24. 泥街小戦争①
――一年前。
迷宮から魔物が溢れ出した。
理由はわからない。
だが、突然大量発生した魔物たちは、そのとき大穴にいた冒険者をまず飲み込み、そのまま迷宮都市へと雪崩れ込んだのだ。
迷宮で魔物と戦っていた者たちは、突然目の前の魔物たちが脇目もふらずに大穴へと走り出すのを、呆然と眺めることになった。
巨大な縦穴は、すぐに魔物で埋め尽くされ、そこにあった階段も昇降機も、なにもかもが一瞬で完膚なきまでに破壊された。
地下の棲み処から溢れ出した魔物は、我が物顔で地上を侵略する。
三つある防壁の内、第一壁は無力だった。
突然の魔物の来襲に、僅かの時間を稼ぐ役にしか立たなかった。
第二壁と、修道騎士たちをはじめとする防御陣はよく耐えた。だが、半日持ちこたえた上で、敗北した。
そこから蹂躙が始まった。
都市に住む一般市民が魔物の犠牲になった。
多くの住民が魔物の爪に、牙にかけられた。
多くの騎士や冒険者が命を賭して戦い、辛うじて第三壁を守り切ったが、被害は甚大だった。
三つ目の防壁があるのは街の端であり、これは都市の外に魔物を出さないための最後の防壁だ。都市住人を魔物から守る役には立たない。
子供の被害が少なかったのは、真っ先に都市外へと避難させたからだ。
そのこと自体に問題はなかった。むしろ称賛されてしかるべきだろう。
だが、生き残った多くの子供たちは、全てが終わったのち、自分が孤児と呼ばれる身分になったことに気づいて呆然とした。
都市にはいくつかの孤児院があったが、全ての子供を収容できるはずもなかったのだ。
生活に余裕のある市民に対して、養子をとるか、使用人として子供を雇うように奨励された。
成人に近い歳の子供については、職人ギルド、商人ギルド、そしてもちろん冒険者ギルドも、見習いとして受け入れた。
だがそれでもあぶれる者はいた。それも数多く。
孤児の数に対して、受け入れられる人数が少な過ぎたのだ。
それらの、――はっきり言ってしまえば――街に無一文で放り出された子供たちはその後どうなったか?
彼らの運命はいくつかに分かれる。
野良犬のように強かに生き延びた者がいた。
やせ細り、路地裏に蹲ったまま死んでいった者がいた。
違法な奴隷狩りに捕まり、永久奴隷とされた者もいた。
――レーンはその日、盗んだパンを抱えて逃げていた。
「ハッハッ、ハァッ……フッッ」
失敗だった。
荒い息の下で後悔していた。
チョロい店をみつけたと思ったのだ。
店先に品物を並べる店なんか、そう滅多にはない。
このご時世、注文を受けてから店の奥においてあった商品を手渡すのが当たり前。
客の誰でも手の届くところにパンを置いておくなんて、盗んでくださいと言ってるようにしか思えなかった。
実際簡単だった。
店主が視線を他に向けた瞬間にパンを奪って逃げるだけ。楽勝だ。
だがだからといって、三日連続で盗みに入ったのはやりすぎだった。
どれだけチョロい店でも、三日続けて同じガキに商品を盗まれれば対策もしようというものだ。
レーンが後ろを振り返ると、余裕をもって追いかけて来る男が、三人。
この辺りを縄張りにしているチンピラだろう。
あのパン屋から定期的に金を巻き上げて、何か問題が起こったときにこうして対処する。そういうやつらがいるのは知っていた。
畜生。レーンは歯ぎしりする。
自分たちのほうがレーンよりもよっぽどあくどいことをしていながら、レーンのようなコソ泥を追い詰めるとは、たいした偽善者どもだ!
追手は、わざとレーンを走らせているようだ。
捕まえようと思えばいつでも捕まえられるのに、敢えて甚振っているのだろう。
それがわかっていても、レーンにはどうすることもできない。
ただ万に一つ、逃げ切れることを願って走り続けるだけだ。
……だが、やはりそう甘くはなかった。
レーンがほとんど知る人もいないような抜け道を通り、ときには他人の家の敷地に踏み込み、一度など住宅の中を強引に駆け抜けても、男たちはつかず離れず追ってきた。
体力を最後の一滴まで絞りつくして前のめりに倒れたレーンのもとへ、男たちが歩み寄る。
爪先で蹴飛ばしてレーンの体を仰向けにする。
呆れたことに、いまだ手放さずに握り締めていたパンが取り上げられる。
地面に捨てて、踏み躙る。
レーンの瞳に涙が滲んだ。
悔しかった。
「畜生……」
動けないレーンの腹に、胸に、四肢に、男たちの爪先がめり込む。
レーンを殺すような蹴りではない。気を失うこともない。ただ痛めつけることだけが目的の暴力だった。
男たちは、ただただ執拗にレーンを蹴り続けた。
身体をいいように嬲られながら、レーンは思う。
盗むことがそんなに悪いことなのか?
