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赤星のカイル  作者: 三山とんぼ
第一部 地図の要らない世界
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21. 泥街の孤児たち①

カイルとサンディが泥街に着くと、いつも通りにツンと鼻を刺す悪臭が漂っていた。

灰と茶の二色しかないような殺風景な街並みを、痩せこけた犬がしょぼくれた顔でヨボヨボと歩いている。

頭をしきりに動かしてあちこちの泥の臭いを嗅いでいるが、いくら探しても泥の中に餌など転がっているはずもない。


「相変わらず景気の悪い場所だよな」

「まぁね」


カイルが自分の住む場所をけなしたというのに、サンディはまったく腹も立てなかった。

泥街が余所の人間からどう見えるか、幼いサンディにもよくわかっているのだろう。


「でも、カイルも前に一応来たことはあるんだね?」

「一応だけど。来たというか、通り過ぎたというか……」


微妙なことを、カイルは言う。


「少なくとも、長居はしたことないよ。長居したくなるような場所じゃないからな……」


汚泥とゴミに塗れた、退廃的なスラム。

この街のどこかに拐われたエリスが捕まっていると思うと、自然とカイルの足は早まる。

するとついていけなくなったサンディが、「カイル、ちょっと待ってよ」と、服の袖を引っ張った。


「慌てても仕方ないよ。早く着いても、その分待ち時間が増えるだけなんだから」

「……そうだな。サンディの言う通りだ」


カイルは俯いて、自分を落ち着かせるように細く深く息を吐き出した。


「落ち着いた?」

「……」


カイルは自分を見上げる小さなエルフの頭をポンポンと叩いて返事の代わりにした。

サンディは正しい。気持ちばかりが焦っても、それで良いことなんかなにもないのだ。


(しかし、泥街ってどこも同じ風景だな。知らないと、自分がどこにいるのかさっぱりわからなくなる)


泥街にも住人がいるのだし、商店や食堂など、生活するのに必要なものはどこかにあるはずなのだが、外観からはそうとはわからない。

看板などがまるでないのだ。どこに何があるか、知っていなければ入ることもできない。

ここの住人でなければ、来店する必要もないということなのだろうか。いっそ潔いくらいの愛想のなさだ。


まだ昼だというのに、ところどころに露出の高い派手な服を着た女が立っていて、道を歩く男たちに気だるい感じに声をかけている。

こんな時間にはさすがに客は捕まらないだろうと思って見ていると、一人の男が女と連れ立って歩き出す。……どうやら一応、昼にも一定の需要があるらしい。


ときにはカイルにも、揶揄からかうような声がかけられることもある。無視していると、一人の娼婦が服をはだけて下着をチラつかせてきた。

慌ててカイルが顔をそむけると、弾かれたような笑声が響く。はっきり言って気分が悪い。


なので、次に同じように揶揄ってきた相手にはカイルは思いっきりしかめっ面をして見せた。

だが、なぜか反応はさっきと同じで、愉快そうに笑われた。……納得がいかない。


「そうやって相手にするから向こうも揶揄からかってくるんだよ」

「……」


自分よりもずっと年下のサンディに分別くさいことを言われて、カイルはむっつりと黙り込んでしまった。


こうして周りを見ながら歩いているとわかるが、泥街で見かける人間は大体二種類に分けられる。

露出の高い服装をした若い女――娼婦か、厳めしい顔つきのガラの悪い男だ。

それ以外にも住人がいないはずはないのだが、なぜか滅多に見かけない。


――いや、違った。

そういえば、道路の端のほうで横たわったまままったく動かない者たちがいた。本当にピクリとも動かないので、視界に入っていても人間の数には入れていなかった。

一見死体のように見えるが、一応そのほとんどは生きているはずだ。

死体ならきっと、この暑さではすぐに腐敗しているだろうから。

泥まみれ、埃まみれのボロを一枚身に纏っているだけで、裸に近い姿で寝転がっている。

あんな格好で冬はどうしているのかと、カイルは不思議に思う。あれではとても、寒い冬を越せるようには思えない。


(エリスならきっと、『夏は貧者のコート』とか言うだろうな)


