3. 迷宮都市の駆け出し冒険者③
「ったく。なんで僕がついて行かなきゃならないんだよ。こんなことしてる暇なんてないのに」
結局一緒に出掛けることになったカイルが口を尖らせる。
本当にカイルには余計なことをしている暇などないというのに。
「うるせえ。クランのお荷物にせっかく飯を奢ってやるって言ってんだ。喜んでついてくるもんだろうが」
カイルの頭に巨大な拳が降って来る。
涙目で痛む頭を押さえながらもカイルは言い返した。
「お荷物だからこそ、訓練が必要なんじゃないか!」
「ああ、口の減らねぇガキだぜ」
地上に光を投げかける天央の灯りが都市を赤く染める中、三人は並んで歩いて行く。
「『蝶と蛾の間』ってやつね」
「うん? どういう意味だよ、それ?」
空を見上げてエリスが独り言を呟き、それを聞きとがめたカイルがエリスに尋ねる。
「昼か夜かどっちかわからないくらい。つまり、今にも【天央の燈篭】の灯が闇の女神に吹き消されそうな時刻のことね」
「ああ、そういう意味か」
納得してカイルが頷いた。
こんな風にエリスが本を読んで得た知識を披露し、それをカイルが訊き返すのはいつものことである。
カイルはエリスのように自分で本を読むことはほとんどないが、知識を得ること自体は好きなのだ。
「でも、エリスはそういう諺みたいなのとか、なにかの隠語みたいな言葉に詳しいけどさ、それって本を読んで覚えたんだろ?」
「そうよ?」
それがどうしたのかと、エリスは首を傾げた。
「エリスって普段どういう本を読んでいるんだ? やっぱり、諺を集めたような本か?」
「まさか。古い物語とか、叙事詩みたいなのが多いわ。そういうお話って、最近はあまり使わない諺とか、古い言い回しみたいな言葉がたくさん出てくるのよ」
「へぇ。それって面白いの?」
「もちろん面白いわよ。カイルも読んでみる?」
「……いや、やめとく」
多少興味を引かれたが、カイルは首を振って断った。
今の自分に、読書を楽しむような余裕があるとは思えないからだ。
ようやく昼の酷暑も少し和らぎ、屋内に避難していた都市の住人達も外に出てきている。
この辺りの区画は住宅が集まっているが、路地が交差する角の土地だけは別で、その七割ほどが食堂で、残りの三割は商店となっている。
ふたつの路地の両方に接する角の土地はやはり客商売に向いているのだろう。
どうやらこれから店を開けるらしく、テーブルや椅子を並べる食堂の従業員が忙しく働いている。
どうせ店を開けても客の来ない酷暑の日中は休んで、夕方から夜中まで営業しているのだ。
気の早い岩妖精の客が開店準備のさなかに勝手に自分の椅子を確保して、麦酒をくれと厨房に向かって怒鳴っている。
兎のような耳を頭の上にのっけた獣人の女主人が、勝手に持って行けと怒鳴り返した。
この迷宮都市に、酒場であって食堂ではない店はあっても、その逆はない。
基本的にどこでも、食事を出す店では酒も置いている。
ここ、迷宮都市は冒険者のための街だ。荒くれ者の溜まり場だ。
血管の中に酒精が流れていると言われるドワーフほどではないとしても、刹那的な生き方をする者たちは酒を好む傾向があるのだ。
カイルの知る限り、もっとも真面な冒険者であるアスリィですら、迷宮から戻ってくれば酒を飲む。
「魔物の血の臭いを、酒で洗い流すんだよ」
そんなふうに言っていた。
つまり、フォルドによる改変版の、『水を飲む者、冒険者にあらず』も、あながち間違いではないのだ。
食堂の経営者的にも、特にこの季節では食事よりもむしろ酒のほうが儲けが大きい。
中でも腕の良い、氷魔法を使える冒険者と契約した酒場は大人気で、都市のあらゆる場所から氷のように冷えた麦酒を求めて客が集中する。
そのため冒険者ギルドには氷魔法を使える者、と指定した酒場からの依頼が殺到し、いちいち全ての依頼票を貼ってしまえばそれだけで掲示板が埋まってしまうほどだ。
