19. 拐われたエリス④
そろそろ【黄の刻】に変わるはずだが、まだ【天央の燈篭】は、もっとも熱量の多い白色の光を地上に投げかけていた。
エスティア街道の白い石畳が、光を反射して輝いている。
歩くだけで噴き出てくる汗を、カイルは手で拭って振り払う。
灰色の毛並みの野良猫が、暑さに負けたらしく、軒下の日陰で寝転がっている。
人通りの少ない街道を歩き、中央橋にさしかかったとき、前から走ってくる少年がいた。
随分と慌てていて、その必死な様子に驚いた通行人が何事かと振り返った。
その少年は、カイルをみつけると一直線に駆け寄って来る。
「カイル!」
マットだった。声の大きさに閉口して「なんだよ、大声で……」と言いかけたカイルだったが、マットの様子があまりに切迫していて、言葉に詰まる。
まるで縋りつくようにカイルのチュニックを握り締めて腰を屈め、荒い息を吐く。
マットの水色の髪から汗が、雫となって石畳に滴り落ちた。
「……どうしたんだよ」
よく見るとマットの頬には、殴られたような痣がある。
なにがあったのかとカイルが尋ねると、息を整える時間すらもったいないというように、マットはまくし立てた。
「カイル、頼む! 助けてくれよ!」
「……だから、ちゃんと理由を言えって。なにがあったんだよ」
また孤児がなにか盗んでいったのだろうか? そうカイルは訊くが、
「違う! 今度は盗みじゃなくて誘拐だ!」
「ゆ、誘拐?」
あまりに物騒な単語が出て来た。
思ってもみない話に、すぐには頭が追い付かない。
「誘拐って……拐われたってことだよな? いったい誰が拐われたんだよ?」
「シアだ。それにエリス。くそっ! 刃物で脅されて、置いてくるしかなかった……」
「おい、待てよ。どういうことだ!?」
さすがにカイルも動揺した。
マットの襟首を掴んで詰め寄る。
「エリスを置いてきただって!? どこに置いてきたんだよっ」
「そ、それは……」
首を絞められたマットが苦しそうに呻き声を上げる。
「くそっ」
カイルはマットを放すと、その代わりに睨みつける。
「……最初からちゃんと順を追って話せ」
「お、おう」
◇◆◇
その日、マットからもう一度泥棒の孤児を追いかけようと誘われたエリスは、正直に言えばあまり気乗りがしなかった。
前回は泥街まで追いかけた挙句、怖い思いをして逃げ帰ることになったのだ。
またあんなことになるかと思えば気が進まないのは当然だった。
むしろ、なんでマットがもう一度やろうという気になるのか、不思議なくらいだ。
だが、マットは前回の敗退がよほど悔しかったらしく、リベンジに燃えていた。
要は泥街に逃げこまれなければいいのだからと、今回は孤児が泥街に逃げ帰る前に捕まえる計画を練っていた。
盗んだ孤児を追いかける班と、待ち構える班に分かれて、泥街の手前で捕まえる予定らしい。
エリスも、今回は泥街に逃げられる前に捕まえると聞いて、あまり気は進まなかったが結局、乗りかかった舟だからと、もう一度ついて行くことにしたのだ。
途中までは上手くいっていた。
孤児の泥棒はまたすぐにみつかったし、逃げていく経路も前回と同じだった。
そしてあのときよりも、こちらの人数も多かった。
追いかける人数は四人で、待ち伏せが三人だ。
エリスは追いかけるほうの組で、親友のシアは隠れて待ち伏せする役目だった。
シアもあまり気乗りはしていなかったが、隠れて待っているだけでいいならと参加していたのだ。
待ち伏せのいる場所まで追いかけて行って、孤児の少年を囲んで捕まえたと思ったときに、突然大勢の孤児たちが現れた。
一〇人以上はいただろう。その孤児たちが、たちまちの内にマットたちを包囲してしまった。
そこでようやくマットも気づいた。罠に嵌めるつもりが、逆に嵌められたのだ。
多分、前回孤児を追いかけたことで、孤児たちのほうも対策を考えたのだ。
次に追いかけられたときはこうすると、あらかじめ決めてあったのだろう。
そしてマットやエリスたちはまんまとその策に嵌まってしまったのだ。
それに気づいたときには、もう遅かった。あっという間に、マットの仲間たちは孤児の集団に蹴散らされてしまった。
孤児たちは、容赦というものがなかった。殴られ、鼻血を流して地面に倒れている者に、四つん這いになって呻いている者。マットの仲間たちは、まるで死屍累々の有様だ。
そしてシアは、孤児の少年の一人に捕まってしまっていた。
灰色の髪をした、孤児たちの中では年長の少年だ。
「おい、動くなよ!」
片腕でシアの首を締め上げた少年がもう片方の手に持ったナイフをシアの頬に突きつけていた。
口元は笑みの形に吊り上がっていたが、目は笑っていない。
むしろ憎々し気にマットたちを睨みつけていた。
さほどマットと変わらない歳に見えるのに、悪い意味で大人びている。
シアは怯えきっていて、目から透明な雫を溢れさせていた。
