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赤星のカイル  作者: 三山とんぼ
第一部 地図の要らない世界
6/32

5. 小鬼の狩り場①

暗がりの中、青白い燐光りんこうを跳ね返してくろがねの小剣がにぶく輝く。

弧を描く剣閃けんせん。魔物の黒爪こくそうとぶつかって火花が弾けた。


響く剣戟けんげきの音。とどろく魔物の狂声きょうせい


――迷宮である。

迷宮都市、ウェクスノッドにその入り口を持つ深層迷宮。

その名をナルム迷宮という。

ここでは無謀な侵入者と、迎え撃つ魔物との間で、常に命のやり取りが繰り返されているのだ。

この世界にとって迷宮は異物であり、排除されるべき災厄の種だ。だが、視点を変えれば迷宮は魔物の領域であり、侵入する冒険者こそが異物なのだ。

魔物たちは途切れることなく現れる侵入者を、憎しみを込めて迎え撃つ。


ギィイイイイイイイッ!


暗緑色の体皮の小鬼ゴブリンが、耳障みみざわりなひび割れた叫び声をあげる。

いびつな指先には、鋭く黒い爪が伸びている。この黒い爪は金属の硬度を持っているらしく、少年の持つ小剣ショートソードと幾度も打ち合っていながらひび割れる様子がない。

小鬼ゴブリンの濁った黄色い瞳に映るのは、茶の混じった金髪の少年、カイルだ。


「しつっこいんだよ! 雑魚魔物ゴブリンのくせにっ」


たしかに小鬼ゴブリンは迷宮の魔物の中でも最弱に近い。だが、そう叫ぶカイル自身、まだ駆け出しの新米冒険者に過ぎないのだから、どっちもどっちだ。

小鬼は変形した右手の黒い爪を振り上げ、カイルの頭上から叩きつける。


多少経験を積んだ冒険者なら躱すだろう。無理をする必要などないのだ。横か、後ろに避けてから反撃するに違いない。

新米の冒険者なら必要以上に死の恐怖におびえ、大きく飛び退きすぎて逆に付け込まれる隙を作ってしまうかもしれない。


だがカイルは違った。

加速したのだ。前に向かって。


小鬼の爪がカイルの頬をかすめて宙に赤い線を引く。

カイルはほとんど無意識に、順手に構えていた小剣を逆手に持ち替える。


腕を振り下ろした小鬼と、その小鬼のすぐ横をすり抜けるように動くカイルが交錯する。

すれ違いざまに、小鬼の脇のすぐ下あたりに刃を入れた。ずぶっと刃が肉に沈む感触が腕に伝わる。すぐに骨にぶつかり、刃は方向を変えて骨に沿って肉を裂き、背に抜けた。

それらのことがほぼ一瞬の間に起こり、気づいたときには全てが終わっていた。


「っはぁっ」


知らず止めていた息を吐きだすと、張り詰めていた力が抜ける。

カイルは今更震えだしそうになっている膝に両手をついて荒い息を吐く。

フォルドなどからは敵を倒すことを優先しすぎて、無謀な戦い方をしていると小言を言われるカイルだが、決して恐怖を感じていないわけではないのだ。

戦いの間は魔物に対する怒りで恐怖が麻痺しているだけで、それが戦いの後に押し寄せてくるのだ。

意識して深く呼吸をして、落ち着こうと努める。

徐々に息が整ってくるのと共に、恐怖も去って行った。


「よしっ」


上手くいった。手応えを感じて拳を握るカイルの頭がスパーンといい音をして殴られる。


「なにすんだよ、レイク!?」


せっかくのいい気分が台無しになってうめくカイルに、心底呆れたような冷ややかな声が降りかかる。


「アホか、てめぇ」


二〇台前半と思われる獣人の男だった。

カイルと同じく、フォルドがマスターを務めるクラン、【牛の赤ワイン煮】に所属する冒険者パーティ【緑水の渦】のリーダーだ。

犬に似た灰茶色の耳が頭の上でピンと立っている。

鋭い眼光と荒い口調のせいで粗野な男だと見られがちだが、実際は注意深く、慎重な性格なのをカイルは知っている。

単純な戦闘力なら、同じパーティのヨナのほうが上かもしれないが、リーダーとして相応しいのは間違いなくレイクだろう。

今日はフォルドに頼まれて、見習い扱いのカイルの付き添いで迷宮に入っている。