一度など、貴重な戦力を酒を冷やすことに使うのはどうなのか、と遠回しに都市の行政府から苦情が来たらしいが、ギルドマスターはフン、と鼻息ひとつで吹き飛ばしたらしい。
現在の冒険者ギルドのマスターはドワーフであり、その彼からしてみれば美味い酒のために魔法を使うことはまったくもって当然のことで検討の余地すらなかったのだ。
フォルドが酒の匂いにつられて、食堂の前を通るたびに歩く速度が落ちるので、エリスがさっきからフォルドの手を引いて歩いている。
「なぁ……」
「ダメ」
「一杯くらい」
「せめて帰りにして」
ブツブツと文句を言いながらも、エリスにダメだと言われればフォルドは諦めるしかない。
明確に親子の間には、定まった力の上下関係があるのだ。
もしエリスが冒険者になりたいと言えば、フォルドはどうするんだろうな。カイルは想像してみる。
フォルドがエリスにそんな危険な職業につかせたくないと思ってるのは間違いない。だが、エリスがどうしてもと言えば結局は認めることになるのではないだろうか。
エリスは今十二歳だ。迷宮に入れるのはその十二歳からだから、一応は今すぐに冒険者となって迷宮に潜ろうと思えばできるのだ。
だが、エリスが冒険者になりたがっているのか、といえば微妙だ。
なにしろ周囲にいる大人がみな冒険者ばかりなので、影響を受けているのは間違いないだろう。
特に女同士、ヨナやアスリィ、それにフロレッサとは仲が良いようだ。
それでも、エリスが明確に冒険者になりたいと言い出したことはないし、迷宮探索の話題にもさほど興味を示さない。
またフォルドのほうでもあまり、エリスの将来についての話題を振ったりはしない。
普通は子供が十二歳にもなれば、親はさっさとどんな仕事につくか考えろとせっつくものだ。
多分、下手に藪を突いて冒険者になると言い出されるのを怖がっているのだと思う。
(ま、迷うくらいなら冒険者になんかならないほうがいいよな)
カイルはそう思う。
カイルだってもし選択の余地があるならば、決して冒険者になんかならずに、昔から目指していた画家になっていたのに違いないのだから。
だが意地の悪い運命はカイルの尻を蹴飛ばして、迷宮の大穴の中に叩き落としてしまったのだ。
一年前までカイルの周りにあったもの、それらはほとんど全てが失われ、そして今では、代わりにまったく違うものに囲まれている。
一年前までのカイルは、家族と、それに数人の兄弟弟子と共に、父の絵画工房に住んでいた。
さほど大きな工房ではなかったけれど、それでも三人の弟子を抱える中堅の工房だった。
画家の組合から営業認可を得た真っ当な工房で、貴族の肖像画を描くような仕事はまず来なかったが、酒場や商店などの看板や、裕福な商家の装飾などの仕事が多く持ち込まれた。
カイルも当然父の跡を継ぐものと考えていた。というより、他の道など思いつきもしなかった。
子供らしく、剣を取り魔物と戦う冒険者に憧れのような気持ちを抱いてはいたが、将来の選択肢とは考えていなかったのだ。
子供というのは親の跡を継ぐのが当たり前だ。
五歳から修行を初めて、十三まで八年間、ずっと絵のことばかり勉強していた。
父からは筋が良いと褒めてもらい、カイル自身もその気になっていた。
いずれは父が引退するときに営業認可を引き継いで、カイルが工房の主になるはずだった。
アイラという名の妹がいたが、カイルほど絵に関心は示さなかった。
もしかしたら、将来カイルと跡取りを争うことになるのを嫌って、自らその役割をカイルに譲ろうとしていたのかもしれない。
アイラは歳に似合わないそういう『聡さ』がある子供だった。
だが、そういったものは全て一年前に消えてなくなった。
父母も、工房も、思い描いていた将来も。
カイルに残されたものは、動かなくなった妹と、絵画工房の営業認可の証明書だけだった。崩れ落ちた工房の中で、その書類が焼け残ったのは奇蹟的だった。