いや、良いことだとは言わない。確かに盗みは悪いことなんだろう。
だが、やらなければ飢えて死ぬだけだ。
実際そうして死んでいく奴らはいくらでもいる。今このときだって迷宮都市中の路地を探せば、飢えて死んだ子供が何人もみつかるだろう。
レーンのような孤児に、「盗むな」と言うことは、実質は「死ね」と言うのと同じなのだ。
そう思うと、レーンに腹の底から怒りが湧いてくる。
「…………れが」
痛む手で目を擦る。涙なんて流してやるものか。
「…………れっが、…………かっ」
四つん這いになって顔を上げる。
こみ上げる怒りを力に変えて身体を動かす。
震える脚に鞭を打つ。
「……だ、れが、死んで……る、もん、か――!」
叫びながら、パンを踏んでいる男の足にタックルする。
当然ながら蹴り飛ばされる。ゴロゴロと転がって壁に背中をぶつけた。
だが、レーンの手には踏み躙られて泥だらけになったパンが握られている。
「へへ、ざまーみろ……」
満足気に笑うと、泥にまみれたパンを頬張る。
ニヤつくレーンを男たちが気味悪そうに眺めるのが、愉快でたまらなかった。
この泥だらけのパンほど美味いものはない、と思った。
口の中がじゃりじゃりしたが、最高だった。
黒い革の靴先が顔にめり込んで気を失う瞬間まで、最高の気分だった。
◇◆◇
エリスとシアの二人の背を押して、カイルは走り出した。
『教会』の敷地はそれほど広くはない。全力で走れば、ほんの僅かの時間で外に出れるはずなのだ。
リサとサンディを後ろに残し、三人は荒れ放題の地面をつんのめるようにして駆けた。
雑草が生い茂る空き地を抜けて、敷地の外に出ればいい。
そう思って姿勢を低くして、隠れて進んでいた三人だったが、茂みが途切れて最後にどうしても隠れる場所のないところに出てしまった。
「いい? こっからは一気に外まで走るよ」
カイルが言うと、二人の少女は不安そうに息を呑んだ。
シアもエリスも、あまり足には自信がないのだ。
みつかってしまえば、走って孤児たちから逃げ切れる気がしない。
「僕が一番後ろにつく。二人はできるだけ急いでくれればいいから」
カイルがそう二人を励ましていると、甲高い口笛の音が響いた。
慌てて顔を上げると、孤児の少年が仲間を呼んでいた。
「おい、こっちだ! いたぞ!!」
「くそっ、みつかった!」
今までどこにいたのか、たちまち三、四人の孤児たちが集まってくる。
もしかしたら、カイルたち三人が隠れて進んでいる間に、『教会』の外に出ていた仲間たちを呼び集めていたのかもしれない。
だとしたら、思ったよりも手際が良い。
孤児たちの手には、それぞれが粗末なナイフを握っている。
(孤児のくせに、人数分きっちり武器をそろえやがって……!)
小さなナイフよりも、本当は手ごろな長さの木の棒でも少年たちが持っていたほうが、カイルとしてはやり難い。
短くて鋭利な刃物であるナイフという武器は、実のところ慣れていない人間にとって扱いやすい武器ではない。
だがそれでも、素手よりはずっと危険度は大きいし、孤児たちにとっても、武器を持っていることからくる安心感は大きいだろう。気が大きくなるというか、度胸がつく。
無手ならすぐに逃げ出すような少年でも、ナイフを持てば敵に立ち向かうことができたりするものだ。
そして今カイルの手にあるのは、腰に差した小剣だけだ。これは魔物を殺すための武器だ。
この武器で戦うなら、手加減するのは難しい。大体、殺さずに相手を無力化する方法なんか、誰からも教わったことがない。
もちろん大事なのは、エリスと自分の安全だ。そのためならば、孤児を殺すのも仕方ないのかもしれない。
だがやはり、できれば人殺しなど、やりたくはない。
せめて手ごろな長さの木の棒でもあればと空き地を見回すが、そんなものが都合よくみつかるはずもない。
カイルは足元の石を拾い、左手の中に握り込んでおいた。
「エリス、後ろだ。先に逃げろ!」
カイルの怒鳴る声に応えて振り返ったエリスだったが、そちらからも孤児たちが数人こちらに向かって来ていた。それを見たエリスは、足を止めざるを得ない。
「ダメ! こっちにも来てる!」
「くそ、これは本格的にまずいな……」
嫌な汗がカイルの背中をつたって落ちる。
シアが真っ青になって震えている。
「カイル、これを使って!」
声が聞こえてきて反射的に差し出した手に、コントロール良く一本の木剣が投げ渡される。
見ると、『教会』の傍でリサが手を振っていた。
「助かる!」
喜んでカイルは、小剣の代わりに木剣を構える。
