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第三話 悪役令嬢、誓いを立てる

地面に散った砂の跡に、幼い少女が描いた円の中心に立つマーガレットは、小さな両手に収まりきらないほど大きな魔導書を片手に、前方に向けて手を伸ばしていた。


「風よ、我が呼び声に応え、その力をこの場に――」


 空気が震え、次の瞬間、マーガレットの手のひらから風の刃が放たれた。訓練用の人形に狙いを定めたそれは、まっすぐに飛び、寸前で風の抵抗を受けるかのように散って消える。


「……また、弱すぎた」


 悔しそうに唇を噛む。だが、先ほどよりは形になっていた。失敗ではない。成功でもない。だが、進歩だ。


 彼女の後ろから近づいてきた老魔術師――マーガレット家に仕える筆頭魔導師ガリウス・レイドは、厳しくもどこか温かな眼差しでマーガレットを見下ろした。


「魔力の流れは悪くない。だが詠唱の意識がまだ甘いな。文字通り“風”と呼ぶのではなく、己の内から湧く風と一体になるよう意識するんだ」


「……はい、ガリウス先生」


 幼い声で返事をする彼女は、内心では苛立ちを押し殺していた。


 (たかが風の刃一つに、ここまで手こずるなんて……!)


 総務省の元キャリアとして、かつては国のデータベースと書類の山を一日で捌いていた彼女にとって、この魔法というものはあまりにも感覚的すぎた。明確なロジックが通じず、鍛錬と体得を要する技術に、杏奈としての知識は役に立たない。


 ――だが、それでも。


 マーガレット・クレアとしての未来は、この世界での「敗北」を意味していた。処刑台に向かって歩くその結末は、書かれた物語ではハッピーエンドだとしても、彼女にとっては違う。死んで、再び得た命だ。今度こそ、無意味にはしたくなかった。


 「まつりごとは文と理。魔術は理と感。どちらも違うようで、結局人の“理解”から始まる。焦るな、マーガレット」


 静かにガリウスが告げる言葉に、マーガレットはふっと力を抜いた。


 「はい。……次は、成功させてみせます」


 そして再び、空に向かって手をかざす。その瞳は、すでに幼い少女ではなかった。


 翌日。


 マーガレットは両親と共に、領内の行政区画の一部へ視察に出向いていた。


 「……廃棄される小麦が、これほどとは」


 穀物倉庫の中で、黴にやられた麦袋の山に視線を落とし、マーガレットは眉をひそめた。


 「運搬経路が遠すぎて腐ってしまうのです。収穫後にすぐ出荷できる手段がありません」


 農夫が憂いたように答える。隣でそれを聞いていた父・ギルベルト公爵は眉間に皺を寄せる。


 「輸送を担う馬車が足りんのか」


 「馬車と御者の数も、費用もです。加えて、他領への販売経路も限られています」


 マーガレットは少し考え込んだのち、父に向き直った。


 「お父様。隣領のフェルトン家は、今年から収穫物の集配に水路を使うようになったと報告書で読みました。あちらの川は我が領にも続いています。新たに港を設け、共同で使用することで両者に利益が出るのでは?」


 ギルベルトは娘をじっと見た。


 「なるほど……良い発想だ。だが交渉には慎重を要する。フェルトン家は財務に厳しい」


 「分かっています。ですが、お父様が『理想の公爵』であるならば、損得を超えた改革が必要だと私は思います」


 「ほう……」


 娘の言葉に、ギルベルトの口元がわずかにほころんだ。


 「マーガレット。お前は本当に、変わったな」


 「そうでしょうか?」


 「子供の頃は、よく泣いていた。なのに、今では領政にまで口を出すとはな。――良い。ならばこの交渉、任せてみるか?」


 「え……?」


 「もちろん補佐はつける。だが、お前が最初に提案したのだ。自ら形にしてみろ」


 その瞬間、マーガレットの胸に灯るものがあった。


 ――これはきっと、あの世界では得られなかった『信頼』というやつだ。


 「はい。必ず、成功させてみせます」


 その表情は、幼いながらすでに立派な『改革者』の顔だった。


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