売ればかなりの金額になるのだろうが、今となっては父の唯一の形見のようなものだ。
カイルも手放す気になれず、今でも手元に取ってある。
いずれは元気になった妹が工房を継いでくれたら、なんて想像したりすることもある。
カイル自身はもう、画家になることはないだろうから……
「父さん、明日は迷宮?」
エリスが背の高いフォルドを見上げて訊く。
「そうだなぁ。迷宮の中の天候次第だが、よほど酷くなければ潜ってくる」
エリスに応えながら、チラリと後ろに目を遣れば、カイルが渋い顔をしている。
早く自分も迷宮に潜りたいと考えているのがよくわかる。
フォルドにしても考えどころではあるのだ。
迷宮の表層域のみに限ったとしても、実力的にカイルはまだ少し物足りない。
他に数人の仲間がいて、パーティとして迷宮に潜るというならまだいいのだが、カイルはソロだ。
しかも、カイルには大事な目的があり、それを早く実行しようと焦っている。有体に言えば、無茶をやりそうで不安なのだ。
いざ許可してしまえば、誰の制御もないまま、迷宮の奥に向かって突っ込んで行くのが目に見えるようだ。
(かといって、いつまでも禁止していればいいってもんでもないしなぁ)
最近のカイルは特に、随分焦れてきているようだ。
そのうち、フォルドの言いつけを無視して勝手に迷宮に入って行きかねない。
それを思えば、押さえつけた挙句暴走されるよりは、まだある程度手綱を握っておいたほうがマシである。
それに、迷宮に潜らせるにはまだ実力が足りないとはいっても、その実力をつけるのに一番手っ取り早いのは、さっさと迷宮に潜らせることなのだ。
このへんはどこまでリスクを許容できるかという話で、基本的にリスクと効率はトレードオフの関係になる。
ただでさえカイルは冒険者としてスタートで出遅れている状態なのだ。そろそろリスクには目を瞑って迷宮に潜らせる頃合いかもしれない。
フォルドがそんなことを考えている間に、三人は目的地に到着した。
そこは屋根はあるが壁のない造りの食堂で、風が通って開放感がある。
衛生面には多少難があるが、エリスですらそのくらいのことを気にするほど神経が細くはない。それよりも、今は涼しいのが有難い。
厨房は奥にあり、大声で注文すればウェイトレスが料理を運んでくる。
逆に黙っていてはいつまで待っても注文を受けには来てくれない。そんな食堂だ。
席に着くなりフォルドは麦酒を注文する。
エリスとカイルは果汁を注文した。
食事は鶏肉とトマトのスープを人数分頼む。こういう店ではスープを頼めばパンは無料でついてくる。
それに加えて、小人族のウェイトレスに焼いた豚肉を注文してから、フォルドはカイルとエリスにもなにか欲しいものはないか、と尋ねた。
「僕はサラダと羊肉のパイ。エリスはフリッターだろ?」
「もちろん。あとわたしもサラダね!」
「はいよ」
鷹揚に頷いてウェイトレスが去っていく。短い脚をちょこまかと動かして、素早くテーブルの間を移動する。
【天央の燈篭】の灯りはすでにかなり小さくなっていた。
そろそろ闇の女神が灯火を吹き消す頃だろう。
すでに食堂の天井から下げられた魔石灯には、青白い魔石の明かりが点されている。
食堂の前の道を、栗毛の馬に引かれた馬車が通って行った。
そよ風を受けて気持ちよさそうに食堂の外を眺めているエリスの頬が、赤く染まっている。
フォルドも、椅子の背もたれにどっかと寄りかかって満足気だ。
飲み物はすぐにテーブルに届いた。
フォルドはそれを一息に飲み干してお代わりを注文する。
エリスはそれを見てため息をついたが、取りあえずは見逃してあげることにしたようだ。
実際、多少麦酒を飲んだくらいでは、フォルドは顔色すら変わらないし、思考に霞がかかるようなこともない。
やがて注文した料理も運ばれて来て、三人はそれぞれ自分の皿に集中する。
ものすごい美味しいというわけではないが、値段に比してまずまず満足のいく味だ。
