26. 泥街小戦争③
カイルを守る砂壁に攻撃を跳ね返されたレーンは、すぐにサンディに怒りを向けた。
彼女がこの魔法を使って身を守ることは、同じ『教会』を塒にする孤児なら誰でも知っている。
「てめぇら、どうしても俺の邪魔がしてぇようだな、このクソどもがぁっ」
「ひっ」
仕留める寸前の獲物を目の前で掻っ拐われたのだ。レーンは激怒していた。
怯えたサンディがリサの後ろに隠れる。
盾にされたリサは当然ながら嬉しくはなかったが、サンディを見捨てて逃げ出すようなこともなかった。
「エリスにシア、あなたたちは下がってて。サンディ、二人を守るのよ?」
「……わかった」
頷くサンディたちが後ろに下がるのを見て、リサは三人を庇うようにレーンの前に立つ。
あのカイルという少年が倒れた以上、次はリサが身体を張らざるを得ない。
せめて気持ちだけは負けまいと、精一杯レーンを強く睨んで立ち塞がるが、やはり気合だけではどうにもできないこともある。
「ああっ!」
平手打ち一発だけで、簡単にリサは倒れ伏した。
「はっ、女だからって俺が手加減するなんて思うなよ?」
倒れたリサの頬を踏みつける。怒りのままにさらに体重をかけると、ゴキッとリサの顎が音を立てた。
それと同時に、必死に手足をバタつかせて暴れていたリサが、パタリと動きを止める。
「お、おい、レーン! まさか殺したんじゃ……?」
仲間の少年に、蒼ざめた顔で言われて、レーンは眉をひそめる。
レーンとしても、殺すほど力を入れたつもりはなかった。まさかとは思ったが、リサの顔から足をどけて、確かめるように爪先でリサの身体を軽く蹴飛ばす。
その瞬間、突然身体を起こしたリサが、全力でレーンの脚にしがみついて歯を立てた。
「っ!!」
さすがに意表を突かれて声にならない呻き声をあげたレーンが、思いきり足を振り回してリサを振り払う。
ゴロゴロと転がっていったリサが、泥まみれになりながらも顔を上げる。鼻からは赤い血が顎をつたって落ちていた。
ふーっ、ふーっ、と、手負いの獣のように荒い息を吐きながらもなおレーンを睨むリサを見て、レーンは不思議と愉快な気分になった。
「クックックッ……」
喉の奥から笑いがこみ上げてきた。
ああ、悪くない。レーンはそう思う。
泥まみれのリサは、それでも生命力に溢れていて、今までで一番魅力的に見えた。
身勝手にも、もっと早くそういう姿を見せてくれてりゃ良かったのにと、残念に思えたほどだ。
「どうやら遠慮は要らなそうだなぁ、おい」
ゆっくりとリサに向けて歩を進める。
その間にサンディが、エリスとシアの二人を促して『教会』の建物のほうへと逃げて行く。
「ち、畜生!」
「よくもリサをっ」
ようやく二階から下りてきたリサの仲間たちが何人か、無謀にもレーンに向かってきた。だが、レーン自身が対処するまでもなく、まだ数人残っているレーンの仲間たちが間に入って容易く殴り飛ばした。
基本的に、レーンの仲間には十代半ばほどの少年が多くて、リサの仲間にはそれよりも年少の者、それもどちらかといえば少女が多い。
戦力でいえば比べ物にならない。
「腕力でお前らが俺たちに敵うわけねぇだろうが!」
「ふん、乞食としての戦力ならたいしたものなんだろうがなぁ」
レーンの仲間たちは、リサたちを今までの鬱憤を晴らすかのように痛めつける。
レーンとその仲間くらいの歳の少年たちになると、リサたちの真似をして食糧をねだってみても、上手くはいかない。
男なら自分でなんとかしろと、冷たくあしらわれるか、鼻で笑われるかのどちらかだ。
それもあってレーンたちには、盗む以外に食糧を得る手段がなかったのだ。
なのにリサたちからは盗人扱いされるのだから、レーンたちがリサたちに反感を持つのは自然なことかもしれない。
その溜まりに溜まった鬱憤が、今噴き出していた。
レーンの仲間たちが、リサたちに襲い掛かった。
殴り倒し、踏みつけ、髪を掴んで引きずり回した。
涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった少女たちを見下ろして、高笑いをする。
ふだん蔑まれる立場の彼らにとって、自分たちよりも下の立場の者を虐げるのは得も言われぬ快感だったのだ。