レイクは新米のお守りなど御免だと最初は文句を言っていたが、結局はフォルドの指示には逆らえなかった。


「いちいち小鬼ゴブリンごときといちばちかの命のやり取りしてどうすんだよ。そんなに死にたいのか、お前は」

「死にたいわけないだろっ。僕はやるべきことを終わらせるまで死なないって決めてるんだから」

「だったらもうちょっと考えろ」

「っ」


さすがにカイルもずっと格上の冒険者の鋭い視線を浴びて言葉に詰まる。


「いいか? 戦闘するにあたってもっとも重要なことはなんだ? 言ってみろ」

「それは……」


少し考えて、カイルは答える。


「一撃で倒すこと? 一撃で仕留めれば反撃を食らうこともないし」

「外れだ、バカ。じゃあ、迷宮探索する冒険者にとって一番重要な能力はなんだ?」

「強いことだろ。強くなけりゃ死んでしまうんだから」

「なにが強いことだ。素人かよ、このバカ」


バカバカと繰り返しながら、そのたびに一発ずつカイルの頭に拳骨を落とす。


「お前はなにもわかってねんだな。なんで俺がこんな頭の悪いクソガキの世話をしてやらなきゃならねんだよ。くそっ、フォルドめ」


ブツブツと愚痴を溢して、盛大にため息をつく。


「はぁ。……いいか、戦闘でもっとも大事なのは、先に敵を発見することだ。相手を先にみつければ不意打ちも狙えるし、相手よりも先に態勢を整えられる。勝てそうもなけりゃ逃げ出すことだってできる」

「……なるほど」

「なるほどじゃねんだよ、こんなのは基本だ基本。だから冒険者にとって一番重要な能力は、感覚の鋭さだ。目でも耳でも、勘が良いのでも構わん。敵を先にみつける能力が重要なんだ。その点、お前は全然ダメだな。小鬼ゴブリンに先に気づかれて、なし崩しに戦いになってんじゃねーか」

「……でも勝ったじゃないか」


せっかくの初勝利にケチをつけられた気がして、カイルが口を尖らせる。


「はっ、そんなもんはたまたまだ。運が悪けりゃやられていた」

「いや、さすがにそれは……」


心外だった。カイルだってさすがに小鬼に負けるつもりはない。

レイクから見ればギリギリの勝負に見えたかもしれないが、カイルとしてはそれなりに余裕があったつもりだ。

カイルの内心の不満が顔に出ていたらしく、レイクがまたカイルの頭を小突いて言う。


「不満そうだが、じゃあ今のような状況で、お前は小鬼ゴブリンと戦えば、一〇〇回中何回勝てるんだ?」

「バカにするなよ。僕だって小鬼なんかには負けないさ」

「じゃあ一〇〇回中一〇〇回勝てるのか?」

「さすがに一〇〇回は無理でも九〇回以上は勝てる」


そう言って胸を張るカイルを、レイクは冷ややかに見下ろす。


「へえ。じゃあお前は、たった一〇回ほども小鬼と戦えば、一度は負けてそこで死ぬわけだな」

「えっ? ……えーと、んん? そうなるのか? いや、でも……」


思ってもみなかったことを指摘されてカイルが狼狽うろたえる。


「そりゃそうだろ。魔物相手に戦えば、負けってのはつまりは死だ。お前は死なないと決めてるんじゃなかったか? その割に随分軽い命だな」

「いや、でも、その一回の負けが来る前にランクアップできればいい。そうだろ? ランクアップさえすれば、小鬼ゴブリンなんてどうとでもなるし」

「だからお前はアホだってんだよ。一〇回戦うだけで死ぬ冒険者がランクアップできるかってんだ。それに、相手が小鬼だろうが他の魔物だろうが同じことだ。小鬼が楽勝になれば、もっと強い魔物と戦うことになる。今のようなやり方じゃ、すぐにお前は死ぬぞ。生き残るってことは全ての戦いに負けないってことだ。一〇〇回戦おうが一〇〇〇回戦おうが、全て勝てると言えないようじゃ話にならねんだよ」


あまりに物分かりの悪い教え子にうんざりしている教師のように、レイクは頭をおさえる。

いや、事実そんな気分なのだろう。


だが、正直に言えばカイルにも反論したいことはある。それは違うだろう、と。

一〇〇回戦っても一〇〇〇回戦っても全部必ず勝つなんてことを言える冒険者がどれだけいるだろう?

