22. 泥街の孤児たち②
部屋の中をエリスは見回す。
それなりに広い部屋だ。ベッドが窓際に六つ並んでいる。
だが、孤児たちはこの部屋の中だけで八人いる。
ということは、ここと同じような部屋が他にもあるということだろう。それとも一つのベッドを数人で使っているか、だ。
「ここってなに? さっきのやつは『教会』って言ってたけど」
「ここは孤児院よ。確かに泥街の住人からは、『教会』って呼ばれているけどね」
「孤児院……?」
確かに孤児が住処にする場所としてこれほど相応しい場所はない。
だが、泥街にそんなものがあるなんてエリスは聞いたこともなかった。
「取りあえず、座って話さない? ほら、そっちの子も、こっちに来て。生憎、ここには椅子なんてないから、ベッドに座ってもらうことになるけど」
そう言ってリサは、エリスを窓側に置かれたベッドのほうに手招きした。
エリスは少し迷ったが、ここで逆らっても仕方ない。シアの手を引いて、一緒にベッドのところまで歩く。
シーツが汚れていて、腰を下ろすのに躊躇したが、他にどうしようもないので、仕方なくそっと慎重に座った。
エリスはまだ涙が止まらない様子のシアの背を優しくなでる。
良くも悪くも、両親をはじめ、身の回りの人間がほぼ全て冒険者のエリスは、荒事に耐性がある。少なくとも大工の娘であるシアよりは。
「名前を教えてくれる? わたしはリサよ」
隣のベッドに勢いよくドスンと腰を下ろしたリサが、自己紹介する。
他の孤児たちは、交渉役はリサに任せて遠巻きに様子を窺っているようだ。
ほとんどの者は不安そうに表情を曇らせているが、中には好奇心に満ちた表情でエリスの顔を覗き込んでいる孤児もいる。
「…………エリスよ。こっちはシア」
「そう。良い名前ね」
あまり感情のこもってない声で、リサはそんなことを言う。少し無理をしたような笑みを浮かべている。
どうやら、目の前のリサと名乗った少女は、本当に自分たちとあまり敵対したくはないらしいと、エリスは見て取った。
本人が言う通り、自分たちを拐ってここまで連れて来た少年とは随分態度が違う。
もちろん、だからといってエリスがリサに好意を持ついわれはまったくないのだが。
「ここって本当に孤児院なの……?」
ベッドしかない殺風景な部屋は、孤児院らしいような気もするし、そうでないような気もした。もしかしたら、療養院の病室だと言われれば、そのほうが納得できたかもしれない。
「今はもう、院長先生も死んじゃって、ここにいるのは孤児だけなんだけどね」
「……」
どうやら、前にはちゃんとここにも先生と呼ばれる大人がいて、それなりにきちんと孤児院として運営されていたようだ。
彼女の言うことが事実なら、だが。
それにしても、泥街に親のない子供のための施設があるなんて、意外だった。
「言いたいことはわかるけど、【盗賊ギルド】は案外、泥街の治安には気を配っているのよ」
よほどエリスが不思議そうな顔をしていたらしく、リサが訊かれてもいないのに弁解じみたことを言う。
【盗賊ギルド】はこの泥街で、仕事のない人間に仕事を斡旋したり、安全な井戸を掘ったり、ときには街の掃除をしたりすることもあるそうだ。
「もちろん【盗賊ギルド】の連中が善人だとは言わないけどね」
それでも最低限、縄張りの中の安全にはそれなりに注意を払っているらしい。
【盗賊ギルド】はこの泥街で多くの酒場や賭場、娼館などを抱えている。そして商売のためにはそれなりに安定した治安がなければ都合が悪いのだ。
もちろん、その『安定』の基準は随分と緩いものではあるけれど。
この泥街に酔っ払いが迷い込んで来れば、容赦なく金をふんだくる。
僅かな希望を胸に迷宮都市にやって来た、田舎の少女を騙して借金を負わせ、娼婦にするようなこともする。
有力な商人の放蕩息子に法外な利子で金を貸し、最後は実家の商売まで乗っ取ってしまうようなこともやる。
油断した者からとことん搾取することにかけては、【盗賊ギルド】の右に出る者はいない。
