第二十一話 悪役令嬢、裏切りと向き合う
冬の陽射しが校庭の白い石畳を淡く照らしていた。学園の正門前にはいつも通りの喧噪が広がっているが、マーガレット・クレアの心には、鈍い痛みがこびりついたままだった。
裏切り――それは他人に向けた言葉ではない。むしろ、自分自身の内側に浮かんでくる疑念こそが、彼女を苦しめていた。
あの夜、秘密結社〈影の羽根〉との接触の中で、マーガレットは王国の中枢に巣食う腐敗の深さを知った。貴族の中にも、改革を叫びながら裏では利権にすがる者がいる。そして彼女の身近な存在の中にも、疑念が芽吹いていたのだ。
「……ウィリアム様、あなたは……」
誰よりも信じたはずの人。その存在にすら、一瞬でも疑いの目を向けてしまったことに、彼女は胸を締め付けられていた。
学園の講堂では、冬季特別講義の準備が進んでいた。生徒たちは華やかな衣装で賑わい、季節の装飾が天井にまで伸びている。明るく笑い合う貴族令嬢たちの中で、マーガレットだけがその華やかさと隔絶していた。
「マーガレット、元気がないね」
気配を察して近づいてきたのは、親友のカミラだった。リボンで束ねた金髪がふわりと揺れ、心配そうな視線を向けてくる。
「少し……考えごとをしていただけよ」
「例の“秘密結社”のこと?」
「ええ、それもあるけれど……」
言葉を濁すマーガレットに、カミラはふと真剣な表情になる。
「もし信じたい人を疑ってしまったなら、それは“裏切られた”んじゃなくて、“信じたいと思ってる”証拠じゃないかな。自分の心の奥が、それでも信じたいって叫んでるのよ」
ハッとした。マーガレットの心に、カミラの言葉が真っ直ぐに突き刺さる。
——そうだ、私はウィリアムを疑いたくなんてなかった。けれど、彼の父親、イグナス辺境伯と“影の羽根”の関係が浮上したとき、真っ先に頭をよぎったのは彼の顔だった。
その想像の愚かさが、今さらながら胸に迫ってくる。
マーガレットは小さく頭を振った。
「ありがとう、カミラ。……わたし、今すぐ話をしなくちゃいけない人がいるわ」
彼女はドレスの裾を翻し、講堂を後にした。
向かった先は、中庭の噴水広場。そこは、学生たちの間でも“恋の告白の場”として知られる場所だった。
その中心に、銀髪の青年が立っていた。
「ウィリアム様……!」
呼びかける声に、ウィリアム・アーヴィングは静かに振り返った。いつものように穏やかな微笑みを浮かべていたが、その奥に何かを押し殺すような翳りがあった。
「マーガレット。……来てくれると思っていたよ」
二人の間にしばし沈黙が流れた。冬の冷たい風が、木々を揺らす。
やがて、彼女が口を開いた。
「ウィリアム様。……あなたのお父上、イグナス辺境伯と“影の羽根”の関係について、私は情報を得ました」
正面から告げると、ウィリアムの表情がわずかに強張った。
だが、すぐにそれを飲み込み、まっすぐに彼女を見つめ返した。
「そうか……そのことを、話さなければいけない時が来たんだね」
彼は、静かに自分の過去を語り始めた。
ウィリアムがまだ幼かった頃、辺境の村々では王都からの支援が滞り、飢えと病が蔓延していた。父・イグナスは非公式な組織を通じて、黒市から医薬品や食料を得て人々を救ったのだという。
「確かに、あの頃の父は、“影の羽根”と手を組んでいた。でも、それは民を救うためだった。……今の父は、その関係を断ち切り、正道を歩もうとしている。僕は、その意志を信じている」
マーガレットは黙って彼の言葉を聞いていた。そして、静かに問いかけた。
「なら、ウィリアム様。あなた自身は、どちらに立つの?」
「僕は——君の隣に立ちたい」
その言葉は、彼女の心の最奥に響いた。
「たとえ父を敵に回すことになっても、僕は君と共に、この国を変えたい。……マーガレット、君の志に共鳴したのは、ただの理屈じゃない。僕の心が、君に向かって叫んでいたんだ」
彼の瞳はまっすぐだった。嘘のない、清らかな光が宿っていた。
マーガレットは、小さく目を閉じた。そして一歩、彼に近づく。
「……信じるわ。あなたを。そして、私たちの未来を」
その瞬間、噴水の音が柔らかく響いた。
彼女の心の霧が晴れ、冬の空に一筋の光が差し込む。
——恋は、疑いよりも強く。希望は、裏切りを超えていく。
「ありがとう、ウィリアム様。あなたが、私の味方でいてくれることが、何よりの救いよ」
ふと、彼が照れたように笑いながら囁いた。
「さっきから“ウィリアム様”って呼ぶけど、もう少し砕けた呼び方でもいいんじゃない?」
「……じゃあ、ウィル」
その名を口にした瞬間、二人の距離がほんの少しだけ近づいた気がした。
風が吹き抜け、枯葉が踊る。
その冬の日、学園の片隅で、小さな恋と大きな覚悟が重なり合った。