向かってきた少年が手に持つナイフを弾き飛ばして、額のあたりに木剣を振り下ろす。
「ぎゃっ」
打たれた少年は悲鳴をあげて倒れた。頭を押さえる指の間から赤い血が流れ落ちていた。
反射的に傷を癒そうとエリスが動きかけて、さすがにそんな場合じゃないと思い直す。
「カ、カイルッ。あまりやり過ぎないでよ!?」
「なに呑気なこと言ってるんだ、そんな余裕はないっ!」
エリス相手に怒鳴り返しながらも、カイルは次の少年と渡り合う。
拾っておいた石を全力で投げつけ、怯んだところを今度は少年の脇腹に、強かに木剣を打ち込んだ。
口から涎と悲鳴を共に吐き出しながら、少年が地面に転がる。
「畜生! こいつ、結構やりやがる! 一人でいくな、囲め!」
孤児の少年たちは、少しカイルから距離をとって囲もうとする。
エリスにはあまりやり過ぎるなと言われたが、カイルには世迷言としか思えない。
むしろ、派手に打ち込んで、大袈裟に痛がらせたほうが都合が良い。
そうすれば残りの孤児たちの腰も引けるだろう。とにかく、普通にやれば多勢に無勢なのだ。手段を選ぶ余裕などない。
小剣を使ってバッサリ斬り捨てないだけ有難いと思って欲しいくらいだ。
それに、今この街にいる孤児たちなどは、野生に戻った動物みたいなものだと、カイルは思う。
エサを手に入れるためにはなんだってやるが、それも生きるために必要だからだ。
痛い目に遭って、これは割に合わないと理解できれば、引き下がるはずなのだ。
野生の動物というものは、本能的に危険は避けるものだ。
孤児たちが今回誘拐なんてバカなことをやったのは、単にそれがどれほど危険なのか理解できていないからだろう。
自分と同じくらいの歳の、痩せ細った孤児を殴り倒すのはカイルだって本意ではないが、多分必要なことだった。
第一、彼らが誘拐なんてバカなことをしなければ、カイルもこんなことをしなくて済んだのだ。恨むなら自分を恨めと、カイルは言いたい。
孤児たちは、いくつものナイフに囲まれても怖がる様子もなく、木剣を手に歩み寄って来るカイルに気圧された。
人数では圧倒的に優っているというのに、だ。
その証拠に、数人の孤児が叩きのめされた後は、カイルを囲んだまま近づこうとはして来ない。
それがなぜかと言えば、傷つきたくないからだ。
一斉に飛び掛かかればカイルには勝てるかもしれないが、その内一人か二人はカイルの木剣で殴られる。木剣の殺傷能力は侮れるようなものではない。カイルが本気で殴り、その当たりどころが悪ければ致命傷になり得る。
例えカイルを倒せても、自分が傷つく恐れがあれば躊躇ってしまう。なにも不自然ではない。むしろ当然のことだ。
これが小鬼相手ならばこうはいかない。怪我など恐れず突っ込んでくる。単純な身体能力は彼ら孤児たちのほうが上でも、怖いのは魔物のほうだった。
(やつらは自分が傷つくことなど恐れない。狂ったように突進してくる。アレに比べたらこいつらなんかまったく怖くない。雑魚だ。つまりは小鬼以下だ)
カイルはそう自分を励まして、一人ずつ孤児の少年たちを戦闘不能に追い込んでいく。
思ったよりも戦闘自体は順調だった。一年近く、フォルドに教わりながら訓練してきた成果が出たと言ってもいいかもしれない。
実際には、別にカイルが彼ら孤児たちよりも圧倒的に強いなんてことはない。大勢対一で単純な力比べになればカイルはまず勝てないだろう。
だが、そんなことはたいした問題ではない。冒険者として命を懸けて魔物と戦う経験を持つ者とそうでない者とでは、戦いというものに対するスタンスが違う。
具体的になにが違うのかといえば、容赦のなさだ。迷いのなさといってもいい。
戦いとなれば冒険者は勝つためにはなんだってする。相手が魔物なのだから当然だ。そこには卑怯なんて言葉はない。不意打ちだろうがだまし討ちだろうが立派な戦術だ。
冒険者にとって、戦いに負けるということは死を意味する。死なないために、必死になる。それが冒険者にとっての戦いだ。迷っていられる余裕などない。
今回について言えば、相手は大勢で、明らかにカイルよりも戦力は上だった。
それでも勝たなければならないのだから、石を思いっきり投げつけるのも、最初から急所を狙うのも、カイルにとっては当然のことだ。
むしろ相手の手応えがなさ過ぎて、カイルは驚いた。まるで過剰な暴力を振るってしまったかのように感じて、戸惑ってしまう。
まさか、自分たちからケンカを売っておいて、相手がなにも反撃しないと思っていたのだろうか?
