第三十七話 悪役令嬢、陰謀の気配を嗅ぎ取る
朝霧のような薄光が、学園の塔を包んでいた。
マーガレット・クレアは、ひとり書庫の片隅にいた。生徒評議会で提出された旧教本と新教本の内容差異を精査するために、朝食も取らずに資料に向き合っていたのだ。
――やはり、配点の変更には意図がある。
明らかに平民生徒にとって不利な構成。特に実技科目の評価配分が、魔力の家系的優位性を根拠に設定されている点は見逃せない。改革案が通過すれば、この偏見は是正されるが、当然ながら反対勢力は強く反発するだろう。
「……君は、本当に変わらず真面目だな」
柔らかな声が背後から響き、マーガレットは振り返った。ウィリアム・アーヴィングが、朝の光を受けながら静かに立っていた。
「早朝から資料ですか? 朝食は?」
「……まだ、ですわ」
「予想通りだ」
彼は微笑んで、手にした布包みをそっと机の上に置いた。開くと、まだ温かいクロワッサンと、小さな瓶に詰められたイチゴのジャムが現れる。
「学園の厨房と仲良くなっておいて正解だった。君が倒れてしまったら、誰が改革を続けるんだい?」
マーガレットは、思わず微笑んだ。彼のこうした気遣いには、いつも不意を突かれる。
「ありがとう……ウィリアム様」
「どういたしまして、マーガレット嬢」
朝の書庫でふたりだけの静かなひととき。少女小説において、こうした“ささやかな時間”が、何より心を揺さぶるのだとマーガレットは自覚していた。
けれど――そのぬくもりの最中、扉の隙間から滑り込むように一枚の紙が投げ込まれた。
「これは……?」
ウィリアムがそれを拾い上げ、封を確認する。差出人の名はなく、紙質は高級だが、封蝋は一般的な市販品。極めて匿名性の高い手紙だった。
マーガレットは手袋を嵌め、慎重にそれを開く。
『“白薔薇”は枯れない。動くべきは、今――夜会の影で見たものを忘れるな』
その一文に、ふたりは沈黙した。
“白薔薇”――それは、夜会で名乗りを上げた秘密結社のコードネーム。
彼らが本当に味方かどうか、マーガレットには判断しかねていた。だがこの警告めいた文言は、明らかに学園内に何かが起ころうとしていることを示唆していた。
「……このタイミングで届いたということは、私たちの改革に、何者かが直接関心を抱いているということですわね」
「おそらく。だが、それが善意か悪意かは分からない」
ふたりの間に、緊張が走る。
翌日から、学園内には目に見えぬ変化が起き始めた。図書室にあった資料が紛失し、平民生徒を中心に妙な噂が広まり始める。
「クレア嬢が、平民に特別な課題を与えているらしい」「特定の家系に肩入れしている」
そうした、根も葉もない言葉が、まるで意図的に撒かれた種のように広がっていた。
「これは……内部からの妨害ですわね」
マーガレットは学園の掲示板の前で足を止めた。
そこには、匿名の張り紙がされていた。内容は、“改革の裏には個人の野心がある”というもので、明らかにマーガレットを指していた。
貴族派の誰か? それとも秘密結社の“白薔薇”が関与しているのか。
思案する彼女のもとへ、またもや王太子レオンハルトが姿を現した。
「マーガレット嬢。学園内の風がきな臭くなってきた。私の調査官を非公式に動かそう」
「……ありがとうございます、殿下。でも、まずはこの学園内で起きていることを、自分の目で確かめたいのです」
レオンハルトはひとつうなずくと、厳しい目で言った。
「気をつけてくれ。君が消されれば、この改革は終わるのだから」
(そう――私は“悪役令嬢”なのだから。標的になる覚悟は、とっくにしている)
その日の夕刻、マーガレットは、ひとり“旧校舎”へと足を踏み入れた。
そこには、過去に一度だけ訪れた部屋がある。夜会の秘密結社が集ったあの場所だ。
もしや、手紙を投げ込んだ者が再び現れるのではないかと考えたのだ。
そして――その予想は、的中した。
暗がりの中に現れたのは、黒衣に身を包んだ一人の少女。目元にはレースの仮面。
「……白薔薇の使者?」
「“我らが姫”よ。貴女に忠告しに来ました」
少女の声は若いが、しっかりとした威厳があった。
「近く、旧貴族派が動きます。彼らは“学園統一演習”の機会を使って、あなたを潰すつもりです」
「演習? 来週の、貴族・平民混成チームでの合同戦闘授業のことですか?」
「ええ。あなたのチームに“罠”が仕掛けられる……彼らは失敗を演出し、あなたの信頼と立場を破壊しようとしている」
マーガレットは、深く息を吸った。
「なぜ、私に教えるのです?」
「あなたには、この国に必要な“光”の匂いがあるから……私たちは、それに賭けてみたいのです」
そう言い残し、少女は闇の中へと姿を消した。
――やはり、“白薔薇”は完全なる敵ではない。
マーガレットの心は、覚悟に満ちていた。
「来るなら、来なさい。私は――負けません」
月明かりに照らされた旧校舎に、少女の瞳が強く光っていた。




