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第四話 悪役令嬢、改革者となる

領内の穀物倉庫での視察から戻った翌日、マーガレットは書斎で父のギルベルト公爵と肩を並べていた。机の上には地図、報告書、数字にまみれた書類の山が積まれている。隣には補佐としてベアトリス夫人が配置した執政官のマルセルが、優雅な姿勢でそれらに目を通していた。


「さて、マーガレット、具体案はどう持ってきた?」ギルベルトが優しく問いかける。


マーガレットは深呼吸を一つして、手元の資料に視線を落とた。


「はい。まず、フェルトン家との共同水路整備計画についての提案です。地図をごらんください」


彼女が指し示したのは、両家の領地を流れる川のルート図だった。


「この区間に港を設け、穀物や木材などの定期輸送拠点とします。初期投資は多めですが、年間の運搬費が現在の馬車輸送から30%削減となり、さらには季節を問わない安定供給が可能になります」


マルセルが軽く頷いた。


「そして水利権や港利権の分配はどうお考えですか?」


「我が家とフェルトン家が共同運営し、収益を半分ずつ分配する形です。さらに、港周辺の集落に“水係”という職位を設け働き口を提供します。港の運営だけでなく、船の点検や貨物管理など、新たな行政職の創設です」


ギルベルトも唸った。


「なるほど――港の維持管理に城下から人を下ろすのではなく、地元の雇用を生む形か。その発想はないこともなかったが、提案にまとめたものは初めてだ」


「ありがとうございます。ただ、懸念としてはフェルトン家との交渉でしょうか」


マーガレットは曇った表情になった。


「相手方の財政責見が強く、初期投資を我が家側へ全部求められる可能性もあります。その場合は、互いの領地で育成した商品を港で優先的に扱う“領地主義契約”を提案します。フェルトン領産の魚介類や我が領の木材・穀物を組み合わせて販売することで、双方の負担を相殺する算段です」


マルセルも眉をひそめる。


「交渉のテーブルに乗るかどうか――相手次第だが、こちらの条件も明確で良い。マーガレット、お主も腹はくくったか?」


マーガレットは小さくうなずいた。


「はい。私が交渉役を務めます。(元官僚だから、予算・交渉・書類整理は得意分野なんだけど)ただ……」


「ああ?」


「外交となると、王都の社交慣習に暗くて。言い回しや振る舞いで失礼があれば、交渉が破綻しかねません」


ベアトリス夫人が口を挟んだ。


「その点は安心しなさい。あなたにはリゼもいるし、私たちが同行します。まずは成功体験を積んでほしい」


ギルベルトも笑みを浮かべた。


「よし。やってみるがよい。失敗しても責めはしない。だが、責任は取ってもらうぞ」


マーガレットの胸が高鳴る。これが――彼女の、改革者としての“初陣”だ。



翌週、王都を発ち隣領へ向かう行列の中、マーガレットは落ち着いた面持ちで馬車の中から景色を眺めていた。枯れかけの堤防、新たに整備された道、水の流れは良くなっているのか、目で追う。


リゼが隣から覗き込む。


「お嬢様、ご緊張ですか?」


「少しだけ。でも、喜んでくれる一般の方々の顔を想像すると、自然と力が湧いてくるわ」


マーガレットは微笑んだ。


「行政の仕事をしていた時もそうだった。数字だけじゃなく、目の前の人の笑顔。これが、やりがいってものよね」


リゼは安心したように笑う。


「お嬢様ならきっとうまくいきます。皆、期待していますわ」



交渉の場は、フェルトン領の荘園にて。相手は領主の長男アーチボルト。顔を合わせるや、彼は丁寧にお辞儀をした。


「マーガレット公爵家よりのご使者。よくいらっしゃいました。我が家も水路整備には関心がありました」


マーガレットも一礼し、資料を広げた。文書は細かい数字と図まで織り込まれている。


「我が家の方では初期投資を全額引き受けますが、代わりに三年間は港の収益の40%を貴殿に分配いただきたい。以後は半分ずつ、という条件です。また、港の運営スタッフは貴家領民から選び、収入を地域に還元します」


アーチボルトは眉間に手をやり、書類に視線を落とした。沈黙が重苦しく流れる。


やがて、小さな溜息をついて顔を上げた。


「……なるほど。お嬢様、これほどまでに具体化しているとは。正直、こちらはまだ概念段階だった」


マーガレットは冷静に応じた。「貴家の報告書を拝読し、水路の構造や維持費もある程度把握しました。ですから、数字には自信があります」


アーチボルトがゆっくりと頷く。「あなたは真剣だ。いや、本当に優秀だ」


マーガレットの胸が跳ね上がる。その時、隣のベアトリス夫人がにこやかに口を開いた。


「ただし、我々にこの提案を即ご承諾いただくのは難しいでしょう。そこで、三ヶ月間の共同調査を条件とした上で、再協議の日を設けたいと思います。具体的には、輸送料、使用料、維持費の実態から、水質や経路整備までを、双方の工匠と技術者で調査し、その後改めて条項を策定する。いかがでしょう?」


