危険なルームメイト
私は彼を疑っている。
彼はきっと、スパイだ。
「あら、おかえり。遅かったのね」
ふりふりのエプロンを装着した大柄な男――タナ子ちゃんは、長いくるくるの髪を一つにまとめて、私に向かってバチンと片目を瞑って見せた。
手には包丁を持ったままだ。
「今日はビーフシチューよ。手を洗っていらっしゃいな」
「……うん」
「なあに? 不機嫌なのー?」
「違うよ」
私はへらっと笑って、洗面所へ引っ込む。手を洗いながら、キッチンで「ふふふ~ん」と歌うタナ子ちゃんの鼻歌を聞きながら、どうしてこんなことになったのだろう、と考える。
兄も怪しい人だった。
とにかく活動的で、そして恐ろしく社交的。私が妹だと知ると大抵の人は「嘘だあ」と訝しがった。正反対という言葉では片づかない、別の次元の人間。
兄は頻繁に海外に行っては、どこのお土産かわからない奇妙なものを持ち帰ってきた。
そんな兄が去年持って帰ったお土産が「タナ子ちゃん」だったのだ。
そうして、またどこかへ行った兄の留守を預かるという体で、兄の家でマッチョなオネエとの共同生活が始まった。
「あのさあ、タナ子ちゃん」
「なに? 美味しくない?」
「いや、すっごく美味しい」
「でしょう。このレシピはねえ」
あなた結局誰ですかと聞きたくても、タナ子ちゃんはそれを許してくれない。饒舌なお喋りが始まって、私はその波に飲まれてぐるぐると洗濯機の中身のように回される。最後は脱水のように絞られて、聞く気が失せるのだ。
「あら、電話だわ。失礼」
タナ子ちゃんが立ち上がり、口元に人差し指を置く。テレビも消すと自室に消えた。
怪しい。
タナ子ちゃんは各国のネットニュースを必ずチェックしているし、電子機器に異様に詳しく、たまに明らかに素人向けではないヘッドホンを首に下げたまま部屋から出てくる。いつも後ろ姿の腰のあたりが不自然に膨らんでるし、そこからたまに黒い筒みたいなものも見える。
黒い、L字の、筒、だ。
たぶん新種のオカリナだろう。
好奇心に勝てずにそっと扉に耳を押しつけると、やっぱり何語かわからない言葉で喋っていた。わかるのは、いつもとは違う男らしい声だという事くらいだ。通話が終わりそうな気配に、すぐ食卓に戻って何事もなかったように食事をする。
「……美味しい?」
戻ってきたタナ子ちゃんに聞かれ、こくこくと頷くと、なぜか爆笑された。
そして、頭をぽんと撫でて、一言。
「好奇心も程々にね」
私はまた、へらっと笑って頷くのだった。
読んでくださり、ありがとうございます。
なろラジ参加の短編です。
コメディは難しい!