28. 泥街小戦争⑤
目が覚める直前、半分微睡ながら、カイルはまだ起き出すには早いと考えていた。
頭の芯に、痛みがある。まだ寝足りていない証拠だ。身体に疲労も残っている。この状態で今すぐ起きると、今日という一日を体調の悪いまま過ごすことになる。
毎日剣を訓練したり迷宮で魔物と戦ったりする冒険者のカイルにとって、体調の管理は努力目標ではない。義務だ。誇張ではなく、命がかかっているのだ。
たまたま目が覚めたからといって、睡眠が足りないまま起き出すわけにはいかない。
そう思ってカイルは寝返りを打つ。二度寝を決め込むつもりだった。少なくとも、朝の鐘が鳴るまでは。
だがそこで、「いや、待てよ」と不審に思った。身体の下の、柔らかいシーツの感触に気づいたからだ。
いつものカイルは、固い物置部屋の床で一枚の毛布に包まって寝ているのだ。
違和感のせいで、急速に意識が夢の国から浮上する。
「また、ここか……」
瞼を開けて身体を起こすと、そこは見覚えのある場所だ。クランハウス二階奥の、空き部屋。
そこにあるいつもは誰も使っていないベッドの上に、カイルは寝かされていたのだ。
ついこの間、ヨナと一緒にスライム退治に行ったときと、そっくり同じような状況だ。あのときも迷宮で気を失い、気がつくとカイルはこのベッドの上にいた。
「カイル! 起きたのね、大丈夫? どこも痛くない?」
カイルに額をくっつけんばかりに詰め寄ってきたのは、エリスだった。
どうやらカイルのことを心配して、ベッドの傍についてくれていたようだ。
「エ、エリス? 僕はどうしてここに……ってて…………」
まだ記憶が曖昧のまま、カイルが頭を押さえる。
ズキンと強く、頭痛がしたのだ。
「覚えてない? カイルはあの、泥街の『教会』で、【盗賊ギルド】のやつに殴られて意識を失ったのよ」
心配そうなエリスにそう言われて、カイルは思い出した。
そうだった。誘拐されたエリスを助けにサンディと一緒に泥街に行って、そして孤児たちと乱闘になり……
最後に現れた【盗賊ギルド】の人間――確か、ウェッジという名前だったか――に、カイルは立ち向かおうとして、まったく相手にならずに意識を奪われたのだ。
「――って、エリスは大丈夫だったのか!? 【盗賊ギルド】のやつらに、連れて行かれたんじゃ……」
てっきりレーンやリサたちと一緒に、エリスも連れて行かれるものだと思ったのだが……
「わたしは大丈夫よ。あの【盗賊ギルド】の連中も、最初からわたしたちをどうにかしようとは思ってなかったみたい。あの後、馬車の座席に座らされて、ここまで帰されたの。カイルのことも一緒に運んでくれたわ……かなり乱暴な扱いだったけど」
「……そうなのか?」
「ええ」
カイルは力が抜けたような気分で肩を落とした。
それならそうと言えばいいではないか。なにも言わずに近づいてきて手を伸ばされたら、怪しむのが当然だろうに。人騒がせな……
「……それで、あれからどうなったんだ? 今は、……もう夜中か。フォルドはもう帰って来てる?」
窓の外は、墨で塗りつぶしたような夜闇が広がっている。それを見ながら、カイルはエリスに尋ねたが、エリスはゆるゆると首を振った。
「……違うわ。今は確かに夜だけど、あれからもう丸一日が過ぎているのよ」
「…………え?」
「だから、泥街の騒ぎがあったのは、昨日なの。カイルは丸一日ずっと目を覚まさなかったのよ」
「……本当に?」
「本当よ」
「…………」
カイルは自分の腹をなでた。……それほど腹が減った気はしない。とても自分が丸一日飲まず食わずで寝ていたようには思えなかった。
