20. 拐われたエリス⑤
それからカイルはサンディを探して、午前中に食事をした川沿いの食堂に向かって走った。
食堂の前まで戻ると、通行人などにサンディの人相を伝えて、情報を集める。すると、案外サンディを覚えている人は多かった。
以前からこの辺りにもサンディは何度も来ていたらしい。そのため、目立つ風貌もあって人の記憶に残っていたのだ。
これならすぐにみつかるかもしれないと安堵したカイルだったが、そんなカイルのことが、マットには意味のない行動をしているように見えたらしい。
「なんだ、もしかして知り合いの孤児を捜しているのか? エリスを拐ったやつらのことを尋ねるために?」
「そうだ」
「それって意味があるのかよ。孤児はみんな知り合いってわけでもないだろ。それに孤児なら誰でもいいなら、いちいち捜さなくてもそのへんにだっているじゃないか!」
「知った相手のほうが話を通しやすいだろ!? それにあいつら孤児って、結構横の繋がりがあるんだよ!」
文句を言うマットに、カイルは怒鳴り返した。
孤児などという弱い立場の者たちは、情報を共有する仲間がいるはずだ。
さらに言えば、サンディはかなり人懐っこい子供だった。ああいうタイプなら、それなりに顔も広そうだ。
サンディくらいの歳の子供が孤児として生きているのだから、きっと彼女には仲間がいるはずなのだ。孤児同士のネットワークをたどれば、エリスを拐った孤児のグループに行きつくことも、きっとできるだろう。
四半刻ほどの間、西岸地区を駆け回ると、カイルは視線の先に金灰色の髪を発見した。
「よ、良かった……サンディ、やっぱりまだ近くにいたか……」
「……どうしたの?」
いきなり追いかけてきて、すぐ目の前で膝に手をついてゼイゼイと荒い息を吐くカイルを、サンディは目を丸くして見つめた。
「……ちょっと、サンディに訊きたいことができてさ……」
「それって、例の孤児冒険者のこと?」
「いや、違う。それとは別件」
やっと息が整ったカイルは、ふぅっと大きく息を吐き出して、顔を上げた。
「……僕の知り合いがさ、孤児の集団に拐われたらしいんだ。それで、そいつらのことをサンディが知らないかと思って」
「ええっ? 本当に? そんなバカなことをする人なんかいるの?」
驚いたらしく、サンディは目を見開いた。
「うん。僕もバカだと思うけど、どうやらいるらしい。……マット?」
そこでカイルはマットに説明役を交代しようとした。
「……なぁ、カイル? こいつに訊いて意味あるのか? 俺にはただの小汚いちびっこにしか見えねぇぞ。本当にこいつで大丈夫なのか?」
「む」
胡散臭そうにマットに見下ろされて、サンディは気を悪くしたらしく、頬を膨らませる。
客観的に見て、小汚いのもちびっこなのも事実だったが、それを口に出していいときと悪いときがあるのだ。
マットの膝の裏あたりを、カイルは容赦なく蹴飛ばした。
「痛え!」
「悪いな、サンディ。ちゃんと説明させるから、気を悪くしないで聞いてくれ。……ホラ! いいからちゃんと説明しろよ」
「……わかったよ」
そしてマットは不承不承、さっきカイルにしたのと同じ説明をサンディにも繰り返した。
「……泥街を塒にする孤児……しかも灰色の髪…………」
サンディはブツブツと呟く。心なしか、顔色が悪い。額のあたりに冷や汗をかいているようだ。
「……もしかして、心当たりがあるのか?」
「…………うん」
カイルの問いに、サンディはコクリと頷いた。
「多分それってレーンのことだと思う。……ううん。多分じゃなくて、間違いなく」
カイルとマットは顔を見合わせた。
さすがにどちらの表情にも驚きがある。まさか、こんなに簡単に情報が手に入るとは思っていなかった。
「あいつ、じゃあ女の子を拐ったの? そこまでのバカだとはさすがに思っていなかったよ……」