レーンが、隠れているサンディとエリスたちを捜すように命じるが、その声すら聞こえないほど少年たちは暴力という名の美酒に酔っていた。
レーンは苦笑して、仕方なく自分で捜しに行くかと足を『教会』の建物に向ける。
たがが外れたように暴れまわる狂騒の中で、「バンッ」と何かが破裂したような大きな音が響く。
思わず首をすくめる孤児たちが周りを見回すと、『教会』のドアに、一本の短剣が突き刺さっていた。
「な、なんだ!?」
酔いから醒めたように、少年たちはその短剣を呆然と見つめる。
レーンが近づいてその短剣を引き抜こうとするが、柄の半ばまで木製のドアに埋め込まれていて、簡単には引き抜けない。
投擲によってこれを成したのならば、恐るべき膂力だ。
「どこのどいつの仕業だ?」
レーンもなにか薄ら寒いものを感じて、キョロキョロと四方に視線を向ける。
やがてレーンが視線を止めたのは、『教会』の正面。そこには、鬼の形相でこちらに向かって駆けてくる一人の獣人の姿がある。
「サラ!」
リサの仲間たちが口々にその名を叫んだ。
「お前ら! なにしてやがるっ!!」
サラと呼ばれた獣人にとって、状況は一目瞭然だっただろう。
自分の仲間たちが、レーンたちに殴られ、踏みつけにされて倒れ伏しているのだから。
「こっのおお!」
低い姿勢で駆け寄ると、そのままの勢いで『かっぱらい派』の少年に膝蹴りを放つ。
「ぶぇぇっ!」
蛙の鳴き声のような悲鳴をあげて少年が吹き飛んだ。
さらに続けて何人ものレーンの仲間の少年が、ある者は裏拳を受けてきりもみ状態で弾け飛び、ある者は顎を下から拳で打ち抜かれて、真上に伸びあがってから崩れ落ちる。
もしカイルが見ていたのなら、その強さに目を見張っただろう。
なにも武器を持たずに、体術のみで孤児の少年たちを圧倒していた。
レーンの仲間たちをあらかた片付けると、サラは躊躇なくレーンにも襲い掛かる。
サラが上段に放った回し蹴りを、レーンは左腕で受け止めた。
「よお、遅かったなぁ、黒猫野郎ぉ!」
「お前の仕業か、レーン! この卑怯者がっ。いつかこんなことをしでかすんじゃないかと思ってたけど、よくもアタシが迷宮に行っている間にみんなをやりやがったな!」
「はっ、己惚れるんじゃねぇ! お前なんぞ、居ようが居まいが関係ねぇ! 【星無し】の分際でのぼせあがるなっ」
【星無し】と【一星】。獣人とヒューディマ。違いはあれど、ともに孤児冒険者、あるいは【穴掘り】と呼ばれる二人は、瞳に敵意を滾らせてぶつかり合った。
サラの拳や脚を、レーンは受け止めつつ長剣を振るう。それをサラのほうは至近距離で紙一重で躱し、躱す動きを次の攻撃につなげる。
レーンは剣の間合いで戦うため、サラを引き離そうと小刻みに長剣を振るい、サラはそれを掻い潜って素手の間合いに入り込もうとする。
レーンの長剣がサラの黒髪を数本切り裂き、サラの拳がレーンの肩に受け止められる。
なかなか決着がつかないまま、二人の戦闘は激しさを増していった。
その様子を『教会』の窓から覗き見ていたエリスは、今がチャンスだと判断した。
「ねぇ、サンディ。今のうちにわたしがカイルのところに行くから、わたしが着いたらあの魔法を解いてくれる?」
「いいけど、……行ってどうするの?」
エリスがカイルの元に行ったところでどうすることもできないだろうと、サンディは思う。
「わたし、精霊にお願いして、傷の治療ができるのよ」
「ええっ?」
さすがにそれにはサンディも驚いた。まさか目の前の少女が、滅多にいない治癒士の能力を持っているとは。
だがこんなときに嘘を吐くはずもない。
「……わかった。でも大丈夫?」
心配そうにサンディが訊く。
エリスに行かせるのは不安だが、確かにこのまま重症のカイルを放っておくのもまずい気がする。
早く治療しなければ、最悪手遅れになることだって考えられた。
「大丈夫よ。上手くやるから」
本人も自信があるわけではなかったが、それでも迷いなくエリスは断言した。
「エ、エリス。わたしはどうしたらいい?」
「シアはここにいて」
「……うん、わかった。待ってるから、怪我しないでね」
