9-1.希望と繰り返しの部屋[謎解き出題編]
私は真っ白な部屋の中にいる。初めて見る場所だ。
パッと見る限り扉や窓や屋根は無い。このままでは外に出られない。いや、屋根がないのだから上から出ればいいのか。穴から這い出るように。
こんな楽しみが何もなさそうな部屋からは早く脱出しなければ人生の浪費だ。
この辺りになんか面白い施設があるという話だったのだが、何だか変な部屋に閉じ込められてしまった。
もう少しあたりを見てみよう。何かしら外に出るための仕掛けがあるかもしれない。
「えっ、私がいる」
日常ではおおよそ発することがないセリフを言ってしまった。前言撤回、なんだか面白そうなことになった。
目の前にある机の上に置かれた上面のない箱、その中に私が入っているのだ。慎ましく背を向けて座っている。
そういえば、普段見ることはない後頭部だけでもすぐに自分だとわかるものだな。
ふと気づくと私は箱の中に手を伸ばしていた。
考えて行動したわけではない。不思議に対して探ってみようという気持ちがそのような行動になった。
しかし、さらなる不思議が私を襲った。
箱の中の小さな私も手を伸ばしているのだ。なんだか気持ちが悪いと反射的に手を引っ込める。すると、当たり前というように目の前の小さな私も手を引っ込めた。
なんだこれ。箱の中にいる私を俯瞰で私自身が覗いていることになる。
そして、よく箱の中を見てみると、その中の机の上にも箱がありもっと小さな私がいた。
そしてそのもっと小さな私の前にも箱があり、もっともっと小さな私がいるのだった。
ドロステ効果と呼ばれるものだ。小学生の頃、合わせ鏡に写る無数の顔にときめきを憶えたあの気持ちを思い出す。
箱の中の私を凝視してみる。
まとめた髪から覗く襟足の産毛がなんか気になるなぁ。なんて思っていると誰かから見られている視線を感じる。
ハッと振り返ると大きな後頭部が見えた。
その大きな頭もちょうど振り返ったところだった。しかし、後頭部もこんだけ大きいと後ろ姿だけではすぐに私だとはわからないものだった。
でも、私と同じ動きをしているし、私であるのだろう。己をかえりみるとはこのことだっただろうか。振り返り見る。
つまり、大きく、小さく無限に続く箱の中にいる私の中のただ一人に過ぎないのだ。
この私が最上位の私だと思っていたら更に上位の存在がいるなんて、釈迦の掌の上だった猿か、猿に地球を乗っ取られていた人間かといった気分になる。
不思議と思いつつもこの非現実感あふれる世界をすんなり受け入れているのは、これがVR内での出来事だとわかっているからだ。けれども、私は現実の時のように未知への期待感に心躍らせている。
落ち着いて周りを観察していこう。
部屋にある大きなものは目の前にある机だけだ。机は部屋を大きく占領しており、私がまわりを一周できるぐらいのスペースしか残されていない。
机の上にあるのは箱のほかに二つのものが置いてある。A4サイズの短辺綴じのメモ帳と私の両腕を目一杯伸ばしたときの長さの紐である。これがキーアイテムになるのだろうか。
箱を動かそうとしてみたが、机に固定されていて動かせなかった。
同様に机自体も固定されていて動かせない。メモ帳と紐は自由に動かすことができた。
箱の高さは二十五センチメートルくらい、上部は開いている、私がいる屋根がない部屋のように。
立ち上がると壁は私と同じくらいの高さがある。私の身長が目算でほぼ百六十センチメートルぐらいと大方言えるので。ちなみに先述の内容で百六十センチメートル以下のことは示唆されない。
箱の高さとその中の私の高さが二十五センチメートルなので大体六、七分の一サイズに小さくなっている。さらに小さい私が四センチメートルくらいだ。
改めてどこかに脱出する手がかりがないかと、再び部屋をよく見返す。