エリスと視線を合わせると、声にならないまま、口が「助けて」というように動いた。
それを見てエリスは息を飲む。震えそうになる手を握り締めて拳を作った。
シアを捕まえている少年の左右には、仲間の孤児たちが立ち、やはりナイフをこちらに向けて構えている。
金属片とでも言ったほうが正確だと思えるほど粗末なものだが、孤児たちはみな、ナイフで武装しているのだ。
「お前ら、面白がって俺たちを追いかけまわしやがって、舐めてんじゃねーぞ!」
口調が完全にチンピラだった。
多分、泥街に住んでいるであろう彼らの周囲には、お手本になる大人がたくさんいるに違いない。
マットが青い顔で、前に進み出た。
「お前らがお供え物を盗んだりしなかったら追いかけられずに済んだんだ。人のせいにするな!」
「はっ、放っておけばどうせ腐るだけの物をいただいて何が悪い?」
「悪いに決まってるだろ! アレは神さまに捧げたものだ」
「神さまぁ? そんなもんがどこにいる? 捧げものを神さまとやらが食うところでも見たことがあるのかよ?」
孤児の少年はせせら笑う。
話にならないとマットも思ったのだろう。話題を変えた。
「……とにかくその子を放せ。そうすれば今日のところは勘弁してやる」
「あん? なに言ってんだ、てめぇ。誰が誰を勘弁するんだよ。自分たちの立場を理解してねぇのか?」
少年は、ナイフをシアの頬に押し付ける。
一筋の血がシアの頬を伝う。
シアの目が大きく見開かれて、涙が零れ落ちる。
「止めなさい!」
これ以上は我慢できずにエリスが叫んだ。
「シアを放して」
「お前言葉が通じないのかよ」
バカにしたように鼻を鳴らす。
「誰がお前らの言うことに従うかよ。返して欲しかったら、そうだな、大金貨だ。五枚出せ。そしたら返してやるぜ」
エリスは振り返って仲間を見るが、みな青い顔で首を振る。
当然だ。そんな金を持っている者がいるはずがない。
「……誰もそんな大金持ってないわよ。わたしたちをなんだと思ってるの? 貴族や大商人の子供ってわけじゃないのよ」
「うるせえ! 出せないってんなら返さねぇだけだ。俺は別に構わねぇ。奴隷商にでも売っぱらえばそのくらいの金にはなるだろ」
まるで簡単なことのように言うが、実際はそう易々と、奴隷として子供を売れるわけはない。
だが、もし違法な取引を行う闇商人に伝手があるのならば、不可能ではないのだ。
ただ、それならばシアがいくらまだ子供だとしても、売値は少年が要求した金額よりずっと多い。つまり、まったく相場がわかっていない。
したがって、この場合はただの脅し以上の意味はなかったのだが、それはエリスにはわからなかった。
まだ十二歳のエリスには無理からぬことではあったが、孤児の少年の脅しを真に受けてしまった。
「……わかったわ。それなら、その子の代わりに、わたしを連れて行きなさい。わたしの父さんはそれなりに有名な冒険者よ。大金貨五枚くらいなら出してくれるわ」
「へえ、そうかい。有名な冒険者ね」
まるで信じてない表情で笑う。
自分たちを牽制するための嘘だと判断したのだろう。
「まぁなんでもいいぜ。いざとなりゃ奴隷にすりゃいいんだから嘘だって構わねぇ。……おい」
少年が合図すると、仲間がエリスに近づいてその腕を掴む。
「エリス!」
マットが止めようと呼ぶが、エリスは「いいから」と大人しくついて行く。
「ほら、さっさとその子を放しなさいよ」
だが、ニヤニヤと笑いながら孤児の少年は答えた。
「バカか。誰が金づるを逃がすかよ」
「……騙したの?」
「はっ、そっちが勝手に思い込んだだけだろ。俺は放してやるなんて一言も言ってねぇよ」
少年に掴みかかろうとしたエリスの頬を少年は平手打ちにした。
尻もちをついたエリスを見下ろして嗜虐的な笑みを浮かべる。
どうやら孤児の少年は、マットやエリスたちをバカにして傷つけること自体を楽しんでいるようだった。
孤児の少年が、自分の境遇に対する不満を溜めていてもなにも不思議はない。むしろ当然だろう。だが、その不満のはけ口にされたほうにとっては、たまったものではなかった。
「おい、人質が増えたから、金も倍だ。大金貨一〇枚、泥街の『教会』に持ってこい。場所は泥街で『教会』と言えば誰でもわかるからよ。ああそれと、衛兵なんかに話したらこいつらの命はないからな。じゃあな。間抜けども」
◇◆◇
「そしてお前らは、エリスとシアを残してのこのこ引き下がったってのかよ!?」
「じゃあどうしたら良かったってんだ!? 二人はナイフを突きつけられていたんだぞ!」
カイルとマットは、至近距離で睨み合う。
「クソッ」
先に視線を逸らしたのはカイルだった。
マットの言い分に納得したわけではないが、ここでいつまでもマットを責めていてもエリスが戻ってくるわけではない。
「だからさぁ、なんでお前らはわざわざ孤児なんかに自分から関わろうとするんだよ!?」