だが一方で、夫から追い出され、実家にも戻れずに野垂れ死ぬしかないような女に、職を与え(娼婦だが)るようなこともする。
腕を失った冒険者に義手を与え(もちろんただではない)、仕事の世話をしたりもする。
悪辣で貪欲な犯罪集団でありながら、本当に追い詰められた者にとっては最後の頼みになることもある。
まだ利用できる廃品を回収し、再利用する程度の意識であっても、それによって救われる者も確かにいるのだ。
「理由がなんであっても助かることには変わりないから」
善意ではなく、打算から来るものだとしても、この泥街に住む人間からすればありがたいことには違いないのだ。
「ふうん。『悪魔もときには正しい道を教える』ってこと?」
「えっ?」
エリスがつい癖で、いつものように諺を披露すると、リサはキョトンとした顔で瞬きした。
「いいの。忘れて」
「え、ええ」
これがカイルなら、いつものように「それってどういう意味?」と訊き返してくれただろう。
そしてエリスは、少し得意げに、諺の意味を解説するのだ……
エリスはひとつ大きく息を吐きだして、気持ちを切り替える。今自分が考えるべきなのは、どうすれば早くみんなのいる家に帰れるか、だ。
「じゃあその治安を気にする【盗賊ギルド】は、泥街の中で誘拐事件が起きるのは気にしないのかしら?」
「そうね。……多分気にするでしょう」
エリスの皮肉にも、リサは反論せずに神妙に頷いた。
「あなたの言う通りよ。こんなことして、ただで済むはずはない。そんなことは少し考えればわかるはずなのよ……」
レーンが、そのくらいのこともわからないほどのバカだとはリサは思っていなかった。
粗暴なところはあるし、話し方も態度も悪い。だが、それでも十数人いる仲間を率いて、みなをそれなりに飢えさせることなくまとめてきたのだ。
ただのバカなガキにできることではない、……はずだった。
そもそも、この『孤児院』で元々生活していたのは、リサを含めた二〇名ほどの孤児だ。
それが去年の魔物の氾濫で、ここを管理していた院長を含めた大人たちを亡くし、さらに仲間の孤児も何人も死んで、生き残ったのは子供ばかりが十数人だ。
ここで生活するのは子供だけになり、一番年長だったリサが自然と孤児たちのまとめ役になった。
そこに、やはりその魔物の氾濫で親を亡くし、新たに孤児となった子供たちが合流してきたのだ。
その新たにやって来たメンバーを率いていたのがレーンだ。
リサたちとしても、急にやって来てここで一緒に住まわせてくれと言われても、なかなか受け入れがたかったのだが、【盗賊ギルド】の紹介と言われれば承諾する以外に道はなかった。
【盗賊ギルド】には、時々簡単な仕事を貰ったり、それとなく泥街の住人に『孤児院』に手を出さないように警告してくれたりと、少なからず世話になっていたからだ。
新たに合流してきた少年たちは、一階の部屋を使い、リサたち元々ここにいた孤児たちは二階を使うことにした。
まったく交流がないわけではなかったが、あまり馴れ合うこともなかった。
食糧もそれぞれが別の方法で手に入れていた。リサたちが裕福な都市住人からおこぼれを貰って生活するのに対して、レーンたちは主に盗みという手段を使った。
リサから見ればレーンたちは盗人であり、レーンから見たリサたちは乞食だ。
お互いがお互いを軽蔑しながらも、同じ建物で生活する以上、ときには協力しなければならないこともある。なかなか複雑な関係だといえるだろう。
それでも、リサは自分が仲間をまとめる役目だったこともあり、この状況で仲間の孤児たちを率いて飢えさせることなく生活することの難しさを痛感している。
その意味ではリサにとってレーンは同士のようなものでもある。その苦労がわかるだけに、共感する部分もあった。
少なくともリサはそう思っていた。
だが、現実はこうなのだ。
自分はレーンを買い被っていたのだろうか? こんなバカな真似をする男だとは思っていなかったのに……深刻な疑念をリサは抱いた。