身体が塩分を欲しているのか、少し濃い味付けが嬉しい。
やがて空腹が満たされて、カイルが皿に集中していた顔を上げると、カイルを見ていたフォルドと視線が合った。
「?」
なんの用かと、カイルがキョトンとした顔で見返すと、フォルドは麦酒の入ったグラスをテーブルの上に置いて話を切り出す。
「……なぁ、カイル。お前、どうしても例の【笑う魔物】を倒すつもりか?」
「なんだよ、フォルド? なにを今更……」
「いいから、答えろ」
フォルドが滅多にしないような真剣な表情をしているのを見て、カイルも口調を改めた。
「当たり前だよ。あの【笑う魔物】は必ず僕が始末する。僕はそのために冒険者になったんだから」
「わかってると思うが、簡単じゃないぞ」
そしてフォルドは、少しばかり苛立ったように難しい顔をして、おさまりの悪い前髪を荒っぽくかき上げた。
「……実はな、俺も少しあの魔物について調べてみた」
「そうなのか?」
意外そうに訊き返すカイルに、フォルドは頷いて続ける。
「ああ。本当はお前に教えればすぐにすっ飛んでいきそうだから、教えるつもりはなかったんだけどよ」
「そりゃないよ、フォルド」
カイルが顔をしかめて恨みがましい目つきになる。
「僕がどれだけその情報が欲しいか、わかってるくせにさ」
だが、フォルドはわかってるわかってると、カイルの視線を軽く受け流してしまう。
「だから今教えてやるって言ってるんだ。あまりグズグズ文句を言うなら、教えてやらんぞ」
そして麦酒をぐいっと呷る。
「調べるといっても、最初はそう簡単に情報が集まるとは思ってなかったんだがな……」
それがフォルドにとっても薄気味悪いと思えるくらいに、都合よくあっさりと情報が手に入ったらしい。
「これは他の冒険者や、知り合いのギルド職員なんかから聞いた話だ」
そう前置きしてからフォルドは話を続ける。
「……最近冒険者が、迷宮のとある場所から戻らないことがよく起こるらしくてよ。ギルドとしても放っておけないってんで、調査のための人員を現地に送り込んだらしい」
「それで?」
身を乗り出したカイルが食い気味にフォルドに続きを促す。
「そうするとだな、ビンゴってやつさ。その階層には石にされた冒険者がゴロゴロと転がってたってわけだ」
「石化の能力……!」
「そうだ。滅多に持っている魔物がいない、強力なスキルだ。となれば、例の【笑う魔物】の仕業って線が濃厚だろう」
「実際にあいつを見たわけではないのか?」
「ああ。調査に行った冒険者も、あまりに危険だってんで、実際の魔物を確認する前に退却してきたようだ。まぁ、妥当な判断だろうな」
確かにそれはカイルも頷かざるを得ない。
調査に行った冒険者にとって、もっとも大事なことは情報を持ち帰ることなのだ。下手に危険を冒すわけにはいかなかっただろう。
だが、まだフォルドは一番肝心なことを口にしていない。
「それで、その場所はどこなんだよ?」
カイルが声を低めてそう訊くと、フォルドはひとつため息をついて頬杖をつく。
「……【氷柱回廊】だ」
「【氷柱回廊】!」
やっと手に入れた仇敵の情報に、カイルが目の色を変える。
「ああ。冒険者ギルドの情報だ。まず間違いない」
「そうか。あいつが、【氷柱回廊】に……くそっ、やっぱりだ。思った通り、生きて迷宮に戻っていやがった……!」
一年前、迷宮から溢れ出した魔物たちのほとんどは、冒険者と騎士によって倒された。
だが、全てではない。
一部、地上のどこかに逃れた魔物もいたし、散々暴れた後、迷宮へと戻っていった魔物もいたのだ。
あの【笑う魔物】がどうなったのか、はっきりとしたことはわかっていなかった。
だが、それらしい魔物の死体がなかったことから、恐らくは迷宮に戻ったのだろうと予想されていた。
しかしそれはあくまで予想であって、確実ではなかった。
今、フォルドから伝えられた情報により、やっと確信が持てたのだ。