あの本好きな少女が紹介してくれる諺には、結構辛辣なものも多いのだ。


「どうして誰も、ここをどうにかしようとは思わないんだろうな……」


顔をしかめてカイルが呟く。

カイルが孤児として路地裏で生活していた数週間の間も、この泥街には滅多に入らなかった。

カイルはもっぱら、西岸地区の廃墟となった父の工房があった地区で生活していた。

子供の頃から泥街には近づくなと親から言われていたおかげで、強い忌避感があったのだ。


それでも何度かは怖いもの見たさというか、好奇心に負けてこの泥街に来たことがある。

迷宮都市の子供なら大抵、みなが一度は通る道だ。

そのときはキョロキョロと周りを見回しながら、足早に泥街を歩くだけですぐに逃げ出してしまったのだが。

たったそれだけのことでも、心臓は早鐘のように鼓動を速めたものだ。


冒険者となって迷宮に出入りするようになってからも、わざわざ迷宮を囲むように広がる泥街の中に入って行こうとは思わなかった。

一本路地を入れば泥街のスラムが広がっていると知りつつ、迷宮通りや南大通りなどの大きな通りだけを歩いて迷宮に出入りしていた。

冒険者の中には、迷宮から出れば一杯飲むために、もしくは娼婦を買うために泥街に立ち寄る者も多いが、カイルはそんなことをしたことはない。

酒には特に興味はなかったし、女には――少しぐらいは――興味があるが、石になった妹のことを思えば遊ぶような気にはなれない。

それに、泥街はトラブルの宝庫だ。

【盗賊ギルド】の縄張りであるだけではなく、スリやコソ泥、詐欺師、違法奴隷商など、都市のあらゆる無法者が集まる悪の巣窟なのだ。


その評判が正しいことを証明するように、今もカイルにはいくつもの悪意のある視線が突き刺さっている。

獲物として相応しいだけの金を持っていそうか、腕っぷしはどうか、リスクはあるのか、そういったことを値踏みする、不躾ぶしつけなまでにあからさまな視線だ。


相手にしても良いことはまったくないので、カイルはなるべく周囲の者たちを無視して進む。

たまたま運が良かったのか、隣を歩くサンディのおかげなのか、それ以上彼らがカイルになにかちょっかいをかけてくることはなかった。


「ここだよ。ここが『教会』。サンディたちが住んでるところだね」


そう言ってサンディが立ち止まったのは、泥街の中心辺りにある、大きな建物の前だった。



   ◇◆◇



その建物は、確かに教会としての面影はあるが、はっきり言ってしまえば廃屋以外の何物でもなかった。

南側の一画は大きく崩れてしまっている。これがついさっきサンディから聞いたばかりの、魔物の氾濫(スタンピード)で壊れてしまったという箇所なのだろう。

だが、建物の傷んだ原因はひとつではないようだ。長い間、手入れがされずに荒れるがままになっているのが見て取れる。

話によれば、去年までは一応は孤児院として運営されていたはずなのだが。


それなりに大きな建物だ。二階建ての建物だが、三階分くらいの高さがあるだろう。大部分は木造で、一部煉瓦も使われている。

教会らしく見えるのは、鐘楼らしきものが建物の屋根の上から伸びているからだ。


だがよく見れば、教会にしてはおかしなところもある。

まず、当然だが六精神教の教会には必ずついているはずの六角形のシンボルがどこにも見えないこと。

それに、入り口も教会とは違う。教会の入り口は訪問者が使う大きな扉と、その隣に関係者が使う小さめの通用口がセットになっているものだが、ここはまるで普通の住宅のように、特徴のない扉がひとつ、ポツンとあるだけだ。

やはりさっきの少女が言っていた通り、名称は『教会』でも、実体は最初から『孤児院』だったということだろうか。


一階の窓はほぼ全て壊されてしまっていて、その代わりにただの汚れた木の板が、雑な感じに釘で張り付けられている。


「確かに目立つ建物だなぁ……」

「泥街って他にあんまり大きな建物がないからね」


カイルの独り言に、サンディが返事をする。

孤児の少年が、「場所は泥街で『教会』と言えば誰でもわかる」と言っていたというのも納得できる。

この建物ならば、知らない人はまずいないだろう。


「でも、いくら廃屋といっても、あんな大きな建物を孤児だけで使ってるのか?」


周りを見ると、ほとんど崩れかけたようなあばら屋だらけだ。

それらに比べると、まだあの『教会』のほうが住みやすそうだ。

こちらも十分にボロだが、少なくともすぐに倒壊する心配はなさそうだし、何より広い。

ここの住民たちは、あそこから孤児を追い出して自分たちが住もうとは思わないのだろうか?

もしそうならば、案外泥街の住人も行儀が良いものだと、カイルは思う。


「たまに、ちょっかいかけられることはあるよ。でも、あんまりないね。【盗賊ギルド】が、ここに手を出すなって警告してくれているらしいから」

「【盗賊ギルド】?」


なんでいちいち孤児院のことに、【盗賊ギルド】が口を挟んでくるのだろう?