すると床に面してに小さな横穴が開いているではないか。しかし、小さすぎる。ペットの猫や犬が出入りするための通り道くらいのサイズだ。そうか、箱の中の小さな私なら入ることができるのだ。
つまり、脱出経路はどうにかして箱の外に出て、ワンサイズ大きい部屋の机から降りて、横穴から逃げ出すというものだ。
私を小さな私を取り出してみようと箱の中に指を入れる。
目の前に大きな手が現れる。二本の大きな指が私の両脇に迫った。そのまま慎重に指の間を狭めてゆく。
視界が指の影でだんだん暗くなる。怖い、怖い、怖い。
そこで意識はなくなった。
頭が潰れた。正確に言うと潰れると思った瞬間に逆再生の早回しのようになる。「リトライしますか」という表示に迷いなくYESを選択した。ここでやめるわけにはいかない。
さぁ、どうやって脱出しようか。
私は部屋の中に戻った。さっき見た場所だ。
相変わらず扉や窓は無くあるのは小さな通り道だけ。部屋にあるものは自分と机。机の上にあるのは短辺綴じのメモ帳、長いの紐、そしてメモ帳よりひと回り大きい箱だ。
箱の中には机があり、私がいた。私が動くと箱の中の私も同じように動いた。箱の中にある机の上にも箱があり、もっと小さな私がいた。
そのもっと小さな私の前にも箱があり、もっともっと小さな私がいた。上を見上げれば大きな私がいることだろう。先ほどと何ら変わらない。
どうやら私を直接持つことはできないようだ。その後に手の上に乗ろうとしたがそれもダメだった。爆散しかけた。
今度は単純に乗り越えようと机の上に登って部屋の縁に手をかける。ピリッとした感覚が部屋の縁を触った瞬間に手に伝わる。
「痛っ」と言ってしまったが、痛いというよりは、とても嫌な感覚がしてすぐに手を離さなければいけない気持ちにさせる。ずっと持っておくなんてことはできない。
壁をよじ登ることもできないとなった。脱出するにはどうしたものか。
私は机から床に垂れ下がっている紐に目をとめた。その紐を右手に取り、箱の中に垂らす。釈迦が蜘蛛の糸を垂らすがごとく。
目の前にはロープほどの太さになった紐が垂れてきた。その目の前に垂れてきたロープを恐る恐るつんつんと指でつつく。どうやら触れられるようだ。
それならばと、ロープを左手で掴む。右手では紐を掴み箱の中に垂らし、左手では垂れている紐を掴んでいる状態だ。そして、右手に持っている紐を引っ張り上げていく。
それに応じて体が持ち上がっていく。これならば、箱の外に引っ張り上げられるのではないだろうか。
ロープを掴む左手に力が入いり、地面と足の接地面積が減っていく。
その瞬間、体が急に持ち上げられてどんどん上昇する。上昇Gに耐えられない身体が悲鳴をあげる。口からは悲鳴ではなく胃の内容物が出てきそうになる。
魂と身体が乖離していく。
めまぐるしく大きくなる世界に目がくらみ、相対的に私がどんどん小さくなっていく。
体が上がれば、体に属する紐を垂らす右手も上昇するわけで、したがって体も上昇するわけで。エンドレスで上昇し続けることとなる。きっと私は一ビットまで小さくなったのだろう。気づけばコンテニュー画面が目の前に表示されていた。
また逆再生だ。
《希望が急に私の手を握ってくる。何なのかと思って、繰り返す部屋の話を止める。
相変わらず、駅の待合室に座っている二人だ。
「なに、急に」
「暇だったから」
「暇って、一生懸命喋ってたところだったでしょ。希望が話してって言ったんでしょ」
「ちゃんと聞いていたよ。愛の話だもん。脳も耳も目も愛のためにあるかのように使っていたよ」
希望は頬を膨らませて抗議する。
「でもね、触覚は暇だったから」
「わかったよ」
しょうがないので手は握られたままにする。
「ほらほら、話を続けて」
今度は味覚が暇だったとか言われて、食べられてしまうかもしれない。暇にさせないように精一杯話そう。》