だが、エリスがそんなふうに自分を騙すとも思えなかった。エリスがそう言うのなら、自分はきっと丸一日寝ていたのだろう。信じられない気分だが。
「……なら、フォルドにはもう誘拐されたことを話したんだよな?」
「うん。話したわ」
「じゃあ、やっぱり怒り狂った?」
「……」
エリスは神妙な表情で頷いた。
「……そりゃあもう、とんでもなく怒ったわよ」
エリスはそう言って肩を落とした。まるで老婆のような、疲労を感じさせる所作だった。
そんなエリスの様子に不吉なものを感じて、カイルは恐る恐る口を開いた。
「やっぱり、孤児たちを半殺しにしたのか? さすがに皆殺しにはしなかったよな?」
エリスは首を横に振る。
「……え? まさか、本気で皆殺しにしたのか?」
目を丸くするカイルに、エリスはもう一度首を横に振った。
「そうじゃないわよ。覚えてないの? 孤児たちは【盗賊ギルド】の連中に連れて行かれたじゃないの」
「そういや、そうだったな。……ってことは、フォルドはどうしたんだ?」
「……」
エリスは深いため息をついた。
「……わたしも直接見たわけじゃないけど。父さんは泥街に乗り込んで、【盗賊ギルド】の拠点をいくつも潰して回ったらしいわ」
「…………マジで?」
「マジよ」
そしてエリスが説明してくれたことによると。
フォルドは孤児たちが既に【盗賊ギルド】に連れ去られたからといって、娘を拐われた復讐を諦めたりはしなかったのだ。
フォルドはレーンら誘拐の実行犯の代わりに、彼らの実質的な保護者である【盗賊ギルド】に敵意を向けたのだ。監督不行き届きだと。
フォルドはレイクやランド、それにヨナの、【緑水の渦】の面々と、それだけではなく、普段ほとんど顔を見せないアスリィやフロレッサまでどうやってか連絡をつけて、真夜中にクラン【牛の赤ワイン煮】総出で【盗賊ギルド】に攻撃を仕掛けたらしい。
ほとんどそれは、クラン同士の抗争と呼んでもいいほどだったようだ。
その抗争の舞台となった泥街は、蜂の巣をつついたような騒ぎになった。
娼館で一夜の夢を見ていた酔客たちは、戦闘の轟音を耳にしてベッドの上から飛び起きることになった。
裸同然の格好で逃げ出す羽目になった不運な男たちも大勢いたのだ。
「泥街がまるで迷宮に変わったような有様だったらしいわ。中には魔法を使った人までいたとか」
「それはまた……」
街路を冒険者が駆けまわり、敵に出くわせば剣を抜き、容赦なく斬り合う。
フォルドたち【牛の赤ワイン煮】の面々は、虱潰しに【盗賊ギルド】の拠点を叩いていく。
どういうわけかフォルドは、【盗賊ギルド】がどこに拠点を構えているかを良く知っていたのだ。
当然ながら【盗賊ギルド】のほうも応戦し、泥街の一画は戦争状態となった。
星持ち、しかも高ランクの冒険者たちが、地上を舞台に派手にぶつかり合ったのだ。
カイルも一応、冒険者クラン【牛の赤ワイン煮】の一員ではあるが、例え意識を失っていなかったとしても、カイルにできることはなにもなかっただろう。
「死人が出なかったのが不思議なほどだったってさ。ここに戻って来たとき、父さんたちは全員どこかしら怪我をしてたし、【盗賊ギルド】も何十人も怪我人を出したらしいわ」
「……いや、うん…………なんて言ったらいいかよくわからないけど、思った以上に大事になったんだな」
フロレッサとエリスという、二人の治癒士がいるこちらはまだいいが、それだけの怪我人を出した【盗賊ギルド】のほうは酷いことになっているだろう。
それとも、都市随一の所属冒険者数を誇る【盗賊ギルド】は、治癒士も抱えているのだろうか?