泣きそうなシアを一度抱きしめてその背中を宥めるようにポンポンと叩くと、エリスはひとつ頷いてから走り出す。
できるだけ身体を低くして、雑草の間に身を隠しながら中腰で駆ける。
すぐに、カイルを包む小さな砂のドームのもとにたどり着いた。
振り返って、サンディに合図を送る。
サンディは頷くと、なにかを小声で呟いた。
すると、カイルを包んでいた砂の壁が強度を失って崩れ去った。
中から、カイルの金茶色の髪が見えた。
「カイル、大丈夫!?」
エリスは崩れる砂に飛び込むようにしてカイルに抱き着いた。
◇◆◇
カイルには長く感じられたが、実際はほんの数分だっただろう。
突然カイルを包んだ砂壁は、やはり突然崩れ落ちた。
砂まみれになって咳き込むカイルのもとに、エリスが駆け込んできた。
「エ、エリス?」
「カイル、大丈夫!? 死んでない? 今治すわ! ――――お願い!」
エリスの腕で支えられて、カイルは力を抜いた。
ジッと動かずにいると、徐々に胸の傷が熱を持ち、代わりに痛みが引いていく。
「……助かった、エリス。ありがとう」
少しすると、カイルは笑って見せる余裕ができた。
これでエリスに傷を癒してもらうのは何度目だろうか?
まったく、エリスには感謝をしてもしきれない。
サンディもそうだが、今回はエリスにも命の借りができてしまった。返すのはきっと簡単ではないだろうが、それも生きていてこそだ。
そして相変わらず、魔法というのは反則なまでに効果的だ。
ついさっきまで死にかけていたのに、もう動くことができそうだった。
これでもまだ、治癒能力としてはスキル化すらしていない未熟な物だというのだから、エリスが冒険者になり、星を手に入れたときにはどれほどの能力になるのか、空恐ろしいほどだ。
しかし、傷が塞がっても失った血までは戻らない。
まだ足元が多少ふらついたが、カイルはなんとか立ち上がる。
そこでようやく周囲を見る余裕ができた。すると、少し離れた場所でレーンと、一人の獣人が戦っているのが視界に入る。
「誰だ? あの獣人は……」
さっきまではいなかったはずだ。レーンと戦っているところをみると、敵ではないのだろうが……
黒い、獣人だった。髪も、着ている服も黒だ。黒い髪の上には、やはり黒の、ピンと立った三角の耳が乗っている。
顔も体型も中性的で、一見しただけでは少年なのか少女なのかよくわからない。
そしてもっとも印象的なのが瞳だ。色が違うのだ。片方の瞳は淡い水色で、もう片方は飴色。猫のそれに似た、色の異なる両目が、戦意に燃えて輝いている。
「どうなってるんだ?」
レーンの仲間の少年たちは、ほとんどが呻き声をあげながら地面に倒れているし、『おねだり派』の孤児たちも、みんな怪我をしてへたり込んでいるようだ。
そんな死屍累々の有様の孤児たちの中で、二人だけが戦っている。
カイルが土の壁に閉じ込められているうちに、状況が変わりすぎて混乱する。
「あの獣人の子は、リサやサンディたちの仲間らしいわ」
エリスが教えてくれた。
「さっき砂の壁でカイルを守ってくれたのがサンディなんだけど、あのレーンってやつがそれに怒ってリサたちに攻撃を仕掛けたの。そこにあの獣人の子が迷宮から戻って来て、レーンを止めてくれた。そんな感じ?」
「迷宮から? ってことはあっちの獣人も冒険者なのか?」
「多分? わたしも詳しくは知らないわ」
首を傾げるエリスに代わって説明を引き継いだのは、いつの間にか近寄って来ていたリサだ。
見ると、リサもボロボロになってしまっている。顔には鼻血の跡が残っているし、痛そうに脇腹を押さえている。泥で汚れているのは元々そうだが、さらに酷くなっている。
どうやら、カイルがダウンしている間に、カイルとの約束を守ってレーン相手に奮闘してくれたようだ。
「そうよ。あの子の名前はサラ。わたしたちの仲間の冒険者で、まだ星はないけど、それでも獣人なだけあって強いわよ」
「……そういや、サンディも獣人の冒険者を紹介するって言ってたな。それがあいつか」
確かに、そのサラという冒険者は強かった。
【星無し】ということはカイルと同じはずだが、【一星】のレーンとほとんど互角に戦っている。