「……本当に間違いないのか?」
カイルが念を押すが、サンディは自信たっぷりに頷いた。
「泥街を塒にする、灰色の髪の孤児で、『教会』に来いと言ってたんでしょ? なら絶対間違いないよ」
話を聞けば、サンディの塒もやはり泥街にあるのだという。しかも、それだけではない。
「サンディが住んでいる場所も、同じなんだよ。その、『教会』って呼ばれている建物。サンディもそこで生活しているの」
「ってことは、まさかお前、あいつの仲間だったのか!?」
敵意を込めて、マットがサンディを睨む。
「……!」
カイルもさすがに驚いて、マットを宥めることさえ忘れていた。
だが、その質問にはサンディは落ち着いて首を横に振った。
「違うよ。そうじゃない。同じ建物に住んでいるけど、サンディとレーンとでは、グループが違うの」
「……どういうことだ? 同じ建物に二つの孤児のグループが同居しているってのか?」
「そう。カイル、正解だよ」
パチパチパチと、サンディが小さい手を叩いた。
それからサンディが説明したところによると、こういうことだった。
――泥街にはひとつの孤児院があった。
その建物が教会に似ているから、大抵の人はそこを『教会』と呼んだ。
孤児院を管理している院長と他二人いた世話役の片方も、神官っぽかったらしい。
どこからそう思ったかというと、朝夕の祈りを捧げる姿などが、妙に様になっていたから、のようだ。
ただ、本人は訊いても曖昧に誤魔化したそうだから、なにか神官だと明かせない理由があったのかもしれない。
そこには、二〇人ほどの孤児が暮らしていた。年齢は五歳が最年少で、上は十代半ば。
去年まで、それなりに仲良く孤児たちはそこで共に生活していた、ようだ。少なくとも、サンディの話によれば。
「待て待て。泥街に孤児院なんかがあったってのか?」
驚いたマットが口を挟んだ。
「いいから最後まで黙って話を聞けよ」
カイルもその疑問には同感だったが、いちいち疑問をぶつけていては時間がもったいない。
今は時間が非常に重要なのだ。
カイルが睨むと、マットは「ゴメン」と短く謝った。
「サンディもそこでずっと暮らしてたよ。聞いた話じゃ、赤ん坊の頃に『教会』の前に捨てられてたんだって」
院長先生をはじめとする大人たちは厳しいところもあったが、優しかった。
成長した孤児に、どこからみつけてきたのか、真面な働き口を紹介してくれたりもした。もちろん、いつもそう上手くいくというわけでもなかったが……
上手くいかない場合は、泥街の中で娼婦になったり、道端の糞尿を片付ける掃除夫になったり、中には犯罪者に身を堕とす者もいた。
だがとにかく、色々不安はあっても、それなりに助け合って生活はできていたのだ。
そんな話を、少し舌足らずの口調でサンディは話してくれた。
「でもそれも、去年の魔物の氾濫ってやつで全部台無し。院長先生たちはみんな死んじゃったし、他にも子供だって何人も……孤児院の建物も、少し崩れちゃった」
「それでも同じ場所に住んでいるのか?」
「そりゃそうだよ。だって他に行く場所なんかどこにもないもの」
サンディは、小さな肩を竦めて答えた。妙に大人びた、似合わない仕草だった。
「その後しばらくして冬が近くなった頃に、【盗賊ギルド】の人が連れてきたのが、レーンたちなの。『教会』で一緒に生活しろって言って……」
「なんだってそこで【盗賊ギルド】が出て来るんだ?」
またマットが口を挟んだが、今度はカイルも止めなかった。
「?」
だが、サンディはキョトンとした顔で首を捻る。マットやカイルがなにを疑問に感じているか、よくわかっていないらしかった。
サンディにとってはそんなふうに、【盗賊ギルド】が干渉してくるのはごく自然なことなのだろうか?