「最後には、父さんが【盗賊ギルド】のマスターと、一対一でやり合ったって」
「ええっ? フォルドが、【盗賊ギルド】のトップと一騎打ち!? そ、それで、どっちが勝ったんだ?」
「痛み分けって聞いたけど」
「痛み分けかぁ……」
フォルドが化物のように強いのは知っているけど、さすがに【盗賊ギルド】ほどの大クランを率いるマスターだけはある、ということか。
フォルドと互角に戦えるなら、そちらも十分化物だろう。
「でも、一応みんな無事に戻って来たんだよな?」
「ええ、そうよ」
「ってことは、今アスリィがここに来ているのか?」
期待を表情に出して訊いたカイルに、エリスが揶揄うように笑う。
「相変わらず、カイルはアスリィが好きよね。でも残念でした。アスリィとフロレッサはもう、別の依頼があるからって迷宮に入ったの。だからもうここにはいないわ」
「……なんだ」
カイルは残念そうに肩を落とした。
せっかく久し振りにアスリィに会えるかと思ったのに……
「でもさ。こう言っちゃなんだけど、よく帰って来れたよな。そこまで拗れたら、そう簡単には収まらないと思うんだけど」
「冒険者ギルドのギルドマスターが直接仲裁に来たらしいわよ。そして、『これ以上続けるなら、全員ギルドから追放する!』って宣言して、ようやく止まったらしいわ」
冒険者ギルドとしても、所属する有力な冒険者同士が潰し合うなど、とても許容できる事態ではなかったようだ。
戦いを止め、両クランのトップをギルドに呼び出して、ギルドマスター立ち合いの上で調停交渉の場を作った。
そしてこうなった経緯を聴取して、ギルドマスターの権限で裁定を下し、抗争を終わらせたのだ。
「この場で全て終わらせて、絶対に遺恨を残すな。今後この件を蒸し返すことがあれば、厳罰に処す、だってさ」
「まぁ冒険者ギルドとしては、そう言うだろうな。でも、冒険者ギルドの裁量の範囲ってことで収まったんだな。行政府だとか、どっかの騎士団だとかは出て来なかったんだ?」
「そっちはまったく出て来なかったみたいね。多分、貴族様は泥街がどうなろうとどうでもいいんだと思うわ」
「……うん。ま、そりゃそうか」
いくら大騒ぎになったといっても、所詮は街の掃き溜め。泥街の中だけの話だ。
そんなものに、いちいち構ってはいられないということだろう。確かにそれは、いかにも貴族らしい態度だ。
「……じゃあ、ギルドの裁定ってどういう感じになったんだ?」
「それがね……」
そして再びエリスが説明したことによれば。
今回誘拐事件を起こした孤児たちは、【盗賊ギルド】が責任を負って処罰し、二度とこんなことが起こせないようにする、とのこと。
これももし約束が違えられたら、冒険者ギルドから大きなペナルティが下されると念が押された。
「レーンたちは、……まぁそれでいいとして……」
本当のところカイルは不満だったが、一応ここではそう言った。まだレーンに対する怒りは収まったわけではない。できるなら今でも、脳天に剣を振り下ろしてやりたいのだ。その正直な気持ちを話せばまた、エリスと言い争いになるとわかっているから言わないだけだ。
「サンディとかリサは気の毒だな」
一応協力してくれたのに、とカイルが言うと、エリスも頷いて「わたしもそう思うわ」と同意した。
特にサンディは、カイルにとってもエリスにとっても、危ないところを土の壁で救ってくれた恩人だ。
その彼女が【盗賊ギルド】で酷い目に遭ってるとしたら、そのままにしておくわけにはいかない。
「でも大丈夫だったみたいよ。リサとかサンディたちは、一緒に連れて行かれたけど、レーンたちと同じ扱いってわけじゃないらしいわ。多分、もう解放されてあの『教会』に戻っているんじゃないかしら?」
「なんだ。てっきりレーンたちと同じ目に遭っているのかと思った」
無事ならもちろん、そのほうがいいのだが、カイルは心配した分拍子抜けしたような気分になる。
