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赤星のカイル  作者: 三山とんぼ
第一部 地図の要らない世界
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4. 迷宮都市の駆け出し冒険者④

「カイルがあんまり騒ぐから、耳がおかしくなったわよ……」


エリスが耳を押さえて顔をしかめている。

食事を終えて立ち上がったカイルは、エリスの抗議を上機嫌で聞き流していた。


「ん? ああ、ゴメンゴメン」


今のカイルは浮かれていて、ちょっとやそっとのことでは機嫌が下降することはなさそうだ。


「ふう。食った食った」


満足そうに膨らんだ腹をなでながらフォルドが呟く。


「あまり飲まないって言ったのに、結局三杯も麦酒エールをお代わりするんだもの。そりゃ満足でしょ」

「いいじゃないか。麦酒なんかいくら飲んだって酔わんよ。水みたいなもんだ。でも、この季節は冷えた麦酒がありがたい」


食堂を出るときには、すでに【天央の燈篭】のが闇の女神によって吹き消され、【黒のこく】が始まっていた。

灯火が消えてしまえば都市の中は闇に包まれる。


「――闇の女神よ、その黒き衣で我等を包み、外なる混沌より守りたまえ」


入り口の前で跪き、胸に手を当てて闇の女神に安息の祈りを捧げてから、フォルドはカイルとエリスを連れて食堂を出た。

街灯などといったものは――昼夜問わず冒険者が行きかう、迷宮に続く二つの通りを除けば――フーセル川の堤防の上と、中央の大通りにしかない。

街は闇の女神(レムリアーサ)の支配下にあった。

建物の中の灯りが路地に漏れていることがあるが、それだけではとても闇の精霊を払うことはできない。


フォルドは腰から下げてある魔石灯ランプに光を灯す。

それでも十分とは言えないが、取りあえず最低限、足元だけは明るくなる。


光がないと、音も自然と少なくなるようだ。

黒い静寂の中、三人の足音が妙に大きく街路に響いていた。


「そういやフォルド、レイクやランドが僕に付き合って迷宮に入ってくれるの? 面倒だって断られそうな気がするんだけど」


レイクは三人パーティ、【緑水の渦】のリーダーで、ランドはその仲間だ。他に、ヨナという名のメンバーがいる。

獣人とヒューマンの男二人と女蛮族アマゾネスが一人で構成される【緑水の渦】は、少し前に迷宮の深度三〇〇(メトリス)を踏破したことで、若手の冒険者の中ではそれなりの実力者と見なされるようになった。


「ああ、大丈夫だ。あいつら、しばらくは休息をとるって言ってたからな。まぁヨナのやつだけはまたすぐ潜りたいってぶうぶう言ってやがったが」


迷宮に潜るのが仕事の冒険者とはいえ、いつもいつも迷宮内にこもっているわけではない。

怪我をすれば治療しなければならないのは当然だが、例え身体が問題なくとも、精神の疲れを癒す必要がある。

常に緊張を強いられる迷宮で長期間、死線をくぐった後は、しばらくゆったりとした時間を地上で過ごすのだ。

そうでなければ精神こころがもたない。


それに、迷宮内では魔力が徐々に消耗していくから、どんな冒険者でも、ずっと迷宮に居続けることは難しい。

魔力回復薬マナポーションを使えば魔力は回復できるが、値段が高い。

深い階層を目指すのでもなければ、費用が稼ぎを越えて赤字になってしまうほどだ。

だから一部の高ランク冒険者以外は、魔力が尽きる前に迷宮を出るのが普通なのだ。


「だからまぁ、お前の付き合いで表層に入るくらいは問題ないだろう」

「ふうん。そういうことなら僕は助かるけど」

「仕方ないから、依頼料は俺が立て替えておいてやるよ。どうせ金なんか持ってないんだろ?」

「ええっ?」


カイルは口をあんぐりと開ける。


「まさか金を取るの? 一応僕だって同じクランのメンバーなのに? びっくりなんだけど」

「準メンバーな。一度もランクアップもしてないような新米が偉そうなこと言ってんじゃない。大体冒険者が依頼を受けるのに、仲間だろうと無料で仕事をするわけがないだろうが。甘えんな」