さっきまでカイル自身が、孤児の冒険者を探していたことは完全に棚に上げて、カイルは怒鳴る。
だが、それは確かにカイルの偽りのない本心だった。
マットやエリスみたいな真っ当な家庭で生活している子供が、孤児なんかと関わっても良いことなんかなにもない。
まったく話が噛み合わないに決まっているのだ。お互いにとっての常識が全然違うのだから、当然だ。議論の前提が異なるのだ。
考え方、生活、なにを優先しなければならないか、そういったものがまったく異なる。話が合うはずがない。
カイル自身は短期間とはいえ、孤児の生活を経験したことがあるので、彼らのことはそれなりに理解できる。
だがそんなカイルでも、やむを得ない事情がなければ進んで関わりたい相手ではないのだ。孤児などというものは。
「俺たちもあいつらのことを考えて、大事になる前に注意してやろうと思ってたんだぜ……」
言い訳がましい口調でマットは言う。
それが嘘だとまではカイルも思わない。だが、孤児の少年が言ったように、面白がって孤児を追い回したところもあったに違いないのだ。
まったくマットたちは余計なことをしてくれたと、カイルは腹立たしく思うが、だがカイルにも責任はあるのだ。
最初に孤児の泥棒を捕まえる話を聞いたときに、もっと強く止めるべきだったのだ。孤児なんかには関わるな、と。それを面倒くさがって、あまり強く止めずに放っておいた結果がこれだ。
孤児たちは小さな子供が多いが、危険な存在である。
なにしろ、彼らは食糧を得るために日常的に盗みなどを繰り返している。良識というたがが外れた存在なのだ。ある意味では野生の獣のようなものだと考えなければならない。
誰もが持っているはずの、犯罪を犯すまでに乗り越えるべき心のハードルが最初からないのだ。
正義感だろうと冒険心だろうと、理由がなんであれ下手に近づけば噛みつかれる。
ずっと親の下で生活していたマットたちには、そのへんの感覚がわかっていなかったのだろう。
(……失敗したな)
こうなる前に強引にでも止めておけば、こんなことにはならなかったのに。
どう考えても、止めるのはカイルの役目だったのだ。孤児たちがどういうものか知っているのはカイルなのだから。
少しの手間を惜しんだために、ずっと大きな面倒を抱え込むことになる。その度に後悔しても、なかなか改めるのは難しい類のことではあるが……
だが、今はのんびり反省している暇はない。
今はそれよりも、エリスを助けることを考えるべきだった。
「エリスやシア以外にも、その場には何人もいたんだろう? 他のやつらはなにをしてるんだ? 衛兵にはもう話したのか?」
「衛兵の詰め所には行ってない。やつらに衛兵には知らせるなと脅されたんだ。それより、みんな手分けしてフォルドやレイクたちを捜してる。衛兵よりもそっちのほうがよっぽど頼りになるしな。俺も捜してたら、ここでお前をみつけたんだ」
マットの判断は正しいとカイルも思うが、だが残念ながら運がない。
昨日までならクランハウスにいなくても、近所の酒場を回っていれば恐らくフォルドたちはみつかっただろうが、今日はダメなのだ。
「街中を捜してもみつかるわけない。レイクたちは迷宮だし、フォルドはどっかの貴族に呼ばれて出かけてるんだ」
「……クソッ、道理でいくら捜してもみつからないはずだぜ」
マットも、普通だったらこんな場所までフォルドやレイクたちを捜して走り回ったりはしなかっただろう。
だが、今は丁度間の悪いことに祭りの前だ。
迷宮都市では祭りが近いだけあって、どこの酒場も満杯だ。
近場の酒場でフォルドたちがみつからなくても、もしかしたら席がないせいで別の酒場に行っているのかもしれないと思ってしまったのだ。
その結果、あちこち走り回っても発見できずに、とうとうこんなところまで来てしまった。
普通ならば、中央橋を渡って西岸地区にまで探しに来ようとは思わない。
マットの頬の痣は孤児たちにやられたものではなく、酒場を回っている内に、質の悪い冒険者くずれに絡まれたときについたものだという。
どうやら今日のマットは、とことん幸運の女神に見放されていたようだ。
「そのフォルドを呼んだ貴族ってのが誰なのか、カイルはわからないか?」
だがカイルは横に首を振る。
「そこまではフォルドも言っていなかった」
それに例え場所がわかったところで、平民の子供なんかが貴族の屋敷に行っても、門前払いされるに決まっている。
「そうか……一応、念のために訊くんだけど、お前、大金貨一〇枚持ってないよな?」
「あるわけないだろ」
「だよなぁ。そんな金、うちの店にだって置いてねぇよ……」
マットは途方に暮れたような、泣き出しそうな表情を浮かべる。
そんなふうに落ち込むくらいなら、最初から無謀な真似をするなと、カイルは言いたい。
だが、今はそれよりもやるべきことがあった。
――他のことはいい。問題はエリスだ。なんとしても、助け出さなくっちゃ……!