どれだけ慎重に戦っても、思わぬ不運や通常ではあり得ないようなアクシデントによって敗北に直面することはあり得る。

冒険者にできることは、それが起こる確率をできるだけ低くすることくらいだ。


だが、カイルもそれを口にしてレイクの揚げ足を取る気にはなれない。

多分、レイクが言いたいのは冒険者としての心構えなのだろうと思うからだ。一〇〇回戦おうと一〇〇〇回戦おうと必ず勝つ。それぐらいの心構えと慎重さでのぞめと言いたいのだ。

実際、カイルに慎重さが足りないのはフォルドにもさんざん言われていることだ。


「だからな、お前はまず索敵に集中しろ。目を凝らし、耳を澄ませて異常を感知するんだ。そして敵をみつけたら、まず足場の確保だ。安定していて、できれば周囲よりも少し高い位置がいい。そこに陣取って、魔物が突っ込んでくるのを待て。そして魔物が盛りのついた猫みたいに襲ってきたら、間合いを測り、相手よりも先に剣を振り下ろし、一撃で仕留めろ」

「不意打ちは? 相手が気づく前に仕留めたほうがいいんじゃないの?」

「ああ、それができりゃ最高だ。だが、お前のような新米が狙うべきじゃない。お前は特にソロなんだしよ。忍び寄る途中で気づかれりゃあ、あまり愉快なことにはならねぇ」

「……そっか。わかった」

「本当にわかってりゃいいんだがな」


レイクはイマイチ信用していなかったが、カイルだって別に逆らう気はない。

自分が新米なのは理解してるし、レイクがそのほうが良いと言うのであればそれに従うつもりだ。


「まぁいい。それじゃ魔石を回収しろ」

「了解」


振り返ると、暗緑色の小鬼がうつ伏せに倒れ込んでいた。まだ辛うじて息があるが、間違いなく致命傷だ。ほとんど痙攣けいれんするように動いているだけで、すでに意識もない。

なにか魔物から素材をるとしたら今がチャンスなのだが、小鬼には特に利用できるような素材がない。

小鬼から手に入る、換金できる品と言えば魔石だけだ。


カイルは小鬼に歩み寄ると、背中を片足で踏みつけ、小剣を胸の中心に向かって振り下ろした。

黒い煙になって小鬼の骸が迷宮に吸収された後に、小さな石が残された。魔石である。


この魔石は名前の通りに魔力を含む石だ。これを利用して明かりを作り、火をおこし、物を動かす技術が存在する。

したがって魔石には需要があり、価値を持つ。価値には値がつけられ、取引される。冒険者の収入とは主に、この魔石を売ることによって得られるのだ。


その魔石を腰につけた皮袋に押し込んでカイルは一息つく。

周囲を一瞥いちべつすると、青黒い迷宮を構成する岩壁が陰鬱いんうつな様子でたたずむのみだ。

この辺りに他に魔物の姿はない。

見上げれば、高い天井に青白い光を放つ魔石灯ランプが埋め込まれている。

ギルドによって、冒険者のために取り付けられた光源だ。


(あんなところにどうやって明かりを埋め込んだんだろう……)


カイルなどは不思議に思うが、熟練の冒険者にかかればそんなことは問題にもならないのかもしれない、とも思ってしまう。

なにしろ、ランクアップを繰り返した化物のような者たちが、この都市には大勢いるのだ。


大小さまざまな大きさの石でできた不定形な構造の迷宮が、魔石の明かりに照らされて複雑な陰影を生みだしていた。


ナルム迷宮、表層域。

深度が一〇〇(メトリス)に満たない上層をそう呼ぶ。数回ランクアップを経験した冒険者にとっては留まる価値すらない。素通りするような領域だ。逆に言えばこの表層域にとどまって戦っている事実自体が、その冒険者がまだ新米であることを示しているともいえる。