カイルの頭の上にゴツンと拳骨が落ちる。


「っぇな!」


文句を言いながらもカイルの表情は明るい。

今まで一年近く、ただ訓練しか許されなかったのだから当然だろう。ようやくこれで、冒険者としてのスタート地点に立てるのだ。


「なぁ、フォルド。ランクアップってどんな感じなんだ?」

「どんな感じって言われてもな。まず身体能力が上がるだろ。それに、場合によっては……」


フォルドは顎に手を当てて少しばかり考える。


「カイル。お前もランクアップするときには精霊が現れるのは知ってるだろ?」

「もちろん知ってるよ。大抵は幼い未分化精霊だけど、たまにちゃんと分化した属性精霊が現れるんだろ?」


そして精霊は、混沌の勢力と戦う冒険者に、力を分け与えてくれるのだ。


「そうだ。未分化精霊は小さな光の玉みたいな感じだけど、属性精霊はそれぞれちゃんとその属性に倣った姿を見せる」

「火精霊なら炎とか、水精霊なら小さな水の玉とかでしょ?」

「そうだ」


得意げに口を挟んだエリスに、フォルドは笑って首肯する。


「未分化精霊でも、属性精霊でも、身体能力が上がることには変わりない。ただ……」


そしてフォルドは、小声で不思議な言葉を紡ぐ。


≪――名もなき火精よ。我が指先に来たれ。発火イグニ


フォルドの指先に、小さな炎が生まれる。


「おおっ!」


初めて魔法をこんなに近くから見たカイルが、感嘆の声を漏らした。


「ま、こんな具合だ。こいつはもっとも簡単なやつだが、一応魔法だ。運よく属性精霊を呼び出すことができりゃ、こういうオマケがついて来るってことだ」

「すげえ! そっか、僕もランクアップすれば、魔法が使えるかもしれないんだよな……」


カイルは目を輝かせてフォルドの指先に灯る魔法の炎を見つめる。

それは小さな火だったが、カイルの目には希望そのものに見えた。


「良かったわね、カイル」

「うん」


珍しく素直に祝ってくれたエリスに、これまた珍しく素直にカイルが答えた。

だが、上気したカイルの頬を見て、エリスは少し不安になったようだ。


「いきなり初日から浮かれ過ぎて無茶して、野垂れ死んだりしないでよ?」

「死なないよ、僕は」

「本当にそうならいいんだけど」

「……お前ら、上見てみろよ」


フォルドが炎を消した指を、天へと向けた。


「わぁ……」


エリスが感嘆の息を吐く。


見上げると、【天の大陸(カティスフヴェルグ)】の街明かりが光の粒となって降りかかっている。


カイルは、まだ父が生きていた頃のことを思い出した。

こうして一緒に夜の空を眺めながら、【天の大陸】のことを話したものだ。


『あそこの一番明るく光っているのが、ダイダリウス獣心国の王都だ。あの国はあまり技術が発展していないというが、王都は別だ。こっちの王都と遜色ないほどに美しい都だというぞ』