憎んでも、恨んでも飽き足りない、あの魔物が、生きて迷宮にいる。
そう思うと、カイルの心は千々に乱れた。
のうのうと生きていることは腹立たしい。
だが、生きていてくれなければ困る理由もあるのだ。もちろん、カイル自身の手によって殺されるまでの話だが。
とにかくこれで、カイルが自分の手で復讐するチャンスがあるということだ。
必ず、殺さなければならない。あの魔物はカイルによって殺されねばならないのだ。絶対に。どんなことがあろうとも。
「落ち着けよ、カイル。すぐにどうこうできるわけがないんだ。何度も言うが、あいつがいるのは【氷柱回廊】なんだからな」
【氷柱回廊】。そこは、迷宮の中層域にある。より正確に言えば、迷宮の深度で四三〇Mほどだ。
巨大な氷の柱が林立し、氷蜥蜴や、吹雪を呼ぶ甲虫などが出現する高難度領域だ。
「少なくとも、お前がすぐに行けるような場所じゃないぜ。レイクたちですらまだ到達できていないような場所だ」
「……うん、わかってる。僕も今すぐ行けるなんて思ってないよ」
恐らく、四、五人のパーティでも【五星】は必要だろう。まして、ソロならばそれでも足りない。
まだ【星無し】のカイルが目指すなど、身の程知らずにもほどがある。そういう領域だ。
だがそれでもカイルに諦める気はない。
諦める気はないが、想像していたよりも難易度は高そうだ。
「それとな、実はもうひとつ、情報がある。どうやら近いうちに、その【笑う魔物】に第六王女の名で賞金が懸けられることになりそうだ」
「懸賞金!?」
驚いて思わず口をはさんだのは、カイルではなくエリスだった。
そもそも、どんな魔物だろうと、倒して残される魔石を持ち帰れば相応の金額で引き取ってもらえる。
そういう意味ではあらゆる魔物は賞金を懸けられているようなものであり、敢えて特定の魔物に賞金が懸けられることは滅多にない。
今現在、懸賞金付きの魔物は全部で一〇もないだろう。
さらに言えば、その一〇ほどの魔物の内、半分以上は【指揮個体】と呼称される特別に厄介な魔物たちだ。
それが【笑う魔物】に懸けられるというのだ。しかも王女殿下直々に。
それは即ち、よほど多くの犠牲を生んだ、強力な個体だということを意味する。
「それも半端な額じゃないってよ。聞いた話じゃ、白貨で二〇枚だ。それに、倒した者は騎士として叙任するそうだ」
「白貨二〇枚……」
エリスは絶句してしまった。
それも無理はない。白貨二〇枚と言えば、大金だ。
その二千分の一の金貨一枚をめぐってすら、ときには殺し合いが起こるのだ。
「……なにがあったんだよ? どうしてそんな額の賞金が懸けられるんだ?」
「そりゃあ邪魔だからだな。被害のでている、【氷柱回廊】という場所が最悪なんだ。あそこはだだっ広い広間でな、たくさんの迷宮の通路がそこで合流する場所なんだ。つまり、避けて通るのが難しい。……想像してみろよ。氷の広間に、石になった冒険者が何体も転がってるんだ。ゾッとしない光景だぜ」
フォルドは口を湿らせるために麦酒を口に含んでから続ける。
「……だが、賞金を懸けられる直接のきっかけは、どうやら騎士が数人、その魔物にやられたことのようだ」
「き、騎士!」
「騎士ってそんな簡単にやられるようなものなの?」
同時に声をあげたカイルとエリスが顔を見合わせる。
「簡単じゃないさ。それに、これは言うまでもなく不名誉だからな。あいつらもわざわざ吹聴したりはしない。だが、それでも噂ってのは広まるもんだ。どうやらサーソニア騎士団の連中が、不運にも件の魔物に遭遇したってんだ」
そのときはまだ、【氷柱回廊】にそんな魔物がいるなどとは知られていなかった。だが騎士たちは運悪く魔物に遭遇し、そして石にされたのだ。
それが決定的だった。騎士が犠牲になったとあっては、第六王女殿下も動かざるを得なかったようだと、フォルドは言う。
「やられた騎士ってのも、それなりの実力者だったみたいだな。【七星】の騎士まで、なにもできずに石にされたって話だ」