だが、目の前の相手には対処ができても、周囲全てに注意を払うことはまだカイルにはできない。
夢中になって戦っているうちに、いつの間にかエリスたちとは離れてしまっていた。
「きゃあ!」
甲高い悲鳴が聞こえて、カイルがハッと我に返る。
「エリス!?」
慌てて捜すが、見知った白髪の少女をみつけたときには、既に遅かった。
倒れ込むエリスとシアの二人に向かって、一人の孤児の少年が嗜虐的に笑いながら、ナイフを振り下ろそうとしていた。
もう既に、人質にして金を脅し取ろうとしていたことは、頭にないらしい。
それよりも仲間が傷つけられた恨みを晴らすほうに気を取られているのだ。
「くそっ」
急いでカイルがエリスのもとに走るが、どう考えてももう、間に合うタイミングではなかった。
だが、少年の武器がエリスを突き刺そうとしたとき、地面が盛り上がる。
「えっ?」
あまりに非現実的な光景に、唖然としてカイルが立ち止まる。
なんと地面から盛り上がった砂が、ドーム状にエリスとシアの二人を包んだのだ。
まるで降りかかる凶器から二人を守ろうとするかのように。
孤児の少年が振り下ろしたナイフは、あえなくその砂の防壁にぶつかって跳ね返された。
失望の表情を浮かべた少年が、歯ぎしりして一人の少女を睨む。
「サンディ! お前、なんのつもりだ!?」
少年が睨みつけたのは、物陰から身を乗り出しているエルフの少女だった。
そのサンディはというと、目を瞑り、両手を砂のドームに向かって伸ばしている。
「これってサンディがやったのか?」
真偽はわからないが、なんにしてもエリスの命が助かったのは間違いない。
駆け寄ったカイルは、後ろから少年の胴を思いっきり木剣で殴り飛ばした。
まったく手加減のない、全力の一撃だった。
「ぐぇげっ!」
濁点混じりの悲鳴と共に、身体をくの字に曲げて、少年が吹き飛ぶ。
カイルの前には、エリスとシアを中に取り込んだ砂のドームがあった。
「エリス、無事なのか!?」
「うん、大丈夫よ! 問題ないわ!」
くぐもったようなエリスの声が砂の壁の向こうから聞こえて来た。
ホッとしたところで、砂が崩れ落ちて、中からエリスとシアが姿を見せる。
「ゲホッ!」
砂まみれになった二人が咳き込む。
「こっちよ! 女の子たちをこっちに連れてきて! わたしが二人を保護しておくから!」
リサが、サンディの隣から、必死に手招きしていた。
その指示に従って、カイルは二人を連れて『教会』の建物近くまで戻った。
まだカイルは完全にリサを信用したわけではなかったが、取りあえずは彼女に二人を預ける以外に選択肢はなさそうだった。
「二人のことを頼んでもいいんだろうな?」
「もちろんよ。でも、協力する代わり、わたしたちが今回の件でレーンたちの巻き添えにならないように、エリスのお父さんに上手く説明して」
「……わかった」
ちゃっかりしてるな、とカイルは思ったが、そういう狡猾さはカイルは嫌いではない。むしろ孤児には必要なことだろう。
苦笑まじりに頷いた。
ついでに、リサの隣にいるサンディに、さっきエリスたちを魔法で助けてくれたのはサンディかと訊いてみると、コクリと頷いて肯定した。
森妖精なのだから魔力が多いのは当たり前だ。
だがサンディはそれだけではなく、まだ星を手に入れてはいないはずなのに、それでも魔法を使えるようだ。エリスと同じように。
まったく羨ましいことだと、カイルは思う。
才能のある人間なんて本当にどこにでもいる。もしかしたら、カイルはこの都市でもっとも才能のない冒険者なのかもしれない。
「ありがとう。助かった」
「別にいいけど、借りはちゃんと返してね」
礼を言うカイルに、別にいいと言いつつ、恩に着せてくるサンディ。そんなサンディをやっぱりちゃっかりしているな、と思いつつ、「ああ、必ず返すよ」と約束した。
二人をリサに預けると、カイルは改めて孤児の少年たちに向き直る。
ジリジリとこちらに近寄ってくる少年たちは、残り五人だ。
だが、その少年たちの後ろから、数人の仲間を引き連れて灰色の髪をした少年が、こちらに向かって歩いて来る。
「あちゃあ、レーンが戻ってきちゃったか……」
リサがそう言って舌打ちした。