しかも、得物をなにも使わずに、自分の身体だけを武器として格闘戦を挑んでいるのだ。
どちらかといえば、それでもレーンのほうが僅かに優勢なのだが、至近距離にまとわりつくサラを少し持て余し気味にも見える。
正直に言って、カイルはレーンだけではなく、サラにも勝てる気がしない。こちらも孤児冒険者のはずだが、どう見てもカイルよりも格上の戦闘力だ。
サラは後ろ脚に重心をかけた、引いた姿勢でレーンの攻撃を捌く。そして隙を突いて接近し、レーンの頭や肩を上から手で押さえ、相手の態勢を崩そうとしている。
決してサラは、遮二無二前に出たりはしない。大抵の場合、むしろレーンの攻撃を待つ姿勢でいる。
だが、前に出るタイミングがものすごく良かった。
レーンが前に出て攻撃するタイミングにピッタリ合わせて、サラも前に出るのだ。そして一気にレーンの懐に入り、そこで左腕を出す。
サラは左の拳を握らない。手の平や指を使ってレーンの身体にそっと触れるのだ。
レーンが剣を振る腕の、肘のあたりに触れて、剣の軌道を逸らす。肩や、頭に触れて、重心をずらす。
そうやって巧みにレーンの攻撃を逸らせるのだ。
ときにはレーンの頭を上から押さえこむようにして態勢を崩し、がら空きになった項のあたりに、右の肘を撃ち落とそうともする。
レーンのほうが身体能力で優る分、それほどサラの思惑通りに進んでいるわけではない。
だが明らかに、戦闘技術でいうならばレーンよりもサラが上だった。
状況を見て取ると、カイルは少し離れた地面に落ちている木剣を拾おうとして、止めた。
代わりに、腰の小剣を抜く。
軽く振ってみる。少し身体が重く感じたが、そのくらいは仕方がないだろう。
なんとかやれそうだと、カイルは頷く。
さっきはあのレーンという少年に、カイルは殺されかけたのだ。倒れたカイルに向かって短剣を振り下ろすレーンには間違えようのない殺気があった。
自分を殺そうとした相手を、許す気はカイルにはない。
借りは返さなければならない。自分を殺そうとした相手を生かしておくわけにはいかないのだ。
「カイル、まさか、まだ戦う気? 治したといっても、ついさっきまで死にかけていたのよ?」
エリスは心配そうに言う。しかし放っておけばあのサラという獣人が勝つのなら良いのだが、恐らく勝つのはレーンのほうだろう。
そうなれば、カイルもエリスもきっとまたまずいことになる。
どうしても戦闘を避けるのなら、逃げるしかない。今すぐエリスと二人、回れ右して一目散に逃げれば、もしかしたら逃げ切れるかもしれない。
だがエリスは、友人であるシアを残して逃げようとはしないだろう。
そしてなにより、カイル自身がレーンをこのままにしておきたくはないのだ。
「今なら多分なんとかなる。二人がかりなら、【一星】相手でもやりようはあるよ」
カイルの言い分に納得したわけでもないだろうが、エリスは引き留めるのを諦めた。
多分、どうあってもカイルはやる気なのだと理解したのだろう。
「カイル、……その、気をつけてよ」
なんと声をかけるか戸惑ったようなエリスに、カイルは小さく頷いて答えると、激しく戦っているレーンとサラの元に走る。
そのカイルの進路を塞ごうと、僅かに残ったレーンの仲間の孤児の少年が駆けてくる。
「邪魔するな!」
「それはこっちの台詞だ!」
顔をしかめるカイルだったが、彼らが「ではどうぞ」と道を空けてくれるはずもない。
仕方なくまずはその二人を相手しよと身構えたカイルだったが、そのカイルと孤児たちの間に、砂の壁がせり上がる。
横目で見ると、サンディが座り込んだまま、両方の手の平をこちらに向けている。どうやらサンディが三度魔法を使ったようだ。
分断された孤児たちには、サンディとリサの仲間たちが、投石で足止めを始める。
そしてリサがカイルのほうに、早くレーンとサラのほうに行けと投石の合間に身振りで必死に呼びかけた。
カイルは軽く手を振って答えると、サラとレーンを前後から挟む位置に向かう。
「なんだぁ? お前、なんでそんな平気そうに動いてんだ? さっきバッサリ斬ってやったはずだろうが!」
不審そうに眉をひそめてレーンがカイルに抗議するが、カイルにそんなものを聞いてやる義理はどこにもなかった。