「ってことは結局、処罰されることになったのは『かっぱらい派』とかいう、あのレーンってやつの仲間の孤児だけ?」
「そうなるのかしら? どういう処罰なのかはわたしも知らないけど、とにかく【盗賊ギルド】が責任を持って二度と悪さができないようにした、ってことらしいわよ」
「ふうん……」
はっきりしない説明ではあったが、それでも【盗賊ギルド】がやりそうなことといえば、ある程度想像はできる。
殺してしまえば一番楽だろうが、彼らは恐らくそうはしない。こんな場合でも、【盗賊ギルド】ならばまず、孤児たちを金に換えることを考えるはずだ。
一番ありそうなのは、誰かに孤児たちを奴隷として売り払うとか、そういう類の始末の仕方だ。
非道ではあるが無駄のないやり方ではあるし、孤児たちにとっても、殺されるよりはマシかもしれない。
「冒険者ギルドはそのことでなにも言わなかったのか?」
「……うーん、冒険者ギルドは、いちいち処罰の中身に口を出す気もなかったみたいよ。【盗賊ギルド】の処置をそのまま追認、みたいな感じ?」
「みんな適当過ぎるだろ……」
誰も彼も、孤児のことなんかたいして興味もないのだろう。
カイルにしたところで、孤児たちに同情する気持ちなど欠片もない。だがそれでも、なんとなく世の中の不条理を感じる話ではある。
微妙な気分になって黙ってしまったカイルだったが、エリスの視線が自分に注がれているのに気づいて顔を上げた。
「ねぇ、カイル?」
「うん?」
「…………」
自分から声をかけておいて黙り込むエリスを、カイルが訝しむ。
「なんだよ、なにか言いたいことがあるんだろ?」
「……うん。あのさ……カイル、レーンのこと…………そのぅ……」
言い難そうにしているエリスの様子から、なんとなく彼女が言いたいことが、わかった。
「……僕が、レーンのやつを殺そうとしたこと?」
「う、うん。そう、それ。……でさ、カイルってさ、もしかして人を殺したことがあったりする?」
「……」
――なるほど。
カイルは、得心した。あのときのカイルの言動から、エリスはカイルにそういう経験があると思ったようだ。
しかしそれは、エリスの勘違いだ。
「残念でした。外れだよ。僕も、人を殺したことはないよ。一度もね」
「そ、そう。それなら良かったわ」
エリスは明らかにホッとした様子だった。
「そうよね! 別にわたしだって、本気でカイルが人を殺したことがあるなんて思ってなかったわ! ただ、カイルも路地裏生活をしていた時期があったって聞いたし、やむにやまれず、みたいなことがあったのかもって、ほんの少し思っただけなんだから!」
「ああ。うん、まぁあのころは確かに色々あったけどね。運良く、人殺しをするまでのことはなかったよ」
「そう。……うん、ならいいんだけど」
「なんだ、心配してくれたのか?」
「……なによ、心配しちゃいけないの?」
気を悪くしたらしく、カイルのことをエリスがジロリと睨む。
カイルは慌てて頭を振った。どうも今日のエリスは感情の起伏が激しい。そのせいで、話し相手のカイルまで振り回されそうになる。
「まさか! 嬉しいよ。心配してくれてさ」
「……ふうん。ま、いいわ」
機嫌を直したエリスに、カイルも胸をなでおろした。
「でも、それならどうしてあのときはあんなにあっさり、人を殺そうなんて……」
「……」
正直、カイルはこれ以上エリスとこの件について話すのは気が進まなかった。どうせカイルの気持ちをわかっては貰えないのだろうし、……いや、違うな。
(僕は多分、エリスに理解して欲しいわけじゃないんだろう……)
人を殺さざるを得なくなる状況、そんなものを、エリスは知らなくていい。
それが多分、カイルの偽りのない本心だ。
だがそれでも、ひとつだけエリスに言っておきたいことはあった。
「殊更に、僕がレーンを殺そうとしたんじゃない。あのレーンってやつが最初に、僕を殺そうとしたんだ」
「なによそれ。カイルだって殺そうとしたんだから同じじゃない」
エリスはそう言って頬を膨らませたが、カイルは「違う」と首を横に振る。
