パンも恋も、冷めないうちに(市川美希)
女性パン職人:美希の恋愛模様
愛知県東栄町の小さな通りに、香ばしいパンの香りが漂う。
「こもれびベーカリー」。ここは、市川美希が一人で営む小さなパン屋だ。名古屋のベーカリーで修業を積み、「自分だけの味を作りたい」と決意した美希は、空気と水の美味しいこの町で開業した。粉の香り、薪の音、発酵の呼吸――そのどれもが、彼女の生きるリズムになっている。
町の人たちはそんな美希を「パンが恋人の人」と笑うが、美希はその言葉を誇りに思っていた。毎日朝五時前から始まる仕事も、苦ではなかった。
朝七時過ぎ。仕込みも進み、美希はパンの焼成と生地の成形をしていると……その手際を、ガラス越しに見つめる男性の姿があった。
「おはようございます、美希さん」
観光協会の森野だった。東栄町のイベント企画を担当しており、開店当初から美希を応援してくれている。いつの間にか常連にもなり、最近ではパンの焼き上がりを見計らってやって来るようになっていた。
「今日は早いですね、森野さん」
「ええ、出勤前に立ち寄りました。美希さんの焼き立てパンを食べたくて」
「ありがとうございます。でも、まだ開店前ですけどね」
「あはは、ごめんなさい。代金ここに置いておくので、焼き立ての栗パン三個貰って良いですか?」
「もう……森野さんだけ、特別ですよ」
森野は熱々のパンを口に運びながら、笑顔を見せる。その笑顔で美希もまた気持ちが明るくなる。
「そうそう美希さん、週末の路上マーケットの最終確認です。美希さんのブース、いい場所が取れましたよ。資料はこちらです」
「ありがとうございます。頑張らなきゃ」
「ええ、楽しみにしてます。……美希さんのパンは、町の自慢ですから」
「そんな……」
その言葉に、心がじんわりと温かくなった。森野の笑顔はいつも穏やかで、どこか包み込むような優しさがある。仕事での付き合いのはずが、最近は顔を見るだけで胸が高鳴る自分に気づいていた。
――だが、イベント前日の朝。
店の奥から、焦げたようなにおいがした。慌ててオーブンのスイッチを切ると、火がつかなくなっていた。何度試しても温度が上がらない。
「まさか……故障?」
胸がざわめく。イベント前日という最悪のタイミングだった。修理業者に電話をかけてオーブンの確認をしてもらったが、「部品の取り寄せが必要で、修理は週明けになる」と告げられた。
手が止まる。パンが焼けない。イベントに出せない。これまで積み重ねてきた努力が、音を立てて崩れていく気がした。
昼の時間、美希は森野に連絡をした。すると、店を閉めた美希のもとに、森野が駆け込んできた。
「美希さん、オーブンが壊れたって本当ですか?」
「はい……もうどうしようもないみたいで」
声が震える。無理して笑おうとするが、涙がにじんだ。
「せっかく準備してきたのに……明日のイベント出店は無理みたいです」
「ちょっと待ってください、まだできる事があるかもしれません」
森野は即座に言った。
「町内の飲食店に連絡してみます。移動できるガスオーブンを持ってるかもしれません」
「そんな、迷惑かけちゃいますよ」
「迷惑なんかじゃありません。東栄町のイベントは、町の人みんなで作るものです。それに……僕はあなたのパンが大好きなんです」
その言葉に、胸が熱くなった。一時間後、森野は汗をかきながら戻ってきた。
「やっぱりありました。和食屋の『山川』さんと、カフェの『フォレスト珈琲』さんに借りられます! 夜はオーブンメニューを販売中止にするからかしてくれる! との事です!」
「ええっ!? 良いんですか!? 本当に……?」
「ええ。ガスホースとコンセントをつなげば使えるタイプです。ガス器具業者の人にも来てもらうので、今から運び込みましょう」
それからの数時間、二人は作業を続けた。美希は出店用のパン生地を作り、森野は各種手配をこなした。ガスオーブンの設置と調整が終わり、ようやく試運転が始まる。小さく炎が灯った瞬間、美希は思わず息をのんだ。
「動いた……!」
「よかった」
森野が微笑む。その笑顔に、今度こそ涙があふれそうになる。
「徹夜覚悟ですね」
「はい。焼き上げないと間に合いません」
「なら、僕も手伝います」
「森野さんが? パン作りなんて大変ですよ」
「大丈夫です。美希さんの助手、今日だけでも務めます」
夜が更ける。粉をこねる音、ガスの炎の揺らめき、バターの甘い香り――。慣れない手つきで生地を成形する森野の姿に、美希は何度も笑みをこぼした。
「上手です。意外と筋がいいかも」
「えっ、本当ですか? 転職しようかな」
「それは困ります。観光協会が大変になっちゃう」
二人の笑い声が、夜の店内にやさしく響いた。
――夜明け前。当初の予定通りではないが、出店には十分な量のパンが焼き上がり、黄金色の表面が朝の光を反射して輝く。 美希は焼きたての香りを吸い込みながら、静かに言った。
「本当に……ありがとうございました。何てお礼を言ったら良いか……森野さんがいなかったら、きっと諦めてました」
「僕も嬉しいですよ。あなたのパンをまた町のみんなに食べてもらえることが」
森野の笑顔に、胸の奥がじんと温かくなる。
「さあ、パンを運びましょう!」
「はい、お願いします」
路上マーケットでは朝からにぎわいを見せた。美希のブースには次々と人が訪れ、焼きたてのパンはすぐに売り切れた。イベント全体の確認をしながら、ブースにやってきた森野が誇らしそうに笑っている。
「すごい人気ですね、美希さん」
「森野さんのおかげです」
「じゃあ……次は僕にだけ特別に、焼きたてをお願いします」
「ふふっ、いいですよ。特別に作ってあげます。でも何だか……それって恋人みたいなお願いですね」
「じゃあ、そうなれるように頑張ります」
「もう、冗談で言ったのに!」
「いえ、僕は冗談のつもりじゃなかったですけど……」
森野の言葉に、美希は頬が一気に熱くなる。けれど、不思議と嫌じゃなかった。
夕暮れ、イベントが終わったあと。店に戻った美希は、美希はペンと紙をもって明日作るパンの構想を描き始めた。
「森野さん、どんなパンが好みだったかな」
森野が好んで購入するパンと、森野の優しい笑顔を思い出す。美希は疲れも忘れて森野の為のパン作りを始めながらつぶやく。
「パンも恋も、冷めないうちに……大切にしなきゃね」
ふと、窓の外の東栄町の夕焼けが、焼きたてのパンのように温かく見えた。
- キャラクター プロフィール -
名前:市川美希
職業:パン職人
好きな事:フリーマーケット
年齢:26
身長:153㎝(5'3")
体重:50㎏(110lb)
誕生日:12月22日
星座:山羊座
血液型:O型
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