「お前が勝手にそう思っただけだろ! あんなのただの掠り傷だ。もっと剣の腕を磨いたほうがいいんじゃないか!?」
「……チッ、調子に乗っていられるのは今の内だ。すぐにまた半死人に戻してやるよ!」
カイルに嘲弄されてレーンが歯噛みする。
カイルは獣人の冒険者との間に必ずレーンを挟むように動いた。
挟撃になれば、例え【一星】の冒険者相手でも勝機はあると考えたからだ。
そのカイルの動きに、なにも言わなくともサラのほうも合わせてくれているようだ。
カイルが振るう小剣をレーンは長剣で打ち払う。同時に、サラの蹴りをジャンプして躱した。
サラ一人でも手こずっていたレーンは、さすがに挟み撃ちにされるのはまずいと思ったのだろう。
「おいおい、二体一とは卑怯なんじゃねぇか!?」
「うるさいっ。女を拐うようなやつに卑怯なんて言われる筋合いはないんだ!」
「……」
レーンの戯言をカイルが切り捨てる。
サラという名前の獣人は、よく事情がわかってないのか、怪訝な顔をしているだけで、カイルとレーンの言い合いに口を挟もうとはしない。
レーンはサラと正面からやり合いながら、後ろに回り込もうとするカイルを牽制しなければならなかった。
サラ一人を相手にするのも、容易くはなかったところに、嫌がらせのようにカイルが邪魔をしてくる。
ならばとカイルを先に片付けようとすると、今度はサラがそうはさせまいと至近距離に入り込もうとしてくるのだ。
あまりの鬱陶しさに、レーンは苛立って歯ぎしりする。
「はっ、じゃあどうすればいい!? お前の仲間のガキどもはなぁ、偉そうに、俺たちに、盗みは止めろなんて言いに来たんだぜ! 甘ちゃんが、勝手なことを言いやがる」
一度喋り始めるとレーンは止まらなかった。長剣を振るいながらも、溜まった鬱憤を晴らすように話し続ける。
「ハッ、確かに盗みは悪いことだよなぁ! だがな、俺たちは盗まなきゃ餓死するだけだ。そんな相手に盗みを止めろなんて言ってどうする? それは死ねと言うのと変わらねぇ。そんなことすら理解してねぇ! そんなお坊ちゃまの言うことを聞くバカがどこにいる!」
「アホかよ。それとエリスを拐うのとは関係ないだろうが!」
だがレーンは、「クッ」と喉を鳴らすように嗤った。
「関係はあるぜ。俺たちに死ねと言ってくるようなバカ、どうしようとこっちの自由だろう? 他人にそこまで言うのなら、それなりの覚悟は持ってないとおかしいだろうが!?」
カイルは眉をひそめた。レーンの言い草はまったく理屈に合わない。わかって言っているのか、それとも自分では正しいと思っているのだろうか。
カイルだって殴られたら殴り返すし、罵られれば罵り返す。だが、「死ね」と言われたからといって、誘拐しても構わないとは思わない。
レーンの言うことは、自分には甘くて他人に対しては厳しい、我儘な子供の理屈だ。少なくともカイルにはそうとしか思えなかった。
「……結局お前も甘ちゃんじゃないか! 人のことは言えないだろうが。自分が辛い立場だから、そうしないと餓死するんだから、盗むくらいは許されると言ってるんだろう? そんな自分に嫌なことを言ってくるやつは、拐ったって構わないはずだと思ってるんだろう? とんだ甘えん坊だな! 反吐が出るぜ!」
カイルとレーンは互いに罵り合いながら、戦い続ける。
二対一の状況になって戦況は一気にカイルとサラに傾いた。
基本的にサラが正面からレーンと格闘戦を行い、カイルがレーンの隙を突いて後ろや横からレーンの身体を小剣で斬りつける。
「ぐぅっ、クソッてめぇら調子に乗りやがって!」
レーンが血走った目で二人を睨むが、それは即ち、自分の不利を認めたようなものだった。
次第にレーンの身体には痣や傷が増えていく。
戦意は衰えなくとも、傷が増えれば動きも鈍る。動きが鈍ればさらに傷が増えていく。
「おい、サラ! お前はなんだってこいつに味方する!? こいつらは遊び半分に俺たちを追いかけまわしたやつらだぞ! お前だって孤児だ。こっち側のはずだろうが!」
「……そんなのは知らないし、そいつに味方なんかしてないっ! ただ仲間を殴っていたお前らが許せないだけだっ」