それで痛い目を見るのがレーンたちだけならば構わない。だが、いくらリサがレーンたちと自分たちが違うと考えていても、外から見れば同じ孤児にしか見えないだろう。
自分たちも巻き添えになる未来しか想像できずに、リサは暗澹たる気分になる。
リサは、できるだけ穏便にこの降って湧いた難題を片づけたかった。
レーンが連れて来た二人の少女は、金づるではなくてただの厄介ごとだとしか、リサには思えない。
孤児というのは弱い立場だ。だから弱い立場なりの処世術で生きて行けばいい。それがリサの考え方だ。
そう割り切れば、孤児だってそれほど生きづらいわけでもない。
誰から見ても弱い立場ということは、誰からも警戒され難いという利点にもなる。
リサや、仲間のサンディのような年若い少女がねだれば、ご飯やお金を分けてくれる人は決して少なくなかった。
それほど裕福とはいえない人でも、パンを一切れ、スープを一皿と分け与えてくれる。
それはリサたちが無害な存在だからだ。誰の害にもなれない弱い少女に、少しばかりの糧を恵むことで、気分良くなれるからだ。
それをリサは理解している。
逆に言えば、リサたち孤児は無害でなければならないのだ。害になると判断すれば、誰がパンを分けてくれるだろう。
それどころか、あっさりと排除されてしまうに違いない。
勘違いしてはならないのだ。自分たちが誰にも頼らずに生きられるほど強いなどとは。それは最悪の間違いだ。
レーンは、冒険者だ。孤児になってすぐに教会に行き、試した結果、運良く魔力が足りたのだ。
このあたりの事情は、カイルなどともまったく同じだ。
しかしレーンは、冒険者として活動し、へたに自信をつけてしまったせいで、勘違いをしているようだ。
多少の腕っぷしの強さなど、孤児という立場の弱さの前ではまったく意味をなさないというのに。
孤児は弱い。そして、その弱さこそが武器なのだから。
だが、頭の痛いことに、今の状況ではその前提が完全に崩れかねない。
少女を誘拐するような者たちが無害だなどと、誰が考えてくれるものか。
このことが都市住人に広まれば、誰ももうリサたち孤児に食糧をくれたりしなくなるだろう。
その後に待っているのは悲惨な餓死という結末だけだ。
いや、もしかしたら餓死すらできずに、激怒した誰かに殺されるだろうか。
「……す、すぐにエリスの父さんが助けに来てくれるんだからっ」
涙で充血した目で、シアがリサを睨んで言った。
「エリスの父さんは、有名な冒険者なんだから。あなたたちなんか、あっと言う間にやっつけてくれるわ!」
震える声でそれだけ言うと、また顔を伏せて嗚咽を漏らす。
「……そうなの?」
リサは視線をエリスに向けて訊く。
「ええ、そうよ。それは本当」
エリスは大きく頷いて答える。その様子を見て、どうやら嘘ではなさそうだとリサは見抜いた。
「そんなに有名な冒険者なの?」
「あなたが知ってるかどうかはわからないけどね。フォルドって知ってる? 【百目】とも呼ばれているんだけど」
「【百目】のフォルド……!」
リサの背中に冷たい汗が流れる。
(それが本当なら、まずい、まずいわ! これは本格的にまずい! なんてこと!)
【百目】のフォルド。冒険者に詳しいわけでもないリサですら聞いたことのある名だ。
この迷宮都市、ウェクスノッドの数多い冒険者の中でも頂点に近い場所にいる男だ。
恐らくは実力で上位一桁に入るだろう。よりにもよって、そんな冒険者の娘を拐ったというのだろうか?
ただのハッタリならともかく、本当にそんな冒険者の娘なら、これはもう、ただでは済まない。済むはずがない。
それに、リサの目から見て、目の前の少女たちが嘘を言っているようには見えなかった。
これでもリサは、それなりに人を見る目は持っているつもりだ。
特に、相手が自分を騙そうとしているかどうかには敏感だ。……多分、この二人は嘘を言っていない。
(あのバカ、正気なの!? ……まさか、わざとではないでしょうね?)
自分たちは、レーンの罠に嵌められたのだろうか?
拐った少女をこちらに押し付けて、取り戻しに来た父親に自分たちを始末させる気なのではないか?
