2. 迷宮都市の駆け出し冒険者②
完全にのびてしまったカイルの治療を終えて、エリスがフォルドのもとに歩み寄る。
「ちょっとやりすぎじゃないかしら?」
すでにマットや他の少年たちは、見物を終えてどこかに去って行った。
多分、いつものようにフーセル川で水遊びでもするのだろう。
フーセル川は川幅が狭くて深い。流れのスピードも速くてあまり水遊びに向いているわけではないが、それでもこの都市の子供たちは平気な顔で水遊びをする。
ときには事故が起こることもあるのだが、多少の危険は子供にとっては日常の中のちょっとしたスパイスだ。
まして今はこの暑さだ。ひんやりと冷たい川の水の誘惑には抗えない。
エリスも水浴びをしたい気分もあったのだが、カイルの治療のために一人残ったのだ。
「ん? そんなに酷い怪我だったか?」
「うん。こんなにでっかいたんこぶができてたわ」
両手を広げて大きさをアピールするエリスに、フォルドは笑顔を向ける。
「そうか。そんなにでっかいたんこぶができるんじゃ、少しやりすぎたかもしれないな」
一人娘の頭に手を乗せて、白髪を古傷だらけの大きな手でなでる。
「でも、なにも痛くなけりゃあ、あまり覚えないからなぁ」
「そういうものなの?」
フォルドは頷いて、「特にカイルはあまり覚えが良くないからな。多分不器用なんだろう」
「でも、カイルって絵が上手いわよ。不器用ってことはないんじゃない?」
「そりゃあ、あいつは画家の工房で育ったらしいからな。小さなころからずっと絵は父親に教わってきたんだろう。不器用でも時間をかければそれなりにできるようになる。それに比べて剣のほうはまだ一年くらいしかやってないからな」
だがエリスは華奢な首を横に振る。
「それがね、カイルは絵のほうは覚えが良いって言われてたんだって」
「そうなのか?」
少し意外そうにフォルドが訊き返した。
「なら、剣と絵では違うってことだろうな。絵のほうでは才能があっても、剣でも同じとは限らないんだろう」
「つまり、『狼の仔は狼』ってことかしら」
エリスはこうして諺をよく口にする。本で読んで得た知識を少し得意げに披露するのだ。
年の割に大人びているエリスだが、こういうところは子供っぽい。
「そうとも限らんが、……でもまぁ、確かに向き不向きってのはどうしてもあるな」
エリスは、「ふむ」と、納得したように頷く。「じゃあやっぱり、カイルは冒険者に向いてないのね」
「やっぱり?」
「うん。レイクが言ってたのよ。カイルは冒険者には向いてない。早いうちに諦めさせたほうが本人のためだ、って」
「ああ。レイクのやつならそう言うだろうな。俺もあいつから言われたことがある。なぜカイルにさっさと冒険者を辞めさせないんだ、ほっとけばすぐに死んじまうぞ、ってな」
エリスが、深い泉のように青い瞳で父親を見上げた。
「それで、父さんはなんて答えたの?」
「カイルにも冒険者をやる理由があるからな。止めたってどうせ聞かないさ。それに……」
「それに?」
「カイルに冒険者としての才能がないっていうのも、どうかと思うぞ、俺は」
エリスは首をかしげる。
「さっき父さんも、カイルの剣はなかなか上達しないって言ってたわよね?」
「言ったな」
「それなのに、冒険者の才能があるの?」
矛盾してない? とエリスは口を尖らせる。
「そうさな……」
フォルドはなんと説明したものかと、少し迷ってから、続ける。
「エリスは冒険者の才能ってのはどんなものだと思う?」
「そんなこと急に訊かれてもわからないけど。……でもそうね、やっぱり強いことじゃない? 強くなければ迷宮の魔物に殺されちゃうもの」
フォルドはうんうん、と首を縦に振る。おそらくそういう答えが返ってくると思っていたのだ。
「まぁ、普通はそう思うよな」
エリスはまた不満そうに頬を膨らませる。
「なによ、父さん。もったいぶっちゃってヤな感じね。ヤな感じだわ」
軽くフォルドの逞しい脚を蹴飛ばす。
「悪い悪い」エリスの頭を宥めるようになでて続ける。「まず、俺の考える冒険者の才能ってのは、生き残る才能じゃないんだ」
「どういうこと? 生き残れなかったらどうしようもないわよね?」
不可解とばかりにエリスが眉をひそめる。
「それはそうなんだが。しかし、生き残るだけじゃあまり意味がないんだ」
「意味ないって……」
エリスは目を丸くする。
生き残るのが意味ないと言われるなら、冒険者はなんのために迷宮に入るのだろうか?
