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第四十一話 悪役令嬢、未来の火種を灯す

 冷たい冬の風が学園の塔の鐘楼から吹き抜ける午後、マーガレット・クレアは中庭に面した図書棟の読書室で、分厚い法制史の書物に目を落としていた。


 燃えるような決意で夜会を乗り越えた彼女は、もはや“悪役令嬢”と陰口を叩かれる存在ではない。それでも、表向きの評判は劇的に改善したとは言えなかった。庶民派の貴族令嬢たちからは憧れを、保守派の男子生徒からは警戒を、教師たちからは異例の評価と苦言を、等しく受け続けていた。


「ウィリアム様は……今日は来ていないのかしら」


 小さく漏れた独り言に、彼女自身が眉をひそめた。


(こんなふうに、彼のことを考えるのが日常になるなんて。かつての“私”だったら考えられないわ)


 マーガレットの脳裏には、夜会での記憶がよみがえる。ウィリアム・ランカスター、彼の剣舞、彼の手の温もり、そして「君の未来に、私も関わりたい」と言った言葉。


(……まだ、あの言葉の意味に、すべては答えられていない)


 少女としての感情と、官僚としての合理性の狭間で揺れる日々が続いていた。


「お嬢様、失礼します」


 読書室の扉が静かに開き、側仕えのリリィが現れた。眉間に皺を寄せ、何やらただならぬ様子だ。


「何かあったの?」


「はい、急報です。先ほど、ウィリアム様が学内で何者かに襲撃されたという報せが……」


「――ッ!」


 血の気が引く。椅子を勢いよく立ち、書物を机に置くのも忘れて、マーガレットは走り出していた。


(まさか。ウィリアムに何か……!)


 思考が真っ白になる中、彼女の脚はひたすら西棟の医務室へと向かっていた。廊下の生徒たちが驚いた顔で彼女の走る姿を見送るが、今のマーガレットにそれを気にする余裕はない。


 ――医務室の扉を開けると、そこには無傷ではあるが少し顔色の悪いウィリアムが、ベッドに腰をかけていた。


「ウィリアム様!」


「……マーガレット嬢。わざわざ、ありがとう。私は大丈夫だよ、少し小競り合いがあっただけだ」


 彼は無理に笑みを作ってみせたが、その指には血の滲んだ包帯が巻かれていた。


「“小競り合い”でその傷? ふざけないで」


 怒りと不安とがないまぜになった声が自然と漏れる。


「相手は……誰なの?」


 マーガレットが問うと、ウィリアムは数秒の沈黙ののち、小さく首を振った。


「はっきりとは分からない。ただ、“学園の生徒”とは限らないと思う。王都の外から入り込んできた者かもしれない」


「まさか、王太子派を狙った何者か……? あの夜会のあと、貴族社会の空気が変わっていた。警戒すべきだったわ」


「君は、自分を責める必要なんてない。私が選んだ道だから」


 ベッドの脇に立った彼女の手を、ウィリアムはそっと取る。


「マーガレット。私はね、君と出会って初めて“未来”というものを考えるようになった。剣の道しか知らなかった私に、“理想”というものが存在することを教えてくれた」


 彼の手が温かい。けれど、その温もりが余計に痛々しく感じられる。


「だからこそ、君には傷ついてほしくない。危険な改革も、陰謀も、全部――」


「それ以上言わないで」


 マーガレットは彼の手を握り返す。


「私も、あなたの“未来”を守りたい。あなただけが私を守るのでは不公平だわ。共に歩むと言ったでしょう?」


 その言葉に、ウィリアムはようやく微笑みを見せた。


「……ありがとう、マーガレット」


 その笑顔に、彼女の心も少しだけ安堵で緩んだ。


(この世界で“官僚”として生き直すだけじゃない。私は……“一人の女の子”として、彼のそばにいたい)


 少女としての胸の内を、マーガレットは静かに受け入れはじめていた。




 その夜、マーガレットは寮の部屋で、アメリア・ローズと話していた。


「ウィリアム様が襲われたですって? やっぱりあの夜会で一部の貴族が動いたのよ。王太子殿下と組んだことで、あなたは彼らにとって最大の“脅威”になったのよ」


「ええ。でも、それ以上に……この国の未来を左右する“希望”にもなりつつあると思うわ」


 アメリアは少し黙ったあと、真剣な眼差しで彼女を見る。


「ねぇ、マーガレット。あなたが本気で“国を変えよう”としてるのは分かる。でも、一人では限界があるわ。だから……私も協力する。私の家も、“改革派”に傾いているし、父には私から話す」


「アメリア……」


「心配しないで。私はあなたの友達よ。“悪役令嬢”なんて呼ばれていたって、関係ないわ。むしろ、あの姿を見て、尊敬したんだから」


 思わず、マーガレットの瞳が潤む。


 ——彼女には、もう“ひとり”ではない。


 ウィリアム、レオンハルト王太子、そしてアメリア。少しずつだが、仲間が増えている。


 それは、かつて官僚として孤独に戦っていた斉藤杏奈には得られなかった、かけがえのない絆だった。




 翌朝、マーガレットは制服の襟を整えると、窓の外の学園を見つめた。


 早朝の鐘が鳴り響き、また一日が始まる。


(この国はまだ変わっていない。でも、確実に何かが動き出している)


 マーガレット・クレアはその胸に、静かに、だが確かに“火種”を灯していた。


 未来のために。愛する人のために。そして、過去の自分を超えてゆくために——。


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