確かに泥街は【盗賊ギルド】の縄張りではあるが……
「……ま、いいや。とにかくレーンって孤児とその仲間たちは、後からやって来たわけだ。じゃあグループが違うってのは、最初から孤児院にいた孤児と、後からやって来た孤児ってことか」
「そう!」
嬉しそうに、サンディは大きく頷いた。
「あいつらって、魔物の氾濫で、親を亡くした子たちなんだって。それで孤児になって、路地裏とかで生活していたらしいよ」
チラリと、マットの視線がカイルに向かう。
魔物の氾濫によって家族を亡くし、孤児となったのはカイルも同じなのだ。
突然身寄りを失くして自分一人で生きて行かなくてはならなくなった孤児の苦労は、想像に余りある。
苦労という言葉さえ生温いような目にきっと何度も遭って来たはずだ。
「あいつらって盗むんだよ。お店とかから食べ物を。それも何人もで行って、堂々とね。だからサンディはあいつらのことを『かっぱらい派』って呼んでるよ」
サンディの言葉を、カイルは複雑な思いで聞いた。
一歩間違えば、カイルもそのレーンのようになっていてもおかしくはなかった。その可能性は確かにあっただろう。
本当にどうしようもなくなれば、生きるためには盗みくらいやってしまうかもしれない。綺麗事を言えるのは、綺麗事だけで生きていける間だけだ。
「そいつらが『かっぱらい派』なら、サンディは何派なんだ?」
少しだけ気になってカイルが訊くと、サンディはよくぞ訊いてくれたとニンマリ笑う。
「サンディたちはね、『おねだり派』だよ。都市の住人に、おねだりして食糧を分けて貰うの。サンディって、こう見えても結構おねだりが得意なんだよ」
自分は『おねだり派』のエースなのだと、サンディは得意げに言う。
どっちも酷い名前だとカイルは思うが、自分の所属するクランの名前を思い出して、人のことは言えなかったと顔をしかめる。
それに酷い名前だが、少なくとも意味はわかりやすい。
自慢できるようなことなのかどうかはともかく、確かにサンディの『おねだり力』は高いのだろう。カイルはそれを身をもって知っている。
それは確かに、――少なくとも集団窃盗をやるよりはよほど――穏当な食糧を手に入れる手段なのは間違いない。
「そして、サンディたち『おねだり派』のリーダーが、リサって名前で、もう一つの『かっぱらい派』のリーダーがレーン。今回誘拐事件を起こしたのは、『かっぱらい派』のやつらだよ」
その口調から、サンディがあまり『かっぱらい派』のことを良く思っていないことがわかる。
「『かっぱらい派』が『教会』にやって来て、最初はサンディたちも、一緒になんとかやって行こうって思ってたんだけどね。魔物にやられちゃって、大人がいなくなって、仲間も減って、これからどうしようって困ってたところだったし」
だが、元々そこにいた者たちと後からやって来た者たちの間には、想像以上に深い溝があった。
考え方とか、行動とか。喋り方ひとつとっても。
孤児とはいっても、大人に守られて育った者たちと、誰にも頼れない路地裏生活を――短期間とはいえ――経験してきた者たち。違いは顕著だった。
「あいつらって乱暴で、意地が悪くて、すぐに小さな子をバカにしたり虐めたりするんだよ。だからこっちも頭にきて、完全に生活場所を二つに分けて、関わらないことにしたの」
二階建てだった『教会』の建物の中を一階と二階に分けて、サンディたち元々そこにいた孤児たちは二階を、後から来た者たちは一階で生活することにしたそうだ。
そこでカイルが疑問を口にする。
「じゃあエリスたちはきっと、その『教会』の一階で捕まっているんだろうな」
「多分そうだと思うよ」
「……しかし、すごい偶然だな。まさかエリスを拐った連中と、サンディにそんな繋がりがあったなんてさ」
「嫌なこと言わないでよ、カイル。あんなのとの繋がりなんか要らないよ」
なにかとてつもなく苦い物でも飲み込んだように、サンディはしかめっ面をした。
◇◆◇
「なんてことをしてくれるのよ!」
リサは怒鳴った。怒りのあまり、握り締めた拳がわなわなと震えていた。
過酷な生活の中でもまだ艶がある、茜色の髪は彼女の密かな自慢だが、その髪を振り乱している。
『教会』を住処とする数十人の孤児たちの一人であり、『おねだり派』のリーダーでもある彼女は、滅多なことでは怒りをあらわにすることがない。
――だが、今回は別だ。
それも当然だろう。
なにしろ、彼女の前には、拐ってきたと思しき二人の縛られた少女を連れて、忌々しい男が立っているのだから。
「うるせえな。乞食女が。黙ってろ」
そう言ってリサをせせら笑った少年の名はレーンという。
この『孤児院』において、リサともう一人、別のグループを率いるリーダーでもある。
リサにとっては、後から来たくせに、ずっと以前からここにいたリサたちに僅かばかりの敬意も示さない腹立たしい相手だ。
「こいつらは金づるだ。逃げねぇように見張ってろ。お前らみてえな他人のお情けに縋ってばかりの乞食にも、そのくらいはできるだろ?」
「なんですって!? 盗人が偉そうに言ってくれるわね!」
眦を吊り上げてリサはレーンを睨みつける。
「大体、なんでわたしたちが、アンタが拐ってきた子を見張らなければならないのよ! 冗談じゃないわ! そんなことに巻き込まないで!」
「はっ、こっちはお前らみたいに、その辺のバカな男に上目遣いでおねだりすりゃあ食いもんが手に入るわけじゃないんでな。これから食糧を調達に行かなきゃならねんだ。お前らみたいに暇じゃないんだよ」
確かにそうだ。上目遣いで小銭や食料をおねだりするのは、リサたちの得意技だ。だがそれのなにが悪いと、リサは思う。
レーンたちのように盗みを働くよりはよっぽどマシではないか。
まして子供を拐って来て金に換えようなどとは!