「冒険者は、迷宮で必死に戦って生き残るんでしょ? 父さんも、アスリィやヨナたちだってみんな頑張ってるのに、意味がないの?」
エリスの顔に困惑の表情が浮かぶ。
そんな言い方はあんまりだと思う。
「いや、悪い。言葉が悪かったな。だが、……」
どう言えば娘に理解してもらえるかを考えて、慎重に言葉を選ぶ。
もともと直截的な言葉しか使ってこなかった不器用なフォルドには、まだ幼い娘の気持ちを傷つけない言葉を選ぶのはなかなかに難しかった。
「冒険者や騎士の目的ってのは、迷宮を破壊することだ。それができなけりゃ、迷宮はいつか、世界の殻を貫いて【混沌の海】に繋がってしまう」
「……邪神の領域」
エリスが教会の神学校で教わったことだ。
それによると、この【竜殻世界】は、海に漂う泡のような、儚く小さな世界だというのだ。
――そして、聖典は語る。
この世界の外には【混沌の海】と呼ばれる、邪神とその眷属が住まう領域があり、常にこの世界を破壊するために侵入しようとしていると。
迷宮とは邪神によって創られた、この世界に穴を開けるための杭であり、この杭が世界の殻を貫けば、そこから邪神が侵入してきて世界は終わるのだ、と。
(でも、それって本当のことなのかしら?)
エリスにしてみれば、漠然と世界が終わると言われてもまったく実感がわかない。
昨日も一昨日も世界は存在し、明日も明後日も世界は続く。それが当然のように感じるのだが、間違いなのだろうか。
だが、フォルドはそこに疑問は感じていないようだ。
既定の事実として、迷宮を放置すれば世界が終わるのだと受け入れているようだ。
「……そうだ。邪神の侵入を防ぐためには、誰かが身体を張って迷宮に潜り、迷宮の【核】を壊して邪神の杭を破壊しなけりゃならん」
極論すればそれこそが冒険者の目的であり、それ以外の、――大抵の冒険者が目標とすること――金を稼ぐこと、魔物を倒すこと、魔石を手に入れること、ランクアップして能力を上げること、などは全て副次的なものに過ぎない。
「だから、迷宮の浅いところでいくら魔物を倒そうと本質的には意味がない」
エリスはフォルドに言い返す必要を感じた。
このまま黙ってフォルドの言い分を認めたら、大事な友達が命を懸けてやっていることが無意味だと認めることになるからだ。
「でも、どんな冒険者だって最初は迷宮の浅いところで戦うものでしょ?」
「もちろんそうだ。だから、いずれ深層に達する冒険者が、力をつけるために表層を探索するならいいんだ。だが、大抵の冒険者は深層なんかは目指さずに、ただ表層で金を稼ぐだけで満足している。それじゃダメなんだ」
「どうしてみんな深層を目指さないの?」
「そりゃ怖いからさ」
「……父さんも迷宮が怖い?」
「ああ、怖い」
フォルドが即答すると、エリスはもともと大きな目をさらに見開く。
「父さんに怖いものなんてないと思ってたわ」
冒険者としてその頂点に近い位置まで昇りつめたフォルドが恐れるものがあるなんて、エリスは想像したこともなかった。
フォルドはゆっくりと首を振った。
「迷宮は、魔物は怖いぞ。やつらは死ぬことをなんとも思っていない。いくら傷を負わせても、生きている限り向かって来る。どれだけ恐れ知らずの冒険者だろうと、迷宮に潜っていればときには傷つく。死にそうな目に遭って命からがら逃げ帰れば、次に迷宮に入る前にはどうしたって足が竦んでしまう」
なにかを思い出すように遠い目をして続ける。
「そういう目に何度か遭って、自分よりもよほど強い冒険者が魔物に殺されるのを見れば、どれだけ鈍感な人間でも、自分が今まで生き残ってこれたのはただ運が良かっただけだと気づく。そしていつまで幸運が続くのか、と考えちまうんだ」
「……じゃあ、父さんが迷宮で戦ったのも無意味だったの?」
怒らせるのを覚悟して、挑戦的に言った言葉だったが、フォルドはあっさりと頷いた。
「そうだ。……もちろん個人的には意味がある。迷宮で稼いだ金でこうして生活できてるんだしな。だが、冒険者として言うなら、意味はないんだ」
納得できないというよりは納得したくなくて頬を膨らませるエリスを、フォルドは優しい目で見降ろした。