「し、【七星】が……」
「そうだ。そんな魔物を、お前は相手にしようってんだぜ。わかっているのか? 正直、俺だってそんなやつの相手をするのはご免だぜ。命が惜しいからな」
【十星】のフォルドですら戦いを避ける相手。
正直そこまでだとはカイルも思ってはいなかった。
だが――
「……それでも僕は諦めたりはしない」
カイルの決心が揺らぐことはなかった。
「……まぁお前はそう言うだろうとは思ったがよ」
やれやれと、フォルドはさっきまでの、似合わないシリアスな態度を崩して言う。
「だが、お前がいくら必死に頑張ろうと、どうしても無理ってことだってあるんだぜ」
カイルの気持ちが動かないことは既によくわかってはいたが、それでもフォルドはそう念を押さずにはいられなかった。
「それに、――こう言っちゃなんだが――首尾よくその魔物を倒したところで、妹が救われる保証だってないんだろう? 完全に無駄骨になる可能性だってある。ただ無駄に死ぬだけでも、それでもやるのか?」
「でも、可能性はある。あの魔物は生きてまだ迷宮にいる。それならあいつを倒せば、被害者にかかった呪いが解ける望みはあるんだ」
「……まぁな。しかし――」
「くどいよ、フォルド。なにがあろうと、諦めるってことだけはないんだ」
というよりも、もうカイルには諦めることができないのだ。そういう選択肢を既に失ってしまっている。
「まだお前がソロではなく、何人か一緒に迷宮を探索する仲間がいれば、もう少し安心できるんだがな。仲間がいるってのはいいもんだぜ。一人で迷宮に潜るのと二人で潜るのじゃ、まったく違う。二人と三人だってそうだ。仲間がいればあらゆる点でずっと、楽になるんだ」
今でこそソロで活動するフォルドだが、若い頃からずっとそうだったわけではない。
やはり駆け出しの冒険者だった頃は、フォルドも数人の仲間と共にパーティを組んで迷宮に潜っていたのだ。
「それはわかるし、僕だって仲間が欲しくないわけじゃないよ。でもさ、仮に仲間ができたとして、表層を探索している内はいいけど、いざ僕があの【笑う魔物】を討伐に行くと言えば、ついて来てくれると思う?」
「……まったく思わんな」
「だろ? それじゃ意味ないんだ。僕の目的は【笑う魔物】の討伐だし、のんびり【五星】とか【六星】になれるまで待つ時間もないんだからさ」
カイルが言うと、フォルドは眉間に皺を寄せて黙ってしまう。
あまり実力の離れた者がパーティを組む意味はない。それは仲間ではなく、単に一方がもう一方の面倒をみるだけの関係になってしまう。
だがカイルと同等の実力の冒険者が、あの【笑う魔物】を倒しに行くなど無謀にもほどがあるのだ。とてもそんな酔狂な人間はみつからないだろうと、カイルは思う。
「でも、そんなことになってるなら、騎士団が自分で動いたりはしないの? 騎士団にとってもあの魔物は邪魔なはずよね?」
不思議に思ったエリスが訊くと、フォルドはそれはそうだと頷く。
「確かに騎士団連中にとっても邪魔は邪魔だ。だがまぁあいつらには昇降機があるからな。【笑う魔物】が陣取った階層をすっ飛ばしてその先を探索できる。これ以上犠牲を出してまで討伐するよりは、金と爵位を餌にして冒険者を動かしたほうが費用対効果が高いってことだろうな」
それに、とフォルドは続ける。
「……それに、騎士団連中よりも、冒険者にとって大問題だ。昇降機が使えない冒険者は、今じゃ【氷柱回廊】のある四三〇Mよりも深くは潜れないんだからな。完全にそこで足止めされることになる」
「なら、冒険者の中でもトップクラスの人たちがそのうち討伐するんじゃない?」
別にカイルが無理をしなくても、とエリスが安心したように笑う。
「ああ、もうそういう話は出て来てるようだ。そのうち誰かがやると思うぜ。それを待つって手もある」