一瞬、そんな考えが頭をよぎる。
(……いえ、さすがにそんなことはしないわね)
だが、すぐにリサは自分の考えを否定する。
そんなことをしてもなんの得もないはずだ。それどころか、自分たちもただでは済まないことくらい、さすがに理解できるだろう。
それに、別に他人の手を借りなくても、レーンがその気になれば自分たちを力づくでどうにかするくらいのことはできるのだ。
そんな自爆攻撃のような真似をする必要はどこにもない。
(ならやっぱり、ただなにも考えていないだけ? ……そんな気がするわね)
深い理由はなく、衝動的に拐ってきたような、雑な感じがある。
「リサ、レーンが外に出て行ったよ!」
「本当?」
窓から外を見ていたリサの仲間の一人の少女が、振り返って報告する。それを聞いたリサも窓に駆け寄って下を見ると、確かに数人の仲間を引き連れてレーンが外に出ていくところだった。
多分、どこかに食糧でも盗みに行ったのだろう。
動くなら、今がチャンスかもしれない。
(けどその前に……)
改めてリサはエリスとシアの二人に視線を向ける。
「もう少し話を聞かせてくれる? どうしてこんなことになったのか、知っておきたいの」
「……わかったわ」
どうせ今エリスにできることはなにもない。時間はあるのだから、別に話をするくらいは構わないだろう。エリスは素直に頷いて、拐われることになった顛末をゆっくりとリサに話し始めた。
◇◆◇
塒の『教会』を出たレーンは、五人の仲間の少年たちと共に、食糧調達のために動いていた。
レーンの仲間は、ここにいない者も含めて二〇人近くの数がいる。リサたちよりも少しだけ数が多い。
それだけの数がいると、食料は祠の供え物を盗むだけではとても足りない。
その足りない分をどうするのかといえば、主に食料品店から盗むことで賄っていた。
レーン自身は冒険者でもあるから、迷宮で魔石を手に入れて金に換えることはできる。
それを全て食糧に使えば、全員分の食糧を買うくらいは可能かもしれない。
だが、冒険者として継続的に活動するためには、稼ぎの全てを食糧に使うわけにはいかない。
武器防具などの装備品にも、魔法薬などの消耗品にも金はかかる。
それを考えれば、レーンの稼ぎだけで仲間全員を養うのは難しかった。
それにそもそも、レーンには自分の稼ぎを全て仲間の食糧につぎ込む気などまったくない。
自分が命を懸けて稼いできた金を、たいして役にも立たない者たちになぜ無償で渡さなければならないのか。
最初の頃はまったく疑問に思わずに、仲間に自分の稼ぎを分け与えていたレーンだったが、それが次第にバカバカしいことのように思えてきたのだ。
「なぁ、レーン。今日はどの店から盗むんだ? やっぱりグルジの爺のところか?」
「いや、あそこからは昨日も頂いたからな。今日はウルマのとこだ」
「ふーん。別にいいけどさ、でも、なんだって毎日別の店から盗むんだ? どうせ【盗賊ギルド】の許可はあるんだから、別に同じ店からいくらでも盗っていいんじゃないか?」
レーンたちが盗みに入るのは、泥街の中で、【盗賊ギルド】に対して従順とはいえない店だ。
泥街の中で営業しているほとんどの店が【盗賊ギルド】の傘下に入っている中で、それを良しとしない者もごく稀にいる。
そんな店であれば、レーンたちが盗みに入っても、【盗賊ギルド】はそれを黙認してくれる。
いや、実のところは、そういう店の情報を【盗賊ギルド】がレーンたちに流しているのだから、ほぼ【盗賊ギルド】の指示で、ギルドに従わない店にレーンたちが嫌がらせをしているようなものだ。
「毎日同じ店から盗んでたら、店が潰れちまうじゃねーか。そうなったら次からは盗みに行ける店が減っちまうだろ? 潰れない程度に少しずつ盗んだほうが、結局長い目で見りゃあ、得なんだよ」
「あ、なるほどな」
感心したように大きく頷く仲間の少年の肩を、レーンがポンと叩く。
感心されればレーンも悪い気はしないが、それよりもこんなこともわからないのかと呆れる気持ちのほうが大きい。
(なんで俺がこんなバカどもの面倒を見なきゃなんねぇんだ)
そういう気分がある。
もちろんレーンにも仲間意識とか連帯感とか、そういうものがないわけではない。
あの魔物の氾濫の直後、レーンは両親を亡くして孤児となり、同じ境遇の者たちと協力するようになった。
最初の頃は本気でレーンも、仲間のみなを飢えさせることなく生き延びさせようと、必死に知恵を絞って行動していたのだ。
レーンの仲間に対する責任感は本物だった。少なくとも一年前の時点では。
だが、自分に魔力があることに気づき、冒険者となってから、徐々にレーンの考え方は変わっていった。
特に、あのスキルを手に入れ、【盗賊ギルド】の人間から仲間の一人として扱われるようになってからは。
自分一人なら、もっと楽に生活できる。
崩れかけの『教会』などではなく、普通の宿に泊まれるし、美味い食事を食える。泥街の娼館で、とびきりの女を買うことだって……
チラリと目だけで振り返ると、レーンの後ろには、彼の後をついてくる五人の少年が見える。
レーンの仲間はほとんどが十代半ばの少年ばかりで、女はほとんどいない。
(仲間として考えるなら、こいつらなんかよりも使えそうなのが、二階の乞食どもの中にはいるんだがな)
サラやあのチビガキには冒険者になれるだけの魔力があるし、リサもそれなりに頭が回る。
(リサか。なかなか良い身体してやがるよな。あれでもう少し身の程ってやつを弁えてりゃ、今より良い目をみさせてやるってのによ)
リサの服をはぎ取るところを想像して、レーンは舌なめずりをする。
だが、いかんせん、あの乞食どもは生意気にもレーンたちを盗人呼ばわりし、嫌悪感のこもった視線で見てくる。まるで蔑むように、だ。
(確かに俺たちは泥棒だ。だが、お前らは何なんだ。乞食じゃねーか。乞食が泥棒よりもマシだとでも言いたいのか?)