「エリス、お前は冒険者としての能力はきっと高いだろう。魔力はそこらの騎士なんかよりよっぽど上だし、治癒士としての才能もある。だが、冒険者になるつもりならよく考えなきゃならん。どこまでも潜り続け、迷宮を破壊するまで立ち止まらない。それだけの覚悟があるかどうかをな」
「……それが冒険者としての才能なの?」
フォルドは大きく頷いた。
「そうだ。エリスは賢いな。その通りだ。冒険者としての才能は強いかどうかじゃない。どこまでも潜り続けるだけの覚悟があるかどうかだ。そしてそういう意味じゃ、カイルは悪くない。あいつは魔物を強烈に憎んでいる。きっとそう簡単に立ち止まったりはしないだろう」
「ふうん」
未だ目を覚まさないカイルが、だらしなく涎を流してのびているのを見て、エリスは肩を竦める。
どう見てもそれは、才能ある冒険者の姿ではなかった。
気がない返事をするエリスを見て、フォルドは思う。
(だがな、冒険者としての才能なんてものはないほうが幸せなんだ)
どこまでも退かずに戦い続ける冒険者がどうなるか、誰だってわかる。
そんな冒険者が一〇〇人いれば九九人はあっさりと命を落とすだろう。いや、一〇〇〇人中でも九九九人は同じ運命かもしれない。
そしてたまたま生き残ったただ一人だけが英雄になる。そんな話だ。
例え世界がそのただ一人の英雄を必要としているとしても、あまりに分の悪い賭けに違いはないのだ。
◇◆◇
冒険者クラン【牛の赤ワイン煮】の本拠地は、迷宮都市東岸地区の中央から少しだけ北寄りの区画にある。
二階建ての建物で、外観は少し大きめの普通の住宅にしか見えない。
見ただけでこれが冒険者クランの本拠地だと思う者はいないだろう。
冬となればそれなりに雪が降るこの辺りの建物は、雪が落ちやすいように三角屋根になっており、この家も例にもれず赤い三角の屋根が乗っかっている。
つまり、悪く言えば特徴のない、良く言えば周囲に調和したごく普通の住宅だ。
実際、もともとは多少裕福な商人が建てた、少しだけ大きめの自宅だった。
それが幾人かの手に渡った後で、このクランのマスターであるフォルドが購入したのだ。
フォルド自身、買った当初はこの建物をクランハウスとして利用する気はなかった。
妻と娘のエリスと三人で生活するための家として買ったのだが、その後冒険者だった妻を病気で亡くし、娘と二人暮らしにしては大きすぎたこの家を、クランのメンバーに開放したのだ。
……というと、フォルドが温情あるマスターのように聞こえるが、実際は押しかけられて、なし崩し的にクランハウスにされてしまったというのが実情に近い。
今現在、このクランに所属する冒険者は二パーティ、五人。それに、マスターであるフォルドと娘のエリス、見習い扱いのカイルを含めて八人がこの建物で寝起きしている。
とはいっても、その全員が揃うことなどまずないのだが。
所属するパーティは、ソロのフォルドを除くと、【緑水の渦】と【白火の剣】の二つ。
【白火の剣】は、アスリィとフロレッサという名の、年若い二人の女性冒険者によるパーティで、急激に力を伸ばした成長株として都市内の冒険者の中でも名を知られた存在だ。
特にアスリィは、フォルドとも互角の戦いができるという。
なぜそんなパーティがこんな零細クランに所属しているのか不思議なくらいで、噂ではあちこちのクランから勧誘されるのが面倒になった【白火の剣】の二人が、取りあえず虫除け代わりに仮所属しているのだと言われている。
確かにそう考えれば――良く言えば――放任主義のフォルドがマスターを務めるこのクランは面倒がなくていいのかもしれないし、二人が滅多にこのクランハウスに顔を出さないのも納得できる。
次に【緑水の渦】は、獣人のレイクという冒険者がリーダーを務める三人のパーティだ。
実力的には中堅といったところで、弱くもないが、それほど強くもない。
ただしそれは、迷宮都市の基準においての話だ。
迷宮都市の冒険者は他とは隔絶した能力を持っているので、レイクたちの実力も他の都市では相当高い部類に入るだろう。
