤモヤしているままではどうも気になる。返答も煮え切らないものになってしまう。
「ねぇ、今の会話に集中して」
希望が私の顔をガシッと掴み、彼女の顔の正面に向ける。距離が近い。
「わかった」
「よし。それでね。幸せなニュースと不幸なニュースがあるんだけど……ね、どっちが聞きたい」
「何それ」
「ねぇ、どっちが聞きたいの。愛のためにせっかく持ってきたのに」
「よくある二択だよね。どっちを先に聞いたほうがいいんだろうね」
どちらから先に聞けばいいのか判断に困り、とりあえず保留するような回答をする。こういうのは相手が持ってきた内容によってどちらから聞いた方がいいのか決まる気がする。希望のほうを見て何か情報を得ようとするが、彼女は否定した。
「もー違うよ。どっちが聞きたいかだよ」
「えっ、どっちがって片方しか聞けないってこと?」
「そうだよ。愛はすぐ理解するね。かわいいね」
「かわいい関係ないでしょ」
「関係なくてもかわいいものはかわいいよ。で、どっちがいいの?」
幸せなニュースと不幸のニュースの話の続きを促される。まぁ、ひとつしか聞けないとなれば、選ぶ方は自ずと決まる。わざわざ不幸な話を聞きたいとは思えない。
「じゃあ、幸せなニュースの方で」
「幸せなニュースはね。今日は楽しい日になるよ。約束するよってこと」
「それはニュースなの?」
「一面トップだよ」
一面トップとはなんだろう。眼前すべてという意味だろうか。一面の銀世界みたいな。
「目の前すべてが幸せってこと?」
疑問を疑問のままで終わらせたく無いので、仮想空間上に浮かんでいる右上のアシストマークを目線だけで見る。このマークを意識的に見ると、会話の内容やその時の状況を判断したAIが疑問に思っているだろう事を教えてくれるのだ。
AIからの回答が表示される。昔に流行っていた新聞の用語だったのか。道理で知らないはずだ。
「そうだよ。全てが幸せなんだよ」
しかし、私の間違った解釈からでた発言を希望は肯定する。
全てが幸せになれるなら、まぁいいかと思いかけるが、違うじゃないか。先ほどは不幸のニュースもあると言っていたじゃないか。今度は全てが幸せという。ダブルスタンダードだ。
「でも不幸なニュースは?」
「なに、気になるの?」
「気になるっているか。全てが幸せなんじゃないの」
「うん、全てが幸せだよ」
「いやいや、不幸のニュースがあるなら、幸せじゃないでしょ」
「知らなきゃ幸せのままだよ。なに? 不幸のニュースを教えて欲しいの。知っちゃったら不幸になるかもよ」
完全に知らなきゃまだ幸せな可能性もあるけど、途中まで聞いてしまったら気になってしまう。
「うん、教えて」
「でも教えないよ。そういうルールだったし、不幸になる愛を見たく無いからね。あと、それはまだ未来の出来事の話だからね」
不幸なニュースはやっぱり教えてくれないみたいだ。あることはあるみたいだが。しかし、けむに巻くにしてもよくわからない回答だ。私は未来に不幸になるということなのか。何が一面の幸せだ。
「どういうことなの?」
「愛ならいずれわかるよ」
そんなふうに秘密にされるとヤキモキしてしまう。しかも、全てが幸せであることと矛盾している話もどこがではぐらかされてしまった。不幸なニュースを知れないことが不幸なニュースであるように感じる。しかも、さらに不幸なニュースがあるという。
「不幸のニュースが聞けないことで、モヤモヤして不幸になってるんですけど。全てが幸せじゃないんですけど」
「違うよ。全てが幸せなんだよ。私がそう約束したもん」
「でもやっぱり、幸せのニュースの方が知りたくなるんだね」
一方的な希望の言い分になんて返そうかと熟考している間に話を変えてくる。
「そりゃ、誰しもそうなんじゃないの。幸せになりたいもん」
「幸せのニュースしか伝えないメディアって言うのもあるぐらいだからね」
「そうなの?」
「うん、この世の中に不幸な出来事が多すぎて、気分が滅入るばかりだからって幸せなことしか伝えないニュースメディアが誕生したの」
「そうなんだ」
「結構、多くの人が使っているんだよ」
不幸なニュースなんて聞かないほうがいいのかもと思うこともある。衝撃的なニュースの時には直視しすぎないように、考えすぎないようにと注釈が入る。そこまでして見たニュースでも悲しい気持ちにしかならない。
「それで、その幸せなことしか伝えないニュースメディアはとある政治政党とズブズブの関係でプロパガンダ的に使われているんだけど、そんな読者を不幸にするニュースは伝えられることはなかったんだ」
「えっ」
「不祥事は不幸なニュースと言って遮断できるし、その政党が誰かを幸せしたニュースだけ大々的に流せばいいからね。ちょうど都合がいいよね」
「結局は」と言って希望が話をまとめようとする。
「幸せには犠牲が必要ってことだね」
「なに、そのまとめ?」
「で、愛は何か面白いことあった?」
あれ、急に話が変わったぞ。
ベンチに座っている希望は時間を持て余しているかのように足を空中に浮かせをぶらぶらとさせている。希望が履いている少しヒールの高いサンダルが地面のコンクリートとぶつかり音を立てる。
ト、トン
自然と希望の方に注意が向く。
「私、大好きなのあなたが喋るお話」
希望は辺り一帯のご機嫌を集めたかのような満足げな笑顔で私を見つめている。
「そうだ。あの時は話をしてくれたのに怒っちゃってごめんね」
あの時っていつだ。わたしには覚えがない。
「忘れているでしょ。話をしてみたら思い出すかもよ。ほらぁ」
次は私に何か面白いことを話せと言うことだろうか。本当に思い出せるかは怪しいところだが。
最近で起きた一番の奇異な出来事。不幸の少女の話をしよう。