「順番が違うだろ? あっちが先だ」
「そんなに順番が大事なの?」
「もちろんだよ。当然だろ? 順番が大事なんだ」
カイルはそう主張するが、エリスは納得できないようだ。
「いいか? だって僕は、あいつが僕を殺そうとしたせいで、自分が死にかけただけじゃなく、やりたくもない人殺しをしなくちゃならなくなったんだ」
二重の意味で被害を受けたのはこっちのほうだ。そうカイルは言い張る。
「……その考え方、なにかおかしくない?」
「僕はなにもおかしくないと思うけど」
「なにもカイルがレーンを殺さなくても、いいはずだわ。現にこうして、レーンは【盗賊ギルド】から罰を受けることになったじゃない。それで良かったと、わたしは思うもの」
「……いつもそんなふうに上手くいくとは限らないし、第一今回だって、【盗賊ギルド】がちゃんとレーンに相応しい罰を与えているかどうか、怪しいと思うよ」
「まぁ、……それはそうだけど」
エリスは口籠るが、表情は不満げで、やはり納得していないのは明白だった。
そして、カイルは別にエリスを説得したいわけでもないのだ。
ただ、カイルの意見に納得しなくても、カイルがどう思っているかだけわかってくれれば、それで十分だった。
だから、「もういいよ。その話は」と言って、強引に話を終わらせた。
「それで、話を戻すけどさ、やっぱり処罰されたのは孤児だけなんだ? 【盗賊ギルド】の監督責任的なものは誰も気にしなかったのか?」
「そこなんだよね……」
当然ながらそれだけではフォルドは収まらなかった。【盗賊ギルド】の責任も問えと冒険者ギルドに対して主張したが、冒険者ギルド的には【盗賊ギルド】も【牛の赤ワイン煮】も、どっちもどっちだったようだ。
「え、なんでだよ。どう考えても悪いのは泥街の孤児だったろ? こっちはただの被害者じゃないか」
「それはそうなんだけどね。でも、それはあくまで孤児のしたことで、その責任の全てを【盗賊ギルド】に負わせるのは無理があるってことらしいわ」
一応【盗賊ギルド】の影響下にあったといっても、正式に【盗賊ギルド】のメンバーだったわけでもない。
多少孤児たちの面倒は見ていたが、そこまで関係は深くもなかった。
それなのに、問答無用で【盗賊ギルド】に殴り込んだフォルドはやり過ぎだと、冒険者ギルドからは言われたようだ。
一応は【盗賊ギルド】はエリスたちを帰し、孤児たちを回収してこの件の収拾に動いたのだから、それを考慮すべきだったというのがギルドの意見だったらしい。
「……僕に言わせれば、【盗賊ギルド】は事態が収まった直後に見計らったように現れて、自分たちに都合良く決着させたようにしか思えないんだけど」
しかもウェッジとかいう、【盗賊ギルド】の男に殴られて意識を失うことになったのだ。カイルは不満を隠さない。
「父さんの主張もそんな感じだったみたいね。『泥街の孤児は【盗賊ギルド】の手下みたいなもんだろうが。手下のしでかしたことは、上の責任だ』って言ったらしいわ」
「その通りじゃないか」
「でもそう主張したせいで、少し困ったことになったのよ」
「……どうしてだよ?」
意味がわからない。カイルは首を捻る。
「【盗賊ギルド】が言うには、『全ての孤児の面倒を見る責任なんか、俺たちにはない』って」
そもそも今の迷宮都市で、孤児たちがここまで増えたのは去年の魔物の氾濫のせいだ。
それが起こった責任があるとするなら、それは迷宮を管理する人間であり、その代表は王家だ。
それなのに、自然と孤児たちが集まって来る泥街を縄張りにしているからといって、全ての責任を負わされる覚えはない。
それが【盗賊ギルド】の主張だった。
要は、孤児たちに対する責任を誰が負うべきかが、議論の中心になったわけだ。
そして冒険者ギルドの裁定はというと……
「現実として、今は【盗賊ギルド】の下にいる孤児たちが元凶になったのだから、この件について【盗賊ギルド】には責任がある。だから、今回の抗争による損害は、【盗賊ギルド】が負うべきだと決まったわ」