「こんなことをして、どうなるかもわからないの? 絶対にただでは済まないわよ。アンタたちが酷い目に遭うのは自業自得だとしても、こっちにまでとばっちりが回ってくるのよ。いい迷惑だわ!」
「へえ。面白れぇじゃねぇか」
レーンは前に進み出ると、額がくっつきそうになるほどにリサに顔を近づけてニヤニヤと笑う。
「迷惑ならどうするってんだ? お前に何ができるんだよ、ああ?」
「……っ!」
リサは悔しそうに歯を食いしばるが、なにも言うことができない。
腹が立つ男だが、レーンはこれでも冒険者なのだ。命の遣り取りに慣れた暴力の専門家だ。
実力行使でリサが敵う相手ではなかった。
一触即発の空気に、リサの仲間たちがオロオロと狼狽えている。
「ふん」
「キャッ」
つまらなそうな顔で、レーンはリサの胸を突き飛ばす。
「どうせなにもできねぇくせに、いちいち逆らってんじゃねぇ」
床に倒れながらも、リサがレーンを睨む。
そばかすの散った、形の良い鼻をぐいっと擦った。
「そのうち、金を持ってこいつらの仲間が来る。それまで絶対に逃がすんじゃねぇぞ」
言い捨てると、仲間を引き連れてレーンは部屋を出て行った。
去り際に、レーンとその仲間たちの、意地の悪い笑声が響いた。
「リサ、大丈夫?」
リサと仲の良い、マウという名の少女がリサを抱き起す。
「ええ、大丈夫。でも、……くそっ、あのバカ。自分がどれだけヤバいことしてるかもわかってない……!」
マウは不満そうに、レーンたちが出て行ったばかりのドアを睨んだ。
「でも、なんでわたしたちのところに拐った子を連れて来るの? 見張るくらい自分たちでやればいいのに」
「多分、わたしたちに命令したいんでしょ。そうすることで、自分たちのほうが上の立場だと示したいのよ」
最近はレーンたちは、なにかといえばリサたちに対して当たりが強い。
それだけではなく、こちらが手に入れた食糧などを、勝手に持って行ってしまうことも何度かあった。
今まではお互いなるべく関わらないようにしていたはずだが、近ごろはこちらを手下のように扱おうとしていると感じるのだ。
「そんなことのためにわたしたちを巻き込むなんて……!」
「ええ。本当にいい迷惑よ」
ため息をついて、レーンが残していった二人の少女の様子を見る。
一人はずっと俯いたまま、しゃくりあげている。拐われてきた少女としては、当然の反応だろう。
だがもう一人は、顔を上げて、ジッとこちらを見つめている。恐れているのでも、怒っているのでもなく、冷静にこちらを観察するような目で。
「……あなた、随分落ち着いてるのね」
リサが声をかけると、その白髪の少女は、コテンと首を傾げて、言う。
「そうかしら? でも、いいことよね。冷静じゃないよりは」
「……まぁそうね」
リサは、「はぁ」と大きく息を吐きだして、その場にいる仲間の孤児の少年に、縛られている二人の縄をほどくように言う。
「え、いいのか? 逃げちゃうんじゃないか?」
そう訊かれてリサは、「逃げれるものなら今すぐにでも逃げて欲しいくらいよ」と答える。
「でもさすがにレーンも見張りくらい置いてるでしょうから、簡単には逃がせないでしょうけど。……ほら、いいからさっさとほどいて」
「俺は知らないからな」
そう言いながらもリサの指示に従って、少年は二人の縄をほどいた。
縄の痕のついた腕を擦るエリスに、リサが頭を下げた。
「ごめんなさい。わたしが謝っても仕方ないけど。でもやっぱり、謝らせて。本当にごめんなさい。こんなこと、わたしはちっとも望んでいない。誘拐してお金を取ろうなんて」
「……つまり、あなたはさっきのやつらとは違うってこと?」
慎重な口調でエリスが訊く。
「あなたから見れば同じようなものかもしれないけど、わたしとしては違うつもりよ」
あいつらもわたしと同じ孤児だけどね、とリサは続けた。
◇◆◇
「……それで、カイルはこれからどうするの? やっぱりその友達の女の子を助けに行くの?」
妙にワクワクした感じで、サンディがカイルに尋ねる。
「僕としてはそうしたいんだけどな……」
「俺は絶対フォルドに任せるべきだと思うぞ。それが一番確実なんだ。エリスの安全を考えるなら、待つべきだ」