【白火の剣】よりも【緑水の渦】のほうが古株で、このクランが発足したのがそもそも、【緑水の渦】とフォルドがともにある依頼を受けることになったときに、クランとして受けたほうが都合が良かったためなのだ。
つまり、最初はソロのフォルドと、三人パーティの【緑水の渦】でたった四人のクランだったのだ。
零細もいいところで、まるで冗談のような名ばかりのクランだ。
いや、その名前からして【牛の赤ワイン煮】なのだから、全てが冗談のようなクランだと言ったほうがいいかもしれない。
そんな零細クラン、【牛の赤ワイン煮】だったのだが、現在は【白火の剣】が合流したおかげで、妙に少数精鋭のクランとして知られる存在になってしまった。
なにしろ、マスターであるフォルドを含めてもたった六人しかいないクランに、【八星】以上の冒険者が三人もいるのだ。
迷宮都市に数多く存在するクランでも、ここまで上位の冒険者が揃うクランは滅多にない。
それがこのような構成人数の少ない零細クランなのだから、奇妙な名前と相まって悪目立ちしてしまっている。
ちなみに、このクランの名前を付けたのはフォルドである。
クラン発足の手続きをするときに、なにも名前を考えていなかったフォルドが、その場の思い付きで付けたのだ。
前日に食べた夕食のメニューを――
さてそんなメンバーが集まるクランハウスだが、多少大きめの住宅だった建物とはいえ、八人も住むとなれば手狭になる。
ほぼ寝に帰るだけの冒険者だからこそ、なんとかなっているといえた。
実際、それぞれの寝室にはほとんどベッドくらいしか家具はない。
あくまで生活の拠点ではなく、冒険者としての活動の拠点なのだ。
一階には台所兼食堂、居間、トイレに風呂兼洗面所、あとはフォルドの寝室がある。
さすがにこの辺りの住宅に風呂まで付いているのはかなり珍しいが、亡くなったフォルドの妻が風呂好きで、たっての希望で設置したのだ。
その血を受け継いだエリスもやはり大の風呂好きなので、まったく無駄にはなっていない。水を入れるのも温めるのにも魔道具を使うので、それなりに高価な代物ではあるのだが。
二階には四部屋があって、一番大きな部屋は装備や迷宮で手に入れた素材などを放り込んでおく物置になっている。
そして、カイルはこの物置で床に毛布を敷いて寝ている。
物置には、フォルドやレイクたちが迷宮探索に使う道具や、逆に迷宮で手に入れた異界流れの装備品など、高価なもの、貴重なものも置かれている。
まだ冒険者として見習いの立場のカイルに、ここで寝起きさせるのは一応防犯の意味がある。
カイル自身は、本当に泥棒が入ったときにどれだけ自分が役に立てるかと考えると、あまり効果はなさそうに思えるのだが。
残りの三部屋の内の二つが、それぞれ、【白火の剣】と【緑水の渦】の部屋となっている。
階段を上がってから一番手前の部屋を【白火の剣】の二人が使っているのだが、【緑水の渦】の紅一点のヨナ、それに時々エリスがここで寝ている。
【白火の剣】の部屋というより、女性用の部屋といったほうが実情に即しているかもしれない。
そして次の部屋を、ヨナを除く【緑水の渦】の二人が使っている。
一番奥にある小部屋は空き室で、ベッドが二つ置いてある。滅多にないが客が泊っていくときはここを使うことになる。
ただし、ここは冬にはやたらと寒くて、とても寝られたものではない。
スリーシーズン用の客間ということになるだろうか。
カイルはこの零細クラン【牛の赤ワイン煮】に、見習い兼雑用係として仮加入している。
実力的にはとてもメンバーに入れるレベルではないが、色々あった結果、幸運にもここに置いてもらっているのだ。
その代わり、炊事や洗濯、掃除などの雑用は全てカイルの仕事だ。
さすがにそれを全て一人だけで完璧にこなすのは難しいので、手の空いた者が手伝うことにはなってはいるが。
◇◆◇
フォルドに叩きのめされた後、しばらくして目覚めたカイルは、痛む頭を擦りながら台所で夕食の準備を始めようとしていた。
「ちっくしょう。フォルドのやつ、遠慮なくぶん殴りやがって……!」
人の頭をなんだと思っているんだ。気を失うまで木剣で殴りつけるなんて、これは虐待ではないだろうか?