だが、例え技術が稚拙ちせつではあっても、能力が低くとも、冒険者が賭けるモノは新米でもベテランでも変わらない。

たったひとつの己の命を賭して、迷宮という魔物の領域に挑むのだ。


むしろ、まだ迷宮に慣れていない新米の冒険者のほうが、よほど真剣に魔物に向き合ってるかもしれない。

なにしろ、迷宮に挑む冒険者の内、半数は一度のランクアップすら経験できずにたおれるか、あるいは体の一部を失い、あるいは恐怖に負けて迷宮を去ることになるのだ。

これは冒険者の死亡率がもっとも高いのが、この駆け出しの時期だということでもわかる。


あまり知られていないが、実は恐怖に負ける冒険者というのは多い。

自らの命すらかえりみずに、侵入者を殺そうと向かって来る魔物たちと戦うのは、命を削る作業である以上に心を削る作業でもあるのだ。

使命感と誇りを理由に戦う騎士ならまだしも、ほとんどの冒険者が迷宮に向かう動機は金だ。

金のために暗い迷宮に潜り続けられる冒険者はそうはいない。

ある程度稼いだ者は、「ここらへんで命を懸けるのは止めるか」となるし、稼ぐ前に、「金のために命を懸けるなんぞバカらしい」と気づく者も多い。というよりも、そのほうが人としてはよほど真面まともだろう。


迷宮に潜り続けていられる冒険者は、人としてなにか足りないか、もしくは余計なものを背負っているのだ。

冒険者になるような者たちは、大抵英雄願望を持っているものだが、実際に英雄と呼ばれるようになるには普通の感覚のままではいられないということかもしれない。


「いつまでボーっとしてんだ。行くぞ、カイル」

「わかった」

「ほら、先に行け。今日は最低でも【小鬼ゴブリンの狩場】までは行くぞ」

「了解」



   ◇◆◇



迷宮とはいったいなにか?