「……うん。僕も誰かが倒してくれるならそれでいい。もちろん自分の手でって気持ちもあるけどさ。それより一刻も早く倒すほうが大事だから。……でも、それっていつになるかわからないんだろ?」
「そりゃそうだ。冒険者の中でもトップクラスの連中ってのは用心深い。倒せる確信がなけりゃ動かん。いつ準備が整うかなんて誰にもわからんよ」
正にそのトップクラスの冒険者であるフォルドが言うのだから説得力は抜群だ。
「なら、僕は僕で準備を進めるよ。もうあまり時間がないんだ。誰かを当てにしてる間に時間切れなんて、冗談じゃないから」
そもそも、トップクラスの冒険者でさえ二の足を踏むような相手に対して、【星無し】であるカイルになにができるのか、とはフォルドも言わない。
もうそういったことは議論の前提として飛び越えてしまっていて、今更口にするようなことではないからだ。
とにかくカイルは黙って待ってることなどできないのだ。
恨み重なる【笑う魔物】を倒すこと。それがカイルの冒険者としての原点であり、原動力になってしまっている。
もしそれを諦めろと言うのなら、それはカイルに冒険者を辞めろと言うのに等しい。いや、もしかしたらそれだけでは済まないのかもしれない。
カイルが妹を助けるという目的を捨てなければならなくなったとき、カイルはカイルのままでいられるだろうか?
どうしてもフォルドにはそうは思えないのだった。
「なぁ、カイル。こんなことはあまり訊きたくはないんだがよ」
「……え、なんだよ。藪から棒に。そんな言い方されると怖いんだけど」
「茶化すな。……お前の妹のことだ。どのくらいもちそうなんだ?」
「ああ、うん。そうだね……」
カイルはなにかを思い出すように天井を見上げた。
「正確にはわからないけど、そう長くはないと思う。徐々に魔力が減って来てるのは間違いないんだ。けど、いつも一定の速さで減ってるわけでもないから、……一年か、半年か。さすがに一節とか半節ってことはないと思うんだけど、でもそう思うってだけで確証なんかない」
「そうか……」
フォルドはなんともいえない表情で頷く。実際、こんなときにどんな顔をすればいいのか、フォルドにはわからない。
同情して見せることは簡単だが、そんなことに意味はないし、カイルだって望んでいないだろう。
カイルが望んでいるのは、自らが目的を果たすための協力だ。
そんなことはわかっている。
わかっているし、手伝ってやりたいとは思うが、カイルのために自分の命を賭けのテーブルの上に乗せようとまでは思わない。それが分の悪い賭けなら尚更だ。
となれば、フォルドにできるのはせいぜいカイルが強くなれるように協力することぐらいだろう。
「……カイル。明日、迷宮に潜る気はあるか?」
「え? ……ええ!?」
カイルが、何を言われたのか呑み込めずに目を丸くする。あまりに突然で、頭がフリーズしてしまったようだ。
「なんだ。潜る気はないのか」
「いやいやいやいやいや!!」
カイルが高速で首を振る。それはもう、必死になってブンブンと。
「ある! 迷宮に潜っていいなら、今すぐだって構わないっ」
勢い込んで言うカイルに、落ち着けと宥めて、
「取りあえず明日は『試し』だ。レイクかランドのどちらかをつけてやるから、冒険者の流儀や、迷宮の歩き方、魔物の対処なんかを教えてもらえ。それで問題ないようなら、一人で迷宮に入っていい」
「本当か!? いや、もう嘘だなんて言わせないぞ! やったあ!!」
「お、大喜びね」
今にも跳びあがらんばかりにはしゃぐカイルに、エリスも少し引いてしまっていた。
「いいか? 迷宮に入れるからってあまり浮かれるなよ? 油断すればすぐ死んじまうぞ」
「ぃやっほおおおお!」
「……全然、聞いてないわよ」
「……そのようだな」
「許可を出すの、早まったんじゃない?」
「ああ、そんな気がしてきたぜ……」
「行くぜ、迷宮うううっ。待ってろよおおおお!」
食堂の客が何事かと注目する中で、カイルの雄叫びが響き渡っていた。