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第二十六話 悪役令嬢、心の壁を越えて

 初夏の陽射しが、エルミナ王立学園の中庭に柔らかな陰影を落としていた。マーガレット・クレアは、図書館からの帰り道、咲き誇る白薔薇のアーチの下で立ち止まった。


 ここは、生徒たちの憩いの場として知られている場所だが、今日はなぜか人影がまばらだった。風が葉を揺らし、どこか遠くで鐘の音が響く。


 その静寂の中に、足音がひとつ、近づいてきた。


「クレア嬢」


 振り返れば、そこにいたのは、ウィリアム・アーデン。金糸のような髪に微かな汗を浮かべ、いつもより少し砕けた雰囲気を纏っている。


「こんなところにいたのですね。学院中を探しました」


「……私に何か用ですの?」


 マーガレットはそう言いながらも、内心は静かに波立っていた。


 この数日、二人は言葉を交わす機会が減っていた。秘密結社《黄昏の翼》との接触、王太子レオンハルトとの協力関係の確立——彼女の周囲が慌ただしくなるにつれて、ウィリアムとの距離は少しずつ、確かに開いていた。


 ウィリアムはマーガレットの前に立ち、真っ直ぐな眼差しで言った。


「君と、もう一度話がしたかった。……いや、違う。君と、ちゃんと向き合いたいと思った」


「向き合う?」


「君はずっと、一人で戦っている。貴族社会を変えようとして、奴隷制度を廃止しようとして、平民と貴族の間の壁を壊そうとして……でも、僕たちにも“戦わせて”ほしいんだ」


 彼の声には、いつになく切実な響きがあった。


 マーガレットは目を伏せた。彼の言葉は嬉しかった。けれど、それと同時に怖くもあった。


 過去の杏奈としての記憶。国の制度改革に取り組むなかで裏切られたこと、味方と思っていた者に見捨てられたこと——その痛みが、今も胸の奥で疼いていた。


「……私は、あなたを巻き込みたくないのです」


 しばしの沈黙の後、ようやく言葉を絞り出す。


「これは危険な道です。あなたまで傷ついてしまう」


「それは、君が決めることじゃない」


 ウィリアムは一歩、彼女に近づいた。


「僕は、君の剣になりたい。君の盾にもなりたい。そして——」


 言葉を切って、彼はそっとマーガレットの手を取った。


「——君の隣にいたい。君の“未来”を共に歩きたいんだ」


 その言葉に、マーガレットの胸が大きく波打った。


 彼の手の温かさが、指先から心に伝わってくる。これほどまでに真っ直ぐな想いを向けられたのは、いつ以来だっただろう。


「ウィリアム……」


 彼女は、静かにその手を握り返した。


「ならば、一緒に来てくれますか? 私の見たい世界を、あなたにも見てほしいのです」


「もちろんだ。何があっても、君のそばにいる」


 それは、契約でも命令でもない。心からの誓いだった。


 その瞬間、風が二人の間を優しく通り抜け、白薔薇の花びらがひとひら、マーガレットの肩に舞い降りた。




 その夜、マーガレットは日記帳に一文を書き留めた。


《今日、私は一人ではなくなった》


 その文字に、彼女は微笑を浮かべ、ペンを静かに閉じた。


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