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第四十七話 悪役令嬢、決戦前夜の微笑

 会議を終えた後の政庁の廊下は、異様な静けさに包まれていた。


 マーガレットは静かに歩きながら、さきほどジュリアンと交わした言葉を反芻していた。


(彼は、敵にも味方にもなれると言った――でも)


 その曖昧な立ち位置が、最も危うい。真意を見誤れば、彼は最大の“裏切者”になる。だが、確かにあの瞬間、彼の瞳には迷いがあった。そして――未練も。


「……変わったな、君は」


 背後からかけられた声に、マーガレットは足を止めた。


 ジュリアン・クロフォード。宰相の嫡子にして、マーガレットのかつての婚約者。


「いいえ。私は、変わってなんかいない。ただ、ようやく自分を生きているだけよ」


 振り返った彼女の瞳は、まっすぐにジュリアンを見つめていた。


「君がそんな目をするなんて、昔は思わなかった」


「昔の私は、誰かの理想像を演じていただけだったわ。貴族の令嬢として、嫁ぐための器として。けれど、今の私は“国を変える官僚”よ。ジュリアン、あなたには見えない?」


 ジュリアンは短く息を吐き、かすかに笑った。


「……見えるとも。だからこそ、怖いんだ。君がどこまでも行ってしまいそうで」


 その言葉に、マーガレットの胸がかすかに揺れた。


 だが、その感情はすぐに霧散した。


 その瞬間、廊下の向こうから別の足音が響いた。


「マギー、終わったか?」


 ――ウィリアム。


 真紅のマントを翻しながら駆け寄ってくる彼の姿に、マーガレットの顔が自然と和らぐ。


「ええ。会議は一区切りよ」


「そうか。……君が無事なら、それでいい」


 ジュリアンの前でも、ウィリアムは臆することなくマーガレットの隣に立った。まるでその立ち位置を、誰にも譲るつもりはないと示すように。


「クロフォード公子、失礼ながら……あまり長居されると、誤解されますよ?」


「誤解、か。いや……誤解ではないかもしれないな」


 ジュリアンはふっと笑みを浮かべて、背を向けた。


「いずれ、また会おう。マーガレット。……そのとき、私はどんな立場にいるかは分からないが」


 その言葉は、警告とも、約束とも、未練とも取れる曖昧な響きを残していた。


 彼が去っていった後、ウィリアムは珍しく不機嫌そうな顔をしていた。


「……やっぱり気に食わないな、あいつ」


「嫉妬?」


「当たり前だろ。僕は君とずっと一緒にいて、あれだけの危機も共に乗り越えてきた。なのに、“昔の縁”一つであんな風に踏み込まれたら……」


 ウィリアムの頬が赤くなり、耳まで染まる。


「……バカみたいだな。僕」


「いいえ、うれしいわ」


 マーガレットは微笑んだ。


 ――その微笑みは、これまでのどんな優雅な笑みよりも、彼女自身のものだった。


「あなたが怒ってくれるなんて、ほんとうに私のこと、想ってくれてるってことだもの」


 ウィリアムは戸惑いながらも、うれしそうに視線をそらした。


「そりゃ……好きだから、当然だろ」


 ――好き。


 その言葉を、彼の口から正面きって聞いたのは、これが初めてだった。


 胸がぎゅっと締めつけられるような、けれど甘く満ちるような感情が、マーガレットの中に広がっていく。


「……ねえ、ウィル。今日の夜、少しだけ時間をくれる?」


「え? ああ、もちろん。何かあるのか?」


「ええ。“決戦前夜の誓い”をしたいの。あなたと」


 その夜――


 学園へと戻ったマーガレットとウィリアムは、誰もいない庭園の一角にいた。


 ランタンの灯りが揺れ、夏草の香りが満ちる夜。


 マーガレットは、ゆっくりとウィリアムの前に立った。


「この数ヶ月で、たくさんのことが変わったわ。学園も、私自身も。そして、あなたとの関係も」


 ウィリアムは無言で、彼女を見つめている。


「けれど、何がどう変わっても、私はこれだけは変えたくない。……あなたと、共に戦うこと。あなたと、共に笑うこと」


「……マギー」


「だから、私から言うわ」


 マーガレットは、スカートの裾を握りしめたまま、まっすぐに彼の目を見た。


「好きよ、ウィル。心から。私にとって、あなたは“共犯”以上の存在」


 数秒の沈黙。


 ウィリアムの表情が一瞬止まり、そして緩んだ。


「……僕も、同じだ。君の隣にいたい、ずっと。だから、守らせてほしい。君の未来も、君の心も」


 その言葉に、マーガレットは小さく笑った。


「頼りにしてるわ。共犯者」


 二人はそっと手を取り合い、夜空を仰いだ。


 星々は、まるでその誓いを祝福するかのように、まばゆく光っていた。


 ――明日。すべてが始まる。


 政治の渦が、学園を、王国を、飲み込むその前夜。

 交わされた誓いは、決して揺るがぬ絆となった。


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