第十七話 悪役令嬢、裏切りと信頼のはざまで揺れる
アカデミーの朝は、変わらず平穏に見えた。
だがマーガレット・クレアの胸中には、昨夜からざわめくものがあった。ウィリアムと紫陽花の庭で交わした言葉、その優しさ。その一方で、謎めいた転入生・ディアナ・ヴァルベールの視線が忘れられなかった。
彼女の問いかけ——
「“この学園に生きる意味”って、なんでしょう?」
その問いは、まるで鋭い針のように、マーガレットの胸の奥に刺さっていた。
午前の講義が終わった頃、生徒会室に緊急の通達が入った。
「王城より、学園内の“治安維持活動”強化の命が下された」
表向きには、盗難事件や貴族間のトラブルへの対応とされていたが、マーガレットは即座に察した。
これは“何か”が動いている証拠だ。
「まるで、嵐の前の静けさね……」
資料を閉じた彼女の目は鋭く、しかし、どこか寂しげでもあった。
その夜、学園内の図書塔の奥深く。通常の生徒は立ち入らない場所に、ディアナの姿があった。
「……やはり来たわね、マーガレット・クレア」
ディアナの声に応えるように、静かに扉が開いた。
マーガレットはフードを目深にかぶって現れる。まるで夜の精のようなその姿は、以前の令嬢としての彼女とはまるで別人だった。
「〈ロゼ・ノワール〉の情報を持っていると言っていたわね。なら、聞かせてちょうだい」
「本題に入る前に、一つだけ。あなたは、彼らが“悪”だと思う?」
「……少なくとも、彼らはこの国の“在り方”に反旗を翻す者たち。放っておけば内戦の火種になり得る」
「けれど、あなたもまた“変革”を望んでいる」
ディアナの瞳が、深紅に光った。
「私も、彼らの理想には共感している。けれど、やり方には同意できない。だからこそ、私自身が動くのよ」
「つまり、あなたは……“彼らの中にいる”のね?」
問いかけに対し、ディアナは答えなかった。ただ静かに、書架の奥にある古文書を差し出した。
「これは、かつて王家と秘密裏に結ばれていた《貴族間教育権密約》。学園内での人事・教育は一部の上位貴族に握られており、それを逆手にとって“思想教育”すら行われていたという記録」
マーガレットは目を見張った。
「これが本当なら……この学園の“正義”そのものが、崩れるわ」
「その通り。だからこそ、あなたには、見極めてほしい。改革か、秩序か。信頼か、裏切りか」
ディアナは微笑む。
「私は、あなたを試しているのよ。マーガレット・クレア。あなたがどこまで信じられるのか。自分を、仲間を……そして、ウィリアム・アーデンを」
その名が出た瞬間、マーガレットの心が揺れた。
——ウィリアム。彼は本当に、私のそばにいてくれるのだろうか?
その夜、マーガレットはひとり、学園の塔の上に立っていた。夜風が金の髪をなびかせる。星空の下、過去の記憶がよみがえる。
前世——斉藤杏奈として過ごしていた官僚の頃。
組織に裏切られたこと。正義が、時に利権や保身に飲み込まれたこと。
「信じていた人に裏切られるのが、何より苦しい」
その呟きを背に、静かな足音が響いた。
「こんな時間に、冷えるよ」
ウィリアムだった。
「ウィリアム様……」
「君が、ここにいる気がした。何かあった?」
マーガレットは迷った。
ディアナの言葉を、告げるべきか。黙って見守るべきか。
——でも、私は変わりたい。“信じること”を、あきらめたくない。
「ウィリアム様、もし、私が誰かの信頼を裏切るかもしれない立場に立ったら……あなたは、それでもそばにいてくれますか?」
ウィリアムは、驚いた顔で彼女を見た。そして、静かに頷く。
「君が“自分で考え、選んだ”なら、僕は何があっても信じるよ」
その言葉に、マーガレットの胸の奥が、音を立てて崩れた。
涙が、一筋、頬を伝った。
これは、官僚だった杏奈の頃には得られなかったもの。信頼、絆、そして——恋。
「ありがとう、ウィリアム様」
その夜、彼女はようやく、自分の心にある重しをひとつ、下ろすことができた。
だがその数日後、衝撃的な事件が学園を揺るがす。
「〈ロゼ・ノワール〉の一員が、学園内に潜伏している」
通報があり、生徒の中に密偵が紛れ込んでいるという噂が流れた。
緊張が走る中、ディアナの姿は消えていた。
そして、マーガレットのもとには一通の手紙が届く。
「——今度こそ、私を信じられるかしら? 次に会うとき、あなたは真実を知るでしょう。
ディアナ・ヴァルベール」