一般には、迷宮は邪神がこの世界に穿うがつ穴か、もしくはその穴を開けるためのくいに例えられる。

どちらにしても、邪神の手によって作成された構造物という点では一致している。

であるならば、内部は人工的なトンネルのような構造になっていても良さそうなものだが、実際は違う。

まるで天然の洞窟のように、内部の構造は複雑で立体的。足場も段差があったり岩が転がっていたりと楽には歩けない。

城がすっぽりと入りそうな巨大な空間があるかと思えば、って進まなければならないほど狭い通路もある。

迷宮に挑む冒険者は、襲ってくる魔物の前にまずはこの複雑な迷路と格闘する必要があるのだ。


そんな迷宮をカイルは歩く。

レイクは基本的にはあまり口を出さず、カイルの斜め後ろを歩いている。

この辺りはまだ数多くの冒険者が歩いてきた本道とでもいうべき通路だ。

ギルドが設置した魔石灯ランプのおかげで、本道にいる限りは明かりに不自由しない。

比較的歩きやすい通路だし、魔物もさほど出現しない。

さっきのように小鬼と出くわすのはなかなかに不運だったといえる。


それでも曲がりくねっていたり、自分の背くらいの高さの段差を登らなければいけなかったりと、なかなかすんなりとは進めない。

見通しの利かない場所に来るたびに、岩の影から魔物が現れないかと、緊張を強いられるのだ。


どうせ作るならもっと規則的な迷宮を作ってくれよ、とカイルは見たこともない邪神に心の中で文句を言う。

一応、カイルの後ろを歩くレイクがよほど危険なときには助けてくれるはずだが、それを当てにするわけにもいかない。


半刻ほど歩いたところで、レイクが待てとカイルに声をかける。


「なんだよ、まだ【小鬼の狩場】に着いちゃいないだろ?」

「ああ、あと少しだ。だが、その前にそろそろ一度休憩を取っておけ」

「……わかった」


そういえば、小鬼との戦闘のあとでまだ一度も休憩していなかった。

よほど神経を張り詰めていたようで、疲れは感じていなかったが、気づかないだけで疲労は溜まっているに違いない。

そして疲れは集中力の低下という形で突然現れるのだ。


壁に寄りかかって肩の力を抜くと、カイルは身体が強張っていたのに気づく。

ガチガチに力が入っていたらしい。

本当はある程度力を抜いていたほうがとっさに動けるのだが。そうわかっていてもなかなか力を抜くのは難しい。

カイルは首と肩を軽く動かして強張った筋肉をほぐす。


「まだ魔力は残っているか?」

「……結構減ってきてる。今が大体半分くらいだと思う」

「お前、魔力が少ないな」


迷ったが、カイルは正直に答えた。

本当は嘘をついてでも、できるだけ長い間迷宮に潜っていたかった。

カイルは早く強くならなければならない理由があったし、そのためには長時間迷宮で過ごし、なるべく多くの魔物を倒す必要があるからだ。


だが正直に魔力が残り少ないと言えば、このまま引き返すと言われる可能性もある。

ここで引き返すようでは、冒険者として経験を積み、ランクアップをすることなど不可能に近い。

したがって、狩場にすらたどり着いていないのに、魔力が足りないのでは困るのだ。


しかし、どうせすぐに嘘はバレる。

そうなれば、せっかく――お目付け役がいるとはいえ――許可をもらった迷宮探索がまた禁止されるかもしれない。


……焦ることはない。

カイルは自分に言い聞かせる。

一人で迷宮に入れるようになれば、その後は自分の好きにやれるのだ。

それまでの間は辛抱だ。

ここでレイクの機嫌を損ねて、フォルドに悪い報告をされれば、そのほうがずっと遠回りになってしまう。

だから今は下手なことは考えずに、レイクに素直に従うべきなのだ。


「ふん、そろそろ行くぞ」

「わかった」


幸い、レイクはここですぐに引き返すとは言わなかった。

やがて、二人は急に広い空間に出る。

ギルドの設置した魔石灯に加えて、誰か他の冒険者が灯した魔法の明かりが天井近くを浮遊して、辺りを照らしている。


(まるで教会の礼拝堂の中みたいだな)


カイルがそう思ったのは、ここが礼拝堂と同じように天井が非常に高いためだ。

だが、礼拝堂の天井には翼を広げた竜の姿が彫刻されているのに対して、ここはただ黒い岩があるだけだ。


「ここが【小鬼の狩場】だ。名前の通り、小鬼が多く出現する広間だ。駆け出しの冒険者は大抵ここで小鬼相手に経験を積む」


広間には、レイクの言葉通り、いくつかのパーティの冒険者が、魔物を相手に戦っていた。

ドワーフの戦士が斧を振り回している。光弾の魔法を放っているのは、ハーフエルフの青年だ。軽戦士が踏み込んでは短剣を振るい、槍使いの少女が長柄の得物を振り回す。


気合を込めた叫び声が広間の壁に反響し、魔物の断末魔だんまつま怨嗟えんさとなって空気を震わせる。


(冒険者だ……)


カイルは、初めて実感した。自分は冒険者になったのだと。なってしまったのだと。

これまでは一応冒険者としてギルドに登録してはいても、本当の意味で実感したことはなかった。

だが、必死に戦う冒険者たちを見て、ようやく気づいたのだ。

自分も彼らと同じ冒険者なのだと。迷宮で魔物と戦う、それが自分の仕事なのだ。これからはそうやって生きていかなければならないのだ。


「いいか、まずどいつがどこで戦っているか、魔物はどこにいるか、この広間全体を大まかに把握しておけ」

「どうして?」

「中には他の冒険者のことなど構わずに魔法をぶっ放すようなアホもいるからな。流れ弾に当たりたくなけりゃ、ある程度周囲を把握しておいたほうがいいんだ」

「……わ、わかった」


そう言われると、途端に魔法を撃っていたハーフエルフの青年が危険な乱射魔のように見えてくる。


「よし。それじゃあ、どこで魔物を迎え撃つか、足場を意識してやってみろ」

「おう!」


元気よく返事をすると、カイルは少し離れた場所にいる一匹の小鬼を獲物と定める。


(たしか、平らで少し周りよりも高い位置にある場所が良いんだったな)