そのカイルの疑問に、サンディは軽い口調で答えた。


「そりゃそうだよ。だって、孤児院は【盗賊ギルド】の援助で運営されていたんだから」


今でもなんだかんだと、【盗賊ギルド】にはお世話になっているのだと、サンディは言う。


「……【盗賊ギルド】が孤児院を運営しているって?」


唖然として、カイルがサンディに訊き返す。

たちの悪い詐欺にかけられそうになったような、居心地の悪さをカイルは感じた。

魔物の氾濫(スタンピード)のときに、カイルの家族を石に変えた【笑う魔物】。

その魔物は、カイルの妹以外にも多くの都市住人を石に変えていた。

そしてあろうことか、その石にされた人間を装飾物として売買したのが【盗賊ギルド】だ。


石になってすぐに、アイラはフォルドによってクランハウスに保護されたからそんな目には遭わずに済んだが、もしなにか少しだけ状況が違ったら、アイラもただの『物』として売られていてもおかしくなかったのだ。

そんなこともあって、どうしてもカイルの【盗賊ギルド】に対する印象は悪い。酷く悪い。最悪と言ってもいい。

どうしてもなにか、裏があるように思えてしまう。


だが、サンディはなんでもないことのように肩を竦める。


「もし孤児院が【盗賊ギルド】と無関係だったら、そんなのすぐに潰れちゃうに決まってるよ」


ごく当然のこととして、サンディはそう口にする。


「泥街にあるものは大体、なにかしら【盗賊ギルド】と関わってるんだよ」


最低でも【盗賊ギルド】の許可がなければ、泥街ではなにもできないと、サンディは主張する。

そう言われれば、そうかもしれないとは思うが、それにしても孤児院とは……

あまりにイメージと違って混乱してしまう。

そんな慈善事業のようなことをあの【盗賊ギルド】がやっているなんて、ほとんどの人間は信じないのではないだろうか?


首を捻りながらも、カイルはその建物を、観察する。

見る限り、特に孤児たちが『教会』の入り口に見張りを置いているような様子はなかった。

誘拐なんて大それたことをしでかした割には不用心だが、別に孤児たちはプロの犯罪者というわけでもないのだから、こんなものかもしれない。


カイルは時刻を確認するために、真上に視線を向ける。

時間の流れと共に色を変える【天央の燈篭】を見れば、大体の時刻がわかるからだ。

網のように広がる世界樹の枝に囲まれて、【天央の燈篭】は黄色に輝いていた。


「ここで少し待とう。多分そんなに長い間にはならないから」


サンディはそう言って、道端に転がっている大きめの石の上に尻を乗せる。

一方カイルは、とてもこの泥街で地面に座る気にはなれなかったので、立ったままだ。

そして物陰から『教会』の入り口が見える位置に、陣取った。


少し離れた場所に一頭の黒い牛がいて、道端の泥に鼻面を突っ込んでいた。

街中に牛や馬、それに鶏などの家畜がいる光景は別に珍しいものではない。だが飼い主の姿が見えずに、放し飼いにされているのはあまり見ない。


「うっわ。あの牛が乳を取る目的か肉が目的が知らないけど、どっちだとしても嫌だな」


汚物そのものの異臭を放つ泥を食べて育った牛の肉など、考えただけでも怖気が走る。

もちろんそんなものしか食べていないわけでもないだろうが、それでもだ。


「カイル、出てきたよ」


いつの間にか立ち上がっていたサンディが、カイルの腰の後ろあたりをペシペシと叩いた。

慌ててカイルが視線を『教会』に向けると、そこには二〇人弱の孤児たちが中から出て来るところだった。

サンディが長い間はかからないと言っていたのは、確かにその通りだった。


少年たちは、五、六人ごとに分かれて、どこかに速足で歩き去る。

恐らくサンディが言っていたように、これから食糧を調達に行くのだろう。


そして最後に、すばしっこそうな一人の少年が、辺りをキョロキョロと見回しながら、人目をはばかるように建物の中から出て行く。


「じゃあカイルはここで待ってて。わたしが中の様子を見て来るから」

「わかった。……よろしく頼む」


なんでもないことのように軽く頷いて、サンディが軽い足取りで『教会』に向かう。

カイルはそんなサンディを、物陰から視線だけで見送った。


「エリスが乱暴に扱われてなけりゃいいんだけど……」


小さく呟くと、カイルは手の平ににじむ汗をズボンでぬぐった。


カイルは物陰に隠れたまま、もう一度教会の入り口に目を向ける。

人気のない玄関は、静まり返っていた。



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