「なんだ。別におかしい結論じゃないじゃないか」
安心したカイルは笑みを浮かべるが、エリスは「まだ続きがあるの」と言う。
「……なんだよ、続きってさ」
「要はね、父さんが孤児のしでかしたことの責任は、面倒を見ていた【盗賊ギルド】にあると主張したでしょ?」
「うん」
「そのこと自体は一応認められたんだけど、冒険者ギルドが言うには、今まではともかく、今後もずっと【盗賊ギルド】だけに孤児の面倒を見る責任を負わせるのは公平じゃない、って」
まぁそれは、理屈としてはわからないこともないと、カイルは思う。
「でも、だからってどうしろってんだ? どうしたって公平になんて、ならないだろ? 孤児たちは泥街を塒にしているんだし、その泥街は【盗賊ギルド】の縄張りなんだからさ」
「それがねぇ。冒険者ギルドが言うには、これからは少し孤児の面倒を見る負担を、うちのクランでも分担しろ、ってことになったのよ」
「はあ? なんでそんなことしなくちゃならないんだよ。第一、面倒を見るっていってもどうしろってんだ? このクランハウスに孤児を受け入れろとでもいうのか?」
「そのへんがどうも微妙なのよね……」
と、エリスは言葉を濁す。
「とにかく、これは冒険者ギルドからの、うちのクランへのペナルティなのよ。喧嘩両成敗ってわけじゃないけど、冒険者ギルドからしたら、一方的に【盗賊ギルド】だけが罰を受けるのは不公平ってことらしいわ」
「……【盗賊ギルド】と同列に扱われることが、こっちからしたら不公平だけどな」
「父さんたちが暴れ過ぎなけりゃ、それで通用したんだと思うけどね」
「そのへんはなぁ。かといってなにもしなけりゃ、舐められるだけなんだから、フォルドがやり返しに行ったことは間違いだとは思わないけど」
「でも、【盗賊ギルド】のメンバーの四分の一が怪我をしてしばらく使い物にならなくなったって話だから、やり過ぎと言われればそうかも」
「四分の一……」
「【盗賊ギルド】に所属する冒険者が全部で二〇〇人くらいらしいから、五〇人程度がダウンしちゃったことになるわね」
「……そりゃまた、びっくりだね」
そこまで暴れたのかという驚きと共に、本気になればそこまでできるのか、という驚きも同時にある。
フォルドの実力は知っていたつもりだが、それにしても真っ向から【盗賊ギルド】とやり合えるほどだったとは。
「今回はアスリィとフロレッサもいたしね」
「そうだ。フロレッサはともかく、アスリィはこんな冒険者同士の争いなんか嫌がったんじゃないか?」
「いいえ」
エリスはまったくそんなことはなかったと首を振る。
「むしろ結構楽しそうだったわよ。人間相手は久し振りだー、とか言って」
「え、アスリィってそんな感じだっけ?」
「うん。ヨナが二人いたみたいだったわ。意外かしら?」
「……うーん。いや、意外でもないか。少なくとも戦闘を避けるタイプではないよな」
そうでなければ、こんなに速いスピードで【九星】まで駆け上がれたはずはないのだ。
ただ、相手が魔物ではなく人間でもそんな感じなのかと、そこだけは少しイメージとは違ったが。
「とにかく、なんとか話がついたみたいで良かったよ。あのレーンとかいうやつがどうなったかだけは気になるけどさ」
あとは、孤児の面倒を見るとかいう話があるが、フォルドがどうにかするのだろう、きっと。
カイルはもう全て終わったような気分になったが、エリスはそれは甘いと頭を振った。
「……わたしもよくは知らないけど、カイルにとっては他人事じゃないはずだよ、まだ」
「なにがさ? 僕にできることなんかなにもないよ」
ただの冒険者になりたてのペーペーになにができると、カイルは呑気に笑う。
「本当にそうならいいんだけどね。……カイル、もう動けそうなら下に行きましょうよ。実際に冒険者ギルドのマスターや【盗賊ギルド】と話したのは父さんだから、一番詳しいのは父さんだわ」
