ワインと嘘と、ほんとうのこと(橘美和子)
ソムリエ:美和子の恋愛模様
愛知県北名古屋市のレストラン「ル・シエル」は、郊外にありながら予約の絶えない人気店だ。木の温もりを活かした内装に、季節の食材を取り入れたコース料理。そして料理に寄り添うワインのセレクトを任されているのが、ソムリエの橘美和子だった。
美和子は、つい先日、三十歳を迎えた。誕生日の夜、親友のケイコと名古屋の小さなビストロでグラスを傾けていた。
「ありがとう、ケイコ……でも、なんか30って響き、妙にずしっとくるよね」
「わかる。でもさ、いい加減、水野さんとくっつきなよ!」
「え……!」
ケイコはワイングラスを揺らしながら、にやりと笑った。
「ふたり、職場でも公認でしょ? 息ぴったり、空気感も穏やかで。もう、話を聞かされるこっちがじれったいってば。あんた達が両想いじゃなかったら、誰が両想いなのよ」
「でも健太くん、そういうの一切口に出さないし……」
「だからよ! 作戦決行しましょうよ! 次の店が定休日の前日の夜、勤務後にふたりで飲みに行くの。で、美和子が酔わせて……そのまま介抱って名目で水野さんの部屋へ連れてく」
「えっ、それって……そういうこと? それはちょっと……ズルいって言うか、大胆すぎない?」
「既成事実、作っちゃえばいいのよ! 30ってそういうことする勇気も大事じゃない?」
大胆すぎる作戦に、美和子はグラスの縁を指でなぞりながらため息をついた。だけど、心のどこかで、その“ズルさと大胆さ”に期待している自分もいた。
作戦決行の夜。ル・シエルの営業が終わる頃には、美和子はワインセラーの前で、何度も深呼吸を繰り返した。なのに、胸のざわつきは消えなかった。すると、厨房から現れた健太が軽やかに声をかけてきた。
「美和子さん、今日もお疲れさま。……あ、今月誕生日だったよね。おめでとう」
「えっ……ありがと。あの、よかったら今夜、一杯どう?」
「うん。行こう。今日はちょうど、ゆっくりしたかったんだ」
ふたりが向かったのは、美和子がこっそり選んだ名古屋の小さなビストロ。木目のテーブル、灯のようなオレンジの照明。にぎやかすぎず、静かすぎず、ふたりの距離がちょうどよく保たれる空間。
「赤でいい?」
「うん。おすすめある?」
「ブルゴーニュのピノ・ノワールにしようか。今夜は、やさしいのがいい気がして」
選ばれたワインが注がれる。グラスを傾けるたび、ふわりと広がる香り。ふたりは、少しずつ言葉を重ねていった。仕事のこと、学生時代の思い出、最近観た映画。健太の頬は、グラスを重ねるたびにほんのりと赤みを増していた。
「……俺、ほんとお酒弱くて。もう顔熱いよ」
「ふふ、知ってる。だから今日は、ちゃんと介抱してあげる」
「え?」
「なーんでもない。さ、もう一杯どうぞ?」
ふたりで笑った。こんなふうに、肩の力を抜いて隣にいられるのは、もしかすると健太だけかもしれない。
ビストロを出たあと、健太は案の定、ふらふらだった。
「……タクシー、呼ぶね。歩かせるのは無理そう」
酔いに身を任せた彼を支えながら、美和子は胸の奥がじんわり温まるのを感じた。こんな時間が、ずっと続けばいいのに。
健太のアパートへ着くと、美和子は玄関で靴を脱がせ、ソファまでなんとか運んだ。リビングには、本や小物がきっちりと整列されていて、几帳面な性格が伝わってくる。
「お水、持ってくるね……上着、脱がせてもいい?」
「……うん……ありがと……」
彼はぐったりとソファに沈み込み、やがて静かな寝息を立てはじめた。美和子は、水の入ったグラスを置き、彼の顔をそっとのぞき込んだ。
(……ああ、寝ちゃった)
思わず苦笑する。ケイコの作戦は、見事に失敗だった。
(……私、なにやってるんだろう)
落ち着いた空間の中で、ぽつんとひとり。覚め始めたワインの余韻と、あたたかい部屋の空気が、心にじわじわとしみこんでくる。
――と、そのとき。
「……美和子が……すきだ……付き合って……ほしい……お酒、弱くて……ごめん……」
寝言。でも、それは明らかに、本心のにじんだ言葉だった。
「……なによそれ」
気づけば涙が浮かんでいた。こぼれるのは、うれしさか、安堵か。美和子は、彼の頬にそっと手を当てて、微笑んだ。
「……ありがとう。ちょっと遅いけど、誕生日プレゼント、もらっとくね」
美和子はそのまま、眠っている彼の唇に、自分の唇を重ねた。そして、彼の顔を少しだけ見つめた後、小さな付箋をテーブルに残して、そっとドアを閉めた。
《今日はありがとう。おやすみ》
部屋を静かに出ると、春の夜風が少しだけ冷たかった。
(こんな気持ちじゃ、帰っても眠れない……)
そのまま彼女は、名古屋駅近くの、夜通し開いているお気に入りのワインバーへ向かった。グラスに注がれる赤ワインを見つめながら、美和子はそっと微笑んだ。
(次にふたりで会う時は、ちゃんと気持ちを聞こう)
夜明け前の空に、ワインの赤がゆっくりと溶けていった。
- キャラクター プロフィール -
名前:橘美和子
職業:ソムリエ
好きな事:ミュージカル鑑賞
年齢:30
身長:160㎝(5'3")
体重:54㎏(119lb)
誕生日:6月18日
星座:双子座
血液型:A型
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