自分と魔物の間で、条件に合いそうな場所に目星を付ける。

カイルが予定の場所で剣を構えるときには、すでに小鬼のほうでもカイルに狙いをつけて動きだしていた。


ギ、ギィ……


耳障りな高い声が神経を逆なでしてくる。

黄色い瞳が憎悪で濁っている。


カイルは目星をつけていた足場に踏ん張って、上段に剣を構える。

あとは間合いに入ったところで振り下ろすだけだ。

小鬼ゴブリンが爪を振るうよりも、間違いなくこちらのほうが早く相手に届く。

リーチのある武器が有利なのは、当然だが間合いが広いためだ。

相手の攻撃が届かずに、こちらの攻撃だけが届く、『安全な』間合いがあるのだ。

それを考えれば得物は剣よりもさらにリーチが長い槍が良いのだろうが、いかんせん、迷宮にはここのように広い場所だけではない。

狭い空間では槍のような武器は取り回しが難しい。結局、一番扱いやすいのは剣であり、大抵の冒険者がそれを選ぶ理由でもある。


カイルは肩幅よりも少し広く足を開き、腰を意識して少し落とした。本当はここで体の余計な力を抜いておきたいところだが、カイルにはそんな余裕はない。

小剣の柄を握り締めた指がガチガチに固まってまるで剣と一体化したかのようだ。

それでもカイルは、向かって来る小鬼を見つめ、タイミングを測る。

こんな単純な『待ち』の戦法は、少し知恵の回る魔物相手には通用しない。

だが、小鬼の頭は単純だ。獲物をみつければあとは突進することしか考えない。


「っ!!」


小鬼ゴブリンが間合いに入った瞬間、カイルは小鬼の、赤い帽子のように見える頭髪をめがけて小剣ショートソードを振り下ろした。

だが、僅かにタイミングが早すぎた。

小剣は小鬼の片目を潰しながら顔面を切り裂いたが、一撃で命を奪うまでには至らなかった。

小鬼のほうはと言えば、自分の怪我など意に介さずにそのままの勢いで向かって来る。


ゴブリンが振るう爪が、カイルの防具にぶつかって嫌な音を立てる。

カイルは衝撃でよろめきそうになり、痛みで息が詰まる。

あざくらいにはなってるだろう。骨までは折れていないと思いたい。


「くっ」


歯を食いしばり、小鬼の爪をなんとかさばく。

本当はこういう状況になる前に仕留めるべきなのだ。

仕留めきれずに相手の攻撃が届く距離に詰め寄られた時点で、相手よりもリーチの長い武器を使う利点は消える。


顔の傷からドブ色の血を流し、その血を周囲に振りまきながら激しい動きを続ける小鬼。

生臭くて黒っぽい魔物の血を浴びながら、カイルは剣を振るう。

ついに、横薙ぎに振るった小剣が、小鬼のもう一つの目も潰した。

さすがに動きが鈍くなった小鬼の首がカイルの剣によって胴体から斬り落とされて、カイルの勝利が確定した。


「は、はぁ。っはあ」

「手際が悪いな。小鬼なんぞに手こずってんじゃねーぞ」


荒い息をつくカイルに、レイクが冷ややかにダメ出しをする。


「……わかってる」


カイルにもこんな状態じゃダメなのはよくわかっている。

もう少し上手くやれると思っていたのだが、やはり命のやり取りをするとなると訓練のようにはいかない。

焦りもするし、脚もすくむ。冷静に冷静にと言い聞かせても、思うように身体からだは動かない。


「息を整えろ。あと一戦したら今日は引き上げる。いいな?」

「……まだ大丈夫。せっかくこの狩場まで来たのに、たった二戦だけで帰ってたらいつまで経っても強くなれないじゃないか」

「ダメだ。初めての実戦だぞ。自分で思ってるよりずっと消耗しょうもうしてるはずだ」

「けどっ……いや、わかった。あと一戦だ」

「ああ、そうだ」


カイルが広間を見渡すと、ほとんどの魔物は既に他の冒険者と交戦している。

何匹かまだ交戦していない小鬼もいるが、ほとんどはかなり離れた場所にいる。

手ごろな敵を探して目を四方に走らせていると、一匹の小鬼が目に入る。

さほど遠くない場所にいて、おあつらえ向きに一匹で行動しているようだ。


ただ、ひとつだけ問題があった。その左手がかなり変異しているのだ。

肩から少し下の部分から、左腕全体が黒く変色し、歪に巨大化している。

さらに肘の近くから腕の外側に向かって半円状の刃が突き出ている。