「……ああ、くそっ!」
カイルは苛立ち紛れに、金茶色の髪を乱暴に掻き回した。
「――とにかく、のんびりこんな話をしてる場合じゃないんだ……!」
「おい、待てよカイル! どこに行く気だ!?」
マットを置いて走り出そうとしたカイルの腕を、マットが掴んで引き留めた。
「決まってるだろ!? 泥街に行って、エリスを取り返すんだ! 放せよ!」
「バカ! 一人で当てもなく泥街に乗り込んでどうなる!? 大体、どこにエリスがいるのかわかっているのか?」
「今お前が言ったんじゃないか! 泥街の『教会』にいるんだろ!?」
「それは正確じゃない。そいつは金を『教会』と呼ばれている場所に持って来いと言っただけだ。エリスがそこにいるかはわからないんだ!」
「……チッ」
カイルは舌打ちした。
「……そこに持って来いと言ったんなら、エリスもそこにいるんじゃないのか? 金と引き換えに返す約束なんだろ?」
「かもしれない。だが、確実とはいえないだろ。それに、相手は大勢いるんだぞ。カイルは冒険者といっても、まだ【星無し】じゃないか。敵が一〇人以上いても勝てるのかよ?」
「そんなのは、やり方次第だろ!」
「いいから落ち着けよ! あいつらだって、エリスとシアは金づるなんだ。そうそう乱暴には扱わないはずだ」
「適当なことを言うな! そんなのわかるわけないだろ!?」
「だとしても、お前が考え無しにいきなり乗り込んで暴れたら、却ってエリスが危険な目に遭う可能性だってあるんだぞ!」
「……!」
カイルは、マットの胸を手の平で突き飛ばす。
尻もちをついたマットに、指を突きつけた。
「マットこそおかしいだろ! なんでそう落ち着いていられる? 責任を感じてないのか!? お前が泥街の孤児なんてやつらに関わろうとしなけりゃ、こんなことになってなかったんだぞ! お前こそもっと必死になるべきなんじゃないのか!?」
「……わかってる。俺の責任だ」
マットは突き飛ばされたことに腹を立てたりはしなかった。
唇を震わせながらも、カイルから目を逸らさずに言う。
「けど、必死になることと焦って暴走することは違うだろうが! 俺はこれでも必死なつもりだ。エリスとシアを助けるためならなんだってやってやるさ! でもなにも考えずにただ泥街に突撃したって意味がないじゃないか!」
だからカイルも手伝えと、マットは言う。
「フォルドや、レイクたちの誰か一人でもみつかればいいんだ。そうだろ? だからさ、カイル、お前も捜すのを手伝ってくれ!」
「……」
カイルは険しい顔で考え込む。
マットの言うことも、わからないわけではない。確かに、フォルドたちがみつかれば、それだけでこんな事件は片が付く。
だが、今すぐは無理なのだ。貴族の邸宅には近寄れないし、迷宮の中にまでレイクたちを探しに行くわけにもいかない。
となるとやはり、カイルが自分でなんとかするしかない、のだが――
カイルは泥街のことはまったく知らない。そこに住むという孤児たちのことも。
ほとんど足を踏み入れたことがない場所だ。
「……クソッ、また孤児か。今日はやたらと孤児に縁があるな――」
カイル自身が孤児の一人であることは忘れたように、そんなことをカイルは考える。
冒険者ギルドで仲間を探そうとして、ポーラから孤児冒険者が候補になるかもしれないと聞かされた。
その後、たまたま会ったサンディに、孤児冒険者のことを尋ねて……
「そうだ、サンディがいた! もしかしたら、まだ近くにいるかもしれない!」
踵を返して走り出そうとするカイルを、慌ててマットが呼び止める。
「お、おいっカイル! 今度はどこに行く気だ?」
「いいから、マットも僕について来てくれ!」
首だけ振り返ってカイルが叫んだ。
カイルとしては、説明のための時間すら惜しかったのだ。