レーンは舌打ちした。まったくこいつは融通がきかねぇ。
「サラ、そのバカの言うことなんか聞かなくていいわ! 今回ばかりは完全に愛想が尽きた。叩きのめしてやりなさい!」
リサが大声でサラに呼びかける。
「おう、わかった! 任せとけ!」
サラがニヤリと笑って頷いた。
ゆらりと身体を傾けると、右の膝が跳ね上がった。
慌ててレーンはそれを避けるが、待ち構えていたカイルの小剣に上腕部を削られる。
傷は増える一方だったが、レーンはさすがに【一星】だけあって、容易い相手ではなかった。
決定的な傷だけは防ぎながら、二対一の状況でもギリギリ均衡を保っていた。
「こっのぉ! いい、加減にぃっ」
全力で小剣を振るいながら、カイルが叫んだ。
「うるさいんだよ、この雑魚がぁ!」
レーンにしてみれば、手強いのはサラのほうだ。
カイルなどは後ろでチョロチョロしてるのが邪魔なだけで、一対一ならどうとでもなる相手なのだ。
さっきはカイル相手に奥の手を使ったが、あれは自分のスキルを試してみたかっただけだ。そうしなければ勝てなかったわけではない。
焦れたレーンが無造作に投げつけたナイフを、カイルはギリギリで躱した。
掠めた頬から、血が飛び散る。
だが、まるで何事もなかったように、カイルはレーンに向かって来る。
顔面に向かって刃物が飛んで来たら、多少は怯むものだが、カイルにはまったくそんな様子がない。
その辺は雑魚とはいえ、やはり冒険者だ。日常的に命の奪い合いをやっているだけあって、肝が据わっているようだ。
「ああ、そうだ。お前みたいな雑魚でも、少しは役に立つだろう。お前がこっちについて、このクソ獣人を殺す手伝いをするなら、今までのことは水に流して、俺の下僕にしてやってもいいぜ?」
「お、お前、正気か? 本気でそんなこと……!」
カイルはこみ上げる怒りを抑えきれない。
人をバカにするにもほどがある!
「人を、殺そうとしておいてっ!」
「チィッ」
カイルが怒りに任せて振り下ろした剣を横っ飛びに躱しながら、音高く舌を鳴らした。
今がチャンスと見たサラが素早くレーンの懐に入り込み、右手を閃かせると、無手だったはずなのにどういうわけか、レーンの顔が切り裂かれて赤い血が飛び散る。
「油断大敵だな、レーン?」
得意げにサラが口の端を吊り上げる。
「くぅっ!」
傷は深くはなかったが、自分の血で視界が塞がれたレーンがよろめく。
カイルはそのチャンスを逃さずに、レーンの後ろからその背中に小剣で斬りつけた。
「くそっ、くそっ、このくそがっ! どいつもこいつも、小賢しく立ち回るだけのカスどもがぁ!」
呪詛のように繰り返しながら、レーンが長剣を振り回す。
「こんなはずはねぇ! 俺はこんなやつらに好きにされるような人間じゃねぇ。俺はあのスキルを使ってこれから伸し上がるんだよ!」
血走った目でサラとカイルを睨みつける。
ガキを二人ばかり拐ったのは、ただの気紛れだったのだ。あの平和そうなガキどもが気に入らなかったから、金でもむしり取ってやろうとしただけだ。
たったそれだけのことで、こんな目に遭うなんて理不尽が許されていいはずがないのだ。
レーンはこれから、あの【盗賊の宝箱】のスキルを利用して、自分を最大限に高く売りつけるつもりなのだ。
そして騎士団に入り、騎士として迷宮で功績を立て、いずれは上位の貴族となる。そんな洋々たる未来を思い描いていたのだ。
……それが他人から見れば妄想と呼ばれるような現実味のない夢だとしても、レーンは本気だった。それなのに……!
こんなくだらないことで足をすくわれるなど、とても納得できることではない。
無意識のうちに、レーンは逃げ道を探して視線を彷徨わせる。
だが、どうやら仲間は全て制圧されてしまったらしい。遠巻きにレーンたちを囲んでいるのは全てリサの仲間たちばかりだ。
「くそっ、使えねぇやつばかりかよ! どいつもこいつも俺の足を引っ張りやがって!」
視界が全て真っ赤に染まるような怒りで体を震わせる。
「隙あり、だ!」
カイルがレーンの膝の裏を蹴り飛ばした。
立っていられずに膝をついたレーンの顎に、止めとばかりにサラの左拳が打ち込まれた。