この迷宮に住む魔物は、数匹に一匹の割合でこのような変異した魔物がいる。

黒く変色し、金属のように硬化した部位を持っているのが特徴だ。

この変異の割合が多いほど、動き自体も素早くなり、力も強い傾向がある。

倒せるならば魔石は通常よりも大きいので実入りも良いが、リスクも当然それに比例する。


だが、カイルにしてみれば次の一戦が最後ならばあのくらいが丁度良いと思われた。

リスクなど最初からわかっていることであり、問題はいかに早く経験を積むか、なのだ。


カイルはなるべく素早く、獲物と決めた小鬼ゴブリンに近寄っていく。



   ◇◆◇



カイルが変異種に近づいていくのを見て、レイクは舌打ちしたい気分だった。

一瞬止めさせようかとも考えたが、思い直した。

どうせカイルは言葉で止めても納得しないだろう。痛い目に遭うのなら、こうしてレイクがフォローできるときのほうが良い。

いざとなれば自分が助けに入ればいいだろう。そう考えて、フォローしやすい位置にそれとなく移動する。


(あの野郎、今日が初めての戦闘だっていうのに、怖がりもせずに突っ込んでいきやがる)


実のところ、カイルは恐怖を感じていないわけではないのだが、レイクの目にはそうは映らなかった。


生来の性格でいうなら、むしろカイルは臆病なほうだ。

だからこそ、カイルは前に出る。一度怖気(おじけ)づいてしまえば二度と魔物に立ち向かえなくなる気がするから。

だが幸か不幸か、そんなカイルの機微きびはレイクには伝わらない。レイクの目には、カイルはただの無鉄砲に見えている。


そもそも、この狩場に来る前に遭遇した小鬼も、ほんの僅かとはいえ変異種だったのだ。

爪が黒く硬化しているだけだからさほど強敵ともいえなかったが、それにしても新米が初戦の相手に選ぶような魔物ではない。

だが、カイルはまったく迷いもなくいきなり戦い始めたのだ。

レイクに言わせれば、カイルは実力と勇気の均衡がとれていない。

弱いくせに恐れもせずに突っ込んでいく、非常に危なっかしい新米冒険者だ。付き添いをやらされる立場から見れば、これほど厄介な相手もいない。


(あのバカ、俺を当てにしてるんじゃねーだろうな?)


カイルには迷宮に入る前に、一人で迷宮に潜るつもりでやれと言ってある。

いざとなれば助けてもらえると思ってやっているのでは、なんの経験にもならないからだ。

レイクはあくまで保険であり、基本的には手を出さないつもりだ。……口は出すが。


レイクの疑念をよそに、カイルは小鬼へと近づいていく。

一応、レイクの言いつけを守るつもりはあるらしく、それなりに動きやすい足場で立ち止まって剣を構えた。

先ほどと同じように、カイルを視認した小鬼が奇声をあげてカイルに飛び掛かる。


変異種なだけあって、行動が同じでも、その勢いはさっきの小鬼を大きく上回る。

小鬼はカイルの待ち受ける段差の上に向かって、手前から踏み切って大きくジャンプした。

驚くべき跳躍力だった。普通の人族ヒューディマか、それ以下の身体能力しかないはずの小鬼が、カイルの背を超えるほどの高さまで一気に飛び上がる。

下からくると思っていた敵が上から落ちて来たのである。

カイルの顔が驚愕に染まる。明らかに反応が遅れた。


「あのアホ!」


敵を前にして呑気に目を丸くしている冒険者がいるか!

仕方なく自分が小鬼を叩き落とそうと跳んだレイクだったが。

そのレイクの顔の横を、カイルが投げたナイフが通り過ぎていく。

どうやら驚愕で目を見開きながらも一応行動していたらしい。


(まぁ外れているが……)


だが咄嗟とっさのことで狙いをつけることはできなかったらしく、小鬼に当たる軌道ではない。


「投げるならちゃんと狙って投げやがれ」


もっというなら、行動できるならその場を退しりぞいて小鬼の攻撃を躱すのが正しい。

だがカイルはまるで退くということが頭にないらしい。

その場にとどまって戦う以外の選択肢がないかのように、カイルは行動するのだ。


空中で敵と交錯し、一撃で小鬼をほふって着地したレイクをカイルが睨みつけた。


「余計な手出しをするな!」

「……あ!?」


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