ブツブツと愚痴を言いながら、鍋を竈の上に運ぶ。
「カイルは覚えが悪いから、痛い思いをしなくちゃ覚えないんだ、って言ってたわ」
地下からひょいと顔を覗かせてエリスが言う。手には、野菜と燻製肉をむんずと掴んでいる。
台所には、地下に狭い食糧庫がついているのだ。
保存に良くて便利なのだが、いかんせん狭い。カイルでも屈まなければ頭をぶつけるくらいだ。
だから食糧庫に入って食材を出し入れする作業はエリスに頼むことが多い。
エリスもそれは自分の役目だと認識していて、大抵は張り切って手伝ってくれる。
「ふん、どうせ僕は不器用だよ」
チラリとエリスに視線を向けるが、カイルはすぐに作業に戻る。
「拗ねない拗ねない。父さんもカイルのやる気と根性は認めてるわよ」
だから覚えが悪くてもちゃんと訓練に付き合ってくれるじゃない、とエリスは続ける。
「見込みがあるから鍛えてくれてるのよ。感謝するべきだと思うわ」
ツンと澄ました顔でそんなことを言うエリスのことを生意気だとカイルは思うが、言ってることは多分間違っていない。
そして、だからこそやっぱり生意気だと思うのだ。
「はあ」
ひとつため息をついてから、カイルは気を取り直して料理に集中することにした。
「さて、今日はなにを作るかな……」
カイルは呟くが、実際のところあまり料理のバリエーションは多くない。
絶対に欠かせないのがスープ(もしくはシチュー)とパン。あとはそれにサラダがついたり、炙った肉を用意したりする。
川魚を使うなら、パイにするか、衣をつけて揚げるか。すり身にして卵やパン粉と共に団子にして茹でるって手もあるけれど、あれはちょっと面倒くさいので遠慮しておきたいところだった。
「まぁ肉を焼いておけば大体間違いないんだよな」
フォルドも、レイクやヨナもみな、好物は肉だ。炙った羊肉か豚肉でも用意すれば大喜びだ。
妙に凝ったものを作るより、ただ肉を焼いただけのほうが喜ぶんだから、料理のし甲斐がないというか、面倒がなくて良いというか……
「エリス、なにか肉はあった?」
地下の食糧庫に潜っているエリスに訊くと、「燻製肉ならあったわ。あとは野菜だけー」という返事が返ってくる。
「燻製肉はスープに入れるか。でもそうするとちょっとメニューが寂しいかな……」
食材を買ってくればいいのだが、近くにあるのは野菜の市場だ。
肉を買ってこようと思えば、少し遠くまで行かなければならない。
まぁ遠くとはいっても、四半刻ほども歩けばいいのだからそれほどでもないのだけど。
「わたしが買ってこようか?」
エリスが言うが、カイルは首を横に振った。
「いや、僕が行くよ。……エリスは肉か魚なら何が食べたい?」
「うーん、……久しぶりに、魚のフリッターはどう?」
「フリッターか。まぁたまにはいいか」
フリッターは油を多く使うからあまり作らない。
肉を焼いておけば喜ぶとわかっているのに、いちいち油で揚げる手間をかける気にならないのだ。
それに、どうしても揚げ物を作れば台所が汚れてしまう。
よほど換気に注意しなければ、あちこちが油でべとついてしまうのだ。
だがリクエストされてしまったのなら、久し振りに作るのも悪くはない。
「じゃあ市場に行って来る」
そう言って出かけようとして、ひとつ確認すべきことを思い出した。
「そういや、今日は何人分飯をつくりゃいいか、エリスはわかる?」
「それがまだ、誰も帰って来てないのよね」
不規則な生活をする冒険者ばかりなので、飯の支度を始めるときにいなかった者の分は用意しないことになっている。
そうしなければせっかく作った食事が無駄になるからだ。
「だから、父さんとカイルとわたしで、三人?」
「なんだ、それだけでいいならいちいち買いに行くこともないな」
別に肉や魚を用意しなくても、スープに使う燻製肉の残りを炙るくらいでも別にいいだろう。