とんだお笑い種だった。
結局レーンもリサも、他人のおこぼれに縋らなければ生きられないという点では同じなのだ。
(そうさ。都市の掃き溜めで、泥を啜りながら生きてるような屑だ)
「……レーン?」
考え事をしているうちに、レーンはいつの間にか今日の標的の、小さなフィックの女が店主を務める商店に着いていた。
仲間の一人が呼びかける声に、レーンが「よし、行ってこい」と命じる。
店の近くで見張りをする者が、レーンを含めて三人。
残りの三人が素早く店の中に入ると、怒鳴り声と大きな物音が外にまで聞こえてくる。
やがて、両手に食糧を抱えて、仲間の少年が店から出てくる。
木の棒を振り回しながら追いかけてくるフィックの店主、ウルマに向けて、一人の少年が林檎を投げつけた。
頭を押さえて倒れ込んだウルマを指差して一頻り笑ってから、少年たちが意気揚々とレーンの元に戻って来た。
「ほら、大漁だぜ」
嬉しそうに戦果を見せびらかす少年にひとつ頷いて見せると、レーンは「行くぞ」と声をかけて、駆け足でその場を離れた。
(いい加減、こんなしょうもない暮らしから抜け出してぇな。いや、俺には魔力もスキルもあるんだ。やる気になればいつだって……)
レーンは孤児院の暮らしにうんざりしていた。
コソ泥のように少ない食糧を盗み、仲間と分け合う生活に。
(いっそ、もう【盗賊ギルド】に入っちまうか?)
そうも思うが、踏ん切りがつかない。
【盗賊ギルド】は甘い組織ではない。特に入ったばかりの新米にとっては。
最初に色々と仕事のやり方を教わるのだが、少しでも覚えが悪ければ罵倒に暴力がおまけでついてくる。
あちこちに連れまわされ、慣れない仕事に目の回るような思いをして、なにか失敗すれば容赦なく痛めつけられるのだ。
それが嫌で、レーンはまだ孤児の仲間が心配だからと言い訳をして、【盗賊ギルド】に加入するのを引き延ばしている。
どうやらレーンが身につけたスキルは、【盗賊ギルド】が切り札として秘蔵しているものらしい。
レーン自身にもどうやって【盗賊ギルド】が自分にそのスキルを身につけさせたのか、方法はまったくわからない。
だがどうやら【盗賊ギルド】は、他人にその特定のスキルを覚えさせる、なんらかの手段を持っているらしいのだ。不確実な手段だが。
公的に【盗賊ギルド】は、そんな手段を持っていると認めてはいない。
だが実際、【盗賊ギルド】の中には、その同じレアスキルを持った者が数人いる。そして、【盗賊ギルド】以外にはそのスキルを持つ者は一人もいないのだから、その手段の存在はほぼ間違いない。
(多分、『教会』に孤児のガキどもを集めているのも、そのスキルに適合する者を探すという意味もあるんだろうな)
レーンはそう思っている。そして、まさに選ばれたのがレーンなのだ。
したがって、【盗賊ギルド】ではそのスキルを身につけたレーンを手放すつもりはまったくないようだ。
となればレーンに、【盗賊ギルド】から逃れる術はない。レーンが【盗賊ギルド】という巨大な組織に逆らうことなどできるはずもないのだ。
逃げ出したところですぐに捕まるに決まっている。【盗賊ギルド】におけるレーンの立場が絶望的なまでに悪化するだけでまったく意味はない。
少しばかり加入の時期を引き延ばしたところで、レーンの運命は変わらないのだ。
(どっかの騎士団にでも潜り込めねぇものかな)
レーンの手に入れたスキルは特殊なものだし、そのうえ、非常に有用でもある。それを手土産にすれば騎士団に入ることも不可能ではないように、レーンには思えた。
それに、いくら【盗賊ギルド】が強大なクランだとは言っても、さすがに国家権力そのものである騎士団には敵わない、はずだ。
いくらレーンのスキルを【盗賊ギルド】が独占したがっていても、騎士団を後ろ盾にしてしまえばレーンには手出しできなくなるだろう。
(やっぱり、狙うならラーサス騎士団か?)