「わかった」
少し身体は重かったし、頭の芯に疲れは残っているが、特に動くことに不自由はなさそうだった。
座っていたベッドの上から身体を起こし、立ち上がったカイルを、珍しく神妙な顔で、エリスが見上げている。
「……カイル、まだお礼を言ってなかったわよね。泥街まで助けに来てくれてありがとう。嬉しかったわ」
カイルは少しだけ驚いた顔をしてから、照れたように笑った。
「うん。エリスには普段から怪我を治してもらってるからね。たっぷりある借りを、少しは返せたなら僕も嬉しいよ」
「そうね。まだ全部じゃないけど、でも結構、返して貰ったかな。ふふっ」
エリスはニコリと笑うと、カイルの手を取って引っ張った。
「……うん、じゃあホラ下に行くわよ!」
エリスに促されて一階に下りると、居間にはフォルドとレイク、それにランドがいて、椅子に座っている。
外出でもしているのか、いつものメンバーの内、ヨナだけはここにはいなかった。
「お、カイル。目を覚ましたのか。身体の調子はどうだ?」
「ありがとう、ランド。もう問題ないよ」
「それは良かった。丸一日眠ってたんだから、無理はするなよ」
「わかってる」
居間に入ったカイルは、暖炉の前に敷かれている熊の毛皮の上で胡坐をかく。ここが居間でのカイルの定位置だ。
カイルの隣に、エリスも腰を下ろした。
暖炉を背に座ると、正面にはフォルドが座るソファがくることになる。
フォルドはまったくいつもと変わりのない姿だ。【盗賊ギルド】との抗争で怪我をしたという話だったが、少なくとも今はそんな様子は微塵もない。
それはフォルドだけではなく、ランドやレイクも同じだ。
「怪我はフロレッサに治してもらったの?」
カイルが訊くと、フォルドが「そうだ」と頷いた。
「フロレッサの治癒魔法は相変わらず効果抜群だったな。ランドなんかは結構深い傷を負ったのに、すぐに全快した。カイル、お前だって寝ている間にフロレッサに治癒してもらったんだぞ。エリスの治癒だけじゃ、完全には怪我が治っちゃいなかったからな。今度会ったときにでも礼を言っておけよ」
「そうだったのか……わかった。今度礼を言っておく」
「ああ。エリスの治癒もなかなかだけど、さすがにまだフロレッサのようにはいかないからな」
「わたしが星を手に入れたときには、きっとフロレッサにも負けないわ」
ツンと顎を逸らして、エリスがフォルドを軽く睨んだ。
「まぁそうかもな。……それより、カイル。お前に話しておきたいことがある」
「なんだよ」
「もしかしたら既にエリスから聞いているかもしれんが、街中で戦闘をやらかした罰として、ギルドから押し付けられた面倒ごとについてだ」
「それって、なんか泥街の孤児の面倒を見ろとか、そんな話のことか?」
「そうだ。もしかしたらお前にも関係するかもしれんからな」
「は? なんで僕が?」
【盗賊ギルド】とやり合ったのは自分じゃないと、カイルは主張するが、フォルドは「俺にもよくわからん」と首を捻る。
「カイルの名前を出したのは、俺じゃなくて【盗賊ギルド】の連中でな……」
そしてフォルドは、冒険者ギルド内で行われた会合の様子を教えてくれた。
そこにいたのはフォルドに、冒険者ギルドのギルドマスターであるガルゾ、それに【盗賊ギルド】のマスターと、幹部の女の四人だったらしい――
◇◆◇
冒険者ギルドのギルドマスターであるガルゾは、物分かりの悪いフォルドという名の高ランク冒険者を睨みつけた。苛立ちを隠そうともせずに、テーブルの上にドンと拳を振り下ろす。
「孤児のガキどものやったことだろうが! それをなんでお前は、いきなりクラン総出で【盗賊ギルド】にケンカを吹っ掛けやがった!?」
だがそんなガルゾの怒りにも、フォルドは眉一つ動かさない。
「その実行犯の孤児どもは今、どこにいる? 全員【盗賊ギルド】の連中が回収したってんだろうが。なら俺が向かうのは当然【盗賊ギルド】だ。お前はそれ以外のどこに行けって言うんだ、ガルゾ?」