足りなければ、なんならオムレツくらいは作ってもいい。
確か卵はまだあったはずだ。
「えー、フリッターは? さっき作るって言ったじゃない」
エリスがカイルに責めるような視線を向ける。
「フリッターは明日」
「えー」
完全にフリッターを食べる気になってしまっていたらしく、珍しくエリスがなかなか諦めてくれない。
さあなんと言って宥めようかと考えていると、台所の扉を開けて焦げ茶色の髪の巨漢が入ってきた。フォルドだ。
「よし、まだ飯の支度はしていないな。今日はこの三人しかいないから、外に食いに行こうぜ」
「……またフォルドはそうやってすぐに思いつきでものを言うんだから」
「いいじゃねーか。お前だって面倒な仕事が減って嬉しいだろ?」
「どうせお酒を飲みたくなったんでしょ?」
エリスが半目でフォルドを睨む。
「うっ」
図星を指されたのか、フォルドが鼻白む。
「わたし嫌よ。父さんは飲み始めると止まらなくなるんだから。お酒臭い酒場で父さんが飲み終わるまでずっと待ってることになるんでしょ? 絶対嫌、退屈だもの」
「エリス、そう言うなって。今日はちょっとだけにするからよ。久し振りなんだから、いいだろ? ほら、エリスの得意な諺にもあるだろ。『水を飲む者、冒険者にあらず』ってよ。冒険者は酒を飲むものなんだよ」
でかい図体を縮めてエリスに頼み込む。
「それを言うなら、『水を飲む者、吟遊詩人にあらず』よ、もう。……本当にちょっとだけ?」
「ああ、もちろんだ」
口を尖らせてジトっとした目つきで父親を見ていたエリスだったが、やがてため息をついた。
口ではけっこうキツイことを言ってはいても、結局のところ仲の良い親子なのだ。
「仕方ないわね」
「よし、なら行くぞ!」
娘の気が変わらないうちにと、すぐに行こうとフォルドが促すが、カイルは首を横に振った。
「僕は止めとく。たまには親子で食べに行って来なよ」
「あん?」
カイルに反対されるとは思っていなかったフォルドが渋面を作る。
「お前の飯はどうするんだ?」
「買い置きのパンがあるからそれでいい。わざわざ飯のために出かけるくらいなら剣を振っていたいんだ」
カイルがフォルドのもとに来てから一年弱の間、カイルは暇さえあれば剣を振り続けている。
十三歳になるまで一度も剣を持ったことのなかったカイルが冒険者になろうというのだ。しかもカイルにはやらなくてはならないことがある。
とても休んでいる暇などなかった。
だが、「ダメだ。カイルも来い」フォルドはカイルの首に腕を回して強引に連れて行こうとする。
「なんでだよ。二人で行ってくればいいじゃないか。フォルドだって僕がいるよりエリスと二人のほうが嬉しいだろ?」
「当然だ」
間髪入れずにフォルドが首肯する。
「だがな。正直、エリスと二人だと、なにを話したらいいかよくわからん。だから、お前もついて来て上手く会話が弾むようにしろ」
「はあ? そんなのなんだっていいだろ。適当に話を合わせりゃいいんだよ」
「アホ。それができんから言ってる。あのくらいの女の子が好むような話なんか俺にできるとでも思ってんのか?」
「知らないよ。それを他人に頼るな。父親なら自分でなんとかしろよ。大体、無理にエリスの好みに合わせなくなっていいだろ。迷宮の話でもすれば」
「ああ、迷宮の話な。昔は冒険の話とかしてやればキャッキャと笑って喜んだものなんだがなぁ」
最近じゃ、あからさまにつまらなそうな顔をする、とフォルドは寂しそうな顔をした。
「どうもな、エリスが友達と話してるのを聞くと、どこぞの何が美味しいとか、どこの服が可愛いとか、そんな話ばかりなんだ」
「そんなのは僕だって無理だよ。いや、それより娘の会話を盗み聞きするのはどうなんだよ?」
「あのさ」エリスがジト目で男二人を睨む。
「二人でこそこそと内緒話して楽しそうなのは良いんだけど、そろそろ出かけないかしら?」