『あっちの小さな光は、ラ・レレルエルク森林国の、【むくろの砂漠】にあるオアシスだ。砂漠に現れる迷宮を討伐する拠点になってるそうだ』

『三つ赤く光る光点が並んでるだろう? あれが氷炎祭の時期に二柱の大精霊が戦う舞台、オルーガ島だ』

『向こうにある闇に包まれた領域が、二百年前に、【最強の使徒】が起こした【使徒戦争】、最終決戦の戦場跡だ。未だ草木も生えない荒野になっているらしい』


父の低い声が思い出される。

【天の大陸】を見るのなら、昼よりも夜のほうが良く見える。

昼には【天央の燈篭】の灯火によって世界は光で満たされるが、むしろその光のせいで、燈篭ランタンのさらに先にある【天の大陸】はよく見えない。

その点、夜には真っ暗な中、【天の大陸(あちら)】に住む住人たちの灯す明かりが【地の大陸(こちら)】にまで届くのだ。


その光を見ながら、伝え聞く【天の大陸】の伝承を子供たちは親から聞いて育つのだ。

カイルは幼い頃、いつかあの大陸に行ってみたいと憧れたものだった。

だがそれを口にしたカイルに、父親は、それは無理だと答えたのだ。

なんでも、天の大陸に行けるのは、ごく一部の限られた商人か、やはりごく一部の貴族だけなのだそうだ。


幼い子供の言うことだからといって、「いつか行けたらいいね」などと曖昧あいまいに同意するようなことのない父だった。


「オルーガ島では、炎の精霊がたけり始めているようだ。そろそろ、氷炎祭だなぁ」


しみじみとした口調でフォルドが呟いた。


オルーガ島。天の大陸の南に浮かぶ火山の島だ。

そこでは年に一度、氷の精霊が火の山の真上を通り、そこで炎の精霊と氷の精霊がぶつかり合う。


島では、氷の精霊が荒れ狂い、雪と氷の嵐となる。その中を炎が山から吹きあがるのだ。

溶岩が氷を溶かし、山が氷に閉ざされる。空には火柱と吹雪、それに雷が荒れ狂う。


根源的な畏怖を掻き立てられる、神話の光景が広がるらしい。


さすがにこちらの大陸から見る分にはそこまでの迫力は感じられないが、それでも火の山から吹きあがる炎と、氷の精霊の白が拮抗する様子はわかる。

氷炎祭では、それを眺めながら、世界を創った神々に祈り、騒ぎ、酒を飲む。


それに氷炎祭は戦いの祭りでもある。

精霊たちと共に、仮面を被った演者たちが互いに戦い、踊り、技を競って祭りを盛り上げるのだ。

飛び入りすらも可能で、仮面をつければ自由に祭りに参加ができる。

仮面には本来の身分は関係ないという意味があり、お忍びの騎士たちや冒険者も仮面をつけて祭りに参加する。

それが氷炎祭だ。


空を見つめるフォルドの頭にあるのは、神への祈りだろうか?


(いや、酒だな。今にも涎を垂らしそうな顔をしてら)


苦笑しながら首を振り、カイルは空を見上げる。

空の光は変化を続ける。二年前の光と今の光ではすでに違ってきているし、また二年後も今とは違うだろう。

今カイルが住む迷宮都市にしても、【天の大陸(あちら)】からは二年前とは違って見えているはずだ。

魔物が溢れたせいで、一度は暗くなり、そしてまた徐々に光が戻りつつあるだろう。

二年後には、もっと明るくなるだろうか? それとも闇に沈んでしまうだろうか?


(僕の知ったことじゃないけどね)


カイルの興味は都市の行く末にはない。自分と、そして唯一人残された家族の運命、カイルが責任を持てるのは、いや、持ちたいと願っているのはそれだけだった。



   ◇◆◇



クランハウスの中は静まり返っていた。

どうやら、レイクたちはまだ帰ってきていないようだ。もしかしたら今日はどこか別の宿に泊まるつもりなのかもしれない。

【緑水の渦】の三人は、大抵はこのクランハウスに戻って来るが、酒場で深酒をしたときなどは近くの宿屋を使うこともある。

フォルドが言っていたように、遠征から戻ったばかりなら、今頃羽目を外していても不思議ではない。


フォルドは一階の奥にある寝室に入っていった。

エリスはといえば、洗面所に向かったようだ。多分、水浴びをするのだろう。

洗面所のドアには、エリス専用の木札が掛けられている。


『エリスの入浴中。開けた者は死刑。絶対に死刑にしてやるからね!』


これはやり過ぎな気もするけれど、同じ家に男が何人も生活しているのだ。エリスが警戒するのも仕方ないかもしれない。

実際、カイルがここに来る前に、どうもなにか事故があったらしい。

らしいというのは、レイクが真っ青な顔で、この木札が掛けられているときには絶対、なにがあろうとドアを開けるなと言っていたのだ。

もしも開けたらどうなろうと知らないぞ、と。声が微妙に震えていた。

あの様子を見れば、よほどのことがあったのだろうと想像はつく。


実際にレイクがどんな目に遭ったのか、自分の眼で見れなかったのは残念だけど、だからといってなにが起こるか確かめるために自らが犠牲の羊になる気もない。


カイルは階段を上り、二階の自室――とはいっても物置のことなのだが――に入る。

この家に住むようになってからずっと、カイルはこの雑多な荷物が押し込まれた物置で、少しだけ空いたスペースに毛布を敷いて、そこを寝床として生活している。

ほぼ光のない暗闇の中、手探りで魔石灯ランプを手に取り、そこに小さな屑魔石くずませきを放り込む。


音もなく青白い光が灯り、ぼんやりと室内を照らした。

フォルドの冒険者としての装備品や収穫物の一部が適当に散らかった部屋の中で、唯一白い布が被せられた物がある。

大きさはカイルの背よりは少し低いくらいだ。


それの前に立ち、カイルはつばを飲み込み、呼吸を整える。

カイルはいつも、この布を外すときには冷静であろうと努めなければならなかった。


布を外す前に、カイルは右の手の平を、布越しに()()に押し付ける。


(大丈夫……まだ魔力は感じる)


ホッと息を吐き、胸をなでおろす。

そして改めて震える手を伸ばして、白い布を掴み、引いた。


その下にあったものは、石像だった。

まるで生きているかのような見事な石像だ。カイルよりも年下、エリスと同じくらいの年頃の少女の像だ。

驚き、嘆き、恐怖にいろどられた少女の表情があまりに真に迫っていて見るものの胸を打つ。そんな石像だった。


カイルは震える手を押さえ、無理矢理作った笑顔を石像に向ける。

妹の姿をした石像に。


「ただいま、アイラ」


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