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第三十五話 悪役令嬢、影の手と対峙する

 春の陽射しに包まれた学園は、表面上は穏やかだった。新生徒会制度の導入により、平民の生徒たちは初めて正当な声を得たかのように沸き立ち、校内の掲示板には立候補者たちの名が並び、改革の熱気が風のように駆け抜けていた。


 だが、マーガレット・クレアの胸には、重く沈む影がひとつ、こびりついて離れなかった。


(「夜陰にて再び会おう」……あの仮面の紋章。間違いない、あの秘密結社が、私の改革に介入しようとしている)


 彼女の手元には、もう一通、同じ紋章の刻まれた封書があった。そこには、今宵、南庭園の地下書庫にて密会を求める指示が記されていた。


 ――その誘いに乗るべきか否か。


 迷いはあった。だが、マーガレットはかつて国家公務員として幾多の交渉と策謀を乗り越えてきた斉藤杏奈としての本能を忘れていなかった。


 危機の裏にこそ、真実がある。触れずして変革など起こせはしない。


 夜。彼女は一人、南庭園の地下書庫へと足を運んだ。




 書庫の奥、蝋燭の灯が揺れる空間に、仮面を纏った人物が静かに立っていた。


「ようこそ、マーガレット・クレア嬢。貴女の勇気と才覚に、我ら“黒衣のノクターン”は深い敬意を払う」


「……“ノクターン”」


 秘密結社――その名は、歴史の陰にのみ存在し、かつて王家すら影で操っていたと言われる伝説の集団だった。


 仮面の男は続けた。


「貴女の改革には、我らの理想と通ずる部分が多くある。出自に関係なく人を評価し、腐敗を切り捨てるその姿勢――我らは貴女を“次なる時代の導き手”と見ている」


「それで、私に何を望むの?」


「我らと共に歩んでほしい。王政の腐敗、貴族の怠慢、商会の利権支配――貴女の力を借りれば、一気に切り崩せよう。我らは裏から支えよう。公にはできぬ情報と資金を提供する。対価は……ただ一つ」


「私の信念を売ること?」


「いや。貴女の勝利を見届けること。それが我らの目的だ。貴女は変革の旗印となるべき存在。正義を掲げた“悪役令嬢”という皮肉が、むしろ民の心を打つ」


 マーガレットは、しばし沈黙したのち、静かに首を振った。


「……悪くない提案だけれど。私は、陽の下で戦う覚悟を決めたの。たとえ遠回りでも、表のルールで勝たなければ、本当の改革は実現できない」


「陽の下では、時に真実が見えなくなる。影は常に貴女の背にある」


「その影に飲まれるくらいなら、自分の光で燃え尽きる方がましよ」


 仮面の人物は微笑むように首を傾げた。


「ならば見守ろう。いつか貴女が助けを求めるその日まで。我ら“黒衣の翼”は、常に貴女の背後にいる」


 そう言って、彼は闇の中へと消えていった。




 翌日。マーガレットは朝早く生徒会室に入り、改革選挙の準備を再開した。机の上には山のような書類、提案書、選挙日程案。だが、彼女の顔は少しも疲れてはいなかった。


「君の目、昨夜とは違う。何があった?」と声をかけてきたのは、もちろんウィリアムだった。


 彼は彼女の表情を読むのが本当に得意だった。


「少し、影と話をしてきたの」


「……危険な影か?」


「ええ。でも、それよりも私は、貴方に守ってもらえることの方が心強かった」


 ウィリアムは目を細め、柔らかく微笑んだ。


「君が影と対峙しているなら、僕は光でいたい。君が進むべき道を照らすような存在でありたいんだ」


 その言葉は、まるで恋文のようだった。


 マーガレットは頬を染め、ほんの少しだけ、目を逸らした。


「……少しだけ、貴方に甘えてもいいかしら」


「もちろん。いつだって、僕は君の味方だ」


 ふたりの間に流れる静かな時間。それは、戦いの前の束の間の安らぎであり、ひとつの恋の芽吹きでもあった。




 そして――午後。


 改革選挙の立候補者リストが発表された。


 そこには予想を超える平民生徒の名がずらりと並び、さらには侯爵家の次男や男爵家の娘までが「無所属改革派」を名乗って名乗りを上げていた。


 マーガレットの目指した“変革”は、確かに学園の心を動かしていた。


(この風は……きっと、王国全体をも変えていける)


 そう確信したとき、マーガレットはふと掲示板の隅に目をやった。


 そこには、“ある者”がいた。艶やかな黒髪に琥珀色の瞳。マーガレットの幼馴染みであり、元許嫁である――カーティス・エインズワース。


「見事な采配だな、マーガレット」


「貴族のあなただって、反対してもおかしくないのに」


「そうか? 僕はむしろ楽しいよ。君がどこまでこの学園を揺るがせるか、見届けたくなった」


 その口元には、どこか挑むような笑み。


 カーティス。彼もまた、今後の改革の渦の中で重要な鍵となる男だった。


 新たな敵か、それとも再びの味方か――。


 運命の風は、さらに強く吹き始めようとしていた。


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