アーチボルトは眼鏡の奥で一瞬だけ微笑んだ。


「興味深い提案だ。調査に足る時間と費用を我が領からも出せば合意できる。だが、一つ問題がある。我が家の兵力がそもそも少ない。その調査隊の護衛をどうするか……」


ギルベルト公爵が口を挟む。


「こちらから護衛の兵を一隊派遣しましょう。我々の領と関係強化にもなる。貴家にも安心していただけるかと思います」


会場に穏やかな緊張が和らいだ。アーチボルトは深く頭を下げた。


「それであれば、条件に乗りましょう。我が家も貴家と手を組む価値があると判断します」


マーガレットの指が震えたが、笑顔を崩さず礼を述べた。


「ありがとうございます。必ず期待に応えます」



帰路の馬車の中、マーガレットの頬は熱を帯びていた。安堵感と期待が入り混じる。


リゼがそっと声をかける。


「お嬢様、本日は本当にすばらしかったです」


マーガレットは窓の外に目をやった。


「まだ始まったばかりね。でも、これで一歩は確実に進んだ。三か月後、成果を出して――ここからが私の本番だわ」



3か月後


行政区内で行われた水路・港の共同調査の途中経過報告会。調査隊には港湾工匠、測量専門家、水質学者、護衛兵たちが同行し、隣領の村人も集まっている。マーガレットは壇上に立ち、村人と調査隊、貴族側、全ての目の前で報告を始めた。


「現在の水質は使用に支障なく、運搬コストは見込み通り20%削減。工匠の見積もりでは、港と関連施設整備にかかる総費用は想定以内です」


資料が大きな布地スクリーンに映し出される。村人たちは目を輝かせ、活気の兆しを感じ取っている。


「このプロジェクトは、単なる港建設ではありません。地域の雇用創出、輸送網の整備、将来の交易ルート強化に至る中長期プランを含め、「我が家と貴家の協同開発地区」としての発展を見据えています」


拍手が起きる。貴族衆は顔を見合わせ、リゼは静かにうなずいた。


村の代表である農夫が壇に上がり、涙声で言った。


「うちの村にも、仕事がくるんじゃ。ここで育つ子供らも、希望を持てる。お嬢様――感謝してもしきれません」


マーガレットは目を潤ませつつ、笑顔で答えた。


「私はただ、“やるべきこと”をしたまでです。私たちの国は、貴族と民が共に助け合ってこそ強くなれます。ここからが、私の本当の戦いです」


その言葉に、場は感動の渦となった。



だが、ここで物語は終わらない。港建設はあくまで第一歩。マーガレットはすでに次の戦略を描いていた。


1.奴隷制度の見直し:労働奴隷の就労制度化、魔力奴隷の解放と保護政策。

2.貴族制の透明化:今後の領地収益の使途を公開し、領民への説明責任を明確化。

3.教育改革:港周辺の集落に、読み書き・商業道徳・魔法基礎を教える初等学校を設立。


この三本柱のうち、港が完成次第、奴隷制度改革に着手する予定だった。貴族の反発を抑えるため、まずは「収益に関する公共制度」を体現して見せることで、改革の正当性と信頼を得ようとする算段だった。



その夜、書斎に戻ったマーガレットは、資料に目を通しながらリゼと会議をしていた。


「奴隷制度。これは難しいわ。貴族間でも意見が割れる。特に“魔力奴隷”については強硬派が多くて……」


リゼが頷く。


「でも、お嬢様なら……。まずは労働奴隷減少から、徐々に流れを変えていけば。公爵家の見本になれば――」


マーガレットはペンを置き、窓の外の夜景を見据えた。王都の灯り、川の流れ、港の未来。彼女の胸に、確固たる決意が芽吹く。


「ええ。まずは、奴隷たちの就労条件の最低基準を定める法令を本地で試験的に運用する。一定の賃金支払い、労働時間の規定、休息日の保障。それだけでも、“人”として扱う証になるはず。それから、魔力奴隷については――」


翌朝、マーガレット・クレアは一枚の布印章を手に、執務室へ赴いた。そこには、支持と期待の眼差しが集まっていた。彼女は静かに誓う。


――もう二度と、この世界に死の結末は欲しくない。


この小さな改革者の初陣は、今まさに幕を開けようとしていた。

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