長い間、都市の序列一位を譲らない、名実ともに迷宮都市最強の騎士団。
そこに所属する騎士たちはいずれも、百戦錬磨の猛者ばかりだ。
団長の【重剣】は巨大な岩を真っ二つにするというし、全ての騎士と冒険者の中で最強と名高い【串刺し】もラーサスの騎士だ。
(問題はタイミングだな)
もしレーンがラーサス騎士団に加入することになれば、それはつまり、【盗賊ギルド】を裏切るということだ。
与えてもらったスキルの借りを返すことなく、それを手土産に別の組織に入るのだから。
レーンの意図に気づかれて、【盗賊ギルド】の者に捕まればどうなるか。
考えただけでもレーンは恐怖で身震いする。間違いなく、碌な目には合わないだろう。生まれてきたことを後悔するほどの過酷な罰を与えられても不思議ではない。
だが、そのリスクを考慮に入れても、騎士団に入ることはレーンには魅力的なものに思えた。
キラキラと光る銀の鎧を身につけ、漆黒のマントを纏う。腰には宝石を柄に嵌めこんだ長剣を佩き、家紋を刻んだ盾を構える。魔物を狩って屋敷に帰れば、待っているのは多くの使用人に傅かれる、貴族としての華やかな暮らしだ。
そんな夢のような未来を、レーンは心に描くのだ。
(なんなら、リサを使用人として雇ってやってもいい……)
今までのレーンに対する無礼な態度を反省して謝罪するなら、だ。
当然ながら情婦としての役目も果たしてもらうことにはなるが……
だが、そんなバラ色の未来も、全ては【盗賊ギルド】の手から逃れられればの話だ。
(勝算はある……)
【盗賊ギルド】を甘く見ているつもりはないが、レーンはそう考えている。
なにしろレーンがこんなことを考えているなんて、【盗賊ギルド】だって気づいてはいないはずだ。ならばことが発覚する前に、騎士団の宿舎に駆け込んでしまえばレーンの勝ちだ。
こう考えれば、何も迷う必要はないように思える。少し出かけると言って『教会』を出て、そのまま騎士団宿舎まで歩けばいいだけだ。
そのはずなのだ。まさか【盗賊ギルド】がレーンなどに、いちいち人員を割いて監視をつけるはずもないのだし。
そうは思うのだが、万が一ということもある。
もし万が一、監視がいたのなら。そんな気配を感じたことなど一度もないが。でも絶対にいないとも言い切れない。
レーンが思うよりもあのスキルを、【盗賊ギルド】が重要視していたのならば……
万が一監視がいて、レーンが裏切ろうとしているのに気づかれれば、そのときは一巻のお終いなのだ。
慎重なうえにも慎重である必要があった。
(そういや、そろそろ氷炎祭だ。祭りには騎士団の連中も来るはずだ。そのどさくさに紛れて、騎士団に保護を願い出れば、なんとかなるか?)
黙考するレーンに、仲間の少年が話しかける。
「なぁ、あいつら、人質を逃がしてないかな?」
「……大丈夫だろう。一応見張りはつけておいたし、今はサラがいないからな。サラ抜きじゃ、あの乞食どもにはなにもできねぇよ」
まぁいい。今はそれよりも、あの拐ってきたガキどもを人質に、一儲けしておかないとな。
バカなガキどもと、その親から金を巻き上げることを思い浮かべて、レーンは暗い笑みを浮かべた。