カイルの言葉に被せるように、マットが語気を強めて言い募る。
マットの言う通り、孤児がなにをしようが、フォルドやレイクたちの内の一人でもいればあっと言う間に解決するのだ。
誰を頼る必要もない。すぐに捕まった二人を助け出して、孤児たちを蹴散らしてくれるだろう。
孤児たちはエリスの素性など知らずに拐ったのだろうが、完全に悪手だ。最悪のジョーカーを引いたのだ。フォルドという、凄腕の冒険者の身内に危害を加えるなんて。
すでに孤児たちの運命は決まってる。孤児たちにとって都合の良い結末なんかはあり得ない。
だが、あるべき結果にたどり着くまでの間に、エリスが無事でいられる保証もない。言ってしまえば、問題はその一点に尽きるのだ。
確かにカイルも、マットの主張には一理あるとは思う。
だがどうしても、フォルドたちに連絡がつくまでの間にエリスがなにか危害を加えられたら、と思ってしまう。動けるのに動かずにいて、エリスになにかあったときは後悔してもし切れない。
(あんなのはもう絶対にご免だ……)
一度でも十分過ぎるのに、二度目など!
結果を黙って待つなんて、カイルにとっては苦痛でしかない。
「……なんなら、サンディが手伝ってあげようか?」
どういうつもりか、サンディがそんなことを言う。
まるで無償の親切心を発揮したかのようで、はっきりいって似合わない。
いつものサンディは、もっとずっと図々しかったはずだ。
「……そうしてくれると助かるけど、本気か?」
「もちろんタダじゃないけどね」
そうサンディが続けると、むしろカイルは安堵した。そのほうがよほどサンディらしかった。
「ああ、そうこなくっちゃな。そうだな……もしエリスを首尾よく助け出せたら、マットが毎日パンを奢ってくれるってのはどうだ?」
「お、おい、カイル! なにを勝手なことを……」
「なんだよ、責任を感じてるんじゃなかったのか?」
「そ、それは、……そうだけどさ…………」
「じゃ、決まりだな」
サンディはニコリと笑って、「嘘じゃないよね? サンディ、本当に毎日パンを貰いに行くよ?」と訊いてくる。
「ああ、大丈夫だ。マットの家は実はパン屋なんだ。それこそパンは売るほどある。……だろ?」
「……わかったよ」
とうとうマットは観念したのか、嫌そうに顔をしかめながらも頷いた。
「ただし夕方に、その日に余った分だけだ。それも、しばらくの間な。さすがに永久に奢り続けろと言われても困る」
「いいよ。冬の間だけは少なくとも続けてくれるなら。やっぱり冬が一番大変だから。食糧を集めるの」
「ああ、わかった。そのくらいならなんとかなる、はずだ。……いや、なんとかする。父さんがダメだと言っても、俺が自腹を切ってでもどうにかする」
「うん。交渉成立、だね。じゃあこれからもよろしく」
サンディは嬉しそうに笑うと、マットの手を握ってブンブンと振る。
「……言っとくけど、エリスとシアを本当に助け出せたら、だからな?」
「もちろんだよ。で、その方法なんだけどね……」
そしてサンディが説明したところによると、もう少ししたら、エリスを拐った孤児たちは、食料集めに出かけるはずだという。
「それは確実なのか?」
「うん。いつも同じだもの。雨だろうと、雪だろうとね」
だからその人数が減ったところが、エリスを助け出せるチャンスだと、サンディは言う。
「見張りくらいはいるだろうから、何人かはきっと、力づくでどうにかしなくちゃダメだけどね。それは大丈夫?」
「人数にもよるけどな。見張りは何人いると思う?」
「そうだね。いつもは留守番は一人か二人だから、今日は倍の四人ってとこかな? ただの勘だけどね」
「まぁ、そのくらいなら不意を突けばなんとかなるか。……でもそれより、今日はエリスたちがいるのに、本当にいつも通り食糧探しに行くのか?」
「行くよ。だって、そうしなきゃ食べ物がないもの。サンディたちってギリギリで生活してるから。蓄えなんかないよ。調達に行かなきゃ、お腹が空いちゃう」
「……そっか。わかった」
カイルは既にやる気になっていたが、マットは懐疑的だった。
「本当にそれで上手くいくか? カイルと俺だけで、見張りを四人片付けなきゃダメなんだろ?」
しかもその四人というのも、根拠はただのサンディの勘だ。あまり当てにはならない。