「場所の問題じゃねぇ! 殴り込んだのが問題だってんだよ!」
「はっ! 丁寧に『こっちに孤児どもを渡して下さい』と頼めば良かったとでも言う気か? この連中に? どうかしてるぜ。耄碌しやがったな、おい、ガルゾ?」
フォルドに指を向けられてこの連中と呼ばれた【盗賊ギルド】の二人は、そんなフォルドの言葉を完全に黙殺した。
「ホラな。自分たちにとって都合が悪けりゃ、誰がなにを言おうと相手にもしない。こいつらに言い分を通そうと思えば、実力行使が手っ取り早いのさ」
「そんな理由でいちいち戦闘になられてたまるか! しかも迷宮じゃねぇんだ。都市の中だぞ!」
――そのときの記憶が蘇ってきて、仏頂面になったフォルドが舌打ちした。
「……そんな感じでな。ずっとガルゾのやつは怒鳴りっぱなし、【盗賊ギルド】の連中は黙りっぱなしで、まったく話し合いにもなりゃしなかったぜ」
「でも最後には、話はまとまったんだろ?」
「まぁ一応な。【盗賊ギルド】のマスターとかいう男は最後までなにも喋らなかったが、俺とガルゾと、ヴァス――ああ、【盗賊ギルド】の幹部の女のことだ――とでなんとか話をまとめた。俺を含めて全員が不満たっぷりだったがな」
その内容は、さっきカイルがエリスに聞いた通りだった。
主犯の孤児たちは、【盗賊ギルド】が責任を持って、二度とこんなことが起こせないようにする。
今回の抗争による街の被害は、【盗賊ギルド】が負担する。
そして、【牛の赤ワイン煮】は、残った泥街の孤児たちの自立を支援する。
「三つ目が問題なわけだ」とフォルドは言い、「自立の支援と言われもな」と、聞いたカイルも首を捻る。
レーンたち『かっぱらい派』の孤児たちは連れて行かれて罰を受けるのだから、残った孤児たちというのは恐らくリサたち『おねだり派』のことなのだろう。
だが彼女たちが自立する手伝いといっても、どうすれば良いのかまったく思いつかない。大体、彼女たちにはなにかできることがあるのだろうか?
「具体的になにをするか、もう決まってるのか?」
「いいや」
カイルの質問に、フォルドは頭を振って答えた。
「ガルゾのやつは具体的にどうこうってんじゃなくて、とにかく俺たちにケンカの罰として、孤児の面倒でも見て少しは苦労してみろって意図だったと思うんだがな」
だが、【盗賊ギルド】の幹部の女が、「そういうことなら良い考えがある」と言い出したらしい。
「わたしたちも、孤児たちには自立して欲しいと思ってるんですよ。これ以上、うちで面倒を見るのも大変なので。その為にどうするか、考えもあります。今回の件は不幸な行き違いがありましたが、【牛の赤ワイン煮】が手伝ってくれるのはありがたいですわ。今はまだ具体的なことは話せませんが、計画が纏まったら、是非協力をお願いします」
ニコリと笑って、その女は言ったのだ。
そして会合が終わり、別れ際にフォルドの耳に囁いた。
「あなたのクランにはカイルって子がいたわよね。よろしく伝えておいて貰えるかしら?」
それを聞いたカイルは苦い薬でも飲んだような渋面になる。
「なんでそこで僕の名前が出るんだよ。気持ち悪い」
【盗賊ギルド】の幹部なんかに、名前を知られているというだけでも十分、嫌な気分になる。
「わからん。わからんが、多分お前になにかやらせたいんだろう。その『孤児を自立させるための案とやら』に関係することでな」
「僕になにができるってんだよ。ただの【星無し】なのに」
だがその当然の疑問に、答えられる人間はここには一人もいなかった。
レイクがヒョイと軽く肩を竦めて、言う。
「ま、わからんものはわからないんだ。今から悩んでも仕方ないだろ」
「レイクの言う通りだが、しかし覚悟だけはしておいたほうがいいだろうな。ああいうやつらは、なにがきっかけだろうと、縁ができたというだけで十分に厄介なんだ。お前もこれから嫌になるほど思い知るだろうぜ」
不吉な予言のようなフォルドの物言いに、カイルは深いため息をつくしかなかった。