「いや。僕一人だけでやる。マットには悪いけど、僕は一人のほうがやり易い。迷宮でも一人で魔物と戦っているんだ。連携なんかしたことないし、それにマットは戦いに関しちゃ素人だろ?」
「……カイルの言うことはもっともだけどさ、それなら尚更だ。本当に一人でやれるのか? 失敗したらエリスも危険になるんだぞ」
「多分、なんとかなると思う」
「多分ってさ……」
マットは眉間に皺を寄せる。そこに、サンディが口を挟んだ。
「『教会』に着いたら、サンディがまず、中の様子を見に行くよ。サンディは元々『教会』で暮らしているからお互いよく知っているし、怪しまれないから。それでやれそうなら助ければいいと思うよ」
そして無理そうなら、そのときに諦めればいいと、サンディは言う。
「まぁ、その辺りが妥当か……」
「そうだな」
マットはまだ不安そうだが、一応は納得したようだ。
ただ、最後までカイルに、「いいか? 難しいと思ったら止めろよ。大事なのはシアとエリスの安全なんだからな!」と念を押していた。
マットはまたこれから、フォルドやレイクたちを捜して走り回るつもりなのだという。
無駄になる可能性のほうが高いのだが、きっと、ただジッとしている気にはなれないのだろう。その気持ちはカイルにもよく理解できた。
マットを見送ってから、カイルとサンディは連れ立って歩き出す。
向かうのは、東岸地区の南側にある、迷宮都市最大のスラム。泥街だ。
ただその足取りには、特に急いだ様子はない。
これはサンディから聞いた、レーンたちが食糧調達に向かう時刻までにもう少し間があるためだ。
急いで向かったところで待機する場所が変わるだけで、あまり意味はない。
それに泥街は、控え目に言っても待機場所に相応しいところではない。
――正直、孤児が誘拐だ、拉致だといったところで、どれほどのことができるのか、という気分もある。
騒ぎ立てるほどのことでもない、おままごとのようなものなんじゃないか、と。
だが、絶対ではない。孤児たちは泥街の住人だというし、泥街は悪いお手本がきっと揃っている。
案外、なかなか深刻な事態になっている可能性だってあるのだ。
エリスとその友人の少女が意に反して連れ去られたのは間違いないようだし、そのとき孤児たちはマットやエリスをナイフで脅し、金を要求したのだから。
途中、サンディはいくつかの食堂や商店に立ち寄った。
そしてそこで、食料らしきものを受け取って、サンディは明るく礼を言った。
「いつもありがとうね!」
「ああ、いいさ。困ったときはお互い様ってもんだ」
そして大きく手を振って、サンディは気のいい店主と別れるのだ。
「いつもお世話になってるんだ。行って頼めば、仲間の分まで食糧を分けてくれるから、本当に助かってる」
「そりゃあまぁ、そうだろうな」
サンディが言うには、彼女がキープしている、定期的に食糧を分けてくれる『おねだり相手』は、十軒近くもあるらしい。
それを毎日、二軒か三軒回って、食料を確保しているのだそうだ。
「さすが『おねだり派』のエースだな」
「でしょ?」
サンディの代わりに食料の袋を持ってやっているカイルが苦笑する。
「でもそれなら、なにも僕なんかにまで食糧をねだる必要はなかったんじゃないか?」
「そうでもないよ。食糧をくれる相手に当てはあるけど、余るほど貰えるわけじゃないもの。いつだってギリギリなんだから、サンディ一人分でも奢って貰えたらすごく助かるよ」
「うん。まあ、……そっか」
ちょっとしたカイルの軽口に、思ったより真剣な返事が返って来て、カイルは口籠る。
「冬は特に、外に出られない日もあるし、保存できる食糧を今からためておきたいんだけどね。保存食をくれって注文を付けるのはさすがにちょっと無理だし」
だからマットの家のパンも、貰えるのなら非常に有難いこと、らしい。
「だから、もし騙して報酬を誤魔化したりしたら、本気で恨むからね。食べ物の恨みは怖いよ」
「そんなことはしないけどさ」
そのサンディの言葉を疑う理由はどこにもない。
本気で、死ぬほど恨まれるだろう。
この件が片付いたなら、マットにはもう一度はっきり念を押しておこうと、カイルは心の覚書に